TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 55.それは、手料理だったのです。


「ミオちゃぁん、中間テスト前なのに大丈夫なのぉ?」
「はいはい、お母さんは大人しく座っていて欲しいのですよ」

 悪阻というのも、生理痛なんかと一緒で、ストレスでずいぶん変わるらしいのです。
 それなら、少しでもストレス緩和を目論んで家事手伝いを、と考えついたのは随分と前のこと。ただ、どうしたって蛇との接触が増えるので二の足を踏んだままだったのです。
 それも、今日の玉名さんとの会話でふっきりました。……いや、まだ腰が引けてるミオさんではあるのですが、案ずるより産むが易し!とお母さんに連絡を取り、ついでにお母さん経由でドゥームさんにも連絡をとったのです。
 あ、ドゥームさんとは顔は合わせませんよ? あちらも仕事ですし、こちらも狼のお世話という仕事がありますから。

「ミオおねえちゃん、ボク、手伝うよ?」

 その声に、思わず肩が震えてしまったのです。
 うぅ、いけません。私がどう思おうと、レイくんは変わらずレイくんなのです。女優なミオさんの腕の見せ所なのです。

「今は大丈夫なのですよ。でも、その代わり、後で味見をお願いしたい料理があるので、そのときに呼びますね?」
「……あじみ?」
「えっと、テイスティング、と言えば分かりますか?」
「Tasting! うん、わかった!」

 お母さんに目配せをして、一緒に台所から連れて行ってもらいます。
 うぅ、ちょっとドキドキなのです。お母さんのお手伝いをしたい、という欲求を満たしながら、レイくんにとっての私を「ちょっと離れたところに住むお姉さん」ポジのままにしておかなければならないのです。好感度そのままに距離感は保たないといけないのですよ、きっと。

 雑念を振り払って、とりあえず目の前の仕事に没頭することにしましょう。そうでないと、私の精神安定上、よろしくないのです。
 きれいにむいたキャベツの葉を洗い、芯の部分を薄くそぎ落としていきます。そこに豚の薄切り肉を乗せて、軽く塩コショウを振ってくるくると巻いていきます。え、ロールキャベツですよ? ただし、これは今晩のおかずではありません。明日のおかずです。さすがに毎日来るわけではありませんので、作り置きなのです。ちなみに我が家のロールキャベツは味噌仕立てです。おばあちゃんが料理番組を見て作ってみたら、和食第一主義のおじいちゃんから大反発をくらってしまい、あれこれ工夫して味噌仕立てにしたというエピソード付きなのです。
 まぁ、おじいちゃんもクリームソースやデミグラスソースが嫌いなだけで、カレーやハンバーグは美味しく食べているという中途半端な和食第一主義なのですけどね。

 私はおばあちゃんのことを思い出しながら、3分間クッキングを鼻歌に保温調理鍋に巻き終えたロールキャベツを並べていきます。明日の夜には、味も染みきっていることでしょう。

 次は今晩のおかずなのです!
 大きめのボウルにごま油、お酢、塩、ねりからしを入れて、カカカッと勢いよく混ぜます。

「レイくーん、味見よろしいですかー?」
「はーい!」

 トテトテと台所に駆け足でやって来てくれたレイくん、やっぱりかわいいのです……っ! うぅ、でも、トキくんが言うには、これもあざとい計算らしいのです。我慢我慢~。

 混ぜたドレッシングを厚く刻んだキャベツにくぐらせて、小皿に乗っけます。ちょっとお行儀が悪いですが、味見なので手づかみで食べてもらいましょう。

「どうですか?」
「……ごめんなさい。よくわかんない」

 それならば、と、からしをもう少し加えて、再びカカカッと混ぜてまた味見をしてもらいます。

「これならどうでしょう?」
「んー……、ちょっと辛いけどだいじょうぶだよ?」

 和えてしまえばキャベツの甘みも出るので、このぐらい、というところでしょうか。個人的にはもう少しからしが効いている方が好きなのですが、ここはレイくんの味覚に合わせることにしましょう。

