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第6話.戦士ではなく怪盗として

 4.怪盗のスタンス


「なぁ、フェリオ」
 風の強い橋の上で、リジィは声をかけた。
「なんだ?」
 振り向いた男は明らかにピリピリと緊張していた。ディアナの行方を知るチャンスはたった1回しかないのだ。怪盗エレーラの出現を誰より早く察知するために、彼はそれこそ全神経を邸に注いでいた。
「エレーラのことなんだけど、別々の場所に待機してなくていいの?」
「……そうだな。でも、たとえ遭遇率が半分に減るとしても、確実にヤツに問いただしたい。残念だけどな、オレ一人じゃそれもキツいし、サポートぐらいはできんだろ?」
「プレッシャー与えろって言われればできるけど……」
「それで十分なんだよ。あいつに隙さえ生まれれば、な」
 フェリオはちらり、と空に浮かんだ月を見上げた。昨日の晩と同じくらいの半分の月。だが、それは昨夜よりも少しだけ満ちているはず。
「もう、すぐか」
「……そうだね」


 その、もうすぐの時間。エレーラはクリスの私室の上でじっと息を潜めていた。
「もうすぐだね、アルデオ」
「そうですね」
 細くずらした天井板の隙間から覗く下の部屋では、ターゲットであるオーフィナの竪琴を抱えたクリスと、その隣に控える私兵のリーダー、アルデオの姿がある。時々、クリスはポロポロン、と竪琴を奏でるが、それ以外には2人に何の動きもない。
「……本当にエレーラは来ると思うかい? 昨日はさっくりいったと思ったんだけど」
「さぁ、どうでしょう。案外、あのハンター達の嫌がらせかもしれませんよ」
「あぁ、そういえば、今朝方までうろうろと川岸をさまよってたらしいね。そんなことしたって、死ぬ時は死ぬのに。まったくバカなヤツらだよ」
(な、なんですってぇ~っ!)
 もちろん、人間死ぬ時は死ぬなんてことはエレーラにも分かりきっていた。それでも、あまりに人の生死に冷めた物言いにはらわたが煮えくりかえる。
(ぜぇ~ったいに、仕返ししてやるんだからっ)
 頭のてっぺんまで怒りの熱を上げたところで、はた、と気づいて深呼吸をした。
(いけない、いけない。今のあたしはエレーラ。あくまでクールに冷静に)
 2、3度繰り返したところで、ぴたり、と短く息を止める。そっと傷のある脇腹を撫でると、まだ痛みはあった。
(短時間でなんとかしないと、マズいかもね)
 それで心が決まった。私情はできるだけ挟まずに、エレーラとして。
「時間です」
 アルデオが声を上げるのと同時に、エレーラは天井裏から板を外して、音もなく飛び下りた。
「そうね、時間よ、ボーヤ達」
 余裕たっぷりの笑顔を見せつけ、彼女はまっすぐに2人を見つめる。
 窓を背に立ち、まっすぐに立つエレーラに、先に声をかけたのはクリスの方だった。
「まさか、ホントに来るとはね。……ホンモノだよな?」
「そうですね、昨晩と別の人のようには見えません」
 アルデオは自分の腰からサーベルを抜き放った。それに呼応してエレーラも鞭を取り出す。
「あぁ、そうだ。ボクはキミに聞きたいことがあったんだった」
 2人の闘いを止めるように、クリスが口を挟んだ。竪琴を片手にしてピシッとポーズを決める。
「キミ、ボクの下で働く気はないかい? もちろん、キミは怪盗のままでいいんだよ」
「……遠慮しておくわ」
 自意識過剰にポーズなんて決めてんじゃないわよ、という罵倒を喉の奥に押し込めて答えたエレーラの目は、アルデオを見つめている。
「そんなこと言うなよ。ボクの下で働かせてあげるんだから。なんだったら私兵を追い払ってもいいよ。キミにはそれだけの価値があるからね」
 竪琴をポロポロン、と弾きながら尚も食い下がるクリスに、エレーラはさすがに腹を立てた。
「もし、誰かに雇われるとしても、アイヴァンで稼いだ金では雇われたくないわ」
 本来、切り札にすべき言葉をここで使う。
「あぁ、パパはそうやって稼いでたみたいだね。おかげで町から追い出されちゃったんだよ。ひどいと思わないかい?」
 またも、ぽろぽろん、と竪琴を弾く。
「そうね、『パパ』にアイヴァンがいかに儲かるものかを教えた挙句、最後には罪ぜんぶかぶせて殺すのは確かにひどいかもね」
