TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 72.それは、情報収集だったのです。


 すぅ、はぁ、と深呼吸が必要です。
 電話番号ですか? 登録されているので、11桁を震える指でタップする必要もないのですよ?
 必要なのは、通話開始ボタンを押す勇気です。一度、電話が繋がってしまえば、あとは野となれ山となれ、なのです。

 さぁ、ミオさん! 今こそ約束された勝利の剣を抜く……いいえ、電話を掛ける時なのです!
 2時間目と3時間目の休み時間は、そんなに長いものではありません。ちゃっちゃと済ませなければ。

タン

プップップップッ……トゥルルルルル、トゥルルルルル

 呼び出してしまったのです! 呼び出してしまったのです!
 これはアレですね。彼氏のスマホに初めてコールする中学生のような緊張っぷりなのですよ! やったことありませんけど。

「珍しいね、どうした、ミオちゃん?」
「あ、徳益さんの携帯で間違いないでしょうか?」
「うん、間違いないよ……って、俺ちゃんと自分で番号教えたよね?」
「はい。……でも、初めて掛けたので」
「まぁ、ミオちゃんが用心深いのは知ってたけどね。……で、何? こっちに掛けるってことは、トキには言えない話だったりする?」

 うぅ、さすがというか、鋭いのです。考えてみれば当たり前ですよね。だって、私の方から徳益さんに連絡することなんて、それこそバイトの件しかありませんし、何かあればトキくんに直接聞いてしまいますし。

「あの、今月の20日にある御社のパーティの件なのですけれど」
「ぶふっ」

 あれ、私、何か変なこと言いましたっけ? 電話口から、すごい勢いで噴き出されたのですけど。

「ミオちゃんの口から『御社』とか出ると、何て言うか、うん、ちょ、ごめん……っ!」
「えぇと、『貴社』の方がよかったのでしょうか?」
「いや、なんていうか、高校生の口から出る単語じゃないよね、って思うとさ。本当にそういうところもミオちゃん規格外っていうか……」
「なんか、ひどく失礼なことを言われているような気がするのです」
「いや、ごめん。―――で、20日のパーティ? あぁ、あれか。ミオちゃんも出席するんだって? トキから聞いたよ」
「えぇ、そのことなのですけど、どういったパーティなのかよく分からないので、詳しい話を知っていたら教えていただきたいのです」
「詳しい……ねぇ。たとえば出席者とか? 立食式だとか?」
「はい。その、徳益さんはご存じだと思うのですけど、あの人の対策を考えたくて、ですね」
「あー……。うん、なるほど? あーあーあー、はいはいはい」

 あの、徳益さん。私の話を聞いているのかいないのか分からないのが怖いのですが。

「ミオちゃん。今日こっちに来れる?」
「あ、はい。万が一に備えて着替え一式は学校のロッカーに入れてあるので、前に伺ったときと同じ服装でよければ」
「あー十分十分。ほんと、ミオちゃん優秀だよな。うちの新人に見習わせたいわ、ほんっとに」
「……あの、新人って、もう12月なので半年以上は勤めているのですよね?」
「ミオちゃーん。使えないやつは半年経っても使えないから。覚えとくといいよ?」
「……世知辛い大人の話は、できれば聞きたくなかったのです」
「まーまー。じゃ、『弊社』で待ってるから。説明する資料も揃えておくし、心配しないでいいよ」

 徳益さん、わざと『弊社』を強調したのです。というか、これ、笑いをこらえて声が震えているの丸分かりですよ? 私相手なら隠す必要もないとか思っていませんよね?
 ……と、大事なことを忘れていました。

「あ、あの、トキくんには……」
「あー、隠せるよう努力する」

 ちょ、確約はしていただけないのですか?
 残念ながら、そう聞き返す前にぷつっと通話が終わってしまったのです。


「ミオ? ちょっと、心ここにあらずってカンジなんだけど、だいじょーぶ?」
「大丈夫なのです。ちょっとバイト先で気になることがあっただけなのです」
「ミオっちってばさ、もうちょっとバイト減らしたら? もうクガクセーじゃないんでしょ?」
「え? 須屋さんて苦学生なの? 大変なんだね?」
「だから辞めたって言ってんだろ? 津久見は気になる言葉拾うだけじゃなくて、文脈追えよ」
「ちょっと、諏訪っちの指摘うざー。ハナはこれでいいのよ。ねー?」
「ねー?」

 にぎやかなのです。
 トキくんは今日からお仕事の方へ(書類仕事が溜まっているということで)行ってしまったので、また玉名さんとお昼を食べようと思っていたのですが、なにやら随分と人数が増えたのです。
 まず、玉名さんの隣に座る津久見さん。相変わらず私の胸を狙う素振りはありますが、今はどちらかというとレイくんの方が気になっているみたいです。
 そして3人横に並んだ私たちの正面に座っているのは、諏訪くんと恩田くんなのです。
 そう、恩田くんは私とまた普通にしゃべってくれるようになったのですよ。ただ、必ず誰か男子とセットで来るのが、えぇ、羅刹対策だというのが分かるだけに、ちょっと涙を禁じえません。うぅ、お手数をおかけするのです。

