TOPページへ    小説トップへ    赤雪姫の惰眠な日常

惰眠2.村一番の惰眠好き

 1.惰眠×邪魔=恐怖


「こんにちは、小鈴ちゃん」
 洗濯物を干していた小鈴は、声をかけてきた男を見ると、にっこりと微笑んだ。
「まぁ、鉱南の旦那さん。こんにちは」
 姉ほどの美貌ではないが、小鈴も微笑むととても愛らしい雰囲気をかもし出す。鉱南と呼ばれた男は彼女のことを好ましく思っていた。
 早く息子の嫁に来てくれないかなーと思ってはいるが、それは若い者同士が決めることだ、口を出してはいけない。
「その、いきなりで申し訳ないんだけど、えぇと、姫様はいらっしゃいます?」
 小鈴はきょとん、として目を2、3回しばたいた。鉱南が『姫様』のことをどこか近寄りがたいものと認識しているのは知っていた。こんな風にへりくだるような口調で。
(何か、ご用事かしら?)
 詮索してみたい気もするが、小鈴の大好きな姉に関することだ。あまり深く聞いてもいけない。
「雪ねえさまは、今日は出かけてませんけど、……今日は、どこで寝ているのかは、ちょっと」
 姉はよく寝ているが、その場所は一定ではない。普通に寝台で寝ることもあれば、一時期は竹で編んだ行李の中で寝るのが心地よいと言っていた。かと思えば、卓の下で丸くなっていることもあるし、空の漬物壷に入っていた時は死ぬほどびっくりした。
「そうですか……。で、では、もしお姿が見えられたら、相談したいことがあると―――」
 苦手意識が拭えていないのか、鉱南はどこかホッとした様子で伝言を頼もうとする。

「わしなら、ここにおるぞ」

 声は、上から投げられた。
 思わず鉱南がヒィッと喉の奥で悲鳴を洩らす。
 木の上にだらしなく寝そべっていたのは、長い黒髪を無造作に垂らした女だった。ぬけるような白い肌、きりりとした眉、桜色をした柔らかい唇、整った顔立ちは美女と呼んで差し支えないものだ。
「雪ねえさま、そこで寝てたんですか? 落ちないように気をつけてくださいね」
「大丈夫じゃ、小鈴。例え落ちても目を覚ますような間抜けはせぬよ」
 そこじゃないんだけどな、と小鈴は思ったが、姉と話が行き違いになるのはよくある話だ。用があると言う鉱南に振り返る。
「こ、ここここ、これは姫様、そのような場所でお眠りになっていたとは、露ほども気付かず……」
「よい。……それにしても鉱南、お前、ちょいと見ぬうちに随分とハゲて来たのぅ」
 失礼極まりないことを言いながら木からふわりと飛び降りた美女、紅雪が手を顎に当てて鉱南を―――その頭頂部を凝視する。
「そ、そ、そんなことは、まぁ、ないとも言い切れませんが、いや、それよりも、ですな」
「お前がわざわざ足を運ぶとは珍しい。どうせ、村長殿に呼びつけ役を押し付けられたのであろう?」
「ご明察でございます。で、ですから、姫様には、どうか、集会所に足をお運びいただきたく―――」
 挙動不審な鉱南に、やれやれと肩をすくめて見せると、「仕方あるまい、浮世の義理じゃ」と承諾の返事をする。
「小鈴、わしは集会所へ行く用事が出来た。すまぬが留守居を頼むぞ」
「えぇ、雪ねえさま。どうぞお気をつけて」
 小さく手を振る小鈴に笑みを返すと、懐から出した白い紙に指で何かを書きつけるような仕草をする。すると、その紙が平べったいサンショウウオのような形へとみるみる変化していく。
「では、共に行こうか、鉱南」
「は、ははははい!」
 鉱南の首根っこを掴んでサンショウウオに乗ると、その姿とは裏腹に敏捷な様子を見せたサンショウウオが走り出す。
 小鈴は小さくなるその影に(うひょわぃ!だのと悲鳴が聞こえていたが)、にこやかに手を振って送り出した。


 史家は言う。
 この灯華国には、神仙の加護があると。
 建国の祖である皇帝・章。彼は火を自在に操ることを得意とする神仙に師事した。
 彼は群なす兵を薙ぎ倒し、小国同士の諍いの絶えないこの地を統一した。
 彼の傍らには、花をこよなく愛する仙女が侍っていたと伝えられている。彼女は敵味方関係なく、戦死した者のために涙を落とし、花を贈った。
 火を操る皇帝。花を咲かせる仙女。
 皇帝は国に名前をつけなかったが、誰からともなく、火と花の国、灯華国と呼ばれるようになった。
 時を下った今もなお、皇帝の血筋は絶えることなく、その権威が失墜することなく国は存続している。
 時に愚帝が権力を握ることもあったが、そうした際にはどこからともなく、神仙が現れ、後始末をつけていったという。ある時は失政の尻拭い、ある時は愚帝の暗殺、そういった形をとって。
 神仙は権威の象徴でもあり、反権威の象徴でもあった。


 集会所の一室では、集まった男たちが何やら深刻な顔を突き合わせていた。
「鉱南は本当に赤雪姫の所へ呼びに言ったんだろうな」
「……あいつは根が正直だ、行かないということはないだろ」
「そもそも、赤雪姫の気が乗らなければ、来ることはない」
「それもそうだが……」
「……」
「……」
「……だんだん、来て欲しいのか、来ないで欲しいのか分からなくなってきた」
「それを言うな」
「そうだ。どちらにしても不安が残るんだ。運に賭けようと決めたじゃないか」
「万が一に来たとしたら、いったい今度は」
バタン
 その音に、男たちの泣き言が止まる。視線の集まった先には、扉を開け放った鉱南に集まった。
「鉱南、首尾はどうだった?」
 問いに答えず、鉱南は震える手で扉を閉めた。その行為に、誰もが失敗したのだと理解する。鉱南が自席に座ったところで、村長が口を開いた。
「そうか。ならば仕方ない。とりあえず再発防止の対策を―――」
 練ろうじゃないか、と続けようとした村長が口をあんぐりと開いたまま、声を出すことを忘れた。
「そんなつれないことを言うでない。折角、足を運んで来たのじゃ」
 確かに赤雪姫のために用意してあった席だったが、いつの間にかそこは空席ではなくなっていた。
 いつの間に、という以前に、そこに彼女が座っているというだけで、男たちの身体が強張る。
「話は道すがら鉱南から説明されておる。―――さて」
 赤雪姫はまるで獲物を見つけた獣のように赤い目を細めた。集まった男たちは蛇に睨まれたカエルのように動けないでいる。
「わしに何を求める?」
 冷たく尋ねた赤雪姫の瞳が、居並ぶ男たちを順繰りに映し出して行く。一通りの顔ぶれを確認したところで、今度は上機嫌にこう言った。
「そして、わしに何を捧げる?」
 男たちはこの場から一目散に逃げたくなった。もちろん、ここまで案内した鉱南も例外ではない。

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