 エレーラの言葉に、じゃらん、と不協和音をかき鳴らし、クリスのカッコつけポーズが崩れた。
「へぇ、とても面白そうな話だね。じゃぁ、ホントに悪者なのはボクってわけ?」
「いいかげんにしたら? そうやって竪琴をもてあそんでるあなたがクリスじゃないってことはとっくに分かってるのよ、アルデオ」
「……」
 今度こそ、彼は沈黙した。
「おもしろい話だ」
 代わりに声を出したのは、エレーラと対峙する私兵のリーダーだった。
「そうね、ほんとに面白い話だわ。あたしも知った時には笑っちゃったもの」
―――アイヴァンを買い占めて利益を貪った。それを証明するものを探してクリスの私室に侵入したダファーから、エレーラは『クリス・アルレーテ』の日記を見せられたのは昨夜のことだった。
 その日記には私兵として雇われた彼が、最後にはドラ息子の影武者として生活していることや、『クリス』の財産を狙う人間やホンモノのクリスに殺されるのではないかとびくびく脅えている様子がありありと書きだされていたのだ。彼女はそこでようやく、とんでもなく騙されたことをはっきり知った。
「私兵の何人ぐらいが知ってるのかは分からないけど、よくもまぁ、見事に化けたもんよね」
 クリスのフリをするアルデオと、アルデオのフリをするクリス。
 クリスは『クリス』に命令してアルデオを側近中の側近として取りたて、彼自身が指示を出してもおかしくない状況を作り上げた。古くからの私兵は側近に取りたてられたアルデオによって次々と追い出され、そのことごとくが行く先知れずになった。
「な、何を言うんだ。ボクはクリス・アルレーテだ!」
「もういい、アルデオ。……早く竪琴を」
 苛立たしげに吐き捨てたクリスは、サーベルを構え直した。
「せっかく仲間に引き入れてやろうと思ったのにな」
「あら、本当にそうだったのかしら? てっきり仲間に引き入れたと見せかけて、後ろからバッサリやるつもりだと思ってたけど」
 こちらも鞭を構え直すエレーラ。ほどなく、アルデオが竪琴で演奏を始めた。
「……『オルディア叙事詩』ね。オーフィナの竪琴にはぴったりの選曲だわ」
 クリスがサーベルを振り上げたのと同時に、エレーラもその鞭を唸らせる。近距離用の武器と中距離用の武器の対決。ハンターと遊ぶ時ならともかく、エレーラは手加減して相手に間合いをとらせてやるつもりは毛頭なかった。
 間合いに踏みこみかけたクリスが一歩退いて鞭をかわす。
「……ち、やりにくいな」
 短く舌打ちした彼は、再び間合いに踏みこむ。……が、エレーラの鞭に阻まれ、再度退く。
 それを何回か繰り返すと、さすがにエレーラも不審なものを感じた。
(まさか、時間稼ぎ―――?)
 わざわざアルデオに『曲』を奏でさせたのは何故か。焦る様子もなくただ同じ動きを繰り返すのは何故か。
 もし、竪琴の演奏が私兵の合図となっているなら……
 エレーラの危惧したことそのままに、乱暴にドアが開け放たれた。廊下に見えるのは私兵の顔ぶれ。決して少なくないその数に、彼女の血の気が引いた。コンディションが整っている時ならともかく、今、傷を負っているこの状態でこの人数を相手にするのは無理、無茶、無謀の3Mだ。
 彼女の心は一瞬で決まった。
「そういえば、あなたにはボウガンの恨みがあるんだったわね」
 言うが早いか、一歩退く彼の動きを予測して、その場所に鞭を放つ。
「なっ!」
 援軍に油断が生じたか、彼の手首はあっさり鞭に絡めとられた。
 エレーラは鞭をぐい、と引っ張り、相手のバランスを崩す。慌てて踏ん張りつつ、手首の鞭をなんとか外そうとするクリス。
「ボーヤはとっととおねんねしなさいっ!」
 渾身の蹴りを腹に入れ、そのままクリスを私兵の集まるドアにふっとばした。それこそ手首がもげそうな勢いだったが、幸いにも緩んでいた鞭はあっけなく外れた。
 ドアの私兵を足止めできたことを確認すると、竪琴を持つアルデオに向き直る。
「う、うわわっ!」
 もはや言葉にならない悲鳴をあげて、さっと竪琴を差し出したアルデオを軽くこづいてやると、エレーラは天井裏にひょい、と手をかけた。
「ま、待てっ!」
「残念だけど、あたしは怪盗だから、正面きって闘うのは本職じゃないの」
 捨てセリフを残して、エレーラはあっという間に天井裏に消えて行った。


