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惰眠4.惰眠仙女の引継書1.預言のお役目宮城の一角、南の端に建てられた屋敷の1室で、彼女は1人、書類に目を通していた。 大炊寮と雅楽寮に挟まれているが、来歴はこちらの方がずっと古い。ただ、人の出入りは両隣に比べ、格段に少ないので、宮城内でも忘れられがちな部署である。 神祇官の長官である神祇伯、それが彼女の官職だった。 宮城に勤め、官位を賜る女性は、後宮を除いてゼロに等しい。唯一の例外が彼女だ。神祇伯・星瑛。御年72になる女傑である。 神祇官の役割は、文字通り神事を執り行うものであるが、この灯華国においては別の役割を持っていた。 それは、建国に尽力した仙女との橋渡し役。 皇帝・章に侍り、小国を統一する助け手となった仙女。神仙、花仙とも呼ばれる彼女との連絡役である。だが、元より仙女は有事の際にしか現れないと決まっているもの。連絡役とは言いながら、その実がないのは周知の事実だ。 カタリ、コトン 星瑛は背後の物音に、侍童が新たな書類を持って来たのだと思い「そこに置いておきなさい」と声をかけた。ただし、視線は手元の書類に落とされたままだ。 だが、その気配は一向に仕事を終えて去る様子がない。 「相変わらず、仕事の虫だのぅ。星瑛?」 もう何年と聞いていない声にも関わらず、その鮮烈な響きに星瑛の脳裏に声の主の姿が呼び起こされた。 彼女はくるりと振り返る。 「ずいぶんとご無沙汰だこと。このボンクラ猫娘!」 痛烈な罵倒の文句が、人気のない房に響き渡った。 ![]() 史家は言う。 この灯華国には、神仙の加護があると。 建国の祖である皇帝・章。彼は火を自在に操ることを得意とする神仙に師事した。 彼は群なす兵を薙ぎ倒し、小国同士の諍いの絶えないこの地を統一した。 彼の傍らには、花をこよなく愛する仙女が侍っていたと伝えられている。彼女は敵味方関係なく、戦死した者のために涙を落とし、花を贈った。 火を操る皇帝。花を咲かせる仙女。 皇帝は国に名前をつけなかったが、誰からともなく、火と花の国、灯華国と呼ばれるようになった。 時を下った今もなお、皇帝の血筋は絶えることなく、その権威が失墜することなく国は存続している。 時に愚帝が権力を握ることもあったが、そうした際にはどこからともなく、神仙が現れ、後始末をつけていったという。ある時は失政の尻拭い、ある時は愚帝の暗殺、そういった形をとって。 神仙は権威の象徴でもあり、反権威の象徴でもあった。だが、その仙女は有事の際を除き、人前に姿を現すことはないと言う。 それゆえ、仙女が存在するか否かは史家の議論の的となるのである。 だが、有事を予見し、仙女は現れる。伝説となってしまった昔から、灯華国が続く今まで、それだけは変わらない。 ![]() 「あっはははははっ!」 予想外だったのか、予想通りだったのか、彼女は腹に手を当てて、けたけたと笑い転げた。 豊かな黒髪は乱れても、その美しさは変わらない。むしろ上気して微かに色づいた肌や涙に潤む目元に、異性だけでなく同性すら魅了されてしまうだろう。 「相変わらず、手厳しいのぅ。変わりないようで、何よりじゃ」 ひー苦しい、と浮かんだ涙を拭う彼女は、以前会った時と何一つ変わらない容貌だった。星瑛自身、寄る年波に勝てず、目のかすみやら、シワやら足腰の痛みやらで参っているというのに。 「それで、何の用です? 火急の用件でしょう?」 彼女がここに来る理由など、火急の用件以外に他ならないと知っている星瑛がことさらに厳しい声音で床に転がる彼女を見下ろした。 「一刻を争うほどではないが、まぁ、悠長に構えていられるものではないな」 ようやく笑いの発作が治まった彼女は、星瑛の仕事机に手のひらに収まるぐらいの小瓶を置いた。 「これは?」 「あぁ、わしが煎じた薬よ。節々が痛むのであろう? 朝晩食後に1匙飲むが良い。味は悪くないから心配するでない」 それはどうも、と小瓶を引き出しにしまう。 「白蛾の地にて中規模の地震、それに伴い大規模な地滑りが生じよう。崩れた土砂は楊東河を堰き止め、氾濫を引き起こす」 いきなり本題を口にされて、星瑛は慌てて地図を取り出そうと立ち上がる。だが、それより先に、地図が棚から勝手に動き、目の前の卓に広げられた。もちろん、彼女の仕業だ。 「白蛾、……楊東河を堰き止めるということは、絽山の北東ですね。―――規則ですから、一応お聞きしますが、未然に防ぐことは可能でしょうか?」 星瑛に問われた美女は「面倒なことじゃのう」とため息をつく。 「地震と地滑りを止めることは、まぁ、可能ではあるな。ただし、無理に止めれば20年後に大地震が起きよう」 「では、土砂が河に流れ込むのは阻止できませんか?」 「そこで絽山の土が流れることで、下流の豊作が今後10年保証されよう。まぁ、止めろと言うのであれば、止めるが」 星瑛は大きなため息をついた。こんな規則を決めたのは誰だ、と文句を言ってやりたかった。 仙女が託宣を行った場合、未然に防ぐことができるか、防いだ場合、どのような影響が出るかを確認するのは規則になっている。が、元より、未然に防がないことの方が利益がある場合にしか、この仙女は現れないのだ。だから、こんな規則に意味などなかった。 「……地震の発生する日は」 「およそ1月後じゃな」 こともなく言ってのけた彼女に、星瑛は罵倒の文句を投げつけそうになった。だが、それより先にと限られた日数で何ができるかを考える。楊東河の氾濫によって影響を受ける集落に対し、避難を呼びかけるか、またはどこかに防衛線を張って土嚢で堰を築くか。 「のぅ、星瑛? 検討を始めるのは結構なのじゃが、もう1つ用件があってな」 この上何が?と老婦人は地図に落としていた視線を隣の美女に向けた。 「皇帝の末の妹を呼んでもらいたい」 「……桜莉様を?」 皇帝の末妹である桜莉は、後宮での悩みのタネの1つであった。前皇帝の正室である汐妃の産んだ娘。血筋も申し分なく、隣国に嫁ぐか国内の有力貴族に降嫁するか、それこそ引く手数多の姫君だった。 ただ、誰に似たものか、性格は破天荒。宮城を抜け出し、城下の悪ガキとつるんだり、武官の訓練を盗み見して武芸を覚えたり、掃除と称して城内の天井裏と床下を這い回った挙句、盗み聞いた横領を白日の下にさらしてみたり、好き勝手にふるまっているのだ。御年18にも関わらず、おかげで縁談のまとまる気配はない。 「あなたが桜莉様に興味を持つのは分かりますが、それは今でなくて、も……」 そうだ、どうして今という時期を選んで星瑛にこの話をしたのか。目の前の美女は至極やる気のない「仙女様」ではあるが、意味のないことはしない。 星瑛の中で、1つの仮説が立てられた。 「まさか、とは思いますが―――」 「察しが良くて助かるな。さすが星瑛じゃ」 目の前の美女は、ニンマリと微笑んだ。 | |
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