TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 80.それは、撒き餌だったのです。


「ミオちゃぁん? ちょぉっとママに教えて欲しいんだけどぉ?」
「……お母さん」

 お手洗いにお付き合い……まぁ、つれションですけれど、そこで落とされる質問なんて、ロクなものではないですよね。ついでに、またお母さんが「ママ」呼びしています。わざわざ言われなくても、宮地さんがいるのはお互い知っていますよね?

「佐多さんて、……えぇっとぉ、そういう人ぉ?」
「どうしてそういうところはすぐ分かるのでしょうね。―――その通りなのです」

 女子トイレとはいえ、オープンな場所なので、敢えて言葉を濁したお母さんに私は素直に頷きました。まぁ、実際、私の身につけているアクセサリーから佐多さんを隊長とするチームに会話が筒抜けなので、核心となる言葉を口にしないのは助かります。まさか、佐多さんが蛇(隠語)だなんて言えませんし。

「もしかして、ミオちゃんがトキくんとの交際を渋ってたのは、それが原因だったりするのかしらぁ?」
「べ、別にそういうわけではありません。それに……その、トキくんとは、えぇと」
「やだ、ミオちゃん、かーわーいーいー!」

 トキくんとの交際に踏み切った理由をなかなか口にできなかった私は、ぎゅむっと抱きつかれてしまいました。ちょ、力が強いのです! トキくんだけでなく、お母さんも力加減を間違っていますよ! まさかレイくんにも似たようなことしていませんよね?

「さ、戻りましょぉ? きっとレイが退屈しちゃっているわ」

 そうでした。一人にさせるのは不安だからと、いったん、ドゥームさんに預けていたのです。……だからって「待っててね、マイエンジェール♪」なんて妙なメロディをつけて歌われても困ります。

「あ、あの、お母さん」
「なぁに?」
「……その、この後のことなのですけれど」
「パーティの後のことぉ? あ、大丈夫よぉ、ミオちゃんもあの部屋に泊まってっても」
「あ、違います。というか、一緒って、ドゥームさんも一緒になりますよね。さすがにそれは」

 私はパタパタと慌てて手を振りました。複数の部屋に分かれている広めのお部屋でも、ドゥームさんと一緒、というのは勘弁して欲しいのです。

「そういうのではなくて、ですね。その……」

 あぁ、頑張るのです。羞恥心を押さえ込むのですよ、私!

「途中でこっそりパーティを抜けるかもしれないのです」

 私の言葉に、大きく目を見開いたお母さんは、その手を口元に当てて「あら、まぁまぁまぁ!」と詰め寄って来ました。どう考えても詰め寄る時に出す言葉ではないですよ、それ。

「もしかして、ミオちゃん。トキくんが迎えに来ちゃうとか? しかもそのままシケ込むのぉ?」
「しけ……っ、お母さん、どんな表現を使っているのですか! べ、別に私とトキくんとはそんな関係じゃ、ない、のです」
「あらぁ? もしかして、トキくんってすっごく忍耐強いのかしらぁ? ダメよぉ、ミオちゃん。『待て』はもちろん大事だけど、『よし』も大事なのよぉ?」
「ですから、そういうのではなくて、もっと純粋なお付き合いで―――」
「ミオちゃん!」
「はい」

 両肩をがしっと掴んで、お母さんがいつになく真剣な顔をしています。

「トキトくんはね、穴があったら突っ込みたいお年頃なのよぉ? 生殺しなんてさせちゃダメなんだから」
「お母さん。発言が最低です」
「あらぁ、でも、本当のことよぉ?」
「……まるで思春期の男の人がみんな性犯罪者みたいな扱いではないですか」
「うぅん? どうなのかしらぁ?」

 こてり、と首を傾げるお母さんですが、その仕草、さすがに年齢的に厳しいと思いますよ?

「……ねぇ、ミオちゃん」
「はい」
「ピアスの穴、いつ開けたのぉ?」
「数日前、なのです。トキくんがピアスを用意してたので、その……」
「ミオちゃん、ピアス嫌いだって、トキくんに言わなかったの?」
「言ったのですけど、こっちの方がいいから、って」

 ふぅん、と私の耳を見るお母さんの目がどことなく怖いです。どうして、こう妙に観察眼が鋭かったりするのでしょうね。隠し事をしている身としては怖いのです。

「確かにスッキリしていいデザインだと思うけどぉ、別にイヤリングのままでも良かったんじゃないかしらぁ?」

 特殊な器具がないと外れないようになっているらしいのです、このピアス。お母さんの機嫌を損ねないために、私を傷つけるようなことはしないだろうという判断みたいです。

「ふぅん? ……で、トキくんにあけてもらったの?」
「ふぁ!?」

 思わず出てしまった声に、お母さんがニンマリと笑みを深めました。いやいや、ちょっと待って欲しいのです。どうしてそっちの発想になるのですか?