「あそこって、昨夜あいつが顔を出してたところだよな」
 フェリオが指差す窓は人がやたらと集まっているのか、やたらと騒がしい様相を見せていた。
「エレーラが出たのかな。さっきまで竪琴の音がしてたもんね」
 と、相槌を打つリジィの隣で、フェリオが「あれだ」と一点を指差した。暗い闇の中、半分の月が照らし上げるその人影は、邸の壁を器用にするすると下りていく。
「うわ、ほんとだ」
 リジィは月明かりに光るゴーグルを見つけ、感嘆の声をあげた。よもや、彼女が邸の壁を這うように登り下りしているとは、誰も思うまい。
(エレーラが神出鬼没の理由がちょっとわかったかも)
 リジィは人影を見つめながら、ロングソードを構えた。
「……あれ?」
 エレーラのゴーグルが、まっすぐにこちらを見たような気がした。いや、明らかにここに2人がいることを気づいている筈なのに、なぜ、こちらに向かってくるのか。
「フェリオ」
「分かってる。どうやらあちらさんも用があるみてぇだな」
 カタールをはめた腕を上げ、彼もじっと彼女を凝視した。
 彼女は難なく塀を乗り越えると、2人の間合いの外で足を止めた。
「今日は争うつもりはないの、道を空けてもらえるかしら?」
 唇に浮かぶのはいつもの妖艶な笑み。
「そういうわけにもいかねぇよ。今回みたいなチャンスはそうあるもんじゃねぇからな」
「……んー、頭でっかちねぇ。せっかく人がいい知らせを持ってきたのに」
 フェリオとリジィ、2人が視線を交わした。
「あのハンターのお嬢さんは生きてるわ。やたらとしつこい新聞屋さんの所に捨ててきたけど」
 思わずリジィが大きく息を吐いた。構えていたロングソードが地面に向けられる。
 それと同時に、ちゃりん、と小銭の音がした。
「いやん、せっかちさんは相変わらず」
 弾かれたコインをなんとか叩き落とすと、エレーラはもう一歩飛び下がった。
「ざけんな! こちとらハンターだ! てめぇみたいな賞金首を狩るのが仕事なんだよ」
 さらにフェリオの指に弾かれるコインの嵐に、エレーラは唇をきゅっと噛みしめた。
「……ったく、こっちだって好きで知らせに来たんじゃないのに」
 脇腹に手をやり、痛みを堪える。
「まさか、彼女のお見舞いにあたしでも届けるつもり?」
「お前がそうして欲しいんだったらな!」
 エレーラは後ろに逃げるのを諦め、ゆっくりと鞭を取り出して構えた。
「―――それなら、相手してあげるわ」
 エレーラはすぅ、と息を吸った。鞭の間合いぎりぎりの位置で、フェリオも神妙な顔付きで対峙する。
「あぁ、本気で相手するんだったら、これは邪魔になるわね」
 言うなり、エレーラは自分の顔半分を隠すゴーグルに手をかける。
「なるほど、そういうハンデもあったわけか。―――前回は」
 エレーラは乱暴にゴーグルを外す。その下に見えた顔に「げっ」とフェリオが呻いた。
「そこまでして、顔は見せねぇってワケか」
 ゴーグルの下にあったのは、目の部分だけを切り抜いた、黒いバンダナ。
「そうね、一応、謎の怪盗だもの」
 露わになった青い瞳がこの状況を面白がるように細められた。
 そして、エレーラが手にしたゴーグルを投げ捨て―――

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