31.それは、習い性だったのです。お母さんの爆弾発言により、場の空気が一気に変わってしまいましたが、何とか私と佐多くんは無事にマンションを出ることができました。 それにしても、妊婦というのは悪阻で苦しんだり、カフェイン摂取を止めたりするようなものだと思っていたのですが、至って普通でしたね。後でそのあたりを調べて、ダーリンさんに諌めてもらうよう頼むべきでしょうか? マンションのエントランスを抜けると、そこに佐多くんの呼んだ車が止まっていました。来るときと同じ運転手さんです。 後部座席に乗った私は、えっちらおっちら奥に行って、佐多くんの座るスペースを作ると、即座にカバンの中からスマホを取り出しました。 「……ミオ?」 「すみません。ちょっと妊婦の取り扱いについて調べたくて、ですね」 いきなりスマホを弄り始めた私を、羅刹が睨んでいます。これは見ているだけでしょうか? それとも私、何かやらかしましたか? なんて考えていても仕方ありません。私はインターネットではなく、メール作成画面を開くと、スルスルと文章を打ち始めました。 「佐多くん、これ、なんですけど」 発進した車の中で、スマホの画面を隣に座る佐多くんに向けました。 ぐ、と呻くような声に、私の身体が固く強張りました。ちょ、睨んでる睨んでる! 羅刹が私のスマホをめっちゃ睨んでいます! その延長線上に私がいるので、勘弁してください。 『発信機や盗聴器などを探せる機材を借りられますか?』 画面にはそんな一文が表示されています。 それを凝視する羅刹の顔が般若です。羅刹で般若ってもう鬼に金棒ですよね。 「犬飼。適当なラブホに回せ」 「了解」 ポカーン、と口を開けてしまった私は悪くないです。 え、今、何て言いました? ラブホ? しかも運転手の方も、あっさり承諾しましたよね? 何ですか、これ。罰ゲームか何かですか? 「さ、佐多くん……? えぇと、聞き間違いでなければ、今、ラブホ…って言いました?」 「聞き間違いじゃねぇな」 今度は佐多くんが自分のスマホを操作しながら、私の話に相槌を打っています。 「ちょ、な、や、な、なにゆえに出会い茶屋なのですかっ!」 「アンタ、じーさんの影響か知らねぇが、時代劇見過ぎじゃねぇのか」 いや、その、ラブホって、声に出して読みたい日本語ではないと思うのですよ……って、違います! 私がわたわたとしている間に、車は幹線道路から一本入った先にある『問題の建物』の前に止まってしまいました。 「休憩すっから、二時間後にまた迎えに来い」 「はい」 いや、私、休憩するつもりは……っ! 反論する私を妨害するかのように、佐多くんが私の身体を小脇に抱えて車から降りてしまいました。完全に小荷物となっています。やはりミニマムな身体では佐多くんのような巨神兵に敵いません。 「ちょ、佐多く、んっ!?」 「暴れんな。アンタの方から言って来た『ソレ』の話だ」 「え―――」 それ、って、探知機のこと、でしょうか? 探知機とラブホの関連性について、誰か教えてください。 佐多くんは慣れた様子でカウンターから鍵を預かると、エレベーターに乗って四階の一室へと向かいました。 私、ですか? 抵抗しても敵わないと知っているので、無駄な体力は使いません。まぁ、そういう流れになったら、全!力!で!抗いますけどね! 部屋に入ってようやく解放されたので、私は何となく佐多くんから距離を開けます。すると、呆れたような、いいえ、面白がるような?声が向けられました。 「無理にどうこうするつもりはねぇよ。適当にそこらに座ってろ」 「は、はぁ……」 備え付けの冷蔵庫からウーロン茶のペットボトルを取り出すと、いきなり放り投げて来たので、私は何とかキャッチします。 さっき、散々お茶を飲んだので、別に喉が渇いているわけではないのですけどね。でも、手持ち無沙汰なので、ちびちび飲むのも良いかもしれません。 