TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 32.それは、寂寥だったのです。


 ロックな音楽をイヤホンでガンガン流し、ソファに後ろ向きに座ってからどのぐらい経ったのでしょうか。
 ポンポン、と肩を叩かれて顔を上げれば、そこにはいつの間にか徳益さんが立っていました。
 イヤホンを外そうとした私に、徳益さんは手にしたタブレットの画面を見せてきます。

『隣の部屋で着替えて来て』

 首を傾げて見上げれば、見覚えのある別の男性が私を案内しようとしているのか、手を差し伸べてくれています。
 隣に座る佐多くんは、いつも通りの憮然とした表情で顎だけくいっと動かしました。はい、行けってことですね。

 男性についてトコトコと歩く途中で、ようやくこの人が運転手の人だと気付きました。
 まだガンガンと鳴るイヤホンを外してお礼を言おうとすると、慌てて口を塞がれてしまいます。……なにゆえに?
 口元で人差し指を立てるジェスチャーをされ、わけも分からず頷きますが、やっぱり疑問符が頭の中に残ったままなのです。

 渡された着替え一式(下着まで!)に、思わず微妙な顔になりながら、言われたままに着替えます。
 で、ようやく気付きました。
 最初に盗聴器や発信機の類について言ったのは私なのに、何しちゃってるんですか、って。
 すみません。人生初ラブホの体験の前に、スコン、と抜けていました。反省なのです。

 誰が選んだのか、見たことのないワインレッドのホルダーネックカットソーと、ココアブラウンのプリーツスカートに黒のハイソックスなんて、自分では絶対に選ばないシャレオツなコーディネイトに唸りながら着替えて戻れば、生成りのシャツに濃いネイビーのジーンズに着替えた佐多くんが、徳益さん含むやって来た方々とブロックサインで会話をしていました。
 えぇ、手話かと思ったのですが、ゆったりふんわりした動きの手話ではなく、片手でビシバシと動くのでブロックサインなんだと思います。
 部屋の入り口で思わず立ち止まった私を見つけた羅刹が、手招きをしてきました。
 訂正します。
 手招きというには物騒です。手のひらを上にした状態で、人差し指だけくいくいっと動かすのは、手招きなんていう温かい言葉では表してはいけません。
 とても抗える雰囲気ではなかったので、しかたなく近づいていきますが、かなり怖いです。

「返しとく」

 渡されたのは私のスマホで……はない気がします。あれ、細々とした汚れがあったような気がするのですが、手渡されたのは妙にペカペカと新しい感じです。

「あの、これ―――」

 私の言おうとしたことに気づいてくれたのでしょうか、口パクだけで「あとで話す」と言われました。うぅ、自分で頼んでおいてなんですが、徹底的過ぎる盗聴器&発信器対策にかえって戸惑ってしまいます。これが本職というヤツなのですね。

「それじゃ、スッキリしたところで、そろそろ出るか」
「は、はい……?」

 えぇと、この場合のスッキリというのは着替えてスッキリ、ということなのですよね? 決してうにゃうにゃなことをしてスッキリ……って、もしかして、盗聴器に聞かせるためなんですか―――!?

「あの、私のかばっっっ―――」
「ほらよ」

 あれ、なんでしょう。
 なぜだか見覚えのないミニバッグを手渡されてしまいました。
 ついでに、目線だけで「黙れ」と言われました。……訂正です。睨まれました。怖いです。

 引きずられるようにホテルを出ると、そこには見覚えのある車が停まっていて、見覚えのある運転手の人が待っていました。
 相変わらず手荷物のような扱いで後部座席に押し込まれると、隣に座った羅刹が大きく息を吐きます。

「犬飼、マンションに戻れ」
「はい」

 すーっと走り出した車の中で、ようやく佐多くんが説明をしてくれました。
 私の手荷物についても徹底的にチェックをするため、サイフを含むバッグを預かるということ。
 スマホは下手に手元から離して連絡取れない状況にしてしまうと、かえって勘ぐられる可能性もあるため、中のカードだけ入れ替えたものを渡してくれたということ。
 そして、私の予測通り、既に発信器が見つかった……ということ。
「―――で、アンタの手柄なワケだが、気づいた理由を話せ」
「あ、はい」

 もちろん、手を煩わせてしまったわけですから最初から説明するつもりなのですが、怖いので眼力抑えてもらっても良いでしょうか?
 なんて、直接言えたら苦労はしません。
 とりあえず、直視するのは避けて話すことにしましょう。

「簡単に言ってしまえば、ドゥームさんも蛇だったのですよ」
「分かんねぇよ」

 あれ、これだと通じませんか。そうですか。

「えぇと、ドゥームさんも宮地さんと同じくお母さんにねちっこい執着を持つタイプで、しかも宮地さんや佐多くんのお父さんのさらに上司という有能さなので、もしかしたら、私に対しても何か仕掛けて来るかなぁ、と思ったのですよ」

