TOPページへ    小説トップへ    赤雪姫の惰眠な日常

惰眠1.どこでもマイペースな惰眠

 4.彼女は収まって眠る


「ふむ、予想以上の男だったのぅ」
 宿に着くや否や、行李から這い出して来た紅雪は、もぐもぐとハチミツのかかった揚げ菓子をつまんでいた。
「頼むから、ほんとに頼むから、オレの心労を少しは察してくれ」
 げっそりと琥珀は卓に突っ伏した。
 皇帝陛下とのやり取りや、あの侍官が黒幕っぽかったことを伝えようと妙高房に戻ってみれば、寝台の上に紅雪は寝ていなかった。
『これを荷台に積んで帰れ』
 竹で編まれた行李の上に、そう書かれた紙がひらりと乗っかるだけの無人の房で、琥珀は「まさか先に帰ったのか」と驚愕した。得にならない限り怪しげな術は使わないはずなのに、と。
 当の本人が行李の中で屈葬状態にあっただけなのだが。
「仕方なかろう? 何故か分からぬが、物見高い阿呆どもが入れ替わり立ち替わり覗きに来よってからに。あれでは落ち着いて惰眠も貪れぬわ」
 惰眠を貪ることにかけては妥協を許さない女、紅雪。
「せめて、もっとすぐに分かるようにしてくれればいいだろうが」
 自分のために買った菓子が目の前でみるみる減って行くのを見ながら、もはや反論する気力も僅か。
「……ふむ、それにしても、よもや報酬が倍額になるとはのぅ」
 紅雪は、お茶をすすり、ぽつりと呟いた。

―――あの時、占いの結果を書き換えられた紅雪は、侵入者の気配が消えるや否や、むくりと起き上がった。
「まったく、手間をかけさせおって。琥珀、もう起きてもよいぞ。ただし、静かにな」
 目を開けた琥珀の前で、紅雪は新しい紙を広げ直し、筆に触れ、何事かを呟いた。すると、再び筆がすらすらと紙の上を滑り出す。
「……ふむ、占いの結果を曲げようとする輩が動いても、こちらの記載は特に変わらぬようじゃのぅ。まぁ、所詮は小物ということか」
 2枚半で止まった筆に満足そうな笑みを浮かべた紅雪は、首を右、左に傾けた。そして、さらに1枚の紙を広げると、事の顛末を全て書き記す。本来の結果と改変された結果、その両方を付けて渡すつもりなのだ。
「金にならぬ仕事をしてしまったな。まぁ良い。琥珀、今度こそわしは寝るぞ。また誰か来るようであれば、遠慮なく叩きのめして構わぬからな」
 琥珀が反論も質問もする暇を与えず、さっさと紅雪は横たわった。

(結局、金にならない仕事じゃなかったってことか)
「2回占いをさせたことを、それなりに評価して倍額だろ?」
 全て食われてなるものか、と琥珀は揚げ菓子に手を伸ばした。
「うむ、これだけ稼いでおけば、年の瀬、いや花の頃まで寝ていても問題あるまい」
「熊の冬眠か。陛下も気前が良すぎるぜ。何を占ってもらったか知らないが、この怠け者を甘やかすことねぇだろ」
 パリっと揚がった菓子が、口の中で甘い匂いを放つ。
「単なる育児相談じゃよ。まったく育児方針ひとつで政治問題に発展しかねん宮城とは、本当に面倒な場所じゃのぅ」
 湯のみを置き、再び揚げ菓子に手を伸ばした紅雪は、そういえば、と呟いた。
「今度は、きちんと小鈴に土産を買ったのだな。感心、感心」
 飲み込もうとしていた揚げ菓子の欠片が気管に入る。げほげほと咳き込めば、珍しく紅雪が茶を勧めてくれた。
「あれこれと悩んでおったようじゃが、選択は間違っておらぬと思うぞ。青い玉が揺れるものよりは、花の飾りがついた方が小鈴も好みじゃろう」
「……、お前、何で知ってる」
「知らぬのか? 竹の行李は、意外と外の様子が見えるものじゃぞ?」
 何もかもお見通しと胸を張る紅雪に、琥珀は大きくため息をついた。
 そうだ。元はと言えば、故郷を離れて都で働くことになったのも、目の前の彼女のせいだった。
 当時、道場に通い剣を磨いていたとは言え、商家の三男坊である自分が、果たして小鈴に嫁に来いと言っていいかどうか悩んでいた琥珀に
『悩むぐらいなら求婚など早い。養うだけの甲斐性の有無もそうじゃが、剣を極めることにも未練があるのであろう? ならば都で腕試しでもして来ればよかろうに』
 とアドバイスをくれたのが紅雪だった。
 その頃は小鈴の両親が亡くなったばかりで、紅雪がどこからともなく稼いで来た金で生活しているという状態だった。(その頃はまだ、紅雪もまじめに稼いでいたほうだった。)
―――でも紅雪、お前はもともと小鈴とは何の関係もないんだろ? そのうちあいつを置き去りに、どっかに行くんじゃないのか?
―――小鈴を置いて? はっ、たわけたことを言うでないわ。わしが小鈴の作る料理を愛しているのを知っているであろう?
―――そうだな。そういや、オレ、遊びに行った時におかずをお前に取られたっけ。何回も。
―――そもそもお前のような中途半端な若造に、小鈴をやるとでも思っておるのか、たわけが。
 それから、隊商の護衛をして都へ赴き、そこで下っ端武官の仕事に有りついた。小鈴と毎日会えなくなるのは辛いけど、いつか迎えに行くのだと、文も欠かさず、女遊びもせずに頑張っているのだ。
「何を黙り込んでおる? お前にも褒美が出たのであろう? 簪のひとつやふたつ、安いものではないか」
 その言葉に、ハッと我に返った琥珀は、思わず卓に拳を叩き付けた。
「あぁ、嬉しくもない宮城内警備に格上げだぞこん畜生!」
 どういう経緯かは分からないが、赤雪姫を送り届ける前にと顔を出した職場で、引き抜きの話を上司から聞かされた。
 やんごとない方々の厄介な事情に巻き込まれない城外警備が性に合っていたのに。思わぬ出世コースが開かれてしまった。
「元々、将軍クラスから目を付けられていたらしいぞ? まぁ、今回のことが後押ししたのじゃろう。あの赤雪姫を連れて来ることができる武官としてな。わしに感謝しても良いぞ?」
「誰がお前に感謝するか!」
 気の弱い御者、孫洵が脅えながら夕餉の膳を運んで来るまで、あと数秒。だが、その怒号で、数秒が数十秒に伸びたのは言うまでもなかった。

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