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第11話.王子様のススメ

 4.触れたのは錯覚


「こちらが今回、エレーラのターゲットとなりました、パット・トゥグの『秋思』です」
 若い巡査が示した先には、小脇に抱えられるほどの絵画が飾られていた。朝もやの中で見張り台に立つ、国境に派遣された兵士がモチーフだ。絵の中の兵士が考えるのは、内乱の続く隣国か、はたまたふるさとの恋人か、年老いた父母か。解釈は数あれど、これがトゥグの描いたものであるということと、その中でも五指に入るか入らないかという名画であることには変わりない。
「さて、今夜の警備配置についてですが―――」
 名画の隣に立つ、あごひげの紳士は、たぶんこの絵の所有者であるハッタード氏だ。アンダースン警部付きのスワンの説明を聞きながら、堂々と立ってはいるものの、その視線だけが時折り泳ぎ、甥であるアレクの方を伺っていた。
(まぁ、気になるのも分かるけどな)
 ダファーを含む数名のハンターと共に、説明を聞きながら、フェリオはこっそり共感した。
 アレクと他数名は周囲の緊迫した空気をよそに、部屋の隅に設けたテーブルで優雅にお茶を飲んでいたのだ。たぶん、あれが『王子様のつどい』のメンバーなのだろう。全員がどこかの貴族かそれに準ずる大商人の息子のようで、身分の高い人間特有の動きにくそうな服に身を包んでいる。
 ちなみに、警備の説明をするスワンもその傍らのアンダースン警部も、一切そちらに目を向けようとはしない。完全無視の態勢で臨んでいた。
「……というわけで、以上が今回の配置となります。先ほどハッタード氏から提示のありました誓約書にサインをした方から順に、こちらの腕章をお渡しします」
 スワンがひらりと腕章を持ち上げて見せた。
「腕章は誓約書と引き換えとなりますので、誓約書を読んだ上でサインをされない方はすみやかに退出をお願いします」
 フェリオの手にもある誓約書には、邸内の無用の徘徊を禁じる項目もあった。ちらりとダファーの方を伺うが、彼はこの項目を特に問題にはしていないようだ。
「―――では、以上をもちまして、これより、腕章の配布と誓約書の受け付けを開始します」
 スワンの言葉とともに、何人かが彼に群がった。その中にはダファーもいる。おおかた、人ゴミにまぎれることによって、アンダースン警部の追及を免れようという策なのだろう。
「さって、と」
 フェリオは落ちつき払って、近くにいたヤードの警官からペンを借りた。そして、手が動くままに署名し、そのままスワンの元に向かう。
 渡された腕章を左腕に付けると、手近なイスに腰かけた。これまではディアナの姿を探してうろついたものだったが、今は探すべき影はない。
「どうも」
 ぼんやりしていた彼に、話しかけて来たのはダファーだった。いつも通りの何を考えているのか分からないような笑みを張りつけた彼は、ついさっきまで、この部屋に飾られているトゥグの絵を鑑賞していたはずだった。
「なんだ?」
「実は、伝言がありまして」
「……シーア経由で伝わったか?」
「はい。『この間の酒代くらいは稼がせてあげる』、ということです」
「あぁ、『樽しずく』ね。……こっちはゴーグルぐらい取る気なんだけどな」
「それは、ちょっとマズいですね」
「何がだ?」
「ゴーグルが、万が一とられるようなことがあれば、社長と警視正の『愛のシゴき』が待ってますから」
「オレには関係ねぇよ」
 あっさりと言いきるフェリオ。ダファーはわざとらしく大袈裟にため息をついた。
「そんなこと言ってると、嫌われますよ」
「……」
 あまりに鋭角な言葉に、「こいつ、どこまで知ってんだ?」と、フェリオの頭がぐるぐるとする。
「こっちだってメシのタネだしなぁ」
 乾いた声でそんな答えを返すと、ダファーは「そうなんですか」とあっさり引き下がった。
「まぁ、おかげさまで社長の興味は全て向こうに注がれているので、こちらとしては願ったり叶ったりなんですけどね」
 腰に差した自分の武器=ピックの柄を軽くはじいて、ダファーがいつもの微笑とは違った笑みを浮かべた。
