TOPページへ    小説トップへ    赤雪姫の惰眠な日常

惰眠1.どこでもマイペースな惰眠

 1.彼女はどこで眠る


 都、さらにその中心にそびえる宮城へと向かう荷馬車があった。
 御者は不景気な顔を隠さず、手綱を握る。
 その隣で、これまた不機嫌を絵に描いたような若い男が見るからに頑丈そうな軍馬に跨っていた。
「これ、犯罪じゃないッスかねぇ」
 御者が何度目かの呟きを洩らすと、「違う」とすぐさま若い男が応じた。
「本人はともかく、妹とはきっちり話がついている。……犯罪なんかであるものかっ!」
ガタゴト、ガタゴト
 夕焼けに赤く染まった空の先、今夜の宿場が見えると、再び御者が同じことを呟いた。
「そろそろ口を慎め。変に思われるだろう」
 男に睨まれ、御者は細く長いため息をついた。


 史家は言う。
 この灯華国には、神仙の加護があると。
 建国の祖である皇帝・章。彼は火を自在に操ることを得意とする神仙に師事した。
 彼は群なす兵を薙ぎ倒し、小国同士の諍いの絶えないこの地を統一した。
 彼の傍らには、花をこよなく愛する仙女が侍っていたと伝えられている。彼女は敵味方関係なく、戦死した者のために涙を落とし、花を贈った。
 火を操る皇帝。花を咲かせる仙女。
 皇帝は国に名前をつけなかったが、誰からともなく、火と花の国、灯華国と呼ばれるようになった。
 時を下った今もなお、皇帝の血筋は絶えることなく、その権威が失墜することなく国は存続している。
 時に愚帝が権力を握ることもあったが、そうした際にはどこからともなく、神仙が現れ、後始末をつけていったという。ある時は失政の尻拭い、ある時は愚帝の暗殺、そういった形をとって。


 外界が夕闇に沈む頃、宿の中で最も高級な部屋には、何やら剣呑な雰囲気が漂っていた。
 室内は灯りが多く配され、決して暗くはない。
「とりあえず、話を聞こうか、琥珀」
 艶のある長い黒髪を無造作に流した美女が、卓の向かいに座る男を半眼で睨みつけた。だが、その赤い瞳には怒りの色はない。むしろ、からかうような輝きさえ伺える。
 小心者の御者は、二人に茶を入れると、すぐさま自分に割り当てられた部屋へ逃げていったので、今は二人きりだ。
 琥珀と呼ばれた若い男は、目の前の美女に気圧されないように、睨み返す。こちらは顔の造作こそ悪くないものの、目つきが悪い、というか悪人顔だ。睨み合う迫力では負けていない。
「皇帝から直々の呼び出しだ」
「―――ほう」
 さらに細められた目に、琥珀は負けまいと話を続ける。
「当たると評判の占い師、『赤雪姫』を連れて来いってな」
「なるほど、お前は皇帝の命令があれば、眠っている女を誘拐することも辞さないということか?」
「いちいち説明している時間が惜しかったんだ。……というか、そもそも何であんなところにいたんだ」
 琥珀は短く切りそろえた栗色の髪をがしがしと掻いた。
 思い出すのは半日前の出来事だ。


