TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 47.それは、感謝だったのです。


「護衛、ですか?」
「あぁ、オレに恨みを持つヤツらが、アンタに目をつけてはしゃぎそうだったんでな」

 はしゃぐ。なんだかトキくんの言葉選びが変なのです。肉体言語でヒャッハーすることが、トキくんにとっての「はしゃぐ」ということなのでしょうか。いやです、そんな世紀末。

「つまり、えぇと、カズイさん、でしたっけ? あの人がまとめ役のチームがあって、そこに依頼していた、ということなのですか?」
「まとめ役っつっても、カズイが一番マシなだけだ。夏にアンタのじーさんトコから戻る途中に絡んできたヤツらいたろ? アレらも同じチームだからな」
「……やっぱり、見覚えのある人だと思ったのです」

 あのオレンジ頭のかわいらしい顔立ちの人は、忘れたくても忘れられません。私の中の常識を塗り替えてくれた人ですから。……主に悪い方向に。

「お、お待たせ、しまし、たっ」

 私とトキくんの前に、紅茶とクッキーが置かれました。給仕してくれた先輩は、ぴゃっと素晴らしい速さでテーブルを離れて行ってしまいます。
 やっぱり、これ、営業妨害、でしょうか。
 私とトキくんが入った時点で数組いたお客さんは既にいませんし、後に続くお客さんもいません。給仕係の人は教室の隅っこでビクビクしながらこちらを伺っています。
 何となく予想はできていましたが、なんだか加害者の気分なのです。

「ケンスケに関しちゃ、まぁ、アンタに積極的に関わらせる気はねぇから安心しろ。今回は、頭数揃えた方が安心だと思ったからすぐ集まるメンツに声掛けさせただけだ」
「……あんなに短時間で集まるものなのですか?」

 確かにシロクマとは、周囲のお仲間さんが焦れるぐらいにはドラゴントークで引き伸ばしをしていたと思いますが、あれだけの人数が集まるほどの時間がかかっていたかというと、正直疑問なのです。

「……あぁ、悪ぃ。今朝、冬林工のヤツらが不穏な動きしてるってのは、カズイから聞いてたから、メンツは集めさせてた」
「……」
「まさか、あの二人が情報流した挙句に誘導役までやってるとは思わなかったから、遅れちまった」

 トキくんが、コップの紅茶をすすりました。

「怒ってるか?」

 あれ、なんでしょう。目の前のトキくんが、妙にしおらしいのですけど。体育館裏で生き生きと人を殴っていた羅刹と本当に同一人物なのでしょうか?
 もちろん、私の返事は決まっています。

「怒っているわけがないではないですか」

 ミオさんを見くびらないでもらいたいのです。私だって、ちゃんと分かっているのですから。

「トキくんがそうやって事前に情報収集とか、万が一のために知り合いの方に声をかけてくれたおかげで、こうして無事に文化祭を回れているのですよ? どうして怒る理由があるのですか。むしろ、これです。―――トキくん、助けてくれてありがとうございました」

 私はぺこり、と頭を下げます。ちょっと勢いよく下げ過ぎたのか、猫耳付きのカチューシャが前の方にズレてしまったので、慌てて直しました。

「……」
「トキくん?」

 あれ、どうして微妙に怒ったような鋭い顔付きになっているのですか? さっきまで比較的普通の男子高校生だったのに、羅刹三割増しになっています。

ガタタッ

 立ち上がったトキくんは、何も言わず私をひょいっと担ぎ上げると、スタスタと歩き出してしまいます。
 私、まだ紅茶半分も口をつけていないのですけど。あとクッキーも。
 そうして立ち去った三年G組からは、廊下に響かんばかりの歓声が沸き上がっていました。
 ……お騒がせしました。


 十月になったと言っても、まだ昼間の日差しはちょっとキツいです。
 あれからトキくんに運ばれた私は、屋上まで連れて来られてしまいました。もちろん、一般生徒は立ち入り禁止の場所ですし、鍵もかかっているのですよ? それなのに、どうしてトキくんは鍵を持っているのでしょうね。

