82.それは、救難だったのです。さて、皆様。空腹が気になって眠れずに朝を迎えてしまったミオさんです。 夜明けに近づくと、冬にも関わらずチュンチュンと鳥の 藪から棒になんですが、過去の過ちを、時間を巻き戻してなかったことにしたい、と思ったことはありませんか? いわゆる後悔ってやつですね。 えぇ、私、猛烈に後悔しています。 「おはよう、ミオ。僕も考えたんですけどね、やはり食事を一緒にするところから、親子関係の修復を図るのが一番だと思うんですよ」 目の前には怖いほどに笑みを浮かべる宮地さん。 ホカホカの和食な朝ごはんが二人分。 内牧さんと滝水さんが運んで来た、折り畳みの机と椅子が並んでいます。 私の目の前に到着したのは机&椅子→宮地さん→朝食の順なのですが、優先順位の高い順に並べてみました。 「修復するも何も、元から親子関係なんてありませんから」 私は壁を背にして毛布を被ったままの状態で、お断りします。残念ながら、バスルームへの扉は滝水さんに通せんぼされてしまっているので、昨夜のように逃げることはできません。 あぁ、でもこれは、強制的に食事をさせようということなのでしょうね。宮地さんの顔がどことなく「手間かけさせんな」って言っている気がします。そうですね、お母さん以外のことに手間をかけることを嫌っていますから、当然ですよね。それでも、お母さんに繋がる私だからこそ我慢してやってる、という所なのでしょう。 「ミオ。あまり我侭を言うと、パパも怒りますよ?」 「何度も言っていますが、宮路さんはパパではなく赤の他人ですから。今更、何をどうやっても、お母さんの旦那さんはドゥームさんですよ?」 「そうですね。リコもそんなふうにして、わざわざ僕の気を引かなくても構わないのに。いつだって、僕はリコを愛しているんですから」 相変わらず日本語が通じません。 内牧さんや滝水さんが顔色一つ変えないところを見ると、この妄言も日常茶飯事なのでしょう。本当にこのお二人はどうして宮地さんに仕えているのでしょうか。私だったら、こんな頭おかしい雇用主なんてポイしちゃうと思うのですけど。 「さぁ、ミオ。 移動? また別の監禁場所があるのですか? まだ二日ぐらいしか経っていないのに移動、ということは、トキくんたちが何かやってくれたのでしょうか。焦って移動、ということなら、救出される日は近い、と考えてもいいですか? 「申し訳ありませんが、食欲がありませんので、朝食はどうぞご自由に」 それなら、私に出来ることは、きっと足手まといにならないように、うっかり薬物なんかを摂取しないことでしょう。後は、もしかしたらここで『我侭』を言うことで時間稼ぎ、とか? うん、まだ状況を判断できるだけの冷静さは残っているのです。 「―――内牧、座らせなさい」 「はい」 ひゃっ? こ、ここでまさかの力づくで解決パターンなのですか? スマートな解決法を取りたがる宮地さんにしては、珍しいのです。 ……なんて分析している間にも、命じられた内牧さんが私の方へすたすたと近寄って来ています。 「ミオさん。抵抗はしないでください」 「……それは無理な相談だと思うのです」 じりじりと毛布をかぶったままで距離を取る私に、内牧さんはちらり、と滝水さんの方へ視線を向けました。ま、まさか二人がかりとか有り得ないのです! 私が思わず滝水さんに注意を向けた瞬間、ぐいっと内牧さんに腕を取られてしまいました。 フェイントと、気付いたときには、遅いのです。―――はからずも五七五で項垂れてしまいました。 「ミオ、食事を摂らないと身体に悪いと教わりませんでしたか?」 「あなた方の用意したものでなければ、喜んで食べるのですよ」 私の考えなんてお見通しでしょうに、白々しいのです。 内牧さんによって強制的に宮地さんの向かいの席に座らされてしまいましたが、私は箸も持たずに宮地さんを睨みつけます。 「ミオ、お腹は空いているのでしょう? 意地を張るのもそのぐらいにしなさい」 「……」 ほんっとうに、人の話を聞かない蛇なのです。後々のことを考えたら、私にちゃんと食事をさせたいのは分かりますし、私もお腹が空いているのは確かです。でも、信用できない人からのご飯を受け入れるほど、おバカさんではないのです。 「ミオ」 「どうぞ、宮地さんはご自由に。私は食べませんので」 えぇ、ホカホカしたごはんの匂いとか、お味噌汁の湯気とか、美味しそうな鮭の切り身とか、ふわふわしている卵焼きとか、空っぽの胃袋を刺激しまくりなのですけれど、頑張るのです、ミオさん! 強制ダイエットと思えば、丸2日ぐらいは耐えられるはずなのです! 視界の端に食べ物が映るのが耐えられずに、ふい、と視線をシンクの方に逸らすと、ガタンと大きな音が聞こえました。 何の音だろう、と疑問を浮かべた瞬間、物凄い衝撃に眩暈がしました。 気付けば、私は床に転げ落ちています。フローリングの床と、誰かの足が見えます。頬を打たれたと理解したのは、ぐらぐら揺れる視界が治まってからでした。 