大きなテレビの近くにあるソファに腰を下ろすと、ペットボトルをテーブルの上に置きます。 少しだけ落ち着いて、ようやく室内を見回す余裕が持てました。ひょっとしなくても、ラブホに入るのは人生初体験ですから。 うーん、噂に聞いたことのある、天井が鏡張りというのは、やはり都市伝説なのですね。でも、お風呂はスケルトン仕様みたいです。ここからガラス越しにバスタブが見えますしねぇ……。 メインとなるベッドは、やはり大きいです。私なら四人ぐらい寝転べるのではないでしょうか。ベッドの端から端までごろごろしたら、一回転はできそうです。 それにしても、無駄に大きいテレビではないですか? こういうところでテレビなんて――― 「ぴゃっ!?」 変な声が出てしまいました。 えぇ、テレビの番組表が目に入ってしまったのです。ミッ○ナイトチャンネルだのチェリー○ムだの知らない放送局だとは思いましたが、その――― 「どうした?」 「な、なんでもないのですっ!」 ピンクな内容の番組表に驚いて変な声が出たとか、とても理由は口にできません。 でも、どうやらバレバレだったようで、佐多くんは悪い笑みを浮かべて、テーブルの上の番組表を指差しました。 「見たけりゃ見ろよ。……これとかいいんじゃねぇの?」 人差し指の先にあるのは「女教師輪○~先生のおかげでオレたちDT卒業できました!~」なる文字が……って、どんなオススメなのですかっ! ぶんぶんと首を勢いよく横に振ると、「じゃぁこっちか」なんて別のチャンネルに指をずらします。って、そうじゃありませんから! 「じゃ、探検でもするか? 小動物は初めて入る場所はくまなくチェックするもんだろ?」 「佐多くんっ!」 私が火照った顔を押さえながら声を上げれば、嫌味ではない笑いが返って来ました。うぅ、遊ばれてしまっているのです。 「ま、テレビはつけるんだけどな」 「えっ!」 止める間もなく、テーブルのリモコンを操作した佐多くんのせいで、テレビ画面にはでかでかとあ~んなシーンが……映ってませんね。なんだか普通のドラマみたいです。 隣で「ちっ、導入部かよ」なんて声が聞こえました。……って、隣ですかっ!? 飛びのくように距離を開けようとした私の腕が、ぐいっと引っ張られます。鼻がゴツンと固い壁に当たりました。えぇ、知ってます。この壁、筋肉でできているのですよね。知りたくはなかったです。 「テレビの音量上げれば、声も拾えねぇだろ」 そう言いながら耳元で囁く佐多くんの息が耳にかかって、非常にくすぐったいのです! 「え、と、信じてくれたのですか?」 「そうでなきゃ、こんなとこ寄らねぇ」 どうやら、探知機の類を取り寄せる時間稼ぎだったらしいです。正直に言わせてもらえば、こんな場所ではなく、カラオケボックスでも喫茶店でも良かったような気がするのですが……。 そんなことをこそっと呟くと、「理由があんだよ」と頭をわしわしっと撫でられました。 「本来の用途に使ってもいいけどな」 「お断りします」 ノータイムで拒否を口にすれば「だろうな」なんて諦めた様子の声が落ちてきました。 自由人な母の娘ですが、貞操観念はきっちりとしてますよ? 「あぁ、そろそろかな」 「何がなのです?」 囁くのではなく、普通の音量での言葉に、私は小さく首を傾げました。たとえ盗聴器で拾われても当たり障りのない会話なのだろうとは思うのですが、ちょっぴり嫌な予感がするのです。 「ほら、導入部が終わる」 「どうにゅ、……って!」 いつの間にかテレビに映った女性が服を脱がされ始めているではありませんかっ! 「見ればいいじゃねぇか。興味あんだろ?」 「興味がないと言えば、そりゃ健全な女子高生ですから、ゼロではないのですよ? でもですね、同級生が隣にいるこの状況を鑑みると、興味ないと言うに決まってるのですよっ!」 「オレを『同級生』扱いするのは、アンタぐらいのもんだけどな」 「『同』じ『クラス』の『生』徒なのですから、紛れもなく同!