TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 30.それは、爆弾だったのです。


 広々としたキッチンで、私はお母さんと二人、お茶の支度をしていました。
 佐多くんが一人、アウェーな状態でリビングに残っているのですが、どうやらダーリンさんと仕事関係のお話をしているみたいなので、大丈夫そうです。むしろアウェーなのはレイくんの方でしょうか。

 IH完備のキッチンで、お母さんは鼻歌を口ずさみながら紅茶の缶を見比べて選んでいます。年代的にはストライクではなくボール球のはずなのに、どうして奥村チヨなんて歌っているのでしょうか。それってさらに1つ上の世代ですよね? 「恋の奴隷」なんてタイトルまで分かってしまう私も大概ですけど。

「……お母さん」

 どう、声をかけたら良いか分からなくて、私の声は自然と沈んだものになってしまいました。

「ミオちゃん、どっちがいいのかしらぁ」
「変に凝った名前のお茶ではなく、ダージリンで良いと思います。……お母さん」
「なぁに?」

 言葉を選びに選んだ私が口にしたのは、何とも間抜けなセリフでした。

「お母さんは、結局『ママ』のままなのですね」

 お母さんは高級そうな缶を、スプーンを使ってパッカンと開けながら「そうよぉ?」と何てことないように返事をしています。

「でも、あの蛇ではなく、違う蛇なのですよね?」
「やっぱり、一度ポットをお湯で温めないとだめかしらぁ。――そうよぉ?」
「お湯が沸くのが待ちきれないなら、湯沸かし器のお湯を使ってしまえばよいのです。……お母さんはそれで良いのですか?」
「ミオちゃん、あったまいいわねぇ。――ママはね、ダーリンのこともマイエンジェルのことも、すっごく好きなの」
「それを聞いて安心したのです。それと」

 私は、お母さんから紅茶の缶とティースプーンを取り上げました。

「量り方はスプーン『いっぱい』ではなく、『一杯』なのですよ!」
「もう、ミオちゃんてば、真面目なんだから~。そんなに味は変わんないわよぉ」
「私のバイト先を忘れたのですか。お茶は私が入れますから、お母さんはケーキを切ってください」
「はぁい」

 たとえイロモノな喫茶店と思われていても、ゾンダーリングのお茶は美味しいのです。なぜなら、バイトに入って最初に教えてもらったことは、紅茶の入れ方でしたから! 店長は紅茶とコーヒーにはこだわっているのですよ。
 まぁ、二番目に教わったのがツンデレ演技指導というのは、置いておきます。そちらも重要なファクターなのですけど。

「楽しそうだね、リコ、ミオちゃん」
「ダーリン♪」

 キッチンに顔を出したダーリンさんに、思わず身体がびくっと震えてしまいましたが、目の前で、むちゅー、とされてしまって、思わず目を逸らしてしまいました。

「ミオちゃんったら酷いのよぉ? ママの紅茶の入れ方に文句つけるの」
「お母さんが大雑把過ぎるのです! ……すみません、こんな母ですが、こんな母ですが、よろしくお願いします」
「ひどぉい、2回も言ったぁ」
「……ふふ、リコとミオちゃんは本当に仲が良いね」

 ぞわり、とまた鳥肌が立ってしまいました。
 もう原因は分かっているので、動揺はしませんよ。大丈夫です。ミオさんは演技力抜群の女優ですから! ……たぶん。

「すぐお茶を入れて持っていきますから、もう少し待ってください」
「ごめんね、ダーリン」
「はいはい。リコは甘え上手だね」

 目の前でイチャイチャちゅっちゅする新婚夫婦は困りものです。その片方が実の親となればなおさらに。

「ミオちゃん」
「はい」

 ダーリンさんがリビングに戻った後のキッチンで、お母さんが少しだけ真剣な表情を見せました。

「ママは幸せなの。でも、ママの幸せにミオちゃんを一方的に巻き込むわけにはいかないわ」
「……お母さんが好きなら、反対する理由はないのです。でも、ごめんなさい。私はこれ以上の蛇はちょっと」
「そうよねぇ」