 すみません、ちょっと現実逃避しました。
 トキくんに屋上まで運ばれて、丁寧に入口の鍵を掛けた後で壁ドンされています。しかも、両手で覆いかぶさるような壁ドンなので、逃げ場は一切ありません。追い詰められた鼠の心境ですね。……ということは、目の前のトキくんに噛みつけば―――猫ならばともかく、羅刹に噛みついたところで、どうにもならないことなど、分かりきっているのですよ。

「えぇと、トキ、くん?」
「……いなぁ」

 ぽとりと落とされた小さな呟きは、残念ながら私の耳では拾いきれませんでした。

「やっぱりアンタ、いいなぁ」

 あ、ちゃんと言い直してくれたのです。いい人です。
 そう思って恐る恐る下げていた視線をトキくんの顔の方に向けてみたのですが、妙に真剣な顔をしていたので、慌てて俯きました。あの顔を、至近距離でまっすぐに見られる気がしないのです。

「アンタさ、オレのことまだ怖ぇの?」

 突然、そんなことを言われても困ります。これ、正直に言ったら殺されるフラグですか? それに、この質問、いったい何度目なのですか。

「……」
「答えろよ」

 私の心の中を読んだのか、トキくんの低い声に怒気が混ざった気がするのです。

「そ、その、怖いのですよ。さっきだって、笑いながらあのシロクマをボコボコにしていたではないですか! その、私を助けてくれたことは感謝しますけど、やっぱり、その、暴力を振るっているトキくんは……その、怖いのです」

 こればかりは、小動物の生存本能が囁くので仕方がないと諦めて欲しいのですよ。だって、その暴力に対して、私は全く対抗手段を持たないのですよ? そりゃ、まぁ、今日は二つも武器を手にしていますけど。正直、この二つを駆使しても、トキくんに敵う気がしませんし。

「暴力が嫌いかよ」
「う……はい。好きではないのです」

 自分だけでなく、他の人が痛い目に遭うのを見るのはイヤなのです。

「それでもアンタはオレに感謝するんだな」
「当たり前ではないですか! どんな手段であっても、トキくんが私のことを助けてくれたのには違いありません!」

 思わず顔を上げた私の視線と、トキくんの眼差しがまっすぐかち合いました。すみません怖いです。
 といっても、俯き直すことはできないのですけど。視線を逸らしたらガブリと頭から飲み込まれる気がして。

「そんなアンタだから手放したくねぇんだよ」
「……ほぇぃ?」

 ちょ、タンマなのです。今の間の抜けた声はなかったことにしてください。そもそも、いきなり妙な発言をしたトキくんがいけないのですよ!

「普通はな、助けてもらっても、その手段が暴力っていう嫌われがちなモンなら素直に感謝も言えねぇんだよ」
「それはおかしいのです。どんな手段であっても、助けてもらった事実に変わりはありません。それがイヤなら助け手を断れば良いのですよ」
「そこまで言い切れるヤツぁいねぇよ」

 妙に上機嫌になったトキくんが、私の頬を軽くふにふにと揉むように撫でてきました。あ、両手で壁ドンが解除されて、右側に逃走経路ができたのです。

「なぁ、ミオ」
「はい」
「……オレのこと、怖ぇか?」
「さっきも言った通り、怖いのです。今日だって、あのシロクマを笑いながら殴っていたではありませんか」
「悪ぃな。あの筋肉ダルマ、頑丈だから、多少本気出せるんだ。そのくせ反撃は遅ぇし」

 トキくん、あのシロクマはケルナグールしても壊れないお人形さんではないのですよ。れっきとした人類なのですよ!

