TOPページへ    小説トップへ    赤雪姫の惰眠な日常

惰眠4.惰眠仙女の引継書

 2.伝達のお役目


「―――ということですので、至急、現地派遣の軍編成と、援助物資の輸送計画立案をお願いいたします」
 星瑛の発言に、居並ぶ高官たちは動揺を抑え切れなかった。
「しかし、急にそのようなことを言われても、本年度の予算は既にしかるべく配分をされていますし―――」
「地滑りに河川氾濫など、それこそ仙女様のお力で―――」
「そもそも仙女様を騙る不届き者の言ではないのか?」
 次々と繰り出される各省の長官たちの発言に、星瑛の腹の中がどす黒く煮詰まっていく。
 顔ぶれは違えど、前回も同じような流れだったと記憶している。この高官たちは、仙女の予見が外れた場合、自分達が笑いものになってしまうことを恐れているのだ。プライドの高いからこそ臆病になるのである。
(だからと言って、人命と秤にかけるとは、愚かとしか言えないけれど)
 星瑛よりは年下であるが、それでも星瑛よりも位の高い人間の集まりである。無駄に声を荒げるわけにもいかないし、そのような労力を使いたくはなかった。
 だが、まずはここを攻略しなくてはいけない。でなければ無辜の民が迷惑を被ることになるのだ。
「静かに」
 思わぬ助け舟に、星瑛の背筋がぴんと伸びた。
「陛下、しかし―――」
「何のための神祇官と思っているのだ。仙女様のご助言をお伺いするためぞ。……星瑛、仙女様のお言葉に間違いはなかろうな?」
 星瑛は「相違ございません」と胸の前で手を組み、頭を下げた。そして、「仙女様」より「お伺い」した強制回避の可否とその影響について述べる。
「楊東河の下流、苞加の地はわが国の食糧庫である。向こう10年の豊作が約束されると仰せになるのであれば、逆に10年以内に不作の年が待っている、そういうことであろうか」
 今まで傍観を決め込んでいた左大臣が声を上げた。見れば右大臣が「先に言われた」と苦虫を噛み潰したような顔をしている。だが、それも一瞬のことだ、すぐに口を開く。
「白蛾近辺の出身者を含む部隊の編成を。援助物資の準備・輸送にかかる費用は試算を急ぎましょう。額によって対応も変わってくるでしょうから」
 左右大臣が張り合うように賛成の言を述べれば、もう大丈夫。星瑛は胸を撫で下ろした。
『お話は、まとまったようですね』
 その声に、皇帝を含む、居並ぶ高官がぎょっと目をむいた。星瑛は別の意味で心臓が止まるかと思った。
 眩く光輝く人の形をした何かが、会議の場に入り込んだのだ。その声色やかろうじて判別できる体型から、女性なのだと判別できる。
『予言をお伝えするのが遅れ、大変申し訳ございません。ですが、事は一刻を争います』
 優しく響くその声音は、慈愛に満ちていて温かい。
『国を支える尊き方々、どうか、民に苦しみのないよう、ご助力をお願いいたします』
 光輝く女性が、まるで月明かりが分厚い雲に隠されるように薄れて消えた。
 残された高官たちには、言い知れぬ感動と驚きと畏怖が残る。―――星瑛を除いて。
(あのぐうたら娘、こういうパフォーマンスをするなら、とっととしなさい!)
 老婦人は心の中で罵倒した。