「その反応は、やっぱりぃ? ねぇ、どんな感じだったの? ちょっとでいいから教えて?」
「も、もう、別によいではないですか! レイくんが待っているのですよ。早く戻りましょう!」

 私はお母さんの手を引いて、慌ててレストルームを出ました。

 だって、その、思い出したくないのですよ。確かにお母さんの指摘通りなのですから。


「ピアス、ですか?」
「そうだ。穴あけるぞ」

 そう言い放ったトキくんの手には冷却剤とピアッサーがありました。思わず、じり、と後ろに下がってしまいます。

「え、えぇと、おばあちゃんの遺言で身体に自分で傷を付けるのはよくない、と」
「放置しとけば塞がる」
「いやいや、穴をあけたことには代わりないですよね?」
「確実に発信器をつけておきたい。もちろん、いくつか仕込む予定だけどな」
「……その、どうしても、必要、ですか?」

 その、正直に言ってしまうと、ですね。ピアスの穴をあけるってことは、耳に穴をあけるってことで。……うぅ、怖いのですよ! 注射だって目を逸らしてしまう性格なのですよ!

「なんだ、怖ぇのか?」
「その、……はい、その通りです。―――って、笑わなくたってよいではないですか!」
「アンタ、随分と肝が座ってると思ったが、こんなのが怖ぇのかよ」
「痛いのはダメなのです!」

 そりゃ、トキくんはリアルファイト大好きですから、肉体的な痛みには慣れているかもしれませんが、私はごく普通の平凡を地でいく女子高生なのですよ。

「別に痛くねぇよ。……ほら、あけてやるから、これで冷やしとけ」
「わっ、とと、と。……本当に、やるのですか?」
「やる」
「えぇと、別のもので代用とかは」
「ねぇよ」

 一睨みされた私は、渋々放り投げられた冷却剤を耳たぶに当てました。だって、そうしないといけない雰囲気になっていたのです。

「……うぅ、冷たいのです」

 私は泣きそうになりながら、トキくんの座るソファにほてほてと近づきました。気持ちは、予防接種の順番を待つ小学生なのです。

「アンタ、どんだけイヤなんだよ」
「イヤだと言ったら、やめてもらえるのですか……?」
「やめねぇけど。そこまで弱るアンタも珍しいな」
「人間誰しも苦手はあるのです」
「アンタの苦手なもんは、蛇ぐらいだと思ってたけどな」
「……弱点が1つだけなんて、そんな人はいないと思います」

 イヤだなぁ、というオーラを振りまいているのですが、トキくんは許してくれる様子はありません。つまり、それだけ必要なこと、ってことなのですよね。それなら私も腹を括らないといけないのでしょう。

「まぁ、後でアンタにつける装備は説明する」
「発信器とか盗聴器とか、ですか?」
「あとは仕込みナイフもな。……なんて顔してんだ」
「そんなこと言われても、私、刃物は包丁ぐらいしか使えませんよ?」
「別に人に向けろとは言ってねぇ。状況に応じて使え」

 状況……そんなものが必要な状況なんて考えたくないのですけど、これから私がやろうとしていることは、そういう現場なのですね。

 はぁ、と重いため息をつくと、ぽむ、と頭に手を乗せられました。そのまま、がしっと掴まれて、ぐらんぐらんと揺らされます。

「あ、の、トキっ、くん?」
「オレがついてる」
「……はい」

 信用してますよ、トキくん!

