第7話.きらいなもの、なーんだ3.狸を挟んで攻防戦―――姉さんが師事していた人っていうのが、ちょっと変わった人で、自分の弟子を『息子』『娘』として扱って、弟子にもそれを徹底させたんだって。だから、姉さんは自分の師匠のことを『父さん』、兄弟子は『兄さん』って呼んでたらしいよ? ウォリス警視正はその『兄さん』ってわけ。僕も最近会ってなかったから、すぐには思い出せなかったけどね。 (兄さん、ねぇ……) エレーラの予告の数分前、フェリオは今回のターゲットである『狸の置物』の配置されている部屋にいた。ちらちらと伺う先には、あのウォリス警視正がいる。見るからに頭でっかちのエリートのようだが、腰に下げている警棒は特別製だ。とは言え、従来のものより長いだけに見えるが、ひょっとしたら何か仕掛けがあるのかもしれない。 ウォリスがこちらの視線に気づいたのか、くるり、と振り向いた。フェリオは慌てて視線をそらす。……そらした先には、『狸の置物』がど~んと立っていた。子供の身長ほどもあるそれは、ただあるだけで存在感を暑苦しくも主張していた。 この狸、名高い名工オーギュストが作成したものに間違いないということだが、洗練されたセンスを持ったオーギュストにはおよそ似つかわしくない一品である。よほど東洋の神秘とやらにアテられたのだろう。何故ビア樽のような狸がワイングラスを片手に立っているのか。シルクハットを被っているのは狸のくせに『紳士』だとでも言うのか。見れば見るほどツッコミどころ満載である。 「警視正、そろそろ……」 「あぁ、時間だな」 警視正とお付きの警官との会話に、その部屋にいた全ての人間の気が引き締まる。誰も物音ひとつ立てない。 「5…4…3…」 かと思えば、誰かがカウントダウンをしていた。女の声のようだが、そんな緊張感をかきたてるようなことを、わざわざしなくても――― フェリオが声の主を探してみると、ばっちりと彼女と目があった。眼鏡をかけた、三つ編みおさげの地味な女だった。 「2…1…ゼロッ!」 ヤードの制服に身を包んだ彼女は弾むように声をあげると、その眼鏡の上からゴーグルをかけた。それはフェリオにとって、とても見覚えのあるゴーグルだった。 「エレーラッ!」 思わず洩れた怒声に、全員の目がフェリオに注目する。 「いやん、バレちゃった♥」 素早くヤードの制服を脱ぎ捨て、狸の置物の隣に着地するエレーラ。三つ編みおさげに、ぴっちりとした黒いスーツがミスマッチだった。 「あぁ、私の狸が……」 「……」 嘆く悪徳金貸しオルコット氏の横で、ウォリス警視正がゆっくりと自分の腰に下げた警棒を掴んだ。 「あら、ここでそんな物騒なものを振りまわす気かしら?」 隣に鎮座している陶器のビア樽狸をぺちぺちと叩きながらエレーラがからかうような笑みを浮かべた。 「なんてったって、国宝級ですもの。まさか警視正じきじきに壊すわけにもいかないわよね♥」 狸の胴に手を回し、ぐっと持ち上げるそぶりを見せるエレーラ。だが、……それだけだった。 「いやん、重いわぁ♥」 こんなの盗めない~っと嘆いてみせるエレーラに、警視正が低い声で言い放った。 「ならば、素直に捕まっておけ」 「もちろん、い・や♥」 べー、と舌を出して申し出を拒否したエレーラは、自分の武器をかまえた。その指の間に輝くのは銀色のカード。 「こんな状況で戦うというのか?」 じりじりと包囲の輪を狭めるハンターを見ながら、ウォリスが問う。輪の中にいるのは、彼とエレーラの二人だけしかいない。 「もちろんよ」 微笑むエレーラの手からカードが離れ、部屋にいた全員を牽制する! カカカッ 何人かの警官の腕にカードが刺さる。居合わせたハンターや警備員はさすがと言うべきか、それぞれに避けたり打ち落としたりしてそれをかわす。 と、そのカードのうち一つが、棚に飾られた手のひらサイズの銅像にカキン、と当たった。 それだけなら、誰も気にしなかっただろう。 その銅像はゆっくりと後ろに倒れ、それと同時に狸の陶器像の台座がぐぐっと持ちあがった。 「なっ……」 (なんで事前に教えなかったっ!) 苦々しく依頼人を睨むヤードをせせら笑うように、台車が狸の下にせり上がり、エレーラがその取っ手を握る。 「残念ながら、持てないのは百も承知なのよ♥」 笑みを浮かべたエレーラがすばやく台車を押して、窓から庭に飛び出す! 「待てっ!」 若い警官が、そこに警棒を振りかざすが、難なくそれを取りだした鞭の柄でかわすエレーラ。その様子にハンター達が動きだした。 (庭で、あの狸からエレーラを引き離せたら……!) 彼らも依頼人のたっての希望により、狸を壊したら弁済することを誓約書にサインしたばかりである。よもや、あの狸を壊すわけにもいかない。弁済金はランクAの賞金首であるエレーラよりも高額だったのだ。 