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第3話.ニックネームはスワン

 2.仕事前夜~ヤード~


「まったく理由が分からない」
 狭い部屋の中、スワンは一人、つぶやいた。自分に割り当てられた机と上司に割り当てられた机。まるで最初から机二つ分しか置かれることがないような部屋で資料と格闘していたのだ。
 外はいつの間にか星が瞬いている。
 詰まれた資料。広げられたノート。資料から読み取れた概要をノートに書き写していたのだが、あまりに今回のケースは何かが違う気がした。
「警部には悪いとは思うけど、これは騙りなんじゃないかな」
 再びつぶやく。もちろん、誰もいないからできることだ。
 ノートをぱらぱらとめくり、一番最初に書いた予告状の文面を、もう何回目かも分からないが、見なおした。
『スタンリー孤児院の院長様。大変もうしわけありませんが、そちらの木の神像をいただきにあがります』
 あとは日時の指定。予告状の発見から何もできないままに3日が経って、とうとう明日の夜、予告された日になってしまう。
 スワンは大きく深呼吸して、頭の中を整理し始めた。
 エレーラ・ド・シンという怪盗は珍しく予告状を送りつけるタイプだ。義賊を気取ってある種類の金持ちにしか手を出さない、ということで有名になっている。その手口はスマートで、まるで警備する側の人間を傷つけることさえ避けているようだ。
 だからだろうか、一時はエレーラの名を騙った別人がどさどさと、それこそ雨後のタケノコのように湧いて出た。だけど、そのほとんどはエレーラ当人に突き出される形で御用となった。そのため、エレーラの名を騙ろうとする人間はいなくなった。
 だが、それにも関わらず、今回のこの予告状は騙りだという可能性が高い。と、僕は見ている。残念ながら警部は違う考えのようだ。だけど、警部はあまり自分の考えを説明してはくれない。面倒見が悪いのか、それとも目の前の予告状に手がいっぱいなのか。
(……騙りだと言う根拠はいくつかある)
 一つは、ターゲットが悪辣な金持ちでないこと。これは義賊を気取ったエレーラにしてはおかしい。何しろターゲットとなった孤児院は運営していくのがやっとというぐらいの貧乏なもので、この予告状がなければその日に土地建物を売り渡して廃院になるところだったのだ。孤児院の買い手はエレーラを恐れて買収の日程をずらすことにしたらしい。
「自分がやましいことしてるって公言してるみたいだ」
 ぼそりとつぶやいた。この買い手の方には警部が聞き込みに行ったようだが、エレーラに狙われるほどの『ひどい金持ち』ではないらしい。
 そして、騙りの根拠はまだあった。これまでエレーラの予告状はその前日に出されることが多かった。そのため、各地から応援を頼むことも厳しく、ハンターもそれほど寄ってこなかった。だが、今回はどうだろう、予告した日のなんと4日前に出されている。これには警部も首を傾げていた。騙りだとしたら、わざわざ人を集める理由があるのだろうか。エレーラ本人だとしても、その意図は―――?
「どうして、不利だと分かってそういうことをするのか」
 そして、今回のターゲット、木の神像。これまでのエレーラのターゲットは宝飾品など誰が見ても価値のわかる、いわゆる『どこにでも買い手がつきそうなもの』ばかりだった。宝石などは一度カットしてしまえば分からないし、絵画にしてみても自分だけのものにしたいという好事家が多い。だが、今回は何の変哲もない、木で彫られただけの神の像。孤児院には悪いが二束三文の粗悪品だと僕は思う。
 エレーラとターゲットとなった孤児院について調査しておけと言われたものの、僕はこの予告状がヤードの目を逸らすための騙りじゃないかと思い始めていた。別の邸を襲うのにヤードの目をこの孤児院に釘付けに―――
がちゃり
「おぉ、まだ残ってたんかい」
