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第9話.シンデレラの涙

 5.ガラスの靴は残さずに


「おい、中が騒がしくなってきたぞ」
「じゃぁ、中で暴れてるってことかな。ヤードがいないのに頑張るね」
 リジィとフェリオは信者がいないのをいいことに、総本山を取り囲む塀に登って中を覗いていた。
(うまく、こっちに来ればいいんだけど)
 リジィが心の中で呟いたとき、ちょうど反対方向でパンっと花火が上がった。
「……あれは、ヤードの合図だと思うか?」
「ううん。違うと思うな。あんな装備は聞いたことがない」
 耳をすませば、ヤードが花火の上がった方へ集まっていくのが聞こえた。ざわざわとしているところを見ると、何が起こったのか確認にいくのか、それとも―――
(まぁ、エレーラがヤードに捕まるはずないしな)
 あれがエレーラの陽動作戦とすれば、こちらの方に来る。そう思ってリジィは一層警戒を強めた。
「いた」
「……え?」
 隣のフェリオはただ一点を見つめていた。その先に浮かぶ、柔らかな曲線――女のシルエット。
 向こうもこちらに気づいたのか、二人が立つ塀のすぐ前の木に軽く着地して、まっすぐに二人を見た。
 月明かりに浮かぶ、真っ黒なその姿はエレーラに間違いなかった。
「せっかく信者さん達をまいてきたのに、まだ逃げなきゃいけないのかしら♥」
「別に逃げる必要はねぇさ。とっつかまりゃいい」
「あら、自信満々ね♥」
「そいつは、いつものことだ」
 フェリオが右手にはめられたカタールを左手で撫でる。
 エレーラも微笑みを浮かべながら、ブーツから鞭を取りだした。
 お互いの動きを見極めようとしたその瞬間、動いたのはそれまで傍観者だったリジィだった。
「……つぁっ!」
 気合一閃、エレーラの足場になっていた太い枝をロングソードで一刀のもとに切り捨てた!
「いやん、二対一なの?」
 声をあげながら、エレーラがフェリオと間合いがとれるぐらいに離れた位置に着地する。枝から塀へ、全く危なげないその様子に、フェリオが軽く拍手をした。
「さて、どうするかな」
 ゆっくりと自分の重心を下げて構えるフェリオに、まだ余裕の笑みを崩さないエレーラが声をかけた。
「ところで、あたしを捕まえたら、どっちがランクAに昇格することになってるのかしら♥」
「そんなのは、捕まえてから決めるんだよっ!」
 足ひとつ分しかない塀の上を、フェリオはためらいなくエレーラに向かう。
 エレーラもヒールの高いブーツとは思えないぐらいの身軽さでそれを下がって避ける。
「これじゃ、フェンシングみたいね♥」
「つべこべ言わずに捕まっておけよっ!」
 声を荒げ、繰り出したフェリオの右拳をしゃがんで避けたエレーラ。そのまま右腕を掴むと、えいやっと投げ飛ばす。落下地点は草に覆われた教団の敷地だった。
「くっ!」
 フェリオは空中で塀を蹴り、衝撃を横に流してごろごろっと地面を転がる。
 そこに、エレーラに息つく暇も与えずに、塀の上に戻っていたリジィがシャムシールを振りかざして斬りかかる!
「いやん♥」
 エレーラはなんなく片手でそれを受け流し、そのまま回し蹴りを叩き込む。
「今日は、遊びたい気分じゃないのよ♥」
 教団総本部側にリジィを落としたエレーラは、振り返ることなく、そのまま路地へ向かう。
「……え?」
 道路に着地したエレーラのゴーグルが、カランと音を立てて落ちた。
(いつの間に……っ? 『どっち』が?)
 動揺を押し殺してゴーグルを拾ったエレーラの背中から、「今日は早い展開で助かるぜ」と声が飛んだ。
(大丈夫。まだ、バンダナまではやられてない)
 エレーラはくるりと後ろを振り向いた。塀の上に立っていたのはフェリオ。
「あら♥ そんなにあたしの顔が見たいのかしら?」
「そりゃもちろん。金髪美人であることを願っちゃいるけどな」
 カタールを構えたフェリオが月光を背にして立つ。
「しょうがないわね。……やるしかないのかしら?」
「ヤードを向こうにやっちまったのはマズかったな。……しばらく邪魔は入らねぇ。ゆっくりやろうぜ?」
「……これだから、男ってイヤんなるわ♥」
 エレーラの左手が腰のポーチを滑り、今まさに動こうとしていたリジィに銀のカードが飛ぶ!
「つっ!」
 カィン、カィンッと弾いたその音とともに、二人が同時に動いた!
