TOPページへ    小説トップへ    赤雪姫の惰眠な日常

惰眠3.惰眠の代償

 4.暴かれる姫君


―――生まれ落ちた瞬間から、彼女は赤雪姫だった。
 かつて赤雪姫だった母体は、その瞬間から赤雪姫の記憶を持つだけの只人になった。
 次代の赤雪姫は、かつての赤雪姫が人としての暮らしに慣れる頃に、離れていく。その時の年齢が5歳であろうとも、例外なく。
 赤雪姫は過去の全ての赤雪姫の記憶を持ち、その全能の力を引き継ぎ、やがて娘の姿で成長を止める。
 母体の記憶はあるし、母体がいかに父親となった男を愛し、共に歩む決断をしたかを知っている。だがそこに、情熱を燃やした記憶はあれど、感情が伴うことはない。例えて言うならば、小説を読み終えただけだ。いくばくかの感情移入こそあれ、それは当代の赤雪姫自身の感情ではない。
 過去の赤雪姫がそれぞれに人間を愛し、永遠と全能を捨て、人となる決意をしても、それは当代の赤雪姫ではない。
 ただ、彼女は『赤雪姫』としての使命を果たすため、その力を振るうのである。
「まぁ、全能というのも、退屈なことであってな」
 言葉をなくしている様子の翡翠を見ながら、自嘲するような笑みを浮かべる。
「知ろうと思えば、わしは小鈴の寿命も、お前の死に様も、この国の行く末も知ることができるというわけじゃ。一瞬先も、1年先も、10年先も、多少の誤差はあるが見ることができる」
 目を閉じた紅雪の瞼の裏に映るのは、過去の約束。乱れた世を平定するために拳を振り上げた一人の青年の姿。
「本来ならば、わしはきちんと先を確認し、大過の未来視があれば未然に防がねばならぬ」
 長いため息をつく。紅雪自身、もう疲れているのかもしれない。
「この間のことは、わしの怠慢の結果よ。未来を知るには膨大な力を使う。じゃが、未来を見なければ、その力はわしの内にたまり、ああして自己主張をするのじゃ。小出しに使っていたのではとても使いきれない物が次々と湧き出てくるからのぅ」
 下手をすれば、この家ごと焼き尽くしかねなかった。暴走した力。
 目の前の男は、まるで苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。忌々しい、許容できない、はがゆい、そんな負の感情を珍しくも隠そうとしない。
―――だが、自分を諦める様子はなかった。
(まったく、どうして『わし』に惚れる男というのは……)
 紅雪は、相手の心を折るべく、真実を端的に示すことを決意する。

「お前は、わしを娶るとともに、もう一人のわしを作る覚悟をせねばならん。そして、最初の娘を諦める覚悟もな」

 紅雪の赤い瞳が、目の前の男を真っ直ぐ射抜いた。
「……それが、あなたの宿命、ですか」
 珍しく平静さを失い、搾り出すような声を出した翡翠は、目にかかった栗色の横髪を耳にかけた。
「確かにそれでは、あなたと共に在れたとしても、どこか後悔の残ることになってしまいますね」
 呟くように漏れた言葉からは、紅雪の予想に反して狼狽が少しずつ消えていった。
 それを妙だと思いつつ、紅雪は「だから言ったであろう。わしの宿命に巻き込むわけにはいかないと」と言い連ねた。
「―――ですが、子を為さず、不老で全能のあなたと共に過ごすことはできますね」
「なんじゃと?」
「幸い、瑠璃がいますから鉱家の跡継ぎには困りませんし、いつまでも若々しいあなたに看取られて逝くのも悪くはありません」
 いつの間にか、目の前の男にはどこか晴れやかな微笑みが浮かべられていた。
「な、な……」
「私は、やはりあなたが好きですよ、紅雪。いつもの凛としたあなたも素敵ですが、そうして余裕を失っている姿も可愛らしい」
 予想の斜め上を行く言動に、紅雪の頬に朱が散る。
「な、何を言っているのか分かっているのか、お前は!」
「えぇ、私はあなたの口から『うっとうしい』と聞いたことはあっても『嫌い』とは伺っていませんから。望みはあるのでしょう?」
「……」
 もはや紅雪は何も言えなかった。
「さて、紅雪。私はもう一度、あなたに問いかけましょう。―――私の求婚を受けてくれますか?」
「……」
 紅雪は目の前の男を、もう一度しげしげと見つめた。
「是か非か、一言だけでも結構です。どうかお返事を」
 その黒い瞳は、その男が正気であり、真剣であることを告げている。
 彼女は、わざとらしく大きくため息をついた。
「是か非か、どちらかと言うたな?」
「はい」

