TOPページへ    小説トップへ    赤雪姫の惰眠な日常

惰眠1.どこでもマイペースな惰眠

 2.彼女は怒られても眠る


 いわく、赤雪姫は仙女である。
 いわく、赤雪姫は詐欺師である。
 いわく、赤雪姫はよく当たる占い師である。
 だが、赤雪姫と呼ばれる前から紅雪を知っている琥珀は、こう思っている。
 赤雪姫は仙女でも詐欺師でも占い師でもない。
 美人で変人で万能で怠け者である、と。


「なんと、それでは小鈴に前金こそ渡したものの、簪の一つも贈っておらぬと?」
 勘弁してくれ、と琥珀は心の中で涙を流す。
「久々に会ったのだから、土産ぐらいはと思っておったが、何とも、まぁ、残念な男よ」
 宮城の中、本来であれば城壁警備の武官である琥珀が、足も踏み入れられない場所で、堂々とそんなことを話しかけてくるのは、この鬼畜美女しかいない。
「いいから、お前、黙れ」
「文や贈り物を欠かさぬようにせねば、愛想を尽かされるぞ? まぁ、そもそも小鈴の気持ちがお前にあるかは知らぬが」
 琥珀は、お願いだからやめてくれ、と土下座しようかと本気で考える。
 ただでさえ、絶世の美人である紅雪は目立つのだ。国の中枢を担う方々の行き交う通路で、そんな彼女に人の恋路云々を暴露されている身にもなって欲しい。前を歩く案内人は始めこそ反応がなかったものの、今はもう小さく肩を震わせている。
「頼むからお前、皇帝陛下の前で無礼な振る舞いはするなよ」
「……無礼?」
 紅雪の瞳が細められた。なまじ美女なだけに迫力がある。
「そうさのぅ。まぁ、わしも客あっての商売じゃ。お前の心配するようなことにはならぬよ」
 客も依頼も選り好みすると知っている琥珀は大きくため息をついた。そのために、小さく「おそらくな」と付け加えられた言葉を聞き逃した。まぁ、聞きつけたところで、彼に止める術はないのだが。
「こちらでお座りになってお待ちください」
 案内役の侍官が指し示したのはとある一室のど真ん中だ。
 物見高い見物人が多いのだろう。室の入り口以外をコの字型に仕切られた几帳の向こうから、少なくない囁き声が耳をくすぐる。
―――まぁ、あれが噂の占い師ですか
―――何と美しい。あれでは後宮に入った方がよほど
―――仙人だという話は本当なのか?
―――赤雪姫は気に入らない客はカエルに変えてしまうというが
―――陛下も何をお考えで、このような者を
(耐えろ。耐えてくれお願いだから。本当に!)
 琥珀は自分の斜め前に座る紅雪を祈るように見つめた。沸点が高いのか低いのか判別つかないが、一旦、切れてしまえば、もはや誰にも止められない。彼女を止められる人間がいるとすれば、それは小鈴だけだ。
(いっそのこと、小鈴を連れてくれば……いや、だめだ。小鈴にこんな場所見せられねぇ)
 やたらと黒い欲望ばかりが蠢くこんな場所に、あの可憐な少女を連れて来られるわけがない。ただ、目の前の紅雪が耐えてくれるのを願うだけだ。
 と、ざわめきが消える。遠くから衣擦れの音が聞こえた。
(ようやく、お出ましくださった)
 琥珀は皇帝陛下を迎えるべく、深々と頭を下げた。
 これ、頭を下げないか、と少し離れた所から小さく、けれど鋭い声が聞こえる。
 これ以上下げれば、床に額がついてしまう。まさかそこまで、と考えたところで気付いた。
(まぁ、あの紅雪が皇帝陛下に頭を下げるわけがない)
 自分の役目はあくまでこの場に赤雪姫を連れて来ること。そこから先はもう知らん、と琥珀は無視を決め込んだ。というか、一度頭を下げないと決めた紅雪が、人に言われたぐらいでそれを曲げるわけがない。何をしても無駄なのだ。
「よい、楽に」
 それは、御簾の向こうに座った皇帝陛下自身の声だった。
 頭を上げた琥珀だったが、これから紅雪がどんな無礼を働くかと思うととても前など向いていられず、その視線を床に移す。毎日磨き上げられているのか、やたらとテカテカとしている床は、慣れない人間を滑らせる罠なんじゃないか、と考えながら現実逃避に走った。
「初めてお目にかかります。わたくしが巷で赤雪姫と呼ばれている占い師でございます」
 あまりにまとも過ぎる口上に、顔を上げた琥珀は信じられない物を見るような目つきで紅雪を凝視した。猫が逆立ちして玉乗りしたって、こんなに驚かないに違いない。
「このたびは怖れおおくも皇帝陛下自らのご指名と伺い、参上つかまつりました。―――むぅ、やはり面倒だのぅ。仕事はとっとと終わらせる主義でな、早速用件を聞こうか」
(やっぱり紅雪だ)
 あっさりと地が出た紅雪の発言に、几帳越しの貴人・女官達から非難の声が上がる。
「よい、無理に呼び立てたのはこちらだ。……さて赤雪姫。そなたの占いは百発百中と聞いているが」
 あまり動じた様子のない皇帝に、琥珀はちょっとだけ尊敬の念を深めた。最初にこの仕事を言いつけられた時に、無茶ぶりすんなタコ帝、と思ったことを撤回しておく。
「それは違うな。よい結果に満足した者は慢心ゆえに転落し、悪い結果に焦りを覚えた者は努力で結果を覆す。わしの占いは『占いをしなかった場合に限り』的中率が10割よ」
 琥珀自身、この矛盾した説を耳にタコができるほど聞いている。そして、それが真実であろうことも、何となく分かっていた。
「……面白い。だが余はこの先をどうしても知りたいのだ。受けてくれるか」
「わしがここまで足を運んだことが、何よりの返事じゃ。じゃが、政に深く関わることであれば、無能陛下と罵ってやらんでもないぞ」
 不穏当な発言に、室内がざわり、とどよめきたった。だが、皇帝が何も咎め立てする気配がないのを察知してか、囁き声による非難だけに留まり、面と向かって注意するような人間はいなかった。
「皇帝となれば、その全ての行動に政治的な意味を帯びる。その理屈で言えば、余はそもそも占いすら楽しめないことになるな」
 御簾の下から綺麗にたたまれた紙が差し出される。それを案内役を務めた侍官が受け取り、紅雪に渡した。
「……なるほど、これならば占ってもよかろう」
 紙を広げて読むこともなく、紅雪が微笑んだ。
「必要なものがあれば、そこに控える梁仁侍官に。占いはいつまでかかる?」
「一晩で十分じゃ。なに、わしが眠っておる間に、枕元に置いた筆が勝手に未来を綴ってくれる。それだけの術じゃ」
 紅雪の答えに、琥珀は首を傾げた。
「仕事が早いのは何より」
 皇帝陛下も忙しいのだろう、話が終わるとすぐさま退出した。
 琥珀もすぐさま帰りたい所なのだが、さっきからこちらを……というより紅雪を睨んでいるヒゲの高官の説教が待っているに違いない。どうか自分にはとばっちりが来ないよう願いたいのだが、彼の経験上、そうはいかないだろう。


