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Ⅳ.来襲

 5.初々しい


「あの、鳥のヒトは……?」
 そう口にした途端、目の前の獣の表情が険を帯びた。
「あのクソ鳥は、始末が悪い。得意の鳥を使って、常にオレの動きを監視しているんだろう」
 目の前にいるのが獣の王なら、あっちは鳥の王といったところだろうか。
「知り合い、なの?」
「他人の獲物をかすめ取ることにかけては天才的な卑怯鳥だ。前にも何回かやり合った」
 力はこっちが上だが、あいつは策を弄してくる、と忌々しげに舌打ちをする獣の顔が怖くて、あたしは視線を逸らすようにスープをこくり、と飲んだ。
「……鳥の王、かぁ」
 口の中の湯気を吐き出すように、そう呟く。あたし自身も気をつけなきゃいけないのかもしれない。
 と、目の前の獣があたしの方をじっと見ていた。
「前にも似たようなことを言っていたな。あの時は『獣の王』だったか?」
「え、違うの?」
「だから、それは何だと聞いている」
 つい質問に質問で返してしまい、獣の王を不機嫌にしてしまったようだ。
 あたしは、ここが獣の王の領域とされ、山全体が禁足地となっていて、町の住民も近寄らないことを説明した。
「獣の王は、全ての四つ足の獣の特徴をいいとこ取りしていて、とても強くて、悪いことをした子供を食べちゃうって、よく小さい子の教育に使われるの」
 あたしの説明に、目の前の獣が胡散臭そうに眉根を寄せた。
「何だそれは。人間の肉はマズくて食べられる代物じゃない」
 想定の斜め上の返答をされ、あたしは拍子抜けした。流れからして、獣の王じゃないとか何とか言われると思ったのに。
「オンナ、その『獣の王』とやらの話、他にはないのか?」
「他の言い伝えだと―――」
 確か、どこぞの村落を滅ぼさない代わりに生け贄を差し出せとか、山で狩りをした王様一行を遅い、首から上だけを麓に転がしておいたとか……。
 あまりに物騒な話ばかりで、本人を目の前に話すのは、少し勇気がいる。
「……あの、できれば、その『オンナ』って呼び方、やめて欲しいな、って」
「だが、お前はオンナだろう?」
「あの、ちゃんとユーリアって名前があって」
「あぁ、そういうことか、ユーリア。オレはサイラスティと名前を使っている」
 妙な自己紹介だと思ったけど、元々名前はなかったのかもしれない、と思い、そのままスルーしようとして……首を傾げた。
「サイ、ラス、ティ?」
 なんだろう。不思議な響きを持つ名前だからだろうか、記憶の片隅に引っかかるものがあった。記憶の海の中、ここぞという場所に投網を投げ、ぐいぐいと引き上げる。
 引っ張り上げた記憶の欠片を頼りに仮説を立ち上げると、まるでそれは真実であるかのように見えた。
「あの、違ってたらごめんなさい。もしかして、あのカラクリ人形の姿で、町に行ったことが、ある?」
「あぁ。人間の考え方や服装なんかはコロコロ変わるからな、定期的に近くの町は巡回してたな」
「酒場でチンピラぶちのめしたり、サイコロ賭博やカード賭博で、イカサマ師相手に連戦連勝してたり……?」
「よく分からん因縁をつけてきたり、小細工を弄するような人間には容赦した覚えはないな。……なんだ、会っていたのか?」
 あたしはガックリと肩を落とした。そのイカサマ師に騙されていた一人が自分の父親だとはとても言えない。あの時は確か、神は正義を見捨てないとか言ってたけど、本当に人外の存在だったなんて。
「直接、会ったことはないけれど、噂で聞いていただけよ。ラスって名前のすごい奴がいるって」
 あたしは、手の中でぬるくなってしまったスープを一気に飲み干した。
 と、目の前の獣=ラスが、あたしに視線を注いでいるのを感じ、何か失言でもしたかと考え込んだ。
(ラスって呼び捨てにしたのが悪かった、とか?)
「えっと、その、……何か?」
「―――随分と変わるものだ」
「?」
「初日とは別人みたいに表情が動く」
 それは自分でも分かっていたが、改めて指摘されると気恥ずかしい。
「それは、……だって、怖かったし、弟や町の人の命を盾にするし」
 獣の王は人間を食べると信じて疑わなかったし。
「あれはお前が素直に従わないからだ」
 本当に、町で人間を観察したのだろうかと思うぐらい傲慢な返事に、あたしは大きくため息をついた。
「会いたいか?」
「え?」
「弟や家族に会いたいか?」
「そりゃ、ね。でも会えないと分かってるし、会ったとしても、色々と口裏合わせが大変になるわ」
「様子を見ることぐらいはできるぞ。―――あれを見ろ」
 指さした先にあったのは、大きな姿見だった。
「ただの鏡、じゃないの?」
「お前の住んでいた町は、これか?」
 ラスの声に呼応するように、鏡に映った像がぐにゃりと姿を変える。それは見慣れたあの町の門だった。行き交う人の中に知った顔がいくつか見える。
「そうよ、この町。……なんで」
「持ち主の見たいものを映す鏡だ。使いようがないと思っていたが、意外な使い道もあるもんだな」
「そんな、すごい宝物じゃない。なんで使い道がないなんて」
「オレにとっては音がなければ意味がない。……で、お前の家はどっちだ?」
 これは、たぶん西大門の通りだから、とあたしは考え、道順をラスに告げた。すると、鏡の映像が、まるで人が歩くように動いていく。
「そこの赤い屋根のお店を右に曲がって、三軒目の―――」
 あたしは小さく息を飲んで、口元を押さえた。
「これが父親か?」
 店先で精一杯声を張り上げ、呼び込みをしている姿に、あたしはコクン、と頷いた。
 すると、映像は店の奥へと進み、今度は机に向かって難しい顔をしている弟の姿を映し出す。さらに奥の階段を上がった先には、せっせと洗濯物を取り込んでいる妹の姿があった。
「どうして泣く?」
 指摘された通り、あたしは止まらない涙を必死に拭っていた。何か返事をしようにも、言葉が出ない。
 ラスにしてみれば良かれと思ってやったことだろう。だが、もう帰らないと決意したあたしにとっては、とても残酷な行為だった。
 あたしは必死に涙を止めようと歯を食いしばったり、息を止めてみたりしたが、涙が止まったのは、映像を消してもらってから随分後のことだった。

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