TOPページへ    小説トップへ    赤雪姫の惰眠な日常

惰眠2.村一番の惰眠好き

 2.労働+報酬≦惰眠


 異変は昨日の朝に発覚した。
 畑の真ん中で、麦穂が倒れているのを発見した道合(38才:男性)はこう語る。
「真ん中だけ倒れるってのは、おかしいとは思った。だけど、またウチの悪ガキの仕業と思って、倒れた穂を起こして縄でしばったんだよ」
 翌朝、再び同じ場所の麦穂が倒れていて、それどころかさらに広範囲の麦穂が新たにやられているのを発見した道合は、悪ガキ=長男を叱りつけた。ところが、そんなことはやっていないと言い張る。
「オレの声を聞いた隣の畑の秀牧が、藤光ンとこの畑も同じようになってるって、教えてくれたんさ」
 聞けば、自分の畑や藤光の所だけでなく、他にも同じようなことが起きているらしい。彼らは慌てて村長へ直談判し、村の主だった者や被害に遭った村人を集めて緊急会議が開かれた。
 愉快犯、山賊の符牒、妖怪の仕業、色々な憶測が乱れ飛んだ結果、専門家を呼ぶことにしたのである。
 
「村の地図はあるか」
 呼ばれた専門家、紅雪の言葉に、すぐさま卓の上に大きな地図が広げられる。
「先ほど、鉱南に案内され確認したが……」
 紅雪は片手を伸ばし、軽く空気を掴むような仕草をした。そして、ゆっくりと拳を開くとバラバラと碁石が落ちる。
(!?)
 ぎょっとする一同に注意も払わず、紅雪は無造作に黒い碁石をつまみ上げると地図上2箇所に配置した。
「他に、どこの畑がやられておる? あぁ、おおよそで構わぬから畑の中のどのあたりかも教えてもらえぬか?」
 道合がそっと自分の畑を指差すと、紅雪に弾かれた碁石が卓を滑り、道合の指にぶつかる。びっくりして手を引っ込めた道合だが、そっと碁石を問題の場所に置き直した。
 そんなやり取りが繰り返され、碁石は5箇所に配置された。
「……」
 紅雪は半眼で地図を睨みつけ、口を開かない。
 なまじ美女であるだけに、その迫力には場の全員が飲まれていた。
「……5つ、五角形、いや、星と見るべきか。となると対象は……」
 ぶつぶつと呟かれる推論。びくびくと脅える面々。
「―――なるほど?」
 どこか語尾の上がるような調子に、何人かがびくり、と肩を震わせる。別に後ろめたいことがあるわけでもないが、刷り込まれた恐怖で体が震えてしまうのだ。
 小さくため息をついた紅雪は、地図から目を離すと首を左右に揺らしてほぐした。
「それで、わしに何を望む?」
 紅雪の白魚のような手が、前に突き出された。
「ひとつ、畑の回復」
 人差し指を立てた彼女に、被害者達が顔を上げた。
「ふたつ、元凶の破壊」
 続いて中指を立てた彼女が、ぐるりと居並ぶ面々を見渡した。
「みっつ、原因となった者の懲罰および公的な裁き」
 薬指まで3本の指を立てた紅雪は、「どうする?」と笑みを浮かべた。