「と、まぁ、こんな感じじゃ」
 話題の仙女、紅雪は水がめに映し出した会議の様子に釘付けになっている少女に声をかけた。
 少女の名は桜莉。皇帝陛下と母を同じくする妹君である。
 少しクセのある豊かな黒髪を高く結い上げた少女は、黒玉の瞳をくりくりと好奇心に輝かせ、頬を桜色に染めて興奮した様子で会議の様子を見つめていた。
「すごいですわ! こんな覗きができるなんて! あたくしにも符術が使えたらいいのに」
 まるで極上の見世物に遭遇したかのように、両手をパチパチと叩き合わせる少女は、とても高貴な血筋の姫君には見えない。
「ところで、仙女様は本当に『国を支える尊き方々』なんて思っていらっしゃるの?」
 予想外のことを突っ込まれ、「仙女様」と呼ばれた紅雪は首を傾げてみせた。
「ふむ。まぁ、稀にそういう人間もいないことはない、ぐらいかのぅ」
 裏を返せば、『尊き方々』など滅多にいないということだ。
 桜莉という女性は、その生まれからは想像できないほど、好奇心旺盛で天真爛漫な少女だった。ただ1つ、高貴な生まれらしいと思える性格が『傍若無人』である。
 紅雪はこの桜莉を星瑛の後釜にするつもりだった。
 一生に数度しかない神祇官の真の仕事。それに耐えるためには、いつ来るとも知れぬ仙女の訪れを待つ精神力と、紅雪自身との相性の良さが必要不可欠となる。
 紅雪は、色々考えた結果、この少女を選んだわけだが、とりあえず相性については問題ないようだった。
「ともかく、これで準備については1つ関門を越えた、というところだのぅ」
「この後、きっと予算について紛糾しますわね? なんだかワクワクしてきましたわ!」
 文句なく図太く、頭の回転も良い。紅雪は目の前の少女に、ニンマリと笑みを浮かべて見せた。
「その前に、お披露目をせねばのぅ。今回は時間もなかったゆえ、星瑛一人に任せてしまったが、今後は補佐役という形で星瑛について回るがよい」
「分かりましたわ、仙女様!」
 そんな、どこかのほほんとした会話に割り込むように、ドスドスと荒々しい足音が響いてきた。
バタン!
「よくもまぁ、あんな成りで出て来られたものですね、このグータラ仙女!」
 日頃の彼女を知るものが見れば、思わず目をこすって二度見したくなるような形相で、星瑛がやってきた。
「まぁ、星瑛! ここから様子を伺わせていただきましたが、凛とされていてすばらしい立ち居振る舞いでしたわ!」
「ありがとうございます、桜莉様。ですが、今はこの猫娘と話をさせてください」
 指名を受けた猫娘は、小さく首を傾げた。
「のぅ、星瑛。気になっておったのだが、その『猫娘』とはわしのことかえ?」
「もちろんですよ。あなたの所業は年のいった猫に似ていますから。特に飼いならされてしまって、エサが出てくるのを待っているだけの老猫なんてそっくりです」
「……ふむ、睡眠時間については、当たらずとも遠からずだのぅ。星瑛もなかなか粋な例えをするものよ」
 皮肉を皮肉と受け取られないもどかしさに、老婦人は拳を握り締めてぷるぷると震わせた。
「星瑛。わしは桜莉を神祇伯の後継に推すが、異論はあるまいな?」
 いきなり真面目な話を振られた星瑛だったが、取り乱すようなことはなかった。彼女の緩急激しい話題の転換には、もはや慣れてしまっているのだ。それに、最初に紅雪の口から名前が挙がった時から、察しはついていた。
「異論はございません。桜莉様とも意気投合されたようですし、皇妹のお立場があれば、多少なりとも案件を押し通しやすいでしょうし」
 今回のようなゴリ押しも、高貴な血筋があるとなしでは大違いだろう。残念ながら、星瑛自身、それほど血筋が良いわけでもない。今でこそ重ねた実績で仕事もやりやすくなっているが、昔は本当に大変だった。
「ふむ。では、わしは仙女として託宣をして回るとしよう。星瑛は、あちらの軍隊編成や費用試算が終わるまでは、それほど忙しくもないのであろう? 桜莉に仕事の段取りを教えてやるといい」
 それだけ言うと、紅雪はパタリ、と卓に突っ伏した。
 その行動に、危うく星瑛の血管がぶちっと切れそうになる。
「……桜莉様、最初のお仕事です。この猫娘を隣の仮眠室に運んでくださいな」
 この室にたった1つしかない卓を占領されては、事務仕事や引継ぎもままならない。
 そういえば自分の初仕事も同じだったと過去の記憶が呼び覚まされ、星瑛は頭痛を感じて低く呻いた。


『―――桜莉様を神祇官にいただけないでしょうか』
 光り輝く仙女様が出現したのは、摂政、関白、太政大臣や左右大臣など、政治を行うトップ中のトップが集まった房である。もちろん、御簾の向こう側には皇帝陛下も同席していた。
「せ、仙女様でいらっしゃいますか?」
 最初に声を上げたのは、太政大臣だ。本来、下に左右大臣を抱える地位ではあるが、彼は左右大臣のどちらか片方をその地位に上げるわけにいかないが故の、間に合わせの人材だった。正直、日々を胃の痛みとの格闘に費やす不幸な人物である。
『大事な会議にお邪魔をしてしまい、大変申し訳ありません』
 慈愛に満ちた仙女の声に、太政大臣が「と、とんでもございません」と恐縮の体を見せる。
「桜莉を、神祇官に?」
『えぇ、当代陛下。妹君をゆくゆくは神祇伯とさせていただきたいのです』
 皇帝陛下の言葉に頷いた仙女の言葉に、居並ぶ高官が視線で会話をした。さすがと言うべきか、ざわざわこそこそと耳打ちや小声での相談はない。
「陛下。わたくしどもには、仙女様のご意見に反対する理由はございません」
 摂政・玄羽が代表して奏上するが、皇帝からの即答はない。
「―――神祇伯となれば、夫を持つことは許されないのだろうな」
 ぽつり、と御簾の向こう側から苦悩を含む声がした。
『いいえ、それは違います。代々の神祇伯は妻や夫を持たない選択をしたまでのこと。そこに戒めはございません』
 居並ぶ大臣達は、そういうものなのか、と納得しつつ、桜莉もおそらく結婚はしないだろうな、と何となく思う。破天荒な桜莉の直接の被害には遭っていないが、嘆願書等は目を通している身分だ。
「なれば、余に拒む理由はない。本人が良しとするなら、な」
 光輝に満ちた仙女が、深々と御簾に向かって頭を下げた。
 仙女は人の地位に膝を屈するものではないが、この灯華国において、皇帝だけは別である。実際の力関係はともかくとして、仙女は皇帝の傍らに寄り添う対等な者なのだ。
『ありがとうございます。当代陛下。どうか今後も良き選択を』
 仙女は感謝の意を述べると、その場から天井をすり抜けるように空へ昇り、視界から消えた。
「……あれが、仙女、ですか」
 太政大臣が畏怖と感動を含め、震えた声で呟いた。
 最後に口にした「良き選択を」という言葉が、如実に彼女の立ち位置を表していた。要は「悪政を敷くようならとっとと代替わりさせるぞ、タコ」ということだ。建国の頃より、そのスタンスが変わらないことに、ぞっとさせられる。
「話を戻しましょう。避難先の選定と食料配給量についてでしたな」
 摂政が声をかけると、どこかふわふわとしていた空気が一気に引き締まった。
 仙女の前で、下手な手を打つわけにはいかないのだから。


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