「思い上がるなよ。リコの娘でさえなければ、不要なものだ」 どうやら、あちらさんの堪忍袋の緒が切れたようです。ですます口調が取れていますよ、宮地さん。 ドンドンドン 扉を叩くような音が響きました。 「―――滝水」 「はい」 宮地さんに促された滝水さんが、部屋の外に出ます。そうしている間にも、少し離れた壁かドアが、乱暴に叩かれているようです。 視界の端に映した宮地さんも内牧さんも険しい表情をしているのは、この音が予定外だから、でしょうか。もしかしたら、正念場が近づいているのかもしれません。とりあえず、頬を打たれたショックで立てないよう装って、フローリングに横たわって頬を押さえておきます。……もちろん、ほっぺたは痛いです。じんじんしてます。 ドアが閉められてしまったので、ほとんど聞こえませんが、それでも誰か来客があったようだというのが分かります。会話内容は聞こえませんが、声を荒げている人がいるようですね。マンションの管理人でしょうか? そもそも、ここってマンションなのでしょうか? あれだけの窓しかないこの部屋では、それすら分かりません。 「内牧。僕も出ます。ミオから目を離さないように」 「はい」 宮地さんが扉を開けた瞬間、「――という通報があったのは間違いありません」と知らない男性の声が聞こえました。 「助けてくださいっっ!」 自分でもびっくりするぐらいの大声に、ぎょっとした内牧さんが私の口を塞ぎ、宮地さんが慌てて部屋の外に出て扉を閉めました。 「……何ということをしてくれるんですか」 私を拘束するように抱き上げた内牧さんが、耳元で声を落とします。口を押さえられていますが、私としては笑いたい気分でした。人を人扱いせずに、散々な仕打ちをしてくれたお返しなのですよ。 通報というからには、何らかの公的組織のお出ましだと思うのです。警察とか児童相談所とか。……前者だったら、現行犯逮捕できるんでしょうけど、そう上手くはいきませんよね。 『今の声は?』 『ドラマを見ていただけですよ。シアタールームがあるので、音はいいんです』 ん? これは、もしや、部屋の外で繰り広げられている話ですか? でも、どうして外の会話が…… 扉はしっかり閉まっているので、そこから聞こえているわけではありません。それなら、どうして――― 『それで、何の御用でしょうか? 出勤時間が迫っているので、手短にお願いしたいのですが』 『捜索依頼の出ている女性が、こちらに軟禁されているという通報がありまして、念のため確認させていただきたいのですが』 『なるほど、タチの悪いいたずらもあったものですね。……協力しないという選択肢もあるんですが、―――冗談ですよ。どうぞ。見られて困るものはありません。あぁ、少し散らかっていますが、それでもよろしければ』 宮地さんの言葉に、私は首を傾げました。いや、見られて困る私はここにいますよね? どうしてそんなに平然と……って、もしかして、ここ、隠し扉の向こう側とか、そういう場所ですか? それなら、あれだけしか窓がないのも頷けるのです。 そして、どうして会話が聞こえるのかも、納得がいきました。内牧さんと密着しているからですね。おそらく滝水さんとトランシーバーか何かで繋がっているのではないでしょうか。 そんなことを考えている間に、急な来客ご一行は、ぞろぞろと室内を改めている様子です。 『―――ここは?』 『単なる書斎です』 複数の足音が、その振動がすぐ隣に来ているのを感じました。おそらく、書斎が私の居る部屋の出入り口になっているのでしょう。 どうにかして、私がここにいることを知らせないといけません。……でも、どうやって? 防音はほぼ完璧。それに、私が不穏な行動をしたら、私を羽交い絞め状態にしている内牧さんが黙ってはいないと思うのです。 ただ、先ほどの宮地さんとの遣り取りを思い返す限り、ここで逃れられなければ、より厳しい監禁状態に追いやられるのは、容易に想像できます。 あぁ、考えると視界がぐるぐる回ります。ただでさえ空腹で目が回りそうなところに、頬を叩かれた衝撃がまだ残っているのです。ついでに、口を押さえられていて、呼吸もしにくい状態とくれば…… 「……うぅ」 ここで意識を失うわけにはいかないのです。でも、身体に力を入れることすら儘ならなくなってきます。 「っ、ミオさん?」 私が身体から力を抜いたのが分かったのでしょう。内牧さんが、くたり、となった私を抱えなおしました。少し、呼吸が楽になったので、意識ははっきりしてきました。 「……やはり、無理やりにでも何かを食べさせなければ」 耳元で内牧さんが呟いています。えぇ、確かに空腹もあるのですけれど、それよりも、呼吸の阻害がつらかったのですよ。 ……ん? あれ、もしかして、今、拘束が緩んでいませんか? 力を失ってぐんにゃりした私を、内牧さんは床に座らせて背中だけを支えてくれています。 これは、もしや! 