惰眠4.惰眠仙女の引継書4.回避のお役目「皆様、どうかお聞きくださいませ!」 居並ぶ武官の前に立ち、桜莉は声を張り上げた。立場上、人の前に立つことは慣れているのだろうが、それでもどこか緊張を隠しきれていない。 「本日、正午に地震が起こると仙女様より託宣がございました!」 まだ若い後継の斜め後ろに立ちながら、星瑛はどこかで安心していた。 ずっと、自分がやらなければと思っていた場所だった。後継など考えていなかった。自分以外に誰ができるのかという矜持もあった。 (それがまさか、あの方の孫娘とはね) 「皆々様はどうぞ配置にお付きくださいませ!」 孫と言っても、性別も違うし、あまり面影はない。 「どうか皆様に、明るき灯の元、花仙のご加護がございますよう……!」 新しい神祇伯候補の祈りに、武官の野太い声が「応!」と響く。 「仙女様のお力で、地震を起こすというのはいかがでしょうか?」 桜莉の提案は、およそ星瑛の予想の範疇を超えていた。 「大地は常に脈動していて、無理に地震を押さえると却って良くないのでしょう? でも、時機をこちらで調整するぐらいならば、影響も少ないのではありませんか?」 理屈は納得できるが、よもや仙女をアゴで使って地震を起こすとは。普通、仙女にはそれなりの畏敬をもって接するものではないか? と思ったのは仙女を老猫扱いする星瑛だった。 「面白い考え方じゃ。なに、わしの力でガツンと叩けば地震も起きるであろうよ。今はそういう状態じゃ。―――しかし、その術を行うことは、わしの役目の内にはない。わしは人の手に余る事にのみ手を出す約定の元にあるからのぅ」 久しぶりに聞いたその理屈に、星瑛は肩を軽くすくめた。とんでもない案だが、ここまでだ、と。 「では、仙女様への依頼とさせていただきますわ。報酬は、あたくしの碧玉宮で1週間お好きなようにお眠りいただく、というのはいかがでしょうか?」 「―――好きなように、とな」 ややトーンの落ちた紅雪の声に、星瑛は(惰眠はともかく、彼女好みの環境を整えるのは難しいのでは?)と考えた。惰眠を貪るのは分かりやすい嗜好だが、居心地よく惰眠を貪るとなると、紅雪のハードルはぐんと高い。 だが、桜莉は自信満々に胸を張った。 「えぇ、陛下の正妃である蔡妃様がお使いの物と同じ、最高級の寝台と布団を用意致します。必要であれば、人払いも致しますし、お眠りになるのに飽きましたら、……そうですわね、花仙様縁の恋愛成就のパワースポットだと後宮に噂を流し、恋愛の甘酸っぱい話をたくさん聞けるように致しましょうか。お食事は、あたくしの顔見知りの料理番に、心を込めて作らせるように致します。―――いかがでしょうか?」 予想を遥かに離れた提案に、星瑛の眉間にしわが寄った。 「うむ、なかなか良い提案じゃのぅ」 紅雪本人は、まんざらでもないようだった。星瑛は、この話がどう転ぶのか予想できずに複雑な表情を浮かべて二人のやり取りを傍観する。 「ならば、こうしよう。宮城に花仙を祀る社を建立するのじゃ。わし一人が入れる程度の小さい粗末なもので構わぬが、―――桜莉、おぬしが一人で作るがよい。あぁ、もちろん、恋愛成就の噂を流すのを忘れぬようにな」 「あたくし、が、ですか?」 「そうじゃ、木材を寸法通りに切り調える所までは頼んでも良い。木工寮になるかのぅ。じゃが、組み立て、釘を打ち、丹を塗るのは桜莉、おぬしの仕事じゃ」 皇帝に連なる血筋に生まれた者、しかも女の身では、釘も槌も持ったことはないだろう。 これはまた、随分と意地の悪い返しが来たものだ、と星瑛は桜莉を見た。 「……」 俯いて何かを考えている様子の桜莉に、星瑛は助言を与えるかどうか迷う。だが、ここでどんな判断をするのか見てみたくもあった。 「分かりましたわ。あたくしの肉体労働で、この場が上手く動くのであれば、迷うことも失礼になりますもの」 紅雪の満足げな顔を見る限り、及第点の答えなのだろうと容易に予想がつく。 星瑛も、いつの間にか詰めていた息を吐き、表情を緩めた。 ![]() 1週間後、神祇伯の執務室に、短い黒髪の麗人が卓に突っ伏しているのを見ることができた。言うまでもない、紅雪である。 「雪様。こんな場所で寝ないでくださいまし」 「む……、良いではないか。星瑛が神祇伯であるのも残り少ない。ならば、その間だけでも共に居たいというのは、悪いことか?」 