「……すべてをお願いした場合の報酬は、いかがなりますか?」
 村長が苦虫を噛み潰したような声を絞り出した。村長として、代表して聞かなければならないことだ。
「そうさのぅ。以前、山賊を殲滅した際は、我が家の修繕と納屋の建築の手伝いを頼んだのじゃったか」
 山賊に公的な裁きを受けさせない代わりに、山賊達はあわれ紅雪の新術の実験台になったと噂になった。その後の山賊達の行方を知るものはいない。文字通りの意味でだ。
「一昨年、川の氾濫を治めた際は、……あぁ、そうじゃったな、過去の恥大暴露大会であったのぅ」
 成人を迎えた者は、自らの過去の恥を書にしたためて紅雪に献上させられた。一月ほどの間、彼女の家から爆笑がしばしば聞こえたとかいう話だ。
 つまり、経済的な代償は決して大きくないが、精神的な代償は大きいのである。それが紅雪の求める報酬の常なのだ。
「―――ふむ」
 思案していた紅雪は手元に残った碁石を握りしめた。
 直後、ざらら、という音が部屋の隅に放置していた碁笥から聞こえる。どうやらあそこに置いてあった碁石を(何らかの方法で)手元に寄せていたらしい。
「久しぶりに細君と楽しくおしゃべりしたいのぅ。そういう気分じゃ」
 その言葉に、居合わせた何人かの顔から血の気が引いた。
「畑の回復だけならば、一晩。回復および元凶の破壊なれば、丸1日。みっつ全てとなれば―――」
「は、畑の回復と元凶の根絶だけで、お願いしたいっっ」
 村長の声が裏返った。
「む、むむむむ無理に公的な裁きまでを行う必要もない。だが、元凶をどうにかしなければ、落ち着いて寝てもいられない。どう思うか皆の衆!」
 小さく「残念」と呟く紅雪の言葉を打ち消すように、村長が居合わせた男達に同意を促す。
「し、しかし、うちの妻が、また、いや、それでも……っっ」
「おおおおおオレはあんな思いをするのはもうイヤだ! 5年前の仕打ちは忘れたくとも忘れられねぇっ!」
「うちには、まだ這うこともままならない息子がいるのに、丸一日も? そんな……」
 恐慌状態に陥る様子を、まるで喜劇でも眺めるように紅雪が目を細めて見つめる。
「柳剛のところは隣村から嫁いで来たばかりだったのぅ。なに、怖がることなぞありゃせぬわ。不安なら隣に住む、ほれ、鉱南の嫁に聞けばよいと教えてやるがよいぞ。真柄の所は幼き息子を共に連れて来るがよい。秀牧は細君に先立たれておったな。ならば母親を所望しようかのぅ」
「そ、そんな、母ちゃんは足を悪くして、姫様の所へ行くなんてとても―――」
「ならば、迎えに参ろう。しばらく麻尋殿とは声を交わしておらぬしのぅ」
 自分には関係ないと思い込んでいた秀牧の歯の根がガチガチと噛みあわなくなる。
 そんな様子を一通り楽しんだところで、紅雪は再び同じ問いを繰り返した。
「それで、わしに何を望む?」