「―――非じゃ」

「……はい?」
「わしはお前を厭うてはおらぬ。じゃが、特別好いてもおらぬよ。残念ながら、当代の『わし』は先代以前の『わし』と違い、男女の仲にそれほどの興味は持ち合わせておらぬ」
 翡翠は、今度こそ表情を凍らせた。
「今のわしが重要視していることは、世話になった小鈴が自分の幸せを見つけることじゃ」
 翡翠は、自らも妹のように思っている娘を脳裏に浮かべ、微妙な表情になった。
「そもそも、男に惚れる気持ちが分からぬ。もしや、世に言う『同性愛』に目覚めたのかもしれぬ、と思うほどにな」
 予想外のセリフに、彼の口は開けど言葉が出ない。
「そのような状況じゃ。―――翡翠。わしのことは早々に諦めた方が良いと思うぞ」
 呆然とした翡翠は、まるでカラクリ人形のようにぎこちない素振りで、空になった茶碗を口に運ぶ。そして、さもお茶を飲み干したかのように大きく息をついた。
「紅雪。先ほどのあなたの口振りでは、近年、未来視をしていないと……」
「契約がある故、この国全体という意味では見ておるが、身近なものほど見てはおらぬ」
 彼女の言葉が想定通りだったのか、翡翠はホッと息をついた。
「では、この先、あなたが私の熱意に負けるか、はたまた私の心が通じるか、どちらかは知っていないのですね?」
 無論、と言いかけて紅雪は首を傾げた。さらり、と黒髪が肩から滑り落ちる。
「それは、どちらも同じ結果ではないか?」
「……未来は見ていないのでしょう?」
 指摘はあっさり黙殺された。
「どちらにしても、諦める気がないのは良う分かったわ。……では、話はこれで終わりじゃな? お前の望みは、わしがあの時、求婚を突っぱねた理由を語ること。これでしまいじゃ」
 紅雪は卓から立ち上がると、用済みになった茶器を人差し指の一振りで片付けた。
 同じく席を立った翡翠は紅雪の後につくように室を出る。そのまま自宅に戻るかと思いきや、家の裏手へ向かった紅雪の後をすたすたと着いてきた。
「……なんじゃ?」
「これから、いつもの昼寝をするのでしょう?」
「無論じゃ。お前はとっとと家に戻るがよい。重々、頭を冷やすようにな」
 すると、翡翠は首を横に振った。
「もう話すことはないぞ?」
「えぇ、せっかくですから、添い寝しようかと。小鈴がいないことは滅多にありませんし」
 つまり、小鈴が戻って来るまでは、ストーカーよろしく付きまとう気だということだ。
「残念じゃが、ここ最近のわしの惰眠場所は木の上での。添い寝するスペースなどありゃせんわ」
 ふわり、と身体を舞い上がらせた紅雪は、いつもの枝に移動する。
「では、ここからあなたを眺めながら、私も昼寝することにします」
 動じた様子もなく、翡翠はその木の根元に腰を下ろした。
「……ふん、勝手にするがよい」
「もとより、そのつもりです」


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