TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 53.それは、信書の秘密だったのです。


 お母さんから、翌朝にメールが届きました。
 色々と、それこそレイくんも交えて話し合った結果、産む方向になったみたいなのです。今からドゥームさんは信頼性のある病院を探し始めているのだとか。
 とりあえず、おめでとう、ということと、昨日放置してしまった野菜クズの出汁の使い道をメールで返信しました。

 で、なのです。

「これ、なのですか」
「そうだ。今日、ドゥームからハヤト経由で渡された」

 カフェのバイトから帰宅した私の手には、きっちり封がされた白い封筒が。
 しかも「履歴書在中」なんて赤で印字された封筒です。いらない封筒の再利用か、はたまたきっちり封ができることを利用したのか。あのお母さんのことです。両方とか言いかねません。

「えぇと、ドゥームさんは、何て言ってましたか?」
「……アンタにも迷惑かけたから、謝罪をしたいと。可能なら足を運んで欲しいと言ってたな」

 ぞぞぞっ

 うぅ、腰のあたりから背筋をどうしようもない寒気が上がったきたのです。いや、でも、一度はお母さんの無事な顔を確認したいので、足を運ぶのは吝かではないのです。ただ、こうも待ち構えている感を出されてしまうと、二の足を踏むというか、怖気づくというか。

「オレが開けるか?」

 罠が仕掛けられているとでもいうのでしょうか。トキくんが私の手の中の封筒を指差します。表書きには、しっかりお母さんの字で「ミオちゃんへ♪」と書かれているので、そこまで警戒する必要があるとも思えないのですけど。
 少しだけ悩んで、私はトキくんの手に封筒を戻しました。

「だ、大丈夫なのですよね?」
「まぁ、アイツがアンタに妙なことを仕掛けるとは思えねぇけどな」

 机の上に黒い紙を敷いたトキくんは、慎重に封筒の厚みを確かめます。不審なものは入っていなかったのでしょう。ペーパーナイフを封筒の頭ではなくお尻の方に差し込むと、いっきにビィッと開けて、黒い紙の上でトントン、と口を下にして中身を取り出しました。

「特に仕掛けもないみたいだな。……中、見てもいいか?」
「はい。大丈夫なのです」

 信書の秘密とかいう単語が一瞬頭をよぎりましたが、よく考えたらお母さんが他人に知られたくないことを、人づてに渡す手紙の中に書くわけがないのです。

「昨日、ガキの面倒みたことに対してのお礼文みたいだな。ほらよ」
「ありがとうございます、トキくん」

 渡されたのは2枚の便箋。内容は確かにトキくんの言う通り、レイくんの面倒と、夕食のお礼なのです。今朝のメールにはなかった、産む方向で同意することとなった流れもさらりと記載されています。あぁ、レイくん、弟妹が欲しいと頑張ったのですね。
 まぁ、その内容が枕に過ぎないことなんて、分かっているのです。
 おそらくはこの内容、ドゥームさんの検閲が通っているでしょう。それでも、わざわざ封書で知らせたいことがいったい何なのか……

「ミオ?」

 二度ほど便箋を読み返し、裏まで確認した私は一つ、頷きました。

「ところで、トキくん。夕飯にしませんか?」


 どうしてこうなったのでしょう。
 トキくんが、いつもの抱え込み体勢から離れてくれません。食後に抱え込むのはいつものことですけど、ここまで長い時間抱え込まれっぱなしというのは珍しいです。

「トキくん、今日のお仕事で何かありました?」
「別に」

 うーん、自信はないのですが、本当に何もなかったように見えるのですよね。別に落ち込んだ雰囲気もやさぐれた雰囲気もありませんし。
 とりあえず、原因が分からないので、一時的に許可を取って自室から持ってきた英単語の暗記カードをペラペラとめくっています。

『before long』

 あれ、これ何でしたっけ。見覚えはあるのに思い出せない熟語があると、ちょっとモヤモヤします。
 こういう簡単な単語の組み合わせとか、いまいち覚えられないのですよね。単語とかはちゃんと頭に叩き込めるのですけど。
 仕方ないのです。諦めて裏をめくるのです。

『間もなく』

 思わずため息が洩れてしまいました。そうですよ。これでしたよ。あー、どうして思い出せなかったのでしょうね、私。

「アンタ、それ自分で作ってんのか?」
「そうですよ? テスト範囲の教科書本文を読み返して、すぐに意味が出てこなかった単語や熟語を暗記カードに書き込んでいるのです」
「……」

 あ、感じ悪い沈黙なのです。どうせ、効率悪いとか、思っているのでしょう。夏休み明けの実力テストで学年2位の人に言われると凹むのですよ?

「トキくん。言いたいことがあったら、言ってくれてよいのですよ?」
「……アンタさ、そのまま覚えてんの?」
「え? 単語や熟語の暗記って、そういうものですよね?」

 あれ、なんかため息が聞こえた気がするんですけど。

「beforeの意味は」
「え、っと、~の前に、とか」
「longは」
「長い、です」
「長くなる前にってことだから『まもなく』なんだろ?」

 え。
 えぇ。

「……うわ、本当なのですよ。確かにそうなのです!」

 目から鱗とはこのことなのですよ!