 警部がノックもせずに入ってきた。
「はい、エレーラと孤児院について調査しろと言われてましたので―――」
「おぉ、そうじゃったの。ほんじゃ、孤児院について調査報告でもしてもらおうかのぉ」
 きた、とスワンの心臓が高鳴った。
「はい。この孤児院は五十年前に、ヘイスティング卿の孫娘が創設したもので、本人は十三年前に他界。ターゲットとなった神像はヘイスティング卿が勘当したこの孫娘に送ったものです。神像の作者は不明。年代は古い物のようですが、損傷がひどく、市場に出しても高値がつけられることはありません。―――以上です」
 ふんふん、とその目の前で報告を聞いていたアンダースン警部がうなずいた。
「それで、エレーラのことも調べた結果として――あぁ、これは報告はいらんがな――お前はどう思う?」
 意見を聞かれ、スワンはどきっとした。言ってしまってよいのだろうか。
「自分は、騙りではないかと思っています。別の邸を襲うためにヤードの目をこちらに釘付けにしておこうという考えでしょう。それならば予告状の早さも説明できます」
 ほう、と警部が声をあげる。
「……ワシの下に来てどのくらいになったかいのぉ」
「二ヶ月目に入ったところです」
「ほぉ……。さすがキャリア組と言ったところかの。ワシの部下にも見せてやりたいわい」
 誉められているのか、判断に迷ってスワンは「はぁ……」と曖昧に返事をした。
「ワシの意見を言わせてもらうとな、今回の予告状はホンマモンじゃ」
「えぇ?」
 言ってから、しまった、と心の中で舌打ちをする。上司に反論の声を上げるのはどうだろう。
「ひとつはな、予告状の材質がこれまでと一致しておる。筆跡も同じじゃ」
「はい」
(いくらでも、偽造できるんじゃないですか、警部?)
 反論は心の中でだけにとどめておく。
「それから、その貴族のじーさんがな」
「ヘイスティング卿ですか?」
「そうそう、そのじーさんの趣味は金ピカばっかりのいわゆる成金趣味でな、どうも木の神像とはそぐわん気がせんか?」
(でも、それは勘当した娘に、適当な物を見繕ったからじゃ……)
「それに、そのじーさんの孫への溺愛はすごかったらしいしのぉ」
「そういう情報はどこから入ってくるものなんですか、警部?」
 今日は孤児院の買い手の方へ行っていたのではなかったのか。
「……」
 アンダースン警部はニヤリ、と笑みを浮かべた。
「こういうのは、足で稼ぐもんじゃい」
 スワンは警部に対する認識を新たにした。エレーラ対応はてっきり体裁のためで実質は窓際だと思っていたのだ。この警部はそうではない。あまりに優秀で―――
「今日はもう遅い。早いとこ帰って明日に備えとけ」
「はい。……あ、すみません。それはちょっと困るのですが」
「ん? まだ仕事が残っとんのか?」
「いいえ、ただ、家族に今日は戻らないと言ってしまったので―――」
 帰ろうにも帰れません、というスワンをアンダースン警部が笑った。
「ほんじゃ、仮眠室でゆっくり寝とけ。明日が正念場じゃけぇのぉ」
 ばしばしとスワンの肩を叩いて、警部は彼を送りだした。
「警部は、どうなさるんですか?」
「ワシぁ、今日の報告書を書かんと眠れんわい」
 アンダースン警部は言うが早いかくるりと背を向け、自分の机に向かった。
「……それでは、申し訳ありませんが、お先に失礼します」
 軽く会釈をしてスワンは部屋を出た。一瞬、手伝おうかとも思ったが、予想以上に疲れがあったようで、まぶたが重い。こんな状態ではとても警部の手助けはできない。むしろ邪魔になるかもしれない。
(とりあえず、寝よう)
 彼はゆっくりと仮眠室に向かった。ここ数日、やっきになって仕事に取り組みすぎたようだ。
(あしたが、正念場)
 そのときに、自分が役に立てますように。

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