TOPページへ    小説トップへ    赤雪姫の惰眠な日常

惰眠1.どこでもマイペースな惰眠

 3.彼女は占いつつ眠る


 警備のために焚かれた松明の灯が、窓を抜けて室内へ差し込んでいる。その灯りを除けば、室内には光源は1つしかない。
 宮城はまだ人があちこちと立ち働いているが、紅雪に与えられた室、妙高房の周囲は警備の者を除いて人影はなかった。
 紅雪に「ムサいからイヤじゃ」と警備を断られたものの、外を巡回するぐらいならいいだろう、と皇帝の配した武官が房の入り口やら窓やらを固めている。
 よほど知られたくない事柄なのだろう、と宮城で働く女官があれやこれやと推測を口にする。だが、彼女らの興味はむしろ規格外の美女である赤雪姫に向かっていた。
 今、その美女は豪華な寝台に横たわり、穏やかな寝息を立てている。赤い瞳がまぶたの裏に隠されていても、透き通るような白い肌、艶なす黒髪はその美しさを少しも損なわない。今は寝台の脇に置かれた燭台だけが彼女を照らし上げていた。
 彼女に気に入られている武官は、壁に背中を預け、剣を抱え込むようにして目をつぶっていた。眠っているとしたら、職務怠慢である。
カタン
 寝台から、正確には寝台の脇に置かれた机から物音がした。
 昼間、赤雪姫自身が説明したとおりの占いが始まったのだ。だが、警備の武官は微動だにしない。
 硯の上に水が垂らされ、自ら墨がその上を滑るシャリシャリという音が響く。
 程なくして筆がふわりと浮きあがり、硯の上に軽く止まると、今度は広げられた紙の上を滑り出した。
 事前に琥珀によって広げられた紙は3枚。
 3枚目の途中で筆は止まり、硯の隣に力なく転がった。
 そして室内は再び赤雪姫の穏やかな寝息だけが聞こえる空間へと戻る。
 ……戻る、はずだった。
 室内のどこに潜んでいたのか、黒い影が赤雪姫の寝台の脇へ音を殺して近づく。
 灯りがあるのをこれ幸いと、綴られた文面に目を走らせる。影が苦々しく顔を歪めた。
 影は音を立てないよう注意しながら、紙を白紙に取り替える。そして、自ら筆を持ち、何事かを書き始めた。
 1枚、2枚。……2枚目の途中で筆を置く。
 影は本物の紙を懐に忍ばせると、再び闇に沈むように姿を消した。


「うむ、やはり食事はこうでなくてはのぅ」
 琥珀の目の前で、赤い目を細めて朝食を口に運ぶ紅雪は満足げに呟いた。
「お前、何やったんだよ」
「うん? 厨房で働いている若いのに少し声をかけただけじゃ。気にするな」
 それだけの筈がない、とじとっと琥珀は彼女を睨みつける。
「嘘は言っておらぬ。料理の腕は良いが、人相が悪く、懸想している娘に思うように告白できないと言うのでな、ちょいとばかし世話をした。……なに、美味しい食事ができるなら、これぐらいの面倒事は苦にならぬよ」
 妹と食事のこと以外でも、その力を惜しみなく発揮すればいいのに、と思わなくもない。赤雪姫だなんだと言われているが、惰眠を貪ることが大好きで、人に邪魔されない&落ち着ける場所を求めた結果が行李の中だったぐらいだ。
 とっくに食事を終えた琥珀の前で、紅雪はゆっくりと咀嚼を繰り返す。
「そうそう、わしの食事の膳を下げるついでに、『それ』を皇帝に届けるがよかろう。わしはもう一眠りする予定でおるからのぅ」
「って、お前、自分で届ける気はねぇのかよ」
 無造作に折りたたまれた『それ』は、占いの結果だ。夜のうちに自動筆記された未来予想図。
「今日中に辞すつもりじゃから、時間は有効に活用せねばのぅ。それに、誰が届けても結果は変わらんよ」
 ぱく、もぐもぐもぐもぐ……
「せっかくの心地よい寝台じゃ。人の気配が多いのは我慢するとして、堪能してもバチは当たらぬよ。それに、食後はごろごろ寝ておかぬと身体に悪いからのぅ」
 いっそウシになれ、と琥珀は願う。そうすれば小鈴との仲を妨げる障害はなくなる。
「ウシにはならぬぞ? まったく言いたいことを顔に書くクセは都に来ても相変わらずのようだのぅ」
 もぐもぐと咀嚼の合間に呪詛の言葉を言い当てられる。
(だから、こいつはイヤなんだ……っ!)
 琥珀は自分の膳部の下でふるふると拳を握り締めた。