 塀の上から飛び降りたフェリオの着地点に銀のカードが飛ぶ。これを塀を蹴って軌道修正したフェリオは、着地と同時にコインを弾いて牽制。エレーラはそれを鞭の柄で弾き返す。
「せっかちは嫌われるわよ♥」
「いつまでも待ってるだけなんて、嫌だからなっ!」
 繰り出されるフェリオの右拳をひらりと避けたエレーラは、そのまま反撃しようと―――
「んぁっ!」
 突然その場に倒れたエレーラに、フェリオは一瞬動きを止めてしまった。予想外の事態に頭がついていかなかったのだ。
「いやん、ヒールなんて履くもんじゃなかったかもね♥」
(にゃっ、て言ってたらアウトだったわ)
 エレーラは素早く起きあがると、再びフェリオと間合いをとった。
「せいっ!」
 そこに斬りかかるのはリジィ。エレーラはひらりと避けつつ、その腹に容赦ないひざ蹴りをいれた。
「んぐっ」
 体を「く」の字に折ったリジィのロングソードが、エレーラの肩口に触れたが、斬りつけるまでは行かずに、そのままもんどりうって倒れ込む。
「いやぁね♥ 一対一にはしてくれないの?」
 倒れたまま咳き込むリジィの耳にはその言葉は届いているのかどうか。
 だが、次の瞬間、焼けるような痛みに、エレーラが悲鳴を上げた。
「いっっったぁいっ!」
 一瞬のことだった。リジィに気をとられていた隙に、何かがエレーラの右肩に切りつけたのだ。
(リジィちゃんのは当たってなかった。……まさか、フェリオ?)
 右肩を押さえるエレーラは、正面に立つ彼を真っ向からにらんだ。
「今日こそ、今日こそは観念してもらうぜ」
「あら♥ 今日こそあたしを捕まえて、愛しい彼女に告白するって?」
 まだ余裕の笑みを浮かべるエレーラ。
「もちろん。あいつよりも先にランクAに上がってやる」
「……その彼女が、今は別な男と一緒にいても?」
「……っ」
「正義新聞の記者と一緒にいるんでしょ? もしかしたらあっちが本命とか思ったことはないの?」
(時間を、稼がなきゃ。……ヤードが来るまでか、なんとかフェリオの手のうちを見破るかしないと)
 微笑むエレーラも、その目だけは油断なくフェリオを見つめている。
「そんなの、考えたって仕方ねぇさ。こっちはずっとアプローチかましてんだ。それっぐらいのことで、へこたれてたまるかよっ!」
「あんまりアプローチが過ぎると、ストーカーか、口先男だと思われるわよ♥」
「ご忠告どーも。そんなのを打破するために告白するんだよっ!」
 フェリオが構える。それに呼応してエレーラも肩口を押さえていた手を放し、ゆっくりと鞭をかまえた。
 エレーラの右肩から流れる血がゆっくりと、鞭を持つ手袋にまで降りてくる。
(まずいなぁ。なんとか血止めしないと……)
 万が一、武器を落としてしまったらアウトだ。革の手袋は水分を弾いてしまうから、そのまま鞭の柄に到達してしまう。
「もう、しょうがないわね♥」
 エレーラは右手の鞭を左手に持ち変えた。
「なにっ?」
「仕方ないから、ハンデ付きでやってあげる♥」
 鞭をピシリと鳴らし、エレーラが構えた。
「くっ、ふざけんなよっ!」
「ふざけてないわよ♥」
(そんな余裕ないもの)  地面を蹴ったフェリオのカタールを横に跳んで避け、鞭をしならせる。だが、その直後、得体の知れない鳥肌が立ち、慌ててさらに後ろに跳び下がった。
「……ち」
 フェリオが、カタールを付けていない方の左手を、小さく動かして舌打ちをする。
(左手に何を仕込んでるの?)
 エレーラは浅く息をついて、ちらりと自分の右腕を見た。肩の傷が予想以上に深いのか、血はまだ止まらない。
(アンダースン警部、早く来ないかしら?)
 たぶん、ダファーのあの合図で、大半のヤードの人員が確認に行ってしまったハズだ。
(無能なのはいいけど、ちょっと度が過ぎるわよね)
 エレーラはフェリオを、とりわけその左手を見据えながら、右の手袋を外し、右袖をぐっと引っ張って破る。
「まったく、血がもったいないじゃない♥」
 少し怒気をはらんだその声に、フェリオが笑みを浮かべた。その後方で、ようやく立ちあがったリジィが、口を半開きにしたまま、こっちを見ていた。
 エレーラは破いた袖を傷口からやや上の部分できつく縛る。どうやらフェリオは待つ体勢のようだ。どうせ、右手で鞭を使うのを待っているんだろう。
(変なところでこだわるんだから)
 これだから男って、とは思うものの、今はそれに助けられていた。
 大きく深呼吸。そして鞭を右手に持ち変えた。
「お待たせ♥」
 余裕の笑みを見せるフェリオに、負けじとエレーラも微笑んだ。こんなところで、まだ、捕まるわけにはいかない。
「ぅっし。いくぜ」
 その言葉と共に、フェリオの左手が小さく動く。注意していなければ、小さな準備運動にしか見えなかったに違いない。
「っっと!」
 エレーラが後方に跳ぶと同時に、彼女が立っていた地面がピシリと小さな悲鳴をあげた。
(やっぱり、見えない何かがある!)