「あれ? 紅雪ちゃんじゃん、何してんのー?」
 空飛ぶオオサンショウウオに乗って、畑の状況を確認していた紅雪は、珍しい声に首をめぐらせた。
 見下ろした先には、荷車を引いた馬から下りる若い男の姿がある。短くツンツンと跳ねた黒髪に、猫のように釣り上がった瞳は怯えも気負いもなく、まっすぐに彼女を見上げていた。
「おぉ、瑠璃ではないか。どこぞに出かけておったのか?」
 オオサンショウウオから飛び降りた紅雪は、瑠璃と呼んだ男の傍に、ふわりと着地した。
「僕はね、買出しの帰り。今は兄ちゃんとオヤジと交代でやってんの。紅雪ちゃんこそ、どしたのさ? いつもだったらお昼寝時間っしょ?」
「うむ、本来ならそうしたいところなのだが、村の畑で怪異が起きてな、引っ張り出されたのじゃ」
「へー、紅雪ちゃんが出張るなんて、よっぽどなんだね。僕も何か手伝った方がいい?」
「その申し出はありがたいが、今の所、人手は足りておる。―――おぉ、終わったか」
 遠くから走ってくる人影に、瑠璃の方が目を丸くした。
「あっれー? オヤジじゃん。何やってんの?」
 腹を揺らし、薄い髪を風になびかせながら走ってきた鉱南の額に汗が光る。
「瑠璃、お前戻って来たのか」
「あぁ、うん、取引無事終了、って感じ? で、何やってんのさ」
 その言葉に、ハッとした鉱南は慌てて顔を紅雪の方へ向けた。
「し、失礼しました、姫様っ。そ、そそそそれぞれの畑に、人の配置が、完了しましたっ」
 まるで武官のように敬礼でもし兼ねない勢いで報告する父親に、瑠璃がやれやれ、と肩をすくめた。
「ならば始めよう。―――全員、聞こえているか。符を通して話ができるゆえ、大声を出す必要はないぞ」
 彼女の手にした一枚の符が震え、向こう側からの返事を届ける。
「これより、倒れた穂をまっすぐに立て直す術式を開始する。術を施す際にはそれぞれ手にした符を掲げ、まっすぐに立て。畑の担い手であるお前達を手本に、麦穂も元の形を取り戻すからな」
 再び符が震え、どこか緊張した声音で返事を伝える。
「……どうした、月丹? 何か問題が?」
 重なる返事の中、ただ一人返事のなかった者を聞き分けた紅雪が、彼に向けて尋ねる。月丹は70才を超えた老翁だが、耳が遠いわけでもないはずだ。
『……姫様』
 わずかな逡巡の末、月丹の声が届く。
『わっしの腰は、年齢のせいか曲がっておりますが、そうすっと、わっしの畑の穂も曲がってしまうので?』
 予想外の質問だったのか、紅雪が首を傾げた。
「……そうかもしれぬ。うむ、しばし待て。―――鉱南、瑠璃を借りるぞ」
 驚いた鉱南が「へぇぃ?」と間抜けた声を出すのを聞く前に、再びオオサンショウウオに乗った紅雪は瑠璃の首根っこを掴んだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ、紅雪ちゃん? 僕はちょっと高い所は苦手……!」
「ほんの少しの間じゃ、我慢せい」
 鉱南と荷馬車を置き去りにし、オオサンショウウオは、途方に暮れた様子の月丹の元へと矢のようなスピードで飛ぶ。
「ひ、姫様……?」
 目の前にふわりと下り立った紅雪(と瑠璃)に、月丹はその皺だらけの顔をくしゃっと歪めた。自分の役割を果たせないことを恥じているのか、紅雪を恐れているのか、その顔からは分からない。
 紅雪の細く美しい手が、月丹の日焼けして節くれだった手を握る。
「すまなかった、月丹。わしはお前の腰のことをすっかり忘れておった。お前の代わりにこの瑠璃を立てよう。―――もちろん、お前もこいつの隣に立っていてはくれまいか。他ならぬこの畑の主ゆえ、な」
「は、はい……」
 畑の主としての矜持を汲むセリフに、月丹が頭を下げる。
「えーと、月丹のじいちゃん。僕はここで立って符を掲げればいいだけ? できるだけ穂を踏まないようにした方がいいんだよね?」
 いきなり頭数に入れられた瑠璃も、月丹と親しくないわけではない。もとより、手伝いを申し出た身だ。月丹に教えられて、足を倒れた穂の下に潜り込ませるように立ち位置を変えた。
 その様子を満足げに眺めた紅雪は、オオサンショウウオに乗ると、怪異のあった5地点の中央へと向かう。それは丁度、守永という農夫一家の住む家の上だ。守永とその娘が心配そうに上空の紅雪を見上げている。
「それでは、始めようかの。―――符を掲げよ! 何があっても腰をかがめたりするでないぞ」
 紅雪のその言葉とともに、手にした符が光り出す。それぞれの畑からも光が放たれた。
「事象よ覆せ! あるべき形へ立ち還れ!」
 畑の主が手にした札の光が、一条の筋となり、上空で紅雪が高々と掲げた符を目指す。光の筋は紅雪の符を頂点とした正5角錐の屋根を作り上げた。
「しゅよ ほどけよ。―――鎮!」
 紅雪が手にした符を放り投げ、パンと両手を打ち鳴らすと同時に、光が消え、全ての符が砂のように崩れ落ちた。
「終わりじゃ」
 紅雪が見下ろす先で、ゆっくりと畑の穂が頭を持ち上げていく。やがて、それは一昨日以前の姿を取り戻した。
 小さくない歓声が上がるなか、紅雪は難しい顔で真下を見下ろした。
「さて、どう始末するかのぅ」 

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