 あの蛇にはイヤな思いしたもんねぇ、と頬に手をあててため息をついたお母さんは、何というか、私のよく知るお母さんで。
 私は少しだけ寂しい気持ちを抱えながらも、お母さんが幸せなら、まぁいっか、と自分を納得させたのです。

「さ、早く運びましょ? 佐多くんも待ってるし、ね」
「そうですね、佐多くんには居心地の悪い状況でしょうし」
「う~ん。ミオちゃぁん? もうちょっと佐多くんの気持ちを考えてあげると良いと思うのよ?」
「十分考えていると思うのですけど」

 そんな会話をしながらお茶とケーキを持ってリビングに戻れば、何故か、微笑むダーリンさんの向かいで、不機嫌そうな羅刹が座っていて、私は(ごめんなさい)と心の中で謝ったのでした。

「お待たせしました」

 私は蒸らし時間もばっちりの紅茶をテーブルに出すと、再び佐多くんの隣に座りました。

「……あの、佐多くん?」

 訂正します。
 不機嫌な羅刹に引っ張られ、いつもの『抱え込まれスタイル』に落ち着きました。
 ニマニマとそれを眺める実の母親。
 おやおやと見るのは義理の父親。
 さめざめと今にも泣き出しそうな義理の弟。

「レイ、ママの膝にいらっしゃい」
「……うん」

 だ、誰も止めないのですか? ツッコミなしで放置なのですか!

「トキトくんの、そういう独占欲の強い所は、サタに似ているね」
「そう……ですか」

 ふぉっ!?
 え、今、羅刹が「ですます調」でしゃべりましたか?
 レアです。レアなのです。――ただ、どこかブリザード漂う雰囲気なので、あまり良い意味でのレアではないのですけど。

「ふふっ。佐多くんはミオちゃんにプロポーズ中だものね。ミオちゃんも焦らさずに早く答えてあげないとダメよぉ」
「おか、お母さん、何を言っているのですか!」

 ちょ、ダーリンさんの目が、どこか生温い感じになってしまったではないですか。エンジェルちゃんだって、ポカンと口を開けてしまってますよ!

「なるほど、ミオちゃんはワタシが守らなくても、トキトくんが守ってくれるんだね。ちょっと義理とはいえ父親としては寂しいな」
「パパぁ……」
「レイ、他人の物は取ったらダメだって教えただろう?」

 ちょ、激しく誤解を……!

「うふふー、良かったわねぇ、佐多くん。義理の親との関係は良好よ。あとはミオちゃんを説き伏せるだけね♪」
「お、母さんっ!」
「あらあら、照れなくてもいいのよ、ミオちゃん。だって、佐多くんもメロメロじゃない♪」

 め、メロメロ……?
 これは単なるアニマルセラピーの結果なのですよ? まったくお母さんの砂糖菓子みたいな思考回路もどうにかして欲しいのです!

「ミオ」

 待ってください。
 どうして羅刹はパウンドケーキを手にスタンバイしているのですか。
 いや、言いたいことは分かっているのです。いるのですけれど……!

「あらあら♪」
「おやおや」

 向かいの新婚さんが見ているのですよ? さらにお子様には目の毒だと思うのですよ?

「……ミオ」

 うぅ、上から聞こえる声が、質量を持っている気がします。圧力がハンパないです。
 目の前では、目をニンマリと三日月形にした実母と、驚いたようすの天使と、生暖かく見守る義理父がいるのに……、いるのに……っ!

