TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 84.それは、裏側だったのです。


「―――ごちそうさまでした」

 ぱむっと手を合わせると、後ろから伸びて来た手が、(から)になった容器とれんげをテーブルに置いてくれました。
 その代わりに、私の手にはぬるくなった湯のみが渡されます。あぁ、日本茶も美味しいのです。

「トキくん。教えてください。どうやって私が救出されたのか」
「……オレも全部知ってるわけじゃねぇ」

 トキくんは、そう前置きをして、知っていることを、私に話せる範囲で教えてくれたのです。

 まず驚いたのが、ドラッグストア前での遭遇、つまりドゥームさんが宮地さんを社会的にも切ると決めた事件のすぐ後に、ドゥームさんは宮地さんの私的な部下である、滝水・内牧コンビを寝返らせていたことなのです。興味がなかったために、さっぱり知らなかったのですが、宮地さんは、そこそこの良いお家の出身らしく、元々はあの二人も家の方で付けられた人達だったそうです。
 ドゥームさんの説得工作(?)により、ご実家の方に引き取られることが決定したとか。いえ、隔離ですね。

「ご実家の方では、お母さんに対する諸々のことも把握していたのでしょうか」
「おそらくな」
「それでも止めなかったのは―――」
「土地の運用やら何やらで、宮地自身が実家にそれなりの利益を還元していたこともあるんだろうが、特に後ろ盾のないアンタら親子を『どうとでもできる』ってタカくくってたんだろ」
「釈然としないのです」
「無駄に力を持ったアホはそういうもんだ。それも、自分が築き上げた力じゃないなら、なおさらだ」

 トキくん、達観し過ぎではないでしょうか。ぐるり、と首を動かして表情を確認しようとしたら、何故か頭をまっすぐに固定されてしまいました。

 実家とのお話し合いの中で、最終的にどう落とし所をつけるのか、判断は当事者である私に委ねられたらしいです。それが、あの時の内牧さんのセリフに繋がるのですね。

『ここで大人しくしていてください。さもないと、段取りと違うと佐多さんに折檻されることになりますから』

 ああやって、嘘をついて大人しくさせることで、少しでも宮地さんに対する罰を軽くしようとしていたに違いありません。犬飼さんが私に囁いてくれたセリフを思い出せば、自然とどういう話になっていたのかも理解できます。

 捜索願いの出ている私に付けた発信機が反応している、という情報によって、本職――警察の人を伴って乗り込んで来ていたらしいです。警察さんの前で私が見つかれば、拉致監禁の罪が公に裁かれるわけですし、私があの場で見つからず、その後に内牧さんや滝水さんの手によって帰されることになれば、内々に罰するという形だったはずなのです。

 もちろん、常であれば、あの蛇男が易々と私を手放すことなどないと思いますが、ドゥームさんや佐多さんによって精神的に削られていたおかげで、あの場でも失言したらしいです。
 どうも、警察さんの前で、あの部屋のあちこちに妨害電波を出す装置が置かれていたことをポロッと白状したみたいなのですよ。私のイヤリングが取れなかったことで、万が一を考えてジャミングの機械を設置していたそうです。まぁ、内牧さん&滝水さんによって、電源はオフにされていたみたいですけど。

 で、一応は報道規制も敷かれて、大々的に報道されることもないようなのですが、前科持ちになった挙句、山奥のご実家に強制送還ルートだそうです。
 え? 同情なんてこれっぽっちもありません。悪いことしたなぁ、なんて思ってもいません。せいせいした。この一言に尽きます。

「でも、宮地さんて、そこのお家の跡取りとかではなかったのですか? よく、強制送還が許されましたよね?」
「……ドゥームのことだ。表も裏も手を回したんだろ」

 トキくんの言葉に、私はびくぅっと体を震わせてしまいました。あのですね、背筋のあたりを下からぞぞっと悪寒が走ったのです。何も言わずに頭を撫でてくれるあたり、トキくんも私の考えたことを分かってくれたのでしょう。

「やっぱり、蛇は怖いのです」
「オレも今回、ドゥームのことはヤバいと思った。そりゃ、宮地とおっさんの上の地位にいるわけだ」

 そうですよね、蛇ヒエラルキーの頂点にいるのですから、やっぱり……。
 トキくんと全く同じタイミングでため息をついてしまいました。

「聞きたいことは、それで終わりか?」
「はい」
「……いいのか?」
「え?」

 トキくんが、なぜかギュウギュウと私を締めてきます。ちょ、シメてもお肉は美味しくないのですよ?