級!生!なのです」 日本語について解説しただけなのに、何故かぎゅうぎゅうと抱きしめられました。ちょ、これでは目は隠せても耳を塞げません! じたばたともがいていると、ようやく腕をほどいてくれました。 「シャワーでも浴びてろよ」 「いりません! けど、探検してきますっ!」 物理的に距離を取る口実としてはうってつけだったので、さきほどの小動物発言を引っ張り出して答えれば、何故か笑われてしまいました。私、そんなに変なことを言っているつもりはないのですけど。 ソファから勢いよく立ち上がった私は、ガラス張りの脱衣所と風呂場へと向かいました。 一歩足を踏み入れれば、そこは鏡張りの部屋です。 見間違いではありません。困惑した表情を浮かべる私の姿がきっちり全身くまなく映っていますから。 マジックミラーという単語を思い出すのに、そう時間はかかりませんでした。実物を見るのは初めてです。 お風呂場もなかなか広く、もしかして二人で入るために?などと想像力が働いてしまいました。カランの近くに『マット貸出希望の方はフロントまで』と書いてあるステッカーがありましたが、別に、足元そこまで冷えませんよね? サービスが充実しているのかどうなのか、と考えながら、時間稼ぎのために脱衣所の洗面台の引き出しを開けてみます。 「っ! これって……」 アレな必須道具が3つほど繋がったパッケージを見つけてしまいました。何となく、触るのも躊躇われてそのまま放置します。すぐ隣にドライヤーがあるのが、どうにも違和感ありまくりですね。 普通、そういうことをするのはベッドだと思うのですが、どうしてこんな所に置かれているのでしょう? 私にとっては未知なるゾーンなので、分からないことの方が多いです。 首を傾げながら脱衣所を出ると、私は慌てて耳を塞ぎました。 「よぉ、もう始まってるぜ」 始まってるぜ、ですと……! えぇ、何がとか聞きませんよ。導入部が終わって挿入部が始まってるとかそんな話ですよね。えぇ、上手いこと言ったとか自分でも思ってますが何か? 耳を塞いでも女の人の艶めいた声が聞こえてくるので、私はダッシュでベッドの方へ向かい、布団を剥ぎ取って頭からかぶりました。そのまま部屋の隅っこにうずくまります。 室内は空調も効いているので、それほど蒸し暑くはないです。ついでに言うとテレビからの声も随分と遠くなりました。後は、数学や理科の定理や公式の類を呟いていれば完璧です。 「えぇと、まずは去年の復習なのですよ。正弦定理はa/sinA=b/sinB=c/sinC=2Rなのです」 そうそう、外接円の直径に等しいのですよね。二年に入ってから三角関数でもう一度おさらいしたので、ちゃんと頭に入っているのです。 「そして余弦定理は―――うひゃっ?」 いきなり私の防護壁が(=布団)がべりっと剥がされてしまいました。犯人は、もちろん佐多くんです。 「何やってんだ、アンタ」 「私は見ないし聞かないのです。ですから、ちょっと数学の復習を……」 「アホか、アレつけた意味ねぇだろうが」 え、アレって嫌がらせではなかったので……でしたね。はい。あるかもしれない盗聴器をごまかすためでした。 「いやその、ハードルが高いと言いますか。正直、えぇと……」 しどろもどろになって弁解しようとする私の耳を、佐多くんの大きい指がかすめました。くすぐったいので、す? 「……」 目の前で口をパクパクさせてる佐多くんがいます。 いいえ、おそらく何かを話してるんだろうとは思うのですけど、声が聞こえません。代わりにロックなギターが鼓膜に響いています。 耳にイヤホンを装着された私は、やれやれといった表情の羅刹にひょい、とソファまで運ばれました。 もちろん、画面は意地でも見ませんよ! | |
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