「ありがとうございます。では、このドレッシングでいきますね」
「うん! ……あのね、おねえちゃん。ボクもっとお手伝いできるよ?」

 くりっとした目で見上げられると、やっぱり弱いのです。うーん、正直、お手伝いと言われても……

「それなら、大根の皮むきをお願いしてもいいですか?」
「ボク、やったことないけど大丈夫?」
「はい、ピーラーを使うので大丈夫ですよ」

 私は大根を1/3ほど切ると、ピーラーを取り出してシャッと一度目の前で皮むきの実演をして見せました。
 レイくん、あまり台所のお手伝いをしていないのですかね。目をキラキラと輝かせています。

「ちょっと力加減が難しいかもしれませんが、こんな感じなのですよ」

 私はレイくんにピーラーと大根を持たせると、後ろからその小さい手に自分の手を添えて、一筋だけシャッと皮を剥いてもらいました。小さく「おぉぉ」なんて驚いた声を出すレイくんが可愛すぎてつらいのです。

「お母さん! レイくんにそっちで大根の皮むきをお願いしようと思うので、いらないチラシとかあったら広げてください」

 リビングの方から「はぁい」と暢気な返事が届いてきました。

「それじゃ、レイくん、お母さんのところで皮むきをお願いしますね」
「おねえちゃん、ここでやっちゃダメ?」
「せっかくですから、お母さんにも、レイくんができる子なんだってところを見てもらいましょう」
「うん、わかったー!」

 ふ、物は言いようなのです。これからイカを処理するので、あまり見られたくはないのですよ。レイくんがお母さん大好きっ子で助かったのです。ついでに一応刃物を持たせているので、監督もしてもらいましょう。

「さて、こっちはこっちでやりますか」

 ちゃららっらっちゃちゃちゃっ ちゃららっらっちゃちゃちゃっ ミオさんの三分間クッキングなのです。……無理です、三分では完成できません。
 アホなことを考えていないで、さくさくっとやってしまうのです。頭の隙間に指をつっこんで、まずは透明な骨を引っこ抜きます。頭とつながっている箇所を探って指先でちょいちょいと離したら、せーの、でズルズルズルーっと引き出します。この時に内臓が丸見えになってしまうので、あまり見せたくはないのですよね。欧米の人はあまりタコとかイカは食べないらしいので、新鮮なイカでもイカワタは廃棄なのです。ちょっともったいないですが、食べないので仕方がありません。もう1杯も同じように処理をしたら、1センチぐらいの輪切りにします。

「ミオおねえちゃん、終わったー」

 私はイカワタを慌てて袋につっこんで隠しました。さすがにここで見られたら意味がないのです。
 まな板をささっと洗うと、レイくんからきれいに皮を剥かれた大根を受け取って、タンタンとリズム良く乱切りにします。鍋にころころっと転がしたら、ひたひたになるまで水を入れてポチッと加熱です。どうもIHに慣れなくて、この「ポチッと加熱」に戸惑ってしまうのです。

「じゃーん。 レイくん、これ何だと思いますか?」

 私は両手に1本ずつイカの骨を持ってレイくんに見せました。細長くて透明で透き通っているそれを見て、レイくんは不思議そうに首を傾げています。

「どうぞ、持ってみてください」
「ぐにぐにしてるね。プラスチック?」
「ちがいまーす」

 2本の棒をあれこれ角度を変えてみたり、折り曲げてみたりしながら考えるレイくんは可愛いのです。……えぇ、可愛いのですよ。くすん。

「おねえちゃん、ヒントは?」
「うーん、そうですね……。お母さんに聞いてみてもいいのですよ?」
「うん!」

 再びリビングに戻るレイくんを見送って、私はくつくつ沸騰し始めた鍋を揺すると、今度は冷蔵庫からささみを取り出して塩を軽くまぶしました。そのままグリルに突っ込んだところで、またレイくんが戻ってきました。あっちこっち忙しそうなのですが、楽しそうでもあるので、よしとしましょう。

「おねえちゃん。これ、お魚とか入ってるいれものー?」
「ぶっぶー。違いまーす。これは、骨なのです」
「ほね? でも白くないよ? 平べったいし」
「これは今日のおかず、イカさんの骨なのです」
「いか? squid?」
「えーと、ちょっと待ってください。私の拙い単語力では……」

 ちょっとぐらいなら台所を離れても大丈夫でしょうか。
 私はレイくんの手を引いてリビングに戻ると、チラシの隅にさささっとイカの絵を描きました。世界一有名な配管工兄弟が出てくるゲームの敵キャラなのです。