「中学ならともかく、高校英語は丸暗記だと追いつかねぇだろ。ちゃんと考えろ」
「ぐ、で、でも、そうそう今回みたいなケースは」

 あ、また溜め息をつかれてしまったのです。
 トキくんは私を抱え込んだまま、腕を伸ばしてテーブルの上の私のシャーペンを握ると、すらすらと何か書き始めました。私のシャーペンが、妙に小さく見えるのです。トキくんの手が大きいので相対的に、だというのは分かっていますよ。

「これの意味は?」
「国語ですか? 『虚構』って、あれですよね。ドラマとかでよくある『この物語はフィクションです』っていう」

 するとトキくんがまた別の文字を書きました。実は、トキくん、意外と字が綺麗なのですよね。むしろ私の方がクセが強いのでちょっと憧れるのです。

「こっちは」
「えぇと、『仮構』ってカコウって読むのですか? うーんと、さっきの虚構と似た意味なのでしょうか」
「正解。アンタ、どうしてそう思った?」
「えーと、漢字それぞれの意味を考えました。仮に構築するということは、さっきの嘘で構築するのと同じかな、って」
「そういうことだ」
「どういうことです?」

 あ、また溜め息をつかれてしまったのです。

「英語も同じ。1つ1つの単語の意味をちゃんと知ってりゃ、わざわざ熟語として覚える必要もねぇってこと」
「で、でも、それでも単語は暗記する必要がありますよね?」
「最低限でいいだろ。英語にだって接頭語も接尾語もあるんだし」
「えぇと……」
「likeとdislike」
「好きと嫌い、ですよね」
「associate」
「れ、連想する、結びつく」
「association」
「団体とか組織とか」
「associable」
「えーと……?」
「連想できる、だ」

 トキくんの手が私の頭をわしわしっと撫でます。

「dis-みたいに後に続く言葉を否定する接頭語もあれば、-ableみたいに『~できる』って意味をつける接尾語もある。語源まで覚えろとは言わねぇが、接頭語と接尾語が分かるだけで、暗記する単語の数が随分変わるぞ」
「うぐぅ、……そ、そうなのですか?」
「前置詞も同じだ。前置詞の示すニュアンスをしっかり頭に叩き込んでおけば、熟語として覚えるものも随分と減るはずだしな」
「う~~~~」

 なんか、今までの私の勉強方法を全否定されたような感じなのです。

「アンタの苦手な日本史も、先に歴史の流れや主要人物の思惑を頭に叩き込んでからの方が人物名や条約名も覚えやすいと思うぞ?」

 実際によい成績を上げている人から言われると、なんだか説得力があるのです。

「トキくんなら、モールス符号とかもちゃちゃって覚えてしまいそうなのですよ……」
「は?」

 あれ、不要なことを口走ってしまいました。いけないいけない。なんだか、トキくんを相手に話していると、つい気が緩んでしまうのですよ。備忘録で『狼』扱いしているせいで、人として認識していないからとか? まさか、そんな失礼な。

「アンタ、今、なんつった?」
「……なんでもないのです」

 そして、どうしてこちらの失言を聞き流してはくれないのでしょうか。

「ミオ」
「……はい」
「さっきの手紙、見せろ」
「え? いや、トキくん、読みましたよね? めちゃくちゃ読んでましたよね?」
「あぁ、だからもう一度見たところで問題ないだろ?」
「いや、ほら、えーと、あれです、信書の秘密ってやつですよ。トキくんも法学部志望ならそういうのはちゃんと弁えないとだめだと思うのですよ」
「あぁ、憲法21条な」
「……第何条かというところまで、すぐに出てくるのですね」

 たまにトキくんは、同い年かと疑うぐらいに知識が豊富なところを見せてくるのですよ。基本的人権に関わる部分だから常識だろ、なんて言わないでください。

「……ということで、見せなくともよいですよね?」
「確認したいことがある」
「えぇと、ですから―――」
「ミオ?」

 うぅ、これは疑われてます。失言した私が悪いのは分かっているのですけれど。

「アンタ、けっこう気を張ってるわりには迂闊な発言多いよな」
「ぐ、……で、でも、それは、トキくんだからなのですよ。トキくん相手だと、ちょっと気が緩むというか―――」
「……」
「トキくん?」

 あれ、何かまた変なことを言ってしまったのでしょうか。後ろのトキくんが黙ってしまいました。と思ったら、頭を鷲掴みにされて……って痛いのです。そんなにぐりぐりされるとマミってしまうのですよ! 頭ぽろりですよ?

「……アンタ、どうせ無自覚だろ」
「何がです?」
「もういい。とりあえず、とっととあの手紙持って来い」
「いやいやいや、ですから見せませんって」
「絶対にドゥーム絡みの情報があるはずだ。あいつらに関わることは情報共有する約束だろ」
「……そんな、情報かどうかなんて、分からないのですよ」
「まだ『ちゃんと』読んでねぇのか?」
「っ、……その、覚えていないので、対応表を見ながらでないと」
「じゃ、俺が読み聞かせてやるから、早く持って来い」
「うぅ……」

 ダメです。勝てる気がしないのです。

「えぇと、先に私が読んでから、持って来ま――」
「今すぐだ」

 基本的人権の侵害なのです。トキくん。

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