 あれ、丁寧に説明したのに、どうして怖い顔をするのですか。そんな表情をされると、どうしたって小動物はぷるぷると震えるのですよ? ついでにすみっこに避難しましょうか。すみっこって落ち着きますよね。
 そんなふうにじりじりと距離を取ろうとしていた私の二の腕を、羅刹のでっかい手ががしりと掴みました。

「逃げんな」
「いや、その、顔が怖いのですよ?」

 私の答えに、何故か運転している方がぶふっと吹き出しました。

「……犬飼、てめぇ」
「すみません。トキさんに面と向かって『顔が怖い』と言う女性を初めて見ましたので」

 えぇと、たぶん皆さん思っていることだと思うのですよー?
 ただ、私がうっかり口を滑らせてしまっただけなので、そこまで笑うようなことではないと思うのですけど。

「お嬢さん。とりあえずトキさんは所構わず噛みつくような人じゃないんで、安心してください」

 それって、時と場合によっては噛みつくって言ってますよね? いや、知っているんですけどね。

「えぇと、佐多くん?」
「なんだ」
「ちょっと顔が、その、……もう少し殺気を抑えてもらわないと、小動物は自己保身で本能的に逃げるのですよ?」

 再び小動物発言を逆手に取ってお願いをしてみたら、ようやく佐多くんが悪鬼羅刹から普通の羅刹に戻りました。……これ、戻ったというのでしょうか?

「つまり、今後はドゥームにも気をつける必要があるってことかよ」
「それは、その、すみません。できるだけ、お母さんにもこっそり対処方法を尋ねておきますので、えぇと、ご迷惑をおかけします」

 そうです。こればかりは、こちらが悪いのです。
 本当に佐多くんには頭が上がらないのです。

 ペコリと頭を下げれば、何故か乱暴にガシガシと頭を撫でられました。いやその、少し力加減が失敗して、頭がぐわんぐわんと揺れて気持ち悪いのですけど。
 そんなやり取りをしていたら、見覚えのある道を通るようになり、見慣れたマンションへと到着しました。
 そして、相変わらずの手荷物状態で運ばれる私です。えぇと、佐多くん。あなたが小脇に抱えているコレは荷物ではなく同級生だと認識していますか?

「―――で?」
「はい?」

 いつものリビング、いつものソファで、いつものように抱え込まれて「で?」なんて一文字で尋ねられても、何を聞かれているのかサッパリなのですが。

「アンタ、本当にアレで良かったのか」
「何のことでしょう?」

 上から降ってくる重低音の質問は、抽象的な指示語ばかりで、意味が分からないのです。

「母親と一緒に暮らさない。アンタはそう言ったも同然だぞ」

 は。

 私の口から笑いにも似た吐息が漏れました。
 何を今更、言っているのでしょう。

「もう、高校入学してから、ずっと、お母さんとは一緒に暮らしていないのですよ?」
「あぁ」

「それに、お母さんと一緒に暮らすということは、ドゥームさんとのいちゃいちゃっぷりを毎日目にすることになるじゃないですか」
「そうだな」

「そりゃ、レイくんはかわいかったですけど、でも、この年になって新しい父親と弟とか、正直、どう接すれば良いのか不明ですし」
「……でも、あのジジイを除いて唯一の肉親だろ」

「あの自由人な母と一緒に暮らしてたら、身が持ちませんし」
「中学までは一緒に居たんだろ」
「……」

 なんなのでしょう。
 さっきから佐多くんが何を言おうとしているのかがサッパリ分かりません。今日はサッパリばかりなのですよ。

「お母さんが、幸せそうだったのです」
「―――それは」
「女手一つで、私を育ててくれました。あの蛇のせいで実家から逃げるようにこっちで暮らし始めて、そりゃもう、いろいろあったのですよ」

 どうして、佐多くんは私の頭を撫でるのですか。

「そんなお母さんが、『ダーリンは強いから』って嬉しそうに話すのです。ずっとあの蛇のせいで気を休めることもできなかったお母さんが、あんなに柔らかい表情でいられるのですよ? 娘としては、もちろん―――」

 ひどい。ひどいです。佐多くん。
 見ないようにしてたのに、気づかせるなんて酷いじゃないですか。

「さ、寂しいに決まってるじゃないですかっっっ!」

 いつの間にか、私の目から涙がこぼれていました。
 涙腺が決壊してしまったのでしょうか。

 もう、そこからは、残念なことにメソメソなミオさんノンストップです。
 これまで私が支えようと思っていました。支えなくちゃと思っていたお母さんを渡す相手ができたのです。
 本当は喜ばしいことだって分かっています。だって、お母さんは、幸せだと言うのですから。優しいダーリンさんと、エンジェルちゃんに囲まれて……