地震は託宣通りに起こり、絽山は崩れ、楊東河は氾濫した。 しかし、計画通りに溢れた水は楊東河の支流に流すことができ、田畑の被害こそあれ、死者を出すことはなかった。 今回の一件は、国の威信をより強くし、花仙の存在を国の中枢だけでなく地方まで知らしめる結果となった。そして、向こう10年の豊作も約束された。 「あの調子では、ずいぶんと先になりそうです。どうぞ、お帰りくださいませ」 帰郷を促す星瑛の体は、今回の一件で随分と若返り、以前にも増して機敏に動けるようになっていた。 彼女の後継でもある桜莉は、社建造のために、あちこちと出入りしているようだ。 宮城内では、代替わりのために、自分の手で社を建造しなくてはならない皇妹が大工に弟子入りした、などと噂されている。事情をおぼろげに木工寮に話した所、花仙を祀る社がボロくてはお話にならない、ということで、みっちり叩き込まれているらしかった。 「……それもそうじゃのぅ。まぁ、気長に待つとしようか」 一向に起き上がる気配のない紅雪だったが、ふわり、と鼻腔をくすぐる香りに上半身を持ち上げた。 「これは―――?」 「陛下からの使者がお持ちくださいました。お茶にいたしましょう」 星瑛が自ら茶を入れ、卓に置く。そして、自分もお相伴に預かるからと向かいに座った。 「まさか、私の後継が、あの方の孫とは。……本当に、不思議なものですね」 「うむ、星瑛は先々帝の頃に後宮で働いておったのだったな」 「あの方の孫が、今や皇帝陛下ですもの。私も年齢を重ねるはずですわね」 お茶をすすり、柔らかく微笑む老婦人は、いつもの厳しい神祇伯の仮面を外していた。 「後継が出来て、老け込んだか」 「いいえ、桜莉様は、鍛え甲斐がありますから。まだまだでしょう」 楽隠居を決め込むつもりはない、と星瑛は瞳に剣呑な輝きを閃かせる。 「なるほど。どうやら、わしの方が、しばらく楽を出来そうじゃのぅ」 紅雪は、茶菓子に手を伸ばした。白くふんわりと蒸された饅頭は、めずらしく彼女の口に合う味だった。 「評判の饅頭屋なのですって。質を落とさないために、1日限定数しか作らないとか」 不思議そうな表情を浮かべていたのだろう。星瑛が饅頭の作成元を語る。 「……うむ、これは良い味じゃ。作り手は、さぞや客の舌を満足させようと頑張っているのであろう」 「えぇ、喜んでいただけて何よりです。―――ところで、雪様?」 「何じゃ?」 「占い師の真似事をして、陛下の御前に出たそうですね?」 2つ目の饅頭を取ろうとしていた紅雪の手が止まった。 「よもや、神祇官の私をすっ飛ばしてそのようなことをなさろうとは……」 いつの間にか、星瑛の表情が神祇伯としてのそれにすり替わっていた。 「いや、あれは、花仙としてではなく、単に卜占のよく当たる赤雪姫として、な?」 「そのような言葉で、納得できるとでも?」 「それに、念のため宮城ではこのような格好でいるではないか」 紅雪の姿は、現場に立ち会った時と同じく武官の格好だ。ついでに髪も短く刈り込まれたままで、今の状態では、とても『赤雪姫』と同一人物とは分からない、はずだった。 「やたらと桜莉様の述べた報酬が具体的だったかと思えば、『赤雪姫』のことを聞いていたからだったとは思いませんでしたわ」 「う、うむ、まぁ、良いではないか、星瑛。どうせ、宮中でも一握りの人間しか『赤雪姫』を見ていないのだし。花仙は、あの人形でしか姿を見せていないのだし」 ごまかすようにお茶をすすり、これも良い茶だな、とうそぶく紅雪の顔がどことなく慌てているように見えて、老婦人は顔をほころばせた。 二人は向かい合ったまま、無言で饅頭と茶に舌鼓を打った。 「ときに、星瑛。……おぬしは幸せか?」 ポツリ、と呟くような質問に、星瑛は「雪様はどうなのです?」と切り返した。 「そのような顔をしなくても、私は不幸ではありません。中枢の高官とやり合うのも刺激的で楽しく感じますし、鍛え甲斐のある後釜もできました」 紅雪は途方に暮れたような顔を見せていた自覚がなかったらしく、慌てて取り繕った。 「そうか。わしも……そうじゃな、幸せじゃ。かわいい妹と、わしのことを紅雪と呼んでくれる若者と、おぬしのような気骨ある仕事仲間に恵まれておる」 「その若者からは、もう愛を囁かれましたの?」 「ほう、星瑛。