昨日に引き続き『腹パン』の出番なのですか! ……と思いましたが、おそらく内牧さんはトキくんと同じように体を鍛えている部類の人なので、通用しない気がします。ああいうのが通じるのは、荒事に慣れていない人だけですよね。 それなら、別方向からのアプローチです。鳩尾に一本入れるのではなく、相手の体勢を崩す方向ですね。そのぐらいなら、何とかなるかもしれません。 「……内牧さん」 私は努めてゆっくりとした動作を心がけながら、内牧さんの方に体を向けました。えぇ、あの蛇男の部下でさえなければ、別に嫌いな人ではないのですよ。至近距離で向き合っても鳥肌は立ちません。 「ミオさん。ジュースだけでも……」 ドンッ! 私はできるだけ素早い動きで、内牧さんの肩を突き飛ばしました。その反動を立ち上がることに生かし、もつれそうになる足を動かして外へと向かうドアに体当たりをします。 えぇ、開かないのは分かっています。 外に出られないのも分かっています。というか、このドアに拳を打ち付けるのが精一杯なのです。主に、私の足首にぶらさがった鎖のせいで。 ドン、ドンドンドンッ! 防音はされていても、振動は伝わるはずです。そう願いながら二度三度と拳を叩きつけたところで、残念ながら内牧さんに引きずり戻されてしまいました。……ささやかな反抗終了のお知らせなのです。 『なんだ、今の音は』 『その向こうからじゃないか?』 ふふふ、内牧さんに羽交い絞めにされているおかげで、外の様子も洩れ聞こえます。 「ミオさん、貴女という人は……」 「こういう人間ですよ?」 大きくため息をついた内牧さんは、私を拘束したままで、ずるずると部屋の端へ引きずっていきました。もちろん、ドア近くから離れたくないと抵抗はするのですが、残念ながら、力尽くで移動させられてしまいました。 「ここで大人しくしていてください。さもないと―――」 鎖が生えている壁際まで私を追いやると、内牧さんは、さらにシーツを被せて来ました。 「……されることになりますから」 「―――え」 今、な、ん……て? 私は自分の耳を疑いました。まさか、そんな。いや、でも? 「静かに。声を出さないでください」 混乱した私は、真っ白に覆いつくされた視界の中で、意味もなく瞬きを繰り返していました。頭の中は?マークでいっぱいです。 「ここかっ!」 ガタン、と扉が開く音が聞こえました。久々に聞く宮地さんでも内牧さんでも滝水さんでもない声に、ちょっと涙がじわりとにじみます。 「これはこれは、警察の方でしたか。何か御用でも?」 「ここにはあなた一人で? そもそも何のための部屋なんですかな?」 「あぁ、失礼しました。ここは、俗世を忘れるための部屋です。昨今、色々と情報に追い立てられることが多いので、こういった物理的にも精神的にも隔離されるような部屋で精神統一することは、仕事でも私生活でもプラスになるんですよ」 流れるような嘘をついているのは、宮地さんです。口から先に生まれたのでしょうか。私にはとても真似ができません。 そして、私は、ここで声を上げるべきでしょうか。それとも黙るべきなのでしょうか。 ここで声を出せば、もちろんここにガサ入れ(?)に来ている警察さんに保護されると思います。ただ、先ほどの内牧さんの言葉を信じるのであれば、ここは黙っているべきなのです。 内牧さんの言葉を信じるべきなのでしょうか。それとも――― 外から来た人たちは、部屋の中を 「ミオさん」 小さな声がしました。内牧さんかと思いましたが、違います。内牧さんよりは、もう少し高めの声。滝水さんはとても低い声なので、もっと違います。どこかで聞いたような……と記憶を必死で漁ります。 「お待たせしました」 「……」 最後の言葉で、カチリとはまりました。この人、あの人です。いつも私やトキくんを乗せてくれる運転手の人……犬飼さんです。 「主犯を社会的に抹殺したければ、声を上げてください。そこまでしなくてもよいのでしたら、このままで。その場合は三十分ほど後にお迎えに上がります」 ようやく先ほどの内牧さんの言葉が納得できました。 『ここで大人しくしていてください。さもないと、段取りと違うと佐多さんに折檻されることになりますから』 内牧さんの口から、その苗字が出て来ることが不思議で仕方がなかったのです。でも、既に内々に取引がされていたということなら納得です。 おそらく、あの蛇をどの程度こらしめるかという話で、ワンチャンあげる、という話なのでしょう。 ―――でも、私は迷いません。 「助けて、くださいっ」 できるだけ悲痛な声で、と思ったのですが、空腹がそろそろ限界で、かなり弱々しい声になってしまいました。まぁ、それはそれで結果オーライなのですけれど。 そして、焦るような足音と宮地さんの怒号から始まり、目の前で展開される逮捕劇を、私は別の世界のことを眺めるように見ていたのでした。 | |
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