 フェリオはかわされることを予想してか、既にエレーラとの間合いを詰めるべく駆けだしていた。その動きに紛れ、再び左手が小さく動いたのを、エレーラは見逃さなかった。
「んしょっ♥」
 突っ込んでくるフェリオを鞭で牽制しつつ、今度は横っ跳びに逃げる。
 その先には狭い路地。
「逃がすかっ!」
 牽制の鞭に真っ向から当たり、フェリオはスピードを殺さずに一気に間合いを詰める!
(そんなのありーっ?)
 予想外の行動に慌てたのか、またヒールが地面にとられる。
「だめっ!」
 思わず出た声に気合いが入ったのか、なんとかバランスを保つエレーラ。だが、そうしている間にもフェリオとの間が―――
「っかまえたっ!」
 フェリオの太い腕が、エレーラの首にからみつく!
「いやんっ♥」
 それを、寸前でするりとかわしたものの、髪の毛を収めていた黒装束の頭巾が、目隠しのバンダナと一緒にむしりとられてしまった。
(まずいっ!)
―――三十六計逃げるが勝ち。
 左手をポーチにすべらせ、目隠しのための煙玉を出そうとした次の瞬間! エレーラの右肩に耐えがたい激痛がはしった!
「っ!」
 痛いとも口に出せず、そのまま倒れ込んだエレーラの上にフェリオが体重をかけて押さえつけた。
(うつぶせ……なのは、まだ良かったかもしれないけど……」
 右肩の傷を掴まれた状態では、どうにも身動きがとれない。少しでも動こうものなら向こうも握る手を強くするだろう。
「つかまえた」
 ゆっくりと、自分にもエレーラにも言い聞かせるように、フェリオが呟いた。
「……それで? いとしのあのコがこっちに来るまで待つわけ?」
(―――来るはずもないのに?)
 エレーラ=ディアナの顔に自嘲の笑みが浮かぶ。フェリオから見えないのが、本当に幸いだと思った。
「いや、まずは、その顔をおがんでから……っ?」
 不自然にフェリオの言葉が止まった。その目は自分が切りつけた右肩に釘付けになっているのだが、エレーラには何が起こっているのか分からない。
「これは……この傷あとは……」
 呆然と呟くフェリオの声に、エレーラは全てを理解した。右肩の古傷を見られてしまったのだと。
(や~ばいなぁ。これで終わりかしら?)
 そんな考えが頭をよぎる。何にしろ、右肩を掴む手が緩くなっているのは嬉しかった。
「お前……、まさか……」
 突然、ドン、という大きな音とともに、エレーラにのしかかっていた重みが消えた。
「……っ! 何するんだ、リジィ!」
 フェリオは自分を蹴り飛ばした男に向かって大声をあげる。
 もちろん、エレーラはこの機会を逃すはずがなかった。素早く立ちあがり二人を見据える。バンダナに覆われていない顔を見せて。長いふわふわの金髪を自然なままになびかせて。
「……ありがとう、って言うべきなのかしら?」
 エレーラは自分を見つめる弟に声をかけた。リジィは口をつぐんだまま、複雑な表情をしている。
「でも、どうせバレちゃったし、あたしは消えるわね♥」
「ちょっと、待て、おいっ!」
 フェリオの声を聞いていないのか、エレーラはにっこり笑ってポーチから今度こそ煙玉を取りだす。
「それじゃ、またね」
 火をつけ、ぽいぽいっとそれを放ると、あっという間に辺りが白い煙で覆われた。
 気配を追って駆けだすフェリオの腕を、リジィが掴んだ。
「行かせない」
「……まさか、お前も共犯だったのか?」
「いや、ついさっき、気づいた」
「それで、とっさの判断がこれか」
「そう。僕は……」
 そこで、明言するのを避けたリジィは、「味方だから」とだけ答える。
 フェリオは、ゆっくりとリジィの手を振り払うと、くるりと背を向けた。
「……どこに行くんだ?」
「宿だよ」
「先回りする気か?」
「いーや。これから行ったところで、間に合うわけがねぇ。……頭ん中、整理するさ」
 フェリオが行く背中を、リジィは見送った。
(……姉さん)
 姉のいない宿に、自分も帰らなければならないと思うと、リジィの心が暗くなった。
 その頭上では、街を皓々と照らす月に、ゆっくりと雲がかかっていった。
 翌朝には、その雲は雨を降らせることになる。……まるで誰かの代わりに涙を流すように。

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