「アンタ、あっちで暮らさないのはなんでだ」
「無理です」

 あそこに割って入るのが無理、というわけではないのです。
 ドゥームさんも、レイくんもわたしを受け入れてくれようとしているのは分かります。頑張れば、きっと家族として馴染めるとも思うのです。
 でも、……あの人も蛇の一種だと分かってしまったのです。
 どうしてでしょうね。あの蛇男と全く同じではないとは分かっているのですけど、……ダメなのです。背筋が凍るような感覚に、冷や汗も出てしまうのです。

 そんなことを、鼻をすすったり、嗚咽を噛み殺したりしながら取り留めなく話すのを、佐多くんは優しく聞き役に徹してくれました。

「もしかしたら、この先ずっと、こうなのかもしれないのですね。私、老後のことまでちゃんと考えて生活していかないと、です」
「こう?」

 聞き返す佐多くんの言葉に、私はずずっと鼻をすすりました。
 あぁ、我ながら酷い顔になっていそうです。ちょっと、鼻かんで良いですかね。

 キャビネットの上にあるボックスティッシュを取りに行こうと立ち上がれば、なぜか一緒に立ち上がった佐多くんが、スタスタと歩いて、箱ごと私に放ってくれました。
 うん、今の佐多くんは、ちっとも羅刹ではないのです。まぁ、仏さまのよう、とは言い過ぎだと思うのですが。

 再びソファの上で抱え込まれる体勢になりましたが、私は遠慮なくちーん、と鼻をかみました。え、別に女を捨ててるわけではないですよ。

「で? ずっと、どうだって?」

 上から質問が降って来ます。
 あぁ、そうでした。話の途中でした。

 あの蛇男、宮地さんの件があってから、恋愛が怖くて仕方ないのです。同じぐらいの年頃の男子から、そういった感情を向けられるのが怖くて仕方ありません。だって、いつ、あんな風になってしまうか分からないのですよ?
 クラスメイトだって、そうなのです。恩田くんだって、玉名さんと一緒の時しか、長く会話を続けないようにしています。

「だから、ずっと、お一人様で、生きて行けるように、ならないといけないのですよ……」

 あぁ、また涙が流れてしまいました。
 ごしごしと目元を拭い、ついでにぶびーっと鼻をかみます。
 早く涙を止めないといけないって分かっているのに、どうして止まらないのでしょうね。ままならないのです。

「男が怖い……な」

 ため息と一緒に落ちてきた呟きは、どこか呆れを含んでいました。そうですよね。単なるクラスメイトにそんなこと言われても困りますよね。

「オレのことも怖いか」
「……佐多くんは、最初から普通に怖いのですよ?」

 むしろ、羅刹が怖くないって、それ羅刹ではないですよね?
 怖がらなければ、羅刹なんて渾名つけられてないですよね?

 突然、顎のあたりを掴まれ、乱暴に後ろを向かされました。ちょ、首がぐきって言うのです! 首は人体の急所なのです!

「アンタの思考回路が分かんねぇ」
「ふぇっ? んんっ! ん~~~!」

 な ん で す と?

 なにゆえに!
 なにゆえに、私の口が塞がれているのですかっ!
 というか、ちろちろと他人の唇を嘗め回さないでいただきたい! あと息! 鼻息が佐多くんの顔にぶつかって自分に跳ね返ってくるのが気恥ずかしいのですがっ!

 じたばたと暴れる私の腕や足が、佐多くんの片手で抑えられてしまっています。もう片方の手は、私の後頭部を掴んで離す気配がありません。指も食い込む勢いで掴まれてます。

 抵抗する私の腕がだるくなった頃合に、ようやく口を離してくれました。
 俯いた私は、反射的に自分の腕で唇をぐいっと乱暴に拭います。涙? とっくに引っ込んだのですよ。

「オレも男だって、分かってんだろ?」
「……ソウデスネ」
「その男の腕の中で、『男が怖い』ってどういう思考ルート辿ってんだよ」
「……ソウデスネ」
「それともオレはアンタの思うような『同じ年頃の男』じゃねぇのか?」
「……」

 えぇと?
 つまりは、羅刹は勿論、仏様なんかじゃなくて、同級生の男子だって言いたいと。そういうことですか?
 そんなことを言うために、わざわざ『あんなこと』を仕掛けてきたということですか?

 ……そうですか。

「……佐多、くん」
「…んだよ」

 私はぐっと拳を握り締めました。

「とりあえず一発殴らせてくださいっっ!」

 ファーストキスどころか、セカンドまで奪った羅刹を、小動物代表の私がパンチをお見舞いできたかというと、……まぁ、できなかったのですけど。

「あれほど、人の嫌がることは止めて欲しいと言ったじゃないですか! どうして理解してくれないのですかっ!」
「あぁ? 隙だらけなアンタが悪ぃんだろ」
「その理屈だと、隙を見せたらスリも痴漢も殺人も無罪になってしまうのです! 日本は法治国家なのですよっ!」
「それもいいかもな。分かりやすい」
「法学部に進みたいって言ってる人のセリフではないのですよ! そもそも佐多くんは―――」

 私と佐多くんの言い合いは、徳益さんが帰宅するまで続いてしまったのでした。

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