「これがイカなのです」

 あらあら、なんてお母さんの声が聞こえます。うーん、お母さんは私と比べて英語力はどうなのでしょうか? こういう意志の疎通に困るときにどういう対処をしているのか、後で聞いてみたいものです。
「あぁ、あれイカの骨だったのねぇ」
「お母さん、さすがに分かってましたよね?」
「うぅん? あれだけじゃ、さっぱり分からないわよぉ?」

 本気なのかどうなのか、サッパリなのです。こういう所はまだまだかなわないと思ってしまうのですよね。

「ところでミオちゃん。今日のメニューは?」
「ねぎ・わかめ・豆腐の味噌汁と、イカ大根の煮物、キャベツとささみのサラダ、きゅうりとしめじの酢の物ですよ?」
「あらあら、純和食ねぇ」
「いつも洋食なら、たまにはこんな日があってもいいと思いますよ?」
「そうねぇ、ダーリンの反応が楽しみね」
「……そう言われると、ちょっと怖いのですよ」

 私のジト目を、お母さんは意味ありげな表情で受け流します。

「その、ね、実は、ダーリンね、和食は接待でしか食べたことがないみたいなの」
「……え?」

 接待? え、それ、和懐石とかそういう話なのですか?

「ちょ、お母さん! 今まで一度も和食を作っていないのですか?」
「そうよー? だって、洋食の方が慣れてるって言うんだもん」

 何が「だもん」ですか。ブリっ子が実の娘に通じるとでも思っているのですか?

「つまり、肉じゃがも、しょうが焼きも、ブリの照り焼きもやっていないのですか?」
「そうよ? ひじきの煮物も、切り干し大根も、おでんもやってないの」
「……えぇと、日本食が苦手ということでは」
「それは聞いたことないわねぇ。でも、お昼は会社で一括で頼んでいるお弁当屋さんで食べることもあるみたいだしぃ?」
「だしぃ? ではないのですよ。―――あ、いけない、火にかけっぱなしだったのです」

 大根が! いや、そこまで慌てる食材ではないので良いのですけどね。

 パタパタと台所に戻った私を、お母さんとレイくんがそれぞれどんな目で見ていたかなんて、気付かなかったのです。


「それじゃ、連れて帰るんで」
「はぁい。ミオちゃんを(末長く)よろしくね。トキトくん」
「……お母さん、妙な気持ちを込めないでください」
「えぇー? だって、ほら、親公認だしぃ?」
「トキくん、さっさと行きましょう」

 私はレイくんにも手を振ると、そのままエレベーターホールへ足を進めました。
 エレベーターに乗るなり、斜め後ろを歩いていたトキくんから刺々しいオーラが出た気がします。うぅ、相談もなしに夕食を作りにいったことを、きっと怒っているのでしょうね。猪突猛進した自覚はあるので、ちょっと怖いのです。

 いつもの犬飼さんの運転する車の後部座席にポイっと放り投げられると、途端にトキくんが私の頭をわしっと掴んできました。

「アンタ、何考えてんだよ」
「えぇと、中間テストのこととか、将来設計のこととか?」
「あれだけ取り乱したのに、もう忘れたってのか?」
「……ちょっと考え方を変えたのですよ」

 私は、手短に「家族になったのだから、いつまでも距離を開けていても仕方のないこと」と「妙な方向に執着される前に『姉』として認識させてしまえばいいと思ったこと」を話しました。
 だんだんとトキくんの眉間の皺が深くなっていくのですが、これ、スルーしてしまっても良いものなのでしょうか?

「……あのマンションに行ったが、変なもん貰ってねぇだろうな」
「スマホと財布しか持ち込んでませんし、ずっとポケットに入れていたので問題ないと思うのです」
「ってことは、別に考えなしに懐に飛び込んだわけじゃねぇんだな。そういうときのアンタの対処は信頼してる」

 ふわっ? し、信頼してる、ですか?
 ちょ、なんだかトキくんからお褒めの言葉をもらうなんて、くすぐったい感じがするのです!

「―――ま、だからってアンタの今日の行動は誉められたもんじゃねぇけどな」

 持ち上げてから落とされたのです。
 まぁ、予想はしていたのですけどね。そのことについてはもちろん、話し合うつもりではいますよ。
 でも、トキくん。覚悟しておいて欲しいのですよ。私はトキくんに対するお説教のネタを一つ持っているのですからね。

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