「それでも、アンタ、逃げねぇんだな」
「……」

 え、この壁ドン状態から逃げる方法があるのですか? 腕の中から運よく逃げることができたとしても、屋上の入口の鍵を開けている間に捕まることは目に見えているのですけど。
 嘘です。トキくんがそんなことを言っているわけではないことぐらい、ちゃんと分かってます。ミオさんは行間を読むときはちゃんと読む子です。

「暴力を振るったり、力づくで何かをしようとするトキくんは怖いですけど、……トキくん自身が嫌いなわけではありませんから」

 ミオさんはちゃんと見ているのです。
 トキくんは、そりゃぁ暴力的なところはありますけど、基本的にいい人なのですよ。理不尽な点を指摘すれば反省してくれますし、ちょこっと声を掛けただけの私にとても親切にしてくれます。ちょっとヒネてるところはありますけど、基本的には平蔵みたいにかわいいワンコなのです。……あれ、本当にワンコでしょうか? ちょっと喩えが悪い気もします。

 なんて思いながらえっへん、と胸を張ったら、目の前のトキくんは鳩が豆鉄砲くらったみたいに、驚いた表情を浮かべていました。珍しく無邪気な表情でちょっとかわいいと思ってしまったのです。

「トキくん。なんか変な顔になってますんんんんん~~~!」

 視界が影に覆われたのです。
 口元に温かくて柔らかいものが押し付けられたのです。
 頭の後ろをわしっと押さえられたのです。
 ついでに唇を這うぬるっとした感触の何かが咥内に侵入してきたのです……!

「んんん~~~!」

 ちょ、酸素!酸素!

 慌ててトキくんの腕とおぼしき箇所をタップすると、ようやく離れてくれました。
 もう何度目になるんでしょうね。この展開に慣れ始めた自分がいることにびっくりなのですよ。

「……トキくん」
「ぁんだよ」
「せめて同意を取るとか、事前に宣言するとか気遣いはないのですか」
「やったら許可くれんのかよ」
「あげるわけがないのですよっ!!!」

 うぅ、油断すると唇を奪われてしまうのです。心臓と肺に悪いので事前に何かしら匂わせる行動が欲しいのです。まぁ、全力で回避に走りますけど。

「やっぱり、アンタを手放したくねぇな」
「……その結論に至る経緯も気になりますが、本当に事前に一言ぐらい欲しいのです」
「じゃぁ、キスさせろ」
「いやです」

 なんですか、その「ほらみろ」って顔は。

「帰ったら、あの書類に名前書けよ」
「? 何のことですか?」
「婚姻届。徳益が持ってんだろ」

 危うく「ぶひょっ」と吹き出すところでした。藪から棒に変なことを言わないで欲しいのです。
 徳益さんからは、いつかあれを没収しないとですね。お母さんもホイホイ署名をしてしまっているので、私がうっかり署名しないように気をつけないといけないのです。

「民法に違反しますよ」
「規定年齢に達したらすぐ出す。それでいいだろ」
「よくないのですよ。一生モノの決断を、ホイホイしないでほしいのです」
「大学によっちゃぁ、学生結婚で学費免除もあるらしいな」
「……。いえ、その手には乗りません、よ?」
「今、グラついたろ」
「そんなことはないのです」

 うぅ、トキくんには、私の弱いポイントを見抜かれている気がします。考えてみれば、一緒のマンションで暮らし始めて二か月半も経っていますしね。……それなのに、私はトキくんの弱点を見つけられていないのです。ちょっと自分の観察眼のなさが悲しいのです。

「と、ともかく、妙なアクシデントはあったものの、まだ文化祭は始まったばかりなのです。つ、次はお化け屋敷に行きましょう!」
「……」

 あれ、どうしてそんな目をするのですか。別に話題を逸らそうとしているわけではないのですよ。ほら、下から楽しそうな笑い声とか客を呼ぶ声が聞こえるではないですか。この雰囲気を楽しまない手はないのですよ。

「めんどクセぇ」

 ひょいっと持ち上げられた私は、そのままトキくんお気に入りの日陰へ移動し、座ったトキくんが投げ出した両足の間にちょこんと収まり、お腹に手を回されるという謎の体勢でお昼寝タイムに突入したのでした。
 学校なのに、どうしてアニマルセラピータイムに突入してしまったのでしょうか。トキくんがあの程度の乱闘で疲れたとは思えないのですけど。

 そんな感じで、文化祭初日は終わってしまいました。結局、3年G組の喫茶店にしか行っていないのです。

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