「アンタはオレに(うら)(ごと)をぶつけていいんだぞ? オレは、アンタを守ると言っときながら……」
「それは違うのです!」

 慌てて大声で否定してしまいました。 珍しく羅刹が弱気モードなのです!
 うねうねと体を揺らして、ようやく拘束が緩んだところを、私はすっくと立ち上がってトキくんに向き直りました。トキくんが項垂(うなだ)れているので、残念ながら表情は見えません。こういうときは、長めの前髪が本当にお邪魔なのです。

「トキくんが助けに来てくれるって、そう言ってくれたから、私は頑張れたのですよ?」
「だが、オレは何も―――」
「トキくんは、これまで何度も私を助けてくれたではないですか! そんなトキくんが居たから、そんなトキくんを信頼していたから、私は踏ん張れたのです!」

 むぅ、どうあっても、こっちを見ないつもりなのですね!
 それならそれで、私にも考えがあるのですよ。

「トキくん!」

 思い込んだら一直線の男前ミオさんの出番なのです!
 両手をトキくんの顔に添えると、思いっきりそれを持ち上げます。
 おぉ、珍しくちょっと眉が下がっています。これはレアなのです!
 そんなトキくんの唇めがけ、ミオさん渾身のちゅーなのです!

 ……そういえば、これ、キスって何秒ぐらい触れていればよいのでしょうか?
 えぇと、5秒ぐらい? それとも、もっと?
 まぁ、適当でよいのでしょうね。それでは、このぐらいで!

 すっと顔を引くと、トキくんが目を丸くしていました。わぁ、今日のトキくんはレアな表情ばっかりなのです。

「トキくん。私を助けようとしてくれてありがとうございます。あと、助けてくれた後も、傍についていてくれて、ありがとうございます」

 あれ、どうして手のひらを顔に当てているのでしょうか。え、もしかして強かった、とか? 唇が痛かったとかそういう―――

「トキくん?」

 トキくんは喉の奥で何か唸ると、立ち上がって自分の部屋へ行ってしまいました。
 置いてけぼりにされた私はポカーンとなってます。えぇと、私、頑張って自分からちゅーしたのですけど、そこはスルーなのでしょうか?
 なんだか哀しくなってしまいました。とりあえず、食器を片付けましょう。

 キッチンで湯のみを洗っていると、突然、ぐい、と腕を引かれました。あの、まだ手が濡れているのですけど――――?

「動くなよ」
「ふぇ?」

 すっかり通常運転の羅刹モードを取り戻したトキくんが、私の耳をつまみます。ひんやりと何かが当たっていると思ったら、耳元でカチリ、と音がしました。

「今度はそっちだ」
「はい?」

 ぎゅるん、と体を反転させられると、今度は逆の耳に何かを……って、ピアスを取り外しているのだとようやく気付きました。でも、どうしてこのタイミングで?

 私がまごついている間に、トキくんはピアスと専用の工具をキッチンの小さなテーブルに転がすと、私をひょいっと抱き上げました。

「トキくん、どうしたのですか?」
(あお)ったアンタが悪い。いい加減、覚悟決めろ」
「え? 覚悟?」

 文脈がさっぱり読めません。行間の読めないミオさんにも分かるように説明をお願いします!

 トキくんは自分の部屋のベッドに、私をそっと下ろします。なんだか顔が怖いので、逃げようかな、と思った瞬間、口に喰らいつかれました。

「んむぅっ?」

 何が何だか分からなくて、じたばたしても、私を押さえ込むトキくんの腕はビクともしません。さっきの私みたいに、唇を合わせるだけでなく、トキくんは私の下唇を舐めてきたり、唇の柔らかいところで軽く挟んできたりします。そうかと思えば、きゅっと結んだ私の唇の間に、舌を割り入れようと……って、ちょ、ちょっと待って欲しいのです!

「んー! んんー!」

 何度も腕をタップし続けていたら、トキくんがようやく離れてくれました。

「な、んなのですかっ、突然っ!」
「アンタが煽るのが(ワリ)ぃ」

 唸るように囁いたトキくんの顔がまた近づいてきます。思わず、ぎゅっと唇と目を閉じてしまったのですが、予想していた唇への攻撃は来ません。おそるおそる目を開けると、至近距離で私を見下ろしていたトキくんが、ニヤリと悪い笑みを浮かべるのが見えました。

「もう、いいだろ。アンタを食っても」
「ひゃっ?」

 トキくんの熱い舌が、私の首筋を這います。生温かく湿った感触に、思わず体が跳ねてしまうのです。
 って、トキくん! パジャマのボタンを外さないでください! なんて手際が良いのですか!