「紅雪、お前、何考えてんだ?」
「ほぅ。もちろん、家に残したかわいくて愛らしい小鈴のことだが」
 運ばれた昼食を、二人差し向かいで食べる。
「オレがいつもの仕事に戻ろうとしたら、いきなり護衛が必要だとか抜かしやがって」
「わしは人見知りなのでな。初顔合わせのムサい武官となど、一つの部屋にこもりたくはないのじゃ」
 案の定、偉大な皇帝陛下に数々の無礼を働いた紅雪と一緒に高官の説教をくらい(紅雪は目を開けたまま寝ていた)、宮城の端にある室へ案内されたらされたで「護衛はこの男だけでよい」などと琥珀を指名する始末。
「むぅ、やはりと言うか、あまり美味しくないのぅ。途中で泊まった宿の方がまだマシじゃ」
「お前の味覚が変なんだ。十分美味しいじゃねぇか」
「料理は真心じゃ。作業を流しているだけでは、いかに味を調えても真に美味とは言えぬ。まぁ良い。後で改善しよう」
 言うや否や、紅雪は自らの膳を一瞬で空にした。比喩ではない、一瞬である。
 どういう技かは知らないが、紅雪は美味しくないと感じた食事は、こうやってあっという間に平らげる。逆に美味しい食事はいつまでも咀嚼し続けたいと思うようでなかなか箸が進まない。
「それに、どうして占い方をわざわざ説明した?」
 お茶をすすっていた紅雪は、わざとらしく驚いたように目を見開いた。
「やはり、お前はバカではないのぅ。まぁ、詳しく聞いてやるな。あちらもエサが明確な方が食いつきやすかろう?」
 これだから無駄に地位のある客は面倒じゃ、とうそぶきながら、紅雪は立ち上がる。
「おい、どこに―――」
「ちょいと厨房へな。なに、すぐに戻って来る。お前は、恐れ多くも皇帝陛下から貸与されたその文箱と紙と筆と墨を、あぁ、硯もか、それらを守っておるが良い。早々にあちらが食いついてくるやも知れぬからな」
 琥珀が止める間もなく、紅雪の姿がかき消えた。
 一人でふらふらと出歩くのではなく、一人でこそこそと姿を消して出歩く方を選んでくれたのがせめてもの救いだった。

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