おぬしは千里眼の力でも有しておったのか?」 「いいえ。そんな気がしただけです」 本当は、そういうことになっていたら面白いと思ってみただけだったのだが、意図せず的中した戯言に星瑛は表情をほころばせた。 「まぁ、にべもなく断ったがの」 「……それでも、手を焼いているようですね。珍しく顔に出ています」 「まぁ、の」 紅雪は少しだけ表情に苦いものを伺わせた。 星瑛は、前任者からの申し送りで花仙の代替わりの話を聞いていた。もちろん、星瑛自身は前の花仙のことを直接知っているわけではないが、たぶん似たような流れで代替わりをすることになったのだろうとあたりをつける。 「きっと、待っています。どうぞ、元気な顔を見せて差し上げて。その方にも、妹さんにも」 「そうじゃな。いつも通りなら、そろそろ荷馬車が通る頃合じゃ。便乗するとしようか」 紅雪はようやく立ち上がった。 星瑛は彼女と別れるときにいつも思う。これが最後かもしれないと。 (こんな男装姿が最後だなんて、思いたくないけれど) 彼女の艶やかな黒髪が大好きだった。さらさらと流れる様子にいつも目を惹かれていたものだ。それが今や、短く刈り上げられている。少し残念だ。 「では、な。星瑛。またそのうちに」 「えぇ、また、そのうちに」 紅雪は決して別れを告げず、再会を思わせる言葉を使う。それに気付いたのはいつ頃だったろうか。 彼女は、ふわりと身体を浮かせると、窓から空へと昇って行った。 「―――あ、いけない。夏少将のカツラ疑惑について問い詰めるのを忘れていたわ」 ![]() 「邪魔をするぞ、瑠璃。なに、荷が1つ増えたと思えば良かろう」 首尾よく都を出ようとする鉱南家の荷馬車を見つけた紅雪は、勝手知ったる振る舞いで荷台に入り込んだ。 以前もこの手口で移動を楽にしたことがあるし、馬の手綱を取る瑠璃の反応はだいたい予想がつく。 『あっれー、紅雪ちゃん? しょーがないなぁ、もう。でも、うちの財政厳しいから宿は1室しか取らないか、荷台で雑魚寝だかんねー』 今回もそんな軽口が返って来るだろうと思いながら、自分の身体がすっぽり収まりそうな丁度良い隙間を探す紅雪は、見落としをしていた。 「―――紅雪?」 心底驚いた表情で御者台から振り向いていたのは、鉱南家の次男坊ではなく長兄だった。 「どうしたのですか、その頭は。艶やかな黒髪が勿体無い。ですが、あなたの綺麗な頭の形が見えるのも新鮮で素敵ですね」 驚いたのも数拍のことで、流れるように出てくる誉め言葉に、紅雪は「う」と表情を歪めた。だが、ここで会話の主導権を握られるわけにはいかない。 「どうして、おぬしがそこに座っているのじゃ。瑠璃の番ではなかったのかえ?」 「瑠璃はタチの悪い風邪に捕まって、家で寝ていますよ。―――ですが、ずいぶん兄孝行な弟ですね。このような贈り物をくれるとは」 しまった、ちゃんと『視て』おくんだったと後悔しても遅い。それに、御者が翡翠だったからと出ていくのも癪だった。 「あぁ、私のことはお構いなく。どうぞ、好きな隙間を探してください。お疲れでしょう?」 翡翠は決して無能な商人ではないから、白蛾のことを聞き及んでいないわけがなかった。紅雪の花仙としての働きを耳にしているのだろう。彼の労う声に偽りの響きはない。 「そうじゃ。疲れておるゆえ、夜もこのまま捨て置いて構わぬよ」 「あなたにそのような窮屈な思いをさせるわけにはいきません。きちんとした宿を探しますので、ご心配なくお休みください」 丁寧ながらも翡翠の声は弾んでいる。商人らしく計算高い彼のことだ。このままでは宿で「新婚さんいらっしゃい」状態になるのは確実だった。 膝を抱えて座るのに丁度よい隙間を見つけた紅雪は、どうすればそれを逆手に取って回避できるかを考えながら、惰眠の淵に沈み始める。 ―――とうとう聞こえて来た翡翠の鼻歌をまどろみの中で聞きながら、何となく、敵前逃亡しか手はないような気がしてきた。 だが、それは明確な敗北宣言であるために、紅雪にはその選択肢は選べないのが現実で。 陽が落ち、宿に入るまでに、何か良い策を考えなければいけなくて。 紅雪としては、未来視をしておくんだったと後悔する暇も、心地よい惰眠に身体を委ねる暇もないのだった。 | |
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