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第11話.王子様のススメ

 2.男は恋の旨みに酔う


「ん~~~~~~」
 このトォックの街で有名な酒がある。その名も『樽しずく』。
 決して安くないその酒瓶を片手に、フェリオは唸っていた。
 夜もふけた宿屋。一人酒を飲みながら、粗末な茶封筒を開ける。
 かなり淋しい光景だった。
「どういうことだ? エレーラの情報通とかだったら分かるのかもしねーけどよ」
 封筒に入っていたメモには、まるでからかうように単語の羅列しかない。万が一のことを想定しての暗号形式なのかもしれないが、これでは全く分からない。
『王子様のリーダーの叔父 絵画 通行関税占有』
 行間が空いているところを見ると、あぶり出しか、とも思うが、それらしい形跡はない。むしろ、この書き殴った字からして、あのマッチョ社長の書いたものだろうから―――
(嫌がらせ、だよなぁ)
 このヒントでたどり着けなかったら、散々こき下ろされるに違いない。ディアナを溺愛するあの『義兄』ならやりかねないことだ。
「いや、待てよ? エレーラ絡みで王子様っつったら……何かあった、はず。思い出せ~、思い出すんだ、フェリオ・ドナーテル」
 ぶつぶつと呟きながら、部屋の中をうろうろとする。
「王子様、おうじさま、おうぢさま……だぁっ!」
 ダンッと酒瓶をテーブルに荒々しく置くと、部屋の窓をがちゃり、と開けた。夏にも関わらず、山間部にあるためか入ってくる風が涼しい。
「あ~~~、ちくしょ」
 フェリオは窓辺に腰をかけ、外を眺めた。花街に近い宿だけあって、目の前の通りには何人か客引きをする娼婦がいる。……と、見下ろす彼に一人が気づいた。
「あら、お兄さん。ご機嫌いかが?」
 金髪の厚化粧の女が、独特の媚びる目つきでフェリオを誘う。
「今日はそんな気分じゃねぇんだ。悪ぃな」
 ひらひらと手を振って応えるフェリオ。「あら、つれないわ」と娼婦は髪をかきあげた。……と、フェリオの目がその金髪の娼婦の耳に釘付けになった。
「……待った」
「あら、買ってくれるの?」
 フェリオの目が捕らえたのは、白い玉のイヤリング。それは自分がシーアに言付けたものにそっくりだった。クロの店に同じものがなかったとはいえ、あんなものどこにでもあるデザインだ。だが、包む前に、フェリオは細工をしたのだ。それが世界にたった一つのディアナの目印になるように……
(確かめる……か?)
 自問するフェリオ。確かめるためにはイヤリングを手にとらないといけない。この状況でそれは眼下の彼女を部屋に入れるということだ。部屋にいれるということは―――
(『買う』ってことか?)
 別に女を買うこと自体に抵抗があるわけでもないし、初めてでもない。
(だけど……なぁ)
 万が一のことを考え、フェリオは考え込んだ。すなわち、ディアナにバレた場合のことである。だが、危険を犯さなければ、確かめる手段はない。
「……酒の相手、頼めるか?」
「やったぁ! もっちろんよ。すぐ行くわ♥」
 ウィンクをして、その娼婦は宿の中に入って行った。
(酒の相手だけ、酒の相手だけ)
 フェリオは自分に言い聞かせる。もし別人であっても、なんとか言い訳がたつように、と。
 『樽しずく』の瓶のわきにグラスをもう1つ出した。
コン、コン
 遠慮がちなノックの音。
「待ってな、今、開けっからよ」
 瓶を傾け、二つのグラスに同じぐらいの透明な液体を注ぎいれる。高い酒だが仕方がない。元々、今夜だけで飲み終える気もなかったが、場合によっては明日もう一本買おう。
 フェリオはゆっくりとドアに近づき、そして少しばかりためらった。
(……まぁ、呼んじまったしな)
 心を決めてドアを開ける。胸元の大きく開いた服に薄いショールを羽織った女がそこにいた。
「どうぞ」
「ありがと♥」
 女を中に入れ、思わず宿の廊下を確認するフェリオ。だが、人影はない。
「まさか、借金取りに追われてる?」
 女が険しい顔で尋ねた。
「いーや。あんまり人に見られたもんじゃないからな」
「あら、人間の欲求に根ざした立派な商売よ?」
 怒ったように両手を腰にあてた女に、フェリオはイスをすすめる。座った彼女の向かいに自分も腰かけて、改めて彼女を見つめた。
 後ろに束ねられた髪はクセっ毛なのか、やたらボリュームがある。横の髪が一房ずつ赤く染められているのが、少しもったいないぐらいのきれいな金色だった。目は澄んだマリンブルーだがそのアイシャドーがピンクなので、キツい印象がある。口紅は赤に近いピンクで、それこそ一目で水商売と分かるような厚化粧だった。ただ、コロンだけは控えめにしてあるのが不似合いと言えば不似合いだった。
(よりにもよって、麝香かよ)
 ディアナがどちらかと言えばフローラル系で統一していたのを思い出し、フェリオは「外れかな」と口の中で呟いた。
「それで、お酒の相手だけでいーの?」
「……何か不満か?」
「ぜんっぜん? だって、今夜は予想外に冷えちゃってさ。もう、寒くて寒くて」
「だろうな。こんな街じゃ、その格好ができるのもほんの一時期だけだろ」
 フェリオはグラスを渡す。
「うわ、ほんとにお相伴だけでいいの? やった」
 女は両手でグラスを受け取ると、そっと匂いを嗅いだ。
「へ~、結構上玉じゃん。高いお酒なんじゃないの?」
「へぇ、分かるのか」
「そりゃぁね。いつもはドブの匂いがするお酒飲んでるからさ」
 あはは、と笑う彼女。その笑い方は彼の知っているどのディアナとも似ていない。
「そういや、名前は?」
「あたし? 何でもいいよ。呼びたいように呼んでよ」
「じゃぁ、……ティア」
「ティア?」
「そう、女の涙と同じぐらいに貴重なお酒だしな」
 我ながらキザなことを、とは思うが、それでも酒のせいで口は回る。
「うわ、『樽しずく』じゃない! あたし初めてよ」
「あれ、地元じゃないんだ?」
「高くてこんな酒飲めないって」
 ティアは、まじまじと瓶のラベルを見つめた。
「それじゃ、とりあえず、乾杯といくか」
「そうね、今夜出会えたことに」
 チンとグラスが甲高い音を立てる。そのままフェリオはぐいっと、ティアはちょびっと舐めるようにそれを飲んだ。
「……ところで、ティア」
「なぁに?」
「そのイヤリング、見せてくれるか?」
「これ? やだ、なんで?」
「いや、前に似たもの見た気がして」
 ティアは右耳についたイヤリングを外した。
「これ、もらいもんなんだよね。安物だとは思うけど」
「へぇ、誰か客から?」
「なじみのね。今日は遊ぶ金がないからって、百万イギン受け取ったハンターの話……っと」
「……なるほど、宿の前で張ってたのか」
 どおりでおかしいと思った、とフェリオは呟いた。ずっとぼんやりと娼婦たちを眺めていたならともかく、窓を開けてすぐに声をかけられるのもおかしいと思っていたのだ。
「あはは、だって、金離れいいかなーって思ってさ。こっちも商売だもん」
「ま、そりゃそうか」
 フェリオは右手を出した。
 ティアがイヤリングを持った手を無造作に突き出した。
「ちゃんと返してよね」
 フェリオは受け取ったそれを灯りに照らし出す。触り心地から象牙のようだった。偽物にしろ本物にしろ、今日の昼に買ったイヤリングと同じもののように見える。
(まさか……な)
 フェリオは年がいもなくドキドキしながら、その金具を見た。シーアがクロに飾りたてられている間に、ほんのいたずら心から仕掛けをした。
 それは自分が見れば絶対に分かる形で―――
「なんかおかしいところでもあるの?」
 目の前のティアは両手でちびりちびりと飲みながら、フェリオの手を見つめる。
 フェリオは象牙と金具をつなぐネジが『赤く塗られている』のを見つけた。見間違いではないかと、二、三度まばたきして、もう一度見つめる。
 小指の爪の先ほどもない小さなネジは、間違いなく赤く塗られていた。
 フェリオは笑いたくなる口をぐっとこらえ、真剣なまなざしでティアを見た。
「ディアナ」
「……あれ? さっきはティアって言ってなかったっけ? そっちの名前の方がいいの?」
「いや、いーんだ。もう分かったから」
 堪えることもなくニヤニヤ笑いながらイヤリングを返す。
「シーアからちゃんと受け取ったことが分かっただけでも、良かったさ」
 受け取ったティアは、何もなかったかのようにそれを右耳に戻した。
「ちょうど良かった、社長から受け取った封筒がまるで謎で困ってたんだよ」
 目の前のティアは不審な顔つきでフェリオを見る。その目は「何言ってんの?」と語っていた。
 ティアはテーブルにグラスを置いた。
「えーと、そういうプレイ、なのかな」
 小さく呟く。その向かいで、フェリオもコトリ、とグラスを置いた。
 ゆっくりと立ち上がり、テーブルを回ってティアの正面に立つ。
「なぁ、ちょっといいか?」
「え?」
 ティアの返事を待たずにフェリオは乱暴に彼女のショールをはぎ取った。驚いたティアの肘がテーブルに当たり、グラスの中の液体が揺れる。
 あらわになった肩口に、見覚えのある傷跡があるのを確認し、フェリオはとうとう爆笑した。
「ちょっと、笑うことないんじゃない?」
「いや、化けるもんだなと思ってさ」
 フェリオは『樽しずく』の瓶を持ち上げ、自分のグラスと彼女のグラスに注ぐ。
「じゃ、久々の再会に」
「んもう、しょうがないわね」
 チィンとグラスが鳴る。
 彼女は今度はくいっとグラスをあおった。
「ふつう、そういう小細工する?」
「いや、おかげさまで分かったし」
 自分のイスに戻ったフェリオは、あっという間に空になった彼女のグラスに再び酒を注いだ。
「……んで、何か用があってここに来たんじゃねぇの?」
「別に? ただ、アニキが情報を渡したって言ってたけど、大丈夫かなって思っただけ」
 ディアナはベッドの上に放り投げられた紙を見つけ、それを指差した。
「あ~……アレな。ぜんっぜん分かんねぇっての」
 フェリオが腕を伸ばしてそれをつまみあげ、そのまま彼女に渡した。
「……ふふっ、やっぱりね。アニキのことだからそんな意地悪すると思ったわ」
「やっぱイヤガラセかよ」
「正義新聞をずっと購読してないと分からないような書き方よ。万が一、誰かに見られても大丈夫なようにね」
 ディアナは微笑む。
「次はハーティア。……ヒントはそれだけで十分だと思うわ」
「まぁ、場所さえ分かれば、予告状次第だしな。……それで」
 フェリオはグラスに満たされた液体を一気に飲み下した。
「返事は?」
 思ってもない言葉に、ディアナが一瞬、きょとんとした表情を見せた。
 そういえば、告白されたかもしれない。
「……あぁ、返事、ね。今、聞きたいの?」
「そりゃもちろん」
「ノーでいいなら、今、言ってあげるけど」
「いや、そりゃちょっと」
 フェリオはがっくりと肩を落とした。
「だって、今までフェリオのこと、そーゆーふうに見たことなかったし」
(おいおい、俺のこれまでの猛烈アタックはなんだったんだよ)
「それに、あたしあんまりフェリオのこと、知らないし」
(……そりゃひでぇな。いくら弟一筋だからって)
「じゃ、返事は後回しにしてくれ。もうこっちも腹据えて待ってやっからよ」
 フェリオはテーブルに突っ伏したままで、手をひらひらさせた。
「そうね、色々考えてから決めるわ」
 答えながら、ディアナはちょいちょいっとフェリオの手にじゃれるように触れた。
「ところで、フェリオ。ちょっと聞きたいんだけど」
「なんだ?」
「クロさんって、誰?」
 フェリオはようやく顔を上げて、「覚えてねぇの?」と聞き返す。
「シーアに聞いても知らないって言うし、本名も分からないし。ハンターだったらしいことしか、分からないのよね」
「おいおい、そりゃあんまりだ」
「あたし、何かした?」
「―――蹴り上げ」
「え?」
「蹴り上げだよ。俺もそこにいたワケじゃねぇから、詳しくは知らねぇけどな。お前がピンでハンターやってた頃に、しつこくコナかけたら、問答無用で蹴り上げくらったって―――」
 考え込む姿勢を見せたディアナに、フェリオは言葉を止めた。
「忘れてる、とか?」
 ディアナは指を三本立てて突き出した。
「覚えてる限りでこれだけ」
「……」
 フェリオは聞かなかったことにした。
「そーいや、よく来る気になったなぁ。捕まるって思ってなかったのかよ」
「……え? どうやって?」
「どうやっても何も。この場で」
「どうやって、あたしがそうだって証明するの?」
 グラスを傾けてにっこりと微笑むディアナ。
 フェリオは、ぽりぽりと頬を掻いた。
「あー、顔、割れてねぇんだっけ」
「そゆこと。だから現行犯でないと意味ないわよ? ―――それに」
「それに?」
「この間の法要で散々シゴかれちゃったし、簡単には捕まらないわよ♥」
 軽くウィンクを投げ、ディアナはゆっくりと立ち上がった。
 つられてフェリオもイスから離れた。
「ごちそうさま。そろそろ帰るわ。―――なに?」
 掴まれた手首を見つめ、ディアナが尋ねた。
「帰したくねぇんだよ」
 お互いに立った状態では、ディアナの背はフェリオの肩までしかない。見下ろすフェリオに、ディアナは掴まれた右手を持ち上げ、人差し指を突きつけた。
「……そんな我がままな子供みたいに言わないの。あたしだって、早いとこハーティアに行きたいんだから」
「いやだ」
 フェリオの頬がやや赤いのを見つけ、ディアナはため息をついた。
「だって、ここに残ってもしょうがないじゃない?」
「せっかく娼婦の格好で来たのに、何もしねぇのも……」
「蹴り上げ」
「やっぱなんでもない」
 あっさりとフェリオは諦めた。

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