「そろそろいいだろ、ちょっと見せろ」
「え? あ、あぁ、耳ですか。……うーん、感覚がない、でしょうか?」

 自分で触ってみますが、これでいいのかどうかわかりません。トキくんに渡された消毒用スプレーをしゅっと吹きかけてみますが、うん、よくわかりません。

「どうだ、感じるか?」
「うーん、なんかふわっと、ですが」
「その程度ならいいだろ、あけるぞ」

 ばりっ、とピアッサーのパッケージを開ける音に、つい体が跳ねてしまいます。いやいや、我慢です。注射におびえる子供ではないのですから。

「そうビクつくな。どうせ感覚もねぇんだから」
「は、はい。分かってますとも。遠慮なく、パスッとやっちゃってください」

 ピアッサーの針も見たくないので、ぎゅっと目を瞑ります。うぅ、音が私の想像をかきたてます。大丈夫、大丈夫、と心の中で唱えていても、小さな物音すら耳は拾ってしまうのです。

「ふゃっ!」

 な、何か、今、感触が、―――唇に!

「トキくん!」
「悪ぃ、アンタがあんまり無防備だったからな」

 ひ、人が目を閉じてるからって、キスをする人がいますか!


―――なんてことがあったのです。トキくんは、本当に油断がならないのですよ!

「ミオちゃぁん? なんだか顔が赤い気もするけど、会場がちょっと暑いかしら?」
「大丈夫です。だから、人のボレロを引っ張らないでください。脱ぎませんよ!」
「ちぇー」

 どうもお母さんは、私がもこもこなボレロを着ているのが気に食わないみたいなのです。えぇ、胸のラインが隠れますからね。

「レイくん、お待たせしました」
「ママ、ミオおねえちゃん」

 あぁ、本当にレイくんは清涼剤のようなのですよ。さっきのお母さんとの会話もスコンと忘れさせてくれそうです。ついでに、私の緊張感も飛びそうで怖いのですけれど。

「ダーリン、挨拶は終わったのぉ?」
「終わったよ。リコは誰かアイサツしたい人はいる?」
「大丈夫よぉ。トキくんのお父さんにはちゃんと挨拶したわ♪」
「……そう、アイサツしたの。ワタシも一緒にしたかったな」
「そぉ? でも、ダーリンは面識があるんでしょぉ? 会社で会えるんだから、いいんじゃない?」
「リコがワタシのいないところで、他の男に話しかけるのはね、ちょっとね」
「ごめんなさい、ダーリン♪ あたしのやり方で見てみたかったのよ」
「……リコはワタシのなんだから、そういうことを勝手にしちゃダメだよ」

 あぁ、だから蛇は嫌いなのです。独占欲というか、人の行動を制限するというか、監視下に置こうとするというか。私にはとても耐えられません。

「おねえちゃん?」
「はい、なんでしょう、レイくん?」

 私はレイくんに合わせてしゃがみました。どうやら内緒話をしたいみたいです。

「……なにか、いやなことあったの?」

 レイくんに、ちょっと内心を悟られてしまったみたいなのです。

「お母さんたちのイチャイチャに慣れていないだけなのですよ」

 嘘ではありません。彼らはこれがいつものイチャイチャらしいのですから。私には、ぜんっぜん理解できませんけどね!

 そうして、家族4人でしばらく談笑していたのですが、いやぁ、感じること、感じること。もちろん、例の蛇の視線ですよ。
 このパーティで、正式にドゥームさんの嫁としてお披露目されましたからね、私も義理とはいえ娘なのだと何人かに紹介されましたから、宮地さんとしては、ハンカチギリギリしちゃう心境なのでしょう。今後、どんな強引な手口で引っ張ったとしても、ドゥームさんの嫁だという事実は変わりませんから。しかも、ナチュラルにイチャイチャしてますからね。見せつけてますからね。それはもう、腸がぐつぐつ煮えくりかえっているのではないでしょうか。

「ミオちゃん?」
「はい?」

 お母さんに名前を呼ばれると、そっと耳打ちモードになりました。何でしょうか。

「ダーリンが守ってくれるから、気にしなくっても大丈夫よぉ?」
「はい、わかってます」

 ごめんなさい、お母さん。後で謝りますね。
 だから、お母さんはちゃんとドゥームさんに守られててください。私は「この恨み晴らさでおくべきか」な戦闘モードですので。

 レイくんの学校での話を聞いたり、時々、ドゥームさんに声を掛けてくる仕事関係の人に会釈をしながら、じっと待ちます。計画実行は、私ではなく佐多さんのチームから合図をもらうことになっているのです。

ぶぃー ぶぃー ぶぃー

 上品なクリーム色のクラッチバッグの中から、着信を知らせる振動音が伝わって来ました。待っていたのですよ、この合図を。

 スマホを取り出すと、トキくんからメールで「これから上がる」というメッセージが。いつもなら、仕事を切り上げて帰るというメッセージに受け取れますが、これこそが囮開始の合図なのです。

「お母さん、私、ちょっと……」
「えぇ、行ってらっしゃい。ダーリンとレイには適当にごまかしとくから。トキくんによろしくね♪」
「お願いします」

 ちらり、とドゥームさんに視線を移すと、私がこれから行動に移ると分かっているでしょうに、こちらをちらりとも見ずに、レイくんと楽しげに会話しています。これが大人の余裕というものなのでしょうね。私も見習って、平静を保って囮に挑むのです!

