惰眠2.村一番の惰眠好き3.評価∧監視≒惰眠妨害「……というわけで、この問題が解決したら、丸1日、その、姫様のところに行ってもらいたいんだが」 それは、この晩、村の家々で繰り広げられた男達の哀歌。 例えば、ここ藤光の家。 「アンタ、今、なんて?」 食事の片付けが終わり、日に日に成長する息子の服の裾上げをしていた妻は、夫の口から出た言葉が信じられずに聞き返した。その動きはからくり人形のようにぎこちなく、口から出る言葉も硬質な響きを持っている。 「その、例の畑の怪異の件で、報酬が、姫様のところへ、丸一日、な?」 怒られているわけでもないのに、藤光の口調は怪しくなり、なぜか文節をひとつずつ区切ってしまう。 「アタシが、赤雪姫様のところに、また行くのかい?」 どこか迫力を帯びた目で確認され、藤光は黙ってコクコクと頷いた。 「……」 「……その、まぁ、なんだ。お前にもいろいろあると思うが、姫様の要望とあっちゃ―――」 「やった! 楽しみね。何着ていこうかしら。あぁ、せっかくだから、こないだ縫い上げたアレを」 喜色満面の笑みを浮かべた妻が、ホクホクと針道具を置いた。 「お、おい……、いいから話を―――」 「もう、そういうことなら早く言いなさいよ。深刻な顔して何事かと思ったじゃない。もう何年振りなのかしら、また、あんなことをしてもらえるなんて……」 うっとりと明後日の方向に目を向ける妻は、もはや隣の夫など見てはいない。 「だから、5年前いったい何があったんだ! お願いだから……」 「あら、ダメよ。赤雪姫様と約束したんだから。家に帰っても、絶対にこのことは旦那には言わないって。あぁ、ほんとに楽しみね」 「お願いだから、オレを捨てないでくれぇーっ!」 藤光の絶叫が闇夜に響く。 例えば、妻ではなく母親を出すことになった秀牧の家。 「……というわけで、な、母ちゃん」 「申し訳ない」 「へ?」 事情を聞いた秀牧の母、麻尋は何かを拝むように手を合わせた。 「私ばかりがこんなイイ目にあって、嫁御殿には、ほんに申し訳ない……」 「母ちゃん?」 秀牧の嫁は、息子を産んだ後、すぐに命を落としてしまった。息子は無事にすくすくと成長し、今は隣の部屋でおとなしく寝ているはずだ。 「秀牧、私はもう、いつお迎えが来てもいいと思っていたけどねぇ、少なくとも赤雪姫様が迎えにいらっしゃるまでは、死ねない身体になってしまったよ」 しんみりと言うが、言っていることはめちゃくちゃだ。 「か、かかかか母ちゃん、そんな弱気なこと考えてたのか。ってか、何でいきなりそんな強気に? いや、それはいいことなんだけど、何か腑に落ちないというか、そもそも赤雪姫様の所へ行って何するの?」 動揺が頂点に達した息子に、麻尋はにっこりと笑った。 「残念だけど秀牧。世の中には知らない方がいいこともあるんだよ」 まるで幼子を諭すような優しげな声に、かえって息子は絶望感を覚えた。 一方、隣村から新妻を迎えて間もない柳剛の家。 「その、柳剛は何だか落ち着かなくて、言ってることも曖昧でよく分からないんですが、どういうことなのでしょう?」 鉱南の妻、明玉に不安そうに語る柳剛の妻の顔には、不安の色がありありと出ている。 「まぁ、心配しないの。男どもは単に不安になってるだけさ。前回、そういうことがあった時には、まぁ、何というか、参加した奥様の大半が『またすぐに赤雪姫様の所へ行きたい』って感じになってねぇ。離縁こそないものの、ちょっと妙な雰囲気になった家もあってね。無闇に警戒してるみたいなのよ」 「赤雪姫様は、とても恐ろしい御方だと柳剛から伺っているのですけど」 「恐ろしい、ねぇ。わたしはそんな風に考えたことはないけど。優しい方だし、前回も、その、気持ちよかったし」 「気持ちよかった?」 「あまり詳しくは言えないけどね。夢心地にさせてくれるような方よ。だから、心配することはないんだからね」 遠くから柳剛の「やっぱり何とかなりませんかねぇ?」という呂律の回らない叫びと、「あの姫様に逆らえると思うかい?」と宥める鉱南の声が聞こえた。二人とも無闇に大声でしゃべっているのは、ひそひそ話す妻への牽制というよりも酒のせいのようだ。 「もしかしたら、柳剛よりもずっといい、ってことになるかもしれないし」 5年前のことを思い出したのか、明玉が自分の頬に手をあて、少しだけ顔を赤らめた。 隣室から「神様、皇帝様、神仙様、どうかお助けください! 夫婦の危機なのです!」と絶叫する柳剛の声が響いた。 そんな状況を知ってか知らずか、当の本人『赤雪姫』は、小鈴の作った料理に舌鼓を打っていた。 「うむ、相変わらず小鈴の作る鶏肉と葱の香油炒めは絶品じゃのぅ」 「熱いので気をつけてくださいましね、雪ねえさま」 差し向かいに座り、夕食を共にする。いつもの光景だ。 「……ところで、のぅ、小鈴」 「はい」 「仕事もせず家に引きこもっておるバカな男が、愚かにも程がある振る舞いをしたとして、お前ならどう始末をつける?」 小鈴はきょとん、目を丸くとした。 今日、村であった出来事については井戸端会議で聞いているし、目の前の姉からも依頼と報酬の話を教えられた。このタイミングで姉が尋ねるのは、おそらく犯人の始末のことだと、容易に察しがつく。 (引きこもりと言えば……) 小鈴は犯人に思いをめぐらし、次いで慌てて推理をやめた。特定の誰かではなく、姉が求めているのは一般的な意見だろう。犯人を推理するのは姉の質問に答えてからでいい。 「ただ引きこもって仕事をしないだけなら、お日様の下に引きずり出して強制的に肉体労働をさせるのが良いと思うのですけど……」 紅雪と一緒に暮らしているせいか、小鈴の意見もなかなか手厳しい。 「いけないことをしてしまったのなら、もう二度とそんなことをしようという気が起きないほどのお仕置きが必要ですよね」 小鈴は、う~ん、と考え、やおらポムっと手を打った。 「股のもの、チョン切っちゃいましょう」 にこにこと無邪気な笑みを浮かべる小鈴に、「なるほど、その手があったか」と紅雪がニラの汁物をすすった。 「でも、雪ねえさまなら、もっと変わったお仕置きができるのでしょう?」 「うむ、畜生類に変えてしまうとか、邪なことを考えたら額の環をギリギリ締め付けるとか、色々と考えたのだがのぅ。……まぁ、本人はともかく、家族が不憫じゃからな」 再び葱をまぶされた鶏肉を口の中に頬張った紅雪は、おいしそうにもぐもぐと咀嚼する。 ―――様々な思いを胸に、夜は更ける。 ![]() 「紅雪ちゃーん、いるかなー?」 外から陽気に声をかけられ、小鈴は慌てて玄関の扉を開けた。 「まぁ、瑠璃さん。うちに来るなんて珍しいですね」 商家の次男坊、瑠璃の姿に小鈴はにっこりと微笑む。小鈴の敬愛する雪ねえさまと率直に話のできる数少ない人間だ。小鈴の応対も自然、柔らかいものになる。 「小鈴っち、久しぶりー。あ、その簪かわいーね。買ったの?」 小さな花の細工がついた簪を目ざとく見つけた瑠璃は、本来の用事そっちのけで追求を始める。 「あ、これは、その、いただいたものなんですけど、折角だから使わないと勿体無いな、って思いまして」 「そーなんだ。でも似合ってると思うよ。……あ、もしかして琥珀から、とか?」 言い当てられた小鈴は動揺して一瞬だけ顔を強張らせた。 「当たりみたいだね。そっかー、琥珀もこういう手を使うようになったんだな。いやー、都に行くって言った時はどうなるかと思ったけど、放っておいても育つんだね、弟って」 瑠璃は目の前の「弟の想い人」が動揺こそすれ恥じらう様子がないことに気付き、 (あー、ちょっと脈が薄いよね、これ) と、小さく嘆息した。 「で、ゴメンね、小鈴っち。僕、紅雪ちゃんに用事があるんだ」 その言葉に少し困ったような表情を浮かべた小鈴は、居るには居るんですが、と玄関から来客を招き入れる。 案内された台所で、瑠璃は「あーあ」と軽く肩をすくめた。 卓に突っ伏しているのは、(その口を閉じてさえいれば問題なく)絶世の美女だ。無造作に流れる黒髪が顔にかかるのさえ、美しいという形容詞以外に何も浮かばない。彼女は重ねた手に頬を乗せるようにして夢の中でいい心地になっていた。 「朝食とって、そのまま、って感じだね、こりゃ」 弟・琥珀同様に紅雪の習性を熟知している瑠璃にとって、まさによくある光景だ。 「あの……、瑠璃さん。雪ねえさまに、何か急ぎの御用なんですか?」 小鈴の目が、昨日働いたのだから、今日ぐらいは寝かせてあげたいと語っていたが、瑠璃にも引けない理由がある。 「急用と言えばそうかな。小鈴っちも昨日の話は聞いてるでしょ。その『元凶の破壊』の見届け役が僕になってさ。ほんとは兄ちゃんに振られた役目なのに、押し付けられちゃって」 「翡翠さんが?」 鉱南の長兄の名前を出し、小鈴が驚いた様子を見せた。 「そ、色々と理由をつけてね。―――あ、小鈴っちにとっては、兄ちゃんに来てもらった方が良かったかもしれないけど」 彼の言葉に、小鈴の顔がうっすらと赤らむ。 (あー、やっぱ脈ないよ、琥珀) ちょっと複雑だねー、と軽く思いを巡らせる板挟みの次兄。 「……あまり、小鈴をいじめるでないぞ」 さすがに耳元で話されては眠れないのか、紅雪の声が響く。 「あ、紅雪ちゃん、起きた……、って、あれー?」 卓に伏したままの紅雪の顔の前に、紙の人形がゆらゆらと立っていた。 「何をしに来たかは知らぬが、わしの眠りを妨げるでない」 声は、その人形から発されていた。 「そんなわけにはいかないよ、紅雪ちゃん。僕は『見届け役』になっちゃったんだから、眠りたいならとっとと元凶片付けてもらわないと。下手に日数かけると、村長から難癖つけられて報酬カットされちゃうよー?」 村長や主だった面々にそんな度胸があるとは思っていないが、紅雪が問題を解決するまで見届けなければならない瑠璃はハッタリをかます。 (って、そもそも紙の人形操る方が疲れるんじゃないのかな) 代わりに受け答えする必要があるのかと不思議に思いつつ、瑠璃の指が人形を摘んだ。 すると、パチリ、と紅雪の目が開き、その『赤雪姫』の名に恥じない赤い瞳が瑠璃を射る。 「面倒じゃが、報酬を減らされるわけにはいかんのぅ」 その言葉に、報酬が支払われれば、やたらとツヤツヤして帰ってくるであろう母親のことを思い、瑠璃は少しだけ複雑な気分になった。 | |
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