「いないのか?」
「あの、おそらく雪ねえさまは、お昼寝をしているのだと思うのですけど」
 応対に出たのは、『赤雪姫』と共に暮らしている小鈴という娘だった。
「悪いが、家の中を探させてもらえるか?」
 琥珀の言葉に、小鈴は少し躊躇を見せた。姉が本気を見せれば、おそらく彼らに見つかることはない。それはつまり、家の中を他人に引っ掻き回されるということだ。
「すまない、小鈴」
 彼女と知らない仲ではない琥珀は頭を下げる。すると、彼女も決心がついたようだ。
「あの、最近、雪ねえさまが好んで昼寝をしていらっしゃるところがあるので、そこかもしれません」
 小鈴のその言葉に、後ろでやり取りを伺っていた御者が驚いたように顔を上げた。おそらく、共に暮らしている小鈴が『赤雪姫』を裏切るような発言をしたことが信じられないのだろう。
 だが、琥珀は知っている。
 自分の知る『赤雪姫』は本気で隠れているのなら、とうてい自分達には見つけられないということは。
 小鈴に教えてもらった通り、住居の裏手にある納屋へ足音を忍ばせて向かう。ここで見つけられなければ、おそらく今回の任務は失敗だと覚悟をした。
 琥珀は王都で宮城の守りをする武官だ。不審者や刺客やらが跳梁跋扈する宮城では、人の気配を察知する技術がなければとても勤めていられない。
―――だが、結局琥珀は、武官としての能力を発揮することはなかった。
「……」
 彼は、納屋に置かれた行李をジト目で睨みつけた。竹で編まれたそれは、網目が細かいため、中の様子まで知ることはできない。
「…………」
 すぴすぴと間抜けな寝息はそこから聞こえていた。
 一歩、二歩と近づき、その行李のフタに手をかける。
 琥珀は物音を立てないよう慎重に、そのフタを持ち上げる……。
(屈葬かよ!)
 思わず大声でツッコミを入れたくなった。膝を抱えて眠る黒髪の美女がそこで寝ていたのだ。
 新手の罠かもしれないと疑ったが、相手が人事不省に陥っているのなら、と小鈴に事情を話し、行李ごと馬車に積んで運ぶことにした。
―――で、結局、彼女は宿に到着するまで目覚めることもなかったというわけだ。
「小鈴には事情を話して前金を渡してある」
 琥珀の出した名前に、美女=赤雪姫は軽く眉を動かした。
「それで、小鈴は何て言っておった?」
「お前が拒否するなら前金を返す。だから、お前が戻って来るまでは金に手をつけないと言っていた」
 琥珀が淡々と伝えると、彼女はそこで初めて微笑みを浮かべた。
「小鈴らしい。……さて、そうすると、ちぃっと困ったことになるのぅ。わしは占いに使う道具すら持たずに来たのじゃが」
 古風な物言いは彼女の常だ。今更驚くことではない。むしろ琥珀にとって大事なのは、占具がないという彼女の発言だ。
「……道具など、特に必要もないくせに何を言う」
「ほぅ、それが人にものを頼む態度か?」
「いや、必要なものがあれば準備する。赤雪姫殿は道具に縛られないだろう?」
 琥珀の言葉に何を思ったか、美女はふん、と鼻をならした。
「お前に赤雪姫などと呼ばれると調子が狂うわ。……良かろう。小鈴に贅沢のひとつもさせてやらぬとな。―――では琥珀、紙と小刀と筆を用意せい。今すぐにじゃ」
 そう言うと、彼女はまるでだだを捏ねる子供のように、バンバンと卓を叩いた。
 今すぐに、と言われて焦ったが、琥珀は自らの荷物から注文のものを取り出す。
「紅雪、何をするつもりだ?」
「その名を呼ぶのも、もう数えるほどしかおらぬな」
 琥珀の目の前で、筆でさらさらと何かを書き付けると、小刀でその紙にいくつかの切れ目を入れ、迷いなく折りたたむと鳥の形になった。
「大したことではない。かわいい小鈴に心配いらぬよう文を飛ばすだけよ」
 紅雪が紙の鳥に息を吹きかけると、それは本物の鳥となり、窓の外へと飛び立って行った。
 相変わらず見事な仙術に目を奪われていた琥珀だが、ふいに部屋の扉へと目を向けた。
「そこにいるのは―――」
「孫洵と言ったか? 夕餉の膳が冷めぬうちに早う持ってこんか」
 紅雪に声をかけられ、おそるおそる扉が開く。気弱な御者が二人分の膳部を持って来たところだった。
(相変わらず、無駄に万能だ)
 琥珀は誰にも気取られぬよう、小さくため息をついた。

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