ぱくっ

 いたたまれない空気を一刻も早く消し去りたくて、観念した私はパウンドケーキにかぶりつきました。
 そのまま両手で持って、ちびちびと齧ると、何故か後ろの羅刹に頭を撫でられました。
―――何ですか、この羞恥プレイ。

「うふふ、微笑ましいわねぇ。はいダーリン、あ~ん」
「ありがとう、リコ」

 うぅ、お向かいでも目の毒な行為が繰り広げられてしまったではないですか。
 恨みを込めて後ろを睨めば「もう1つか?」なんて空気を読まない返事が落とされたのです。もうやめてください。いかに女優なミオさんと言えど、精神点は空っぽなのです。
 うぅ、お母さんの膝の上のエンジェルちゃんが、何か言いたげにしています。本当にすみません。土下座ができるならしたいぐらいです。

「パンパカパーン!」

 突然上がったその声は、紛れもなくお母さんのものでした。
 思わず、私の身体がびくりと震えました。密着している佐多くんにも動揺が伝わってしまったのでしょう。腕を回され、ぎゅうぎゅうと抱きしめられてしまいました。

 お母さんが、こんな風に自分でファンファーレを口にする時は、たいていトンデモナイことを言い出す時なのです。
 前回、このファンファーレを聞いたのは、あのアパートでのことでした。娘に向かって堂々と「彼氏のところに押しかけ女房することにしたの」と宣言したのです。
 正直、思春期真っ只中の娘に言うことではありませんよね。でも、あの執拗な蛇の攻勢で「思春期の葛藤? 何ですかソレ? そんなことよりあの蛇対策をもっと建設的に!」みたいになっていた私ですから、それほどショックではなかったと思います。
 ……むしろ、彼氏なんていなくて、蛇対策のカモフラージュと思っていましたから。しばらくしてからお母さんの言う「ダーリン」と「マイエンジェル」が実在するものだと知って驚いた記憶があります。

 話が逸れました。
 要は、この「パンパカパーン」が私にとってはイヤな予感しかしないものだということなのです。

 少し乱れた呼吸を、そっと整えます。
 ついでに、私の体の前に回された佐多くんの指を、ちょこっとだけつまみます。ほんとに指先だけ。

「リコ?」
「ママ?」

 二人の前で「パンパカパーン攻撃」をするのは初めてなのでしょう、ポカンといった顔でお母さんを見つめるダーリンさんとエンジェルちゃんが、ちょびっと可愛いです。
 いや、そこに癒されている場合ではありません。どんな発言が来てもいいように、ぐっとお腹に力を込めなければ。

「せっかく家族が集まったので、ここで重大発表をしたいと思いま~す!」

 お母さんは、ニコニコと満面の笑みを浮かべています。
 ……何を言うのか分かりませんが、余計に恐ろしいです。内容次第では、佐多くんをせっついて、とっとと帰ってしまいましょう。

 お母さんが、そんな私の内心を知ってか、一層笑みを深くしました。

「なんと、ママは妊娠しました!」

 妊娠2ヶ月、八週目です!
 などと宣言したお母さんに、隣のダーリンさんも初耳だったのか、ポカーンとした顔をしています。
 おかしいですね。喜ばしい話なのに、ダーリンさんに「ご愁傷様です」なんて言いたくなってしまいました。でも、こんなお母さんを選んでしまったのは、他ならぬあなたですから。

「リコ、本当に?」
「そうなのぉ。黙ってて、ゴメンね、ダーリン♪」

 普通、旦那サマに一番に報告することだと思うのですけれどね。

「ママ?」
「レイもお兄ちゃんになるのよ? ここに新しいエンジェルちゃんがいるの」

 頭を撫でまくるのは良いのですが、お願いですから新しいエンジェルにばかりかまけていないで、ちゃんとレイくんのことも大事にしてくださいね。継子と実子で待遇違うとか、最悪ですから。

「ミオちゃぁん?」
「おめでとう、お母さん。―――でも、慣れた私は良いのですけど、もうちょっと別の報告の仕方も考えてあげて欲しいのですよ」
「あら、そうかしらぁ?」

 そうです。
 特に隣のダーリンさんには、事前に報告するべきだったと思いますよ?

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