「金銭的には随分と余裕があるのですけど、バイト先でのお付き合いもありますし、シフトは減らしたくないのですよ」
「そーゆーもんか? ウェイトレスなんて代わりはいくらでもいそうだけどな」
「1年以上も勤めると、色々としがらみができてくるのですよ」

 幸いなことに、カフェ・ゾンダーリングの方では、新人教育係は回って来ていないのですけれど。おそらく年齢を考慮しているのではないでしょうか。雰囲気を感じる限り、私が最年少みたいなので。新人とはいえ、年上に教えるのは何だか違和感があるので、直接尋ねられたとき以外はスルーするようにしています。まぁ、下手に面倒見をよくして教育係を押しつけられたくない、という理由もこっそりありますが。
 あ、もちろん、今私がぼんやりしていたのは、ゾンダーリングのことを考えていたからではありません。宮地さんのことです。
 徳益さんが資料を揃えるというのは、おそらく宮地さんのことを調べてくれる、ということなのではないでしょうか。まさか、本当にパーティのことについて話を聞くだけで、わざわざあちらの会社のビルに行く必要があるとは思えません。
 徳益さんも、出張帰りで忙しいらしいので、わざわざマンションの方まで足を運んでもらうのも気が引けますし、頼みごとをしている以上、私が出向くのはおかしいことではない、……はずなのです。
 それなのに、何やら悪寒めいたものを感じるのは、どうしてなのでしょう? 今まで2回も徳益さんには騙し討ちをされてきたので、よもや3度目があるとは思いませんが、2度あることは3度あるというのでしょうか? でも、仏の顔も3度まで、と言いますし、徳益さんも、そうそう騙し討ちはして来ないと……

「ミオっちー?」
「はい!」
「今日の卵焼きの具はなにー?」
「ほうれん草とチーズを巻いてみました……って、玉名さん取らないでください!」
「だってミオっちが、ぽやーっとしてるからさー」
「もう!」
「代わりにミートボールあげるから、許してね♪」
「仕方ないですね」

 玉名さんのおかげで、ぐぐっと考え込むこともできません。まぁ、玉名さんは優しい人なので、私が悩み込まないようにしてくれたのでしょうけど。

「玉名、相変わらずドイヒーだな」
「オンダ、まじウザい」
「ほんとにオレにだけ態度違くね?」
「あー、なんだろ。幻聴がきこえる? やだー、心霊現象かな。ハナはどう思う?」

 あぁ、また恩田くんが玉名さんにいじられているのです。
 なんだか日常が戻ってきたようで、ホッとしてしまいますね。……ってこれを日常と認めている私も『ドイヒー』なのでしょうか?


「お、ミオちゃーん。久しぶり」
「久しぶり……って、病院で会ったばかり、ですよね?」
「いやー、一週間以上会ってない気がするんだけどな。俺の気のせい?」
「それだけ、徳益さんはお仕事が忙しかったのではないですか?」
「あー、そうかもな。トキに休まれると俺の仕事めちゃくちゃ増えるから。……あ、今日はここの会議室な。どうぞ?」
「はい、お手数をおかけしま」

 す、の言葉が消えました。
 受付で徳益さんと合流し、軽口混じりの軽快な調子でしゃべり倒されて、案内されるままにエレベーターに乗って、会議室のドアを開けられて……私の視線の先には、

「こんにちは、ミオさん」

 すちゃ、と軽く手を挙げるのは、……えぇと、徳益さんが忙しかったのなら、上司である貴方も忙しいのではないでしょうか。隊長様。今日もダークグレイのストライプのスーツが何だか高級感をマシマシしています。眼鏡のフレームが赤いのは前からでしたっけ? それとも、変えました? 印象が何だか違うので眼鏡を変えたと思うのですが、確信を持てないのでスルーさせていただくことにします。

「ご、無沙汰しています……?」
「はいはーい。ミオちゃん、とりあえず座って座って」

 誘導されるままに座ったのは、なぜかその人の真正面でした。あれ、真正面は敵対心を刺激するので、90度の位置に座りたいのですけれど……って、そこには徳益さんが座るのですか。そうですか……。

「20日のパーティに出席するんだって? 大変だね、すてきなお母さんを持つと」
「はぁ……」

 なんだか、ようやく同様が追い付いてきました。ただ、もちろん、表には出さないように努めています。

 ど、どどどどど、どういうことなのですか! どうして、佐多くんのお父さんがここにいるのですかっっ!?
 とーくーまーすーさぁーん!
―――これが本心です。

「ミオさんが気にしているのは、パーティのことではなく、宮地のことだろう? ちょうどいいから、ここで共同戦線を張らないかい?」
「え、えぇと、きょーどーせんせん、というのは」
「あぁ。いい加減、あれが目障りでね。仕事ができない男ではないんだけど、何というか、―――あぁ、ウマが合わない、と言えば分かるかな? ミオさんも、アレが邪魔なんだろう?」

 うぅ、会社の派閥争いに組み込まれそうな勢いなのです。勘弁していただきたいのですよ。……というか、真正面から蛇に睨まれて泣きそうなのですが、号泣する準備はできていたりしませんか?