 ……無理です。本当は心臓がバクバクと音を立てています。
 それでも、やると決めたからには、やるのです。人の入り乱れる立食形式のパーティ会場をするりするりと泳ぐように抜けて、事前に指定されていた非常口にほど近い通路に出ます。

 はぁ、と思わずため息も出てしまうのですよ。これからのこともそうなのですが、会社のパーティーなんて場では、どうしても肩に力が入ってしまいますから。

「やぁ、ミオ。慣れない場所で疲れただろう?」

 ……早々に釣れました。
 本当は、こんなに早く釣れるとは思っていなかったのです。深呼吸して落ち着いて、もう一度トイレに行ったりとかしてから、ようやく釣れるかなぁ、もしかしたら釣れないってこともあるかもしれないなぁ、と思っていたのです。蛇は執念深いものですが、同時に警戒心が高いと思っていたのです。
 どうして、こんなに早く釣れたのでしょうか。もちろん、今日この日にこの蛇が行動を起こすように、事前に揺さぶるとは聞いていましたよ? でも、佐多さんもドゥームさんも、いったい何を吹き込んだというのでしょう。

「お気遣いなく。赤の他人に心配されるようなことではありませんから」
「パパに向かってひどい言いぐさですね。やっぱりちゃんと教育する必要があるようです」
「パパ? 私の父親は、ドゥームさんですけど?」

 血は繋がっていませんが、既にお母さんはドゥームさん結婚していますので、法的には父親です。今日のパーティに来ているお客さんもそう思っているはずです。そこはもう覆りませんよ。

「おやおや、そんなことを言うなんて。ミオ、君の本当の父親が誰なのか分かっているだろう?」

 その言葉に、私はぞくりとしました。長年、この人と接触を続けて来たせいでしょうか。その言葉の意図が読めてしまったのです。

「えぇ、知っていますよ。だから断言します。宮地さん、あなたは私と全く関わりない赤の他人です」

 この男、妄想するにも程があると思うのです。あれだけ、どこの馬の骨とも分からない男の種を仕込まれた云々と私に言っていた男が、今更どのツラ下げて、自分が本当の父親だと言い張るのですか。確かに、私は私生児という形にはなっていましたけれど、今のご時世、DNA鑑定という強い味方がいるのです。

「……はぁ。ねぇ、ミオ。こんな場所では、誰に見られるか分かりませんし、場所を移してじっくりと親に対する正しい態度について話しましょうか」
「お断りします。私はもう会場に戻りますから。独り言でも何でも続けててください。―――何をするんですか、人を呼びますよ」

 いつの間にか私の後ろに立っていた宮地さんの部下、滝水さんが私の腕を掴んで来ました。この人たちも、よくこんな妄想蛇男の部下をやっていられるのです。イヤになったりしないのでしょうか。

「滝水。ミオを連れて帰りますよ」
「いやです、私、は――――」

 ちくり、と、ほんの少しつねられたような痛みを感じた次の瞬間、ぐにゃり、と視界が歪みました。うねる世界に、自分がちゃんと立っているのかどうかも分からなくなります。かろうじて、クラッチバッグがふかふかの絨毯に落ちた音が聞こえました。

「そのまま、あちらの階段から。そうですね………のマンションに………このまましばらく残って………」

 あぁ、蛇男の憎々しい声ですら、途切れ途切れにしか聞こえません。どうやら、このまま運ばれるみたいなのです。

 でも、まぁ、囮役としては、ミッション成功みたいなのですよ。あとは頼みました、よ、トキ……くん。

 ぐにゃぐにゃとウル○ラQのオープニング並に曲がってうねる視界に、とうとう私は溶けるように意識を落としてしまったのです。
 これで、目が覚めたら、隣にトキくんが居て、全部が終わった後なら、文句言うことはありません。でも、高望みはダメでしょうか?

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