「そのまま逃がすわけにはいかないな」 庭でエレーラを取り囲むハンターの輪をかきわけて、ゆっくりと一人の男が出てきた。ウォリス警視正である。 「あら♥ 警視正じきじきに、この狸ちゃんを壊すのかしら?」 笑みを浮かべたまま、からかう言葉を投げつけるエレーラに対して、ウォリスの足は一向に止まる気配を見せない。 「わたしにも、お前にも、それを壊す意志はない。むしろ壊したくない。……ならば問題ないだろう」 言うが早いか、黒い警棒がひゅっと唸る! 「いやん♥」 狸を背にかばう体勢でそれを弾き返すエレーラ。 「本気で言っているようね。……じゃぁ、こっちも本気で返さないとねっ!」 エレーラの鞭が風を切る。それはまっすぐにウォリスの持つ警棒へとのびるが、それを難なくかわしたウォリスが一歩踏み出す! 「なめるなっ!」 振り下ろした警棒を、慌てて鞭で受け止める。エレーラは鞭を両手でぴんと張って、ぐっとこらえた。 「……よく受けたな」 後ろの狸を見やって、ウォリスが呟く。その背中にはチョビヒゲオルコット氏の罵声が浴びせられていた。「国宝級だぞ! 陶器なんだぞ! オーギュストなんだぞぉーっ!」と叫ぶ依頼人は顔を真っ赤にして、まるで蟹のようだ、とフェリオが思う。 「あぁ言ってるけど、いいのかしら?」 「……どうせお前が壊させないだろう」 低い声で答えると、ぎりぎりとせめぎ合う警棒と鞭をそのままに、ウォリス警視正が蹴りを繰り出す! 「いやん♥」 慌てて飛びのいたエレーラは、そのまま狸の上に乗った。依頼人がいっそうでかい悲鳴をあげる。 「ここなら、何もできないわよね♥」 狸の頭の上に立ちながら、悠然と微笑むエレーラ。 「だが、そこにいつまでいるつもりだ? それを持って逃げるんだろう?」 淡々と答えるウォリスに、むっとした表情をエレーラが見せた。 「じゃぁ、屋根の上にでも行きましょうか? この際、こんな狸なんてどうでもいいし♥」 あなたと遊ぶ方が楽しそう、と言うが早いかエレーラは狸の上から屋根に飛び移った。と、その反動か、狸がぐらぐらと揺れる。 「あ、あぁーっ!」 叫ぶ依頼人。 ぐらぐらと揺れる狸の置物(子供の身長大)。 慌ててウォリスが押さえようと手をかける。 誰もが息を飲んだ、その瞬間。 「ファイア♥」 エレーラの脳天気な声とともに、狸から白い煙が吹き出した。いや、吹き出したと言うよりも、その場にいた全員に吹きつけたという方が近い。 「な、なんだーっ?」 「わ、わたしの、オーギュストはどこだーっ!」 キンキンと高い声で叫ぶオルコット氏に耳を塞ぎながら、その場にいた全員がわたわたと動き出す。やがて、一人が空を見つめて立ち止まった。 「な、なんであんなものが……」 呆然と呟くその様子に他のヤード、ハンターも次々と空を見上げた。 そこにはゆっくりと空に浮かびあがる狸(子供の身長大)がいた。 暗闇に目の慣れた何人かが気球によって浮かび上がっていることが分かったが、もはや、どうにもならない高度まで上がってしまっていた。投げナイフなど使おうものなら、その刃が自分達に向かって落ちてくるだけだろう。 「お、追えーっ! 頼む、取り返してくれーっ」 悲痛な依頼人の声にヤードが動いた。気球の行く先を見定めるために。一方、ハンターはエレーラを探すが、「気球にしがみついていた」と言うハンターの目撃証言を元に、これを追う。 「……これまで、か」 ウォリス警視正が慌てふためく陣営を見ながら呟いた。依頼人はいつの間にか失神していて、使用人が邸の中へ運び入れていた。 彼は何人か残った警官に後始末を命じ、自分は何故か屋根の上に上がった。煙が吹きだす直前までエレーラの居た位置である。何か痕跡でも探そうというのだろうか。 「……お前は、行かなくていいのか?」 虚空に向かって呼びかけると、暗闇の中、気球と共に逃げた筈のエレーラが出てきた。 「着替えてから、追っかけ組と合流するわ。ダファーも上手く逃げてくれるといいんだけど」 気球に乗った身代わりの名を口にして、微笑むエレーラ。 黒いぴっちりとしたボディスーツに、革のベルト・ポーチ。金髪のおさげをさらっとほどいたエレーラがゴーグルと眼鏡を外した。 「こんなことを、いつまで続けるつもりだ?」 ボディスーツの上から、フリフリのワンピースを着ようとしていたエレーラが、一瞬だけ、動きを止めた。 「……さぁ?」 「あいつの方がいいのか?」 「そうね。マックスの方が近道だわ」 ヘッドドレスのリボンをきゅっと結び、レースの手袋をはめるエレーラは、完全にディアナ・キーズの顔になっていた。 「腕はなまっていないようで安心した。そのうち、稽古に顔を出しなさい」 「マックスも時々そう言うわ。そんなにあたしは危なっかしいかしら」 ウォリスは何も言わず、ディアナの頭を撫でた。 | |
<<7-2.職場のディアナVS『兄さん』 | >>7-4.家族でわきあいあい |