「えぇと、最近の宮地さんの様子は、何か変わったところがあるのでしょうか?」
「至って普通だね」
「普通?」
「昨日、ドゥーム氏が再婚していたことを公表した。まぁ、相手の名前なんかについては、相変わらず情報を出していないけれど、宮地もいい加減気づいているのだろうね。―――それなのに、何も動きがない。長年、アレと関わり合ってきたミオさんはどう思うかな?」

 ドゥームさんが、お母さんとの再婚を公表? 初耳なのです。でも、それよりも、そんな情報を手にしたあの蛇が、何もしないというのは……

「不気味、過ぎるのです」

 自分で出した結論なのに、ぶるっと震えが来てしまいました。

「ドゥーム氏は20日のパーティに再婚相手を伴うと公言しているからね。宮地は、その日までに何かやらかしてもおかしくないとは思わないかい?」

 それは、あの蛇にとっては到底許容できることじゃないはずなのです。だって、あれだけ付きまとっていた相手が、他の男性の隣に立つということなのですから。既に戸籍上は夫婦になっていても、ドゥームさんは、これまた執着ゆえにお母さんを表に出していなかったのでしょう。それが公になってしまえば、あの蛇にとってお母さんはずっと手に入りにくい存在になってしまいます。ドゥームさんの再婚相手として多くの人に認知されるということですから。

「その日まで、……他人の目に触れる直前までに、何かをしてくるはずなのです。少なくとも、今までのことを考えれば、何もしない理由なんてありません」

 ぐっ、と拳を強く握ります。もしかしたら、お母さんにとっては正念場なのかもしれません。でも、それならどうしてこんな時期に? 安定期に入っていても妊婦なのです。ドゥームさんがそんな危険を冒すなんて―――
 そこまで考えて、私は首を小さく振りました。
 きっと、出産時、子育ての時期の方が危険なのです。守る対象が増えるのですから。ドゥームさんは先を見据えて、今のうちに宮地さんを排除しようと考えているのではないでしょうか? ただ、お母さんが納得しているのかどうか。

「ミオさん?」
「あ、すみません」

 ふわっ! 蛇の前でついつい自分の考えに浸かってしまったのです。油断大敵、一寸先は闇、足元をすくわれないように、細心の注意を払わなければならないというのに!

 下に落ちていた視線を上げると、私を観察していたらしい佐多さんと目が合いました。……視線だけで、何を考えていたのか白状しろ、と言われているようなのです。怖いのです。

「どうしてドゥームさんがこのタイミングで再婚相手を公表しようと思ったのかと、……あの人なら、ずっと隠し通すこともしかねないと思ったものですから」

 素直に自白すると、「確かに、そこは疑問だよね」と同意されてしまいました。
 ……あれ、私が予想できたことを、目の前の蛇さんが予想できていないはずはないのですが、この反応は何なのでしょう?

 んむー?
 もしかして、お母さんが妊娠していることを知らない、とか? もし、ドゥームさんが漏れる情報を規制しているのなら、あり得ない話ではないのです。何しろ、あの蛇もこの蛇も押さえて、より高い役職にいる蛇がドゥームさんなのですから。

 だとしたら、ですよ?
 私がお母さんの情報を漏らすのってマズいですよね? そんなことがバレたら、「せっかくワタシが内緒にしていたのに、ミオちゃんは話しちゃったのか。困った子だね」なんて、ニコニコと目だけは笑っていない表情で……って考えたら、総毛立ったのです。

「ミオさん?」
「な、なんでも、ありませんっっ!」
「あれ、暖房効いてないかな? 少し、温度上げようか?」
「いえ、お気になさらず」

 どうしましょう。このまま、この蛇と話していると、うっかり秘密(かどうかは分かりませんが)を漏らしてしまいそうなのです。何とか、宮地さんの情報を聞くだけ聞いて逃げたいのですけど、……正直、一人でここから逃げられるとは思えないのです。

コンコン

 会議室のドアがノックされたのは、そんなタイミングでした。

「あ、今使用中で―――」
「そこにミオちゃんがいるよね?」

 徳益さんの返答に、扉の外からかぶせられた声に、私は思わず両腕を抱きしめてしまいました。

 ……新たな蛇、来襲なのです。

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