「では、占いの結果を、これに」
 昨日、皇帝陛下と謁見した同じ部屋、琥珀は一人、部屋の中央で好奇の目に晒されていた。
「こちらです」
 懐から取り出した紙を梁仁侍官に渡す。すると、梁仁侍官はぎょっと驚いて手を止めた。
「どうした、梁仁侍官?」
「い、いえ、何でもございません。思っていたより量が多かったので、よほどの重大事を占われたのかと」
 畳まれた紙は全部で6枚あった。
「ほう。それは楽しみだ。さぞ、事細かに記載されているのだろう。早く、これに」
 梁仁侍官は皇帝の御簾の前まで歩き、そっと占い結果を中に滑らせる。
(さて、何か一悶着あるか?)
 琥珀はぐっと気を引き締めた。
 昨晩のことだ。就寝前の紅雪に言い含められたことがある。
『琥珀。わしが声をかけるまで、そこで寝たふりをしていろ。何があっても起きるでないぞ』
 琥珀は決して無能な武官ではない。警備の最中に寝落ちするなんてありえないし、そんなことをする人間に外とは言え宮城の警備は勤まらない。
 だが、紅雪の命令には従う必要がある。というか、従わなかったら後が怖すぎる。おそらく、警備の手落ちを上司にバレて叱責されるのと比べ、100倍ひどい仕打ちを受ける。
 仕方なく、曲者が室内に侵入し、占いの結果を書き換えるのを黙認するしかなかった。とはいえ、もし紅雪に危害を加えようとする素振りがあれば、もちろん剣を振るうつもりだったが。
(とりあえず、このオッサンの手の者で間違いなさそうだ)
 自分の都合の良いように内容を改変したのだろう。
 ぱらり、と皇帝の手の中で紙が広げられる音がした。女官達のヒソヒソ声がいっそう静かに交わされる。占いの結果もそうだが、占いの対象も謎とあっては想像も膨らむだろう。
「……」
 しばらく、無言の時間が過ぎる。
 この後の展開も気になるが、あまり宮城の闇に関わりたくない琥珀は、帰らせてくんねぇかな、とこっそり思う。
「ときに、琥珀、と言ったか?」
「は、はい!」
 いきなり皇帝陛下直々に名前を呼ばれ、危うく声がひっくり変えるところだった、とヒヤ汗をかく。
「そなたから見て、赤雪姫とはどのような人物だ?」
 予想外の質問に、琥珀の目が泳ぐ。真実をそのまま言うのは簡単だが、下手に正直に話すと叱責の対象となりかねない。
「……えぇと、独自の尺度で物事の価値を測るために、理解できないことも多々ありますが、その能力は偽りありません」
 とりあえず口当たりの良い言葉で説明してみたが、あながち間違いでもないはずだ。
「この場にいない理由は?」
「それは、惰眠を、いえ、久しぶりの占いをして疲れてしまい、そのような状態で陛下に失礼があっては、と」
 何とか取り繕おうとするが、なぜか御簾の向こうの皇帝陛下は笑い声を上げる。
「気を遣わずともよい。赤雪姫殿の飾らない素振りは昨日で知れている。お前の言う通り、独自の尺度を持っているのだろう?」
 どうやら、陛下自身は紅雪の奇行を逆に好意的に見ているようだ。雲の上の御方の考えることはよく分からない。
「では、僭越ながら。……寝台の寝心地が良かったので、もう一眠りしたい、と」
 琥珀の言葉に「ふざけるな!」「陛下の御前だぞ!」「拝謁できる厚遇を何だと……!」とおそらく几帳の向こうの高官や武官や、とりあえず身分の高い方々が怒りを露にしている。
(これでも、全部は話してないんだけどな……)
 食後は寝て過ごすに限るとか発言したこととか、そもそも食事時以外はほとんど惰眠を貪っている生活を変える気がないとか。
 彼女の睡眠時間を正直に報告したら、年のいった高官など、ぷちんと血管が切れてしまうかもしれない。
「気に入ったのならば、いつまででも滞在してもらいたいぐらいだが」
 陛下、あんな無礼な者を……!と高官がたしなめる。
「残念ながら、本日中に辞去する予定と申しておりました。紅、いえ、赤雪姫の性格を考えても、宮城に留まることはないでしょう」
「なるほど。それでこそ噂の赤雪姫というわけだな。それならばこちらも丁重に礼をしよう。―――琥珀、礼金は当初の2倍届けると赤雪姫殿に伝言を。そして、無事に彼女を送り届けるように」
「御意」
 どうやら、紅雪が認めに足るほどの客、もとい皇帝だったようだ、と琥珀は深々と頭を下げた。

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