「ストーッップ! ストップなのです! トキくん!」
「あぁ?」
「さすがにダメです。アウトです。イエローカードどころかレッドカードなのですよ!」

 ぺちぺちとトキくんの腕を叩きます。もう少し自由な体勢だったら、両手をぐるぐる回してからの指差し、っていうバスケのトラベリングの動作だってしたいところなのです。

「何が」
「私の胸を揉んでる、その不埒な手ですっ!」

 何故か半眼で睨まれてしまいました。いつもならビビってしまうところですが、これはトキくんが不満を表すときの顔なのです。そのぐらいはもう分かっているのです!

「ちゃんと避妊はするぞ?」
「ダメです」
「ダメ……ってことは、ナマ希望か?」
「ち、ちがいますっ! そもそも、そういう行為がダメです!」
「あぁ?」
「私、言いましたよねっ? 結婚を前提としない高校生らしい健全なお付き合いって」
「……こんぐらい普通だろ?」
「ダメです」
「アンタの貞操観念どうなってんだ……」

 がっくりと頭を落としたトキくんの黒髪が、私の胸元をくすぐります。
 とりあえず、今のうちにパジャマのボタンは戻しておきましょう。

「……お母さんの言っていたとおりなのです」
「何が」

 あ、すごく不機嫌な声が返ってきました。

「何でもないです」
「……何が?」

 ぐ、そんな目で睨まないで欲しいのですよ! 至近距離でそんな目をされたら、麻痺混乱小人化沈黙眠り猛毒の状態異常オンパレードになってしまうのです。モルボルグレート並みです。

「ナンデモ、ナイノ、デス」
「何が?」

 ぐぅ、こっそり死の呪文を唱えてみたけれど効果はありません。

「いいから言えよ」

 ちょ、その睨みは反則なのです! 思わずこちらも涙目になってしまうのですよ、主に恐怖で!

「言え」
「……」

 言えるわけがないじゃないですか、我が母のものとはいっても、あんな発言を!

「言わねぇと、続きするぞ」
「言います言います! お母さんから『トキくんは穴があったら突っ込みたいお年頃だから生殺しはだめ』だって言われたのです!」

 あまりに恥ずかしい発言なので、ノンブレスで言い切りました。うぅ、顔が熱いのです。

「……なんだ、親の許しはあるんじゃねぇか」
「ダメです。あれは反面教師なのです」
「アンタの貞操観念は、どこまで固ぇんだよ、くそ」

 舌打ちしたトキくんの僅かな隙をついて、私はするりと腕の檻を抜け出しました。そのまま転げるようにトキくんの部屋を飛び出したところで、足がもつれて、ぺしゃり、と倒れます。……慌てていたとはいえ、ちょっと恥ずかしいです。どうして十七にもなって、こんな無様なこけ方をしてしまうのでしょう。

 顔を上げると、呆れたような表情を浮かべたトキくんが手を差し伸べてくれました。……猛烈に恥ずかしいので、穴を掘る旅に出てもよいでしょうか。

「仕方ねぇから、アンタを抱いて寝るだけで我慢してやる」

 伸べられた手を取らなかったのを誤解したのか、トキくんが言い捨てるように口にしました。単に恥ずかしかっただけとは言えないので、何も言わずに手を取って立たせてもらうことにします。ずるいとか言わないでください。色々といっぱいいっぱいなのです。

「えぇと……」
「アンタはオレを信頼してんだろ?」
「確かに信頼していますが、そういう面では信用していないのですよ?」
「こっちも最大限の譲歩してやってんだ、頷け」
「……」

 そう言われても、このマンションに引っ越してすぐにあったことを考えると……。

「何もしねぇよ」
「……本当、なのですか?」
「寝ぼけて胸揉むぐらいは許せ」

 うん、やっぱり信用できないのです。くるり、と自分の部屋へ戻ろうとしますが、後ろから抱き込まれてしまいました。トキくんの小さな溜め息が耳に当たってこそばゆいです。

「ちゃんとアンタがここに居るって、感じたい」

 掠れた声で囁かれて、心臓が痛くなりました。
 少女マンガでよくある「胸キュン」って嘘ですね。ぎゅうぎゅう締め付けられて痛いのです。
 でも、トキくんのセリフには同感なのですよ。私も、もう安心できる場所にいるのだと感じて眠りたいのです。

「不埒な手は、なしですよ?」
「……善処する」

 なんだか信用の置けない政治家みたいな発言が返ってきましたが、そこは目を瞑ります。
 本当に不埒な手つきがあったら、ベチンとミオさんの教育的指導が飛ぶのですからね、トキくん!

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