「……お前、そんなにあの社長がいやなんだな」
「当たり前じゃないですか。あの人に喜んで付きあおうという人がいたら見てみたいもんですよ」
 フェリオは自分の目の前にいる人物がそうじゃないかと思っていたが、それは心の中だけにしまっておくことにした。


 その時間が近づくにつれ、部屋の中には緊張感が満ちていった。ヤードを含む警備の人間はもとより、お茶の席をもうけて和やかに談笑していた『王子様のつどい』のメンバーまでもが言葉を交わすことなく黙って辺りを伺っている。
(さて、今日はどこから来るやら)
 フェリオは身体の隅々まで行き渡る高揚感に薄い笑みを浮かべた。
 これまでの経験から、天井裏あたりに潜んでいる確率が高い。だが、ヤードに化けていたこともあるので、絶対とは言いきれない。
 誰かの息遣いまで聞こえるような静寂の中、壁一枚隔てた廊下で誰かがじゅうたんを踏みしめる音が聞こえた。アンダースンが目線でスワンを見に行かせる。
 スワンがドアの向こうに消えるなり「エレーラですっ!」と切羽詰まった声が響いた。
「なんじゃとっ!」
 ドアに殺到するヤードとハンター。フェリオは思わずダファーの位置を確認したが、ちゃんと部屋の中にいる。
(……ってことは、ホンモノのエレーラか?)
 廊下では、アンダースン警部の怒号が響いている。
(『秋思』は?)
 フェリオが視線をめぐらした先には、自分の胸をわし掴みにして立ったままのハッタード氏と、その背後にかけられたトゥグの絵があった。
「いやん、アンダースン警部ってば情熱的ね♥」
「やかましい! 盗む前に見つかりおっては、出す手もないじゃろがっ!」
 開け放たれたドアからエレーラとアンダースン警部のやりとりが聞こえた。部屋に残っているのはハッタード氏と『王子様のつどい』のメンバーが数人。驚くべきか、あのアレクも残っていた。「あなたは廊下に行かないんですか?」と目線だけで尋ねてくる。
 とは言え、フェリオはどうにも乗り遅れてしまった。いまさら廊下に出ようにも良い場所もとれないだろうし、もともと人が混んでいる中で闘うのは好きではなかった。
 そして、ハッタード氏のただならぬ様子も気にかかった。『秋思』の隣でその無事を知っていながら、これほどまでに青い顔をしているのは、いったい何故なのか―――
「ところで、アンダースン警部、ピエモフ巡査? これな~んだ♥」
 何かを見せたのか、廊下がいっきにざわついた。
「まさか……」
「いや、でも、」
「かかってた、はずだよなぁ?」
 かすかに聞こえる単語と、ちらりと廊下の人間がこの室内を見る様子に、フェリオはピンときた。ちらりとアレクの方を向くと、彼は平然と耳をすませている。
(なるほどな、こいつは知ってたのか)
 ハッタード氏がアレクを気にかけるのも、また、絵の隣で青い顔をしているのも、もし、これがニセモノだったらという仮定であっさり証明される。
 フェリオはふぅ、と息を吐いた。
(こりゃ、今回は出番ねぇな)
 ホンモノを手にしたエレーラは、ニセモノに見向きもしないでとっとと逃げるだろう。
 フェリオはゆっくりとハッタード氏に近づいた。いや、正しくは飾られた『秋思』に。彼の動きを見て明らかにおののくハッタード氏には目もくれず、真正面から『秋思』を見つめる。
「……」
 別にフェリオに美術品の鑑定眼があるわけではないが、彼はこれまで仕事上多くのホンモノを見てきた。良いものを知れば、自然と悪いものも分かる。確証こそないものの、傑作と言われるには迫力がない気もした。
「……なるほどな」
 意味ありげに呟いてみると、案の定、ハッタード氏が身体を震わせた。これでもう確定。
 フェリオはアレクにでも誓約書を突き返しに行こうかと一歩踏み出して―――
「知ってる? 前の主人は、とっても面白い人だったって♥」
 エレーラの声とともに、壁の一部がくるりと横にまわった。
「あ」
「あら♥」
 隠し扉がくるりとまわった向こうにはアホヅラさげたアンダースン警部以下がこちらを見つめていた。
「いっただきっ!」
 フェリオがすばやくカタールを右手にはめ、エレーラとの間合いを詰める!
「いやん、せっかちさんなんだから♥」
 エレーラは横に跳び、そのままハッタード氏の後ろに隠れる。ゴーグルに黒いぴったりとしたスーツ。いつもながらの格好に、おぉ、と『王子様のつどい』のメンバーがため息を洩らした。
「な、なんだっ?」
 ハッタード氏はおろおろと逃げようとするが、その首根っこをぐい、とエレーラに掴まれる。
「せっかくだから、盾になってね♥」
 あっさり右腕をねじあげると、エレーラは脇に抱えた紫の包みを持ち直した。
「これが何だか分かってるでしょ♥」
 あわあわと口のふさがらないハッタード氏。エレーラは悠々と紫の包みを足元に置いた。そして、ポーチから二つ折りになった紙束を取り出す。
「おんどれは何をやっとんじゃ、この盗っ人がぁっ!」
 部屋にどたどたと戻って来たアンダースンが怒号を浴びせかけた。
 対峙するエレーラとフェリオの回りに人の輪ができあがる。
「何って、ひ・と・じ・ち♥」
 ついでとばかりに、ムチをハッタード氏の首にかけた。さらに左手を出させ、二つ折りの紙束を持たせる。それを手にしたハッタード氏の顔がいっそう青くなった。
「一枚、読み上げたら、解放してあげる♥」
 エレーラが色っぽくささやく。
「……で、できるか、こんなものっ!」
 やぶり捨てようとしたハッタード氏を慌てて止めるエレーラ、その時、故意か偶然か、その紙が散らばってばさばさと舞い上がった。
「……なんだ?」
 一番近くにいたフェリオが拾い上げると、それをアンダースン警部が奪い取った。
「……ほほぅ。おう、全部回収せいや」
 アンダースン警部の声に、ヤードが素早く従う。
「じゃがのう、こんなエサをもらったからと言って、お前を逃がすわけにはいかんのじゃぁっ!」
 アンダースン警部が、がぉぅっと吠える。
「いやん、怒っちゃイ・ヤ♥ 血圧あがっちゃうわよ?」
「やかましいわいっ! この中を逃げられると思うか!」
 アンダースン警部がゆっくりとエレーラに向かう。人質となっているハッタード氏を、もはや無視して。
「ん~、やり方次第かしら♥」
 エレーラの指がポーチを滑る。その一瞬後、放られた煙幕が部屋を真っ白に染めた!
「それじゃぁ、失礼♥」
 妖艶な声が別れを告げる。バタバタと何人もの足音が響く中、フェリオは目の前でドアが閉まるような音を拾った。
(まさかっ!)
 白い煙の中、ハッタード氏と思われるやわらかいものを蹴り飛ばし、ニセモノの『秋思』がかけられている壁にへばりつく。ガスンと蹴飛ばすと、廊下の隠し扉と同じようにぐるりと回った。
 パタン、とドアが半回転した後に、フェリオの姿はなかった。


「あれ~? なんでいるのかしら♥」
「なんではねぇだろ、なんでは」
 暗がりの中、あっさりエレーラの右腕を捕まえたフェリオはにんまりとした。
「まさか、見つかるとはね♥ でもー……」
 エレーラの手には紫色の包みはない。
「お前、ホンモノは、どうした?」
「えー? もうどっかやっちゃったわよ。あたし、トゥグの絵って好きじゃないし」
「……」
「うそうそ。邪魔だから隠したわ。だって追ってくるのが見えたし」
「そのワリには、あっさり捕まってるじゃねぇか」
「……そう?」
 エレーラが微笑んで左腕を上げた。次の瞬間、暗かったその通路がいっきに明るくなった!
「っ!」
 フェリオがひるんだその隙に、難なくエレーラが逃げ出し、開いた隠し扉から廊下に飛び出した。
「っくぬっ!」
 フェリオが追う先には悠然と待ち構えるエレーラ。
「……やる気まんまんだな」
「もちろん。どんな手を使っても勝たないと」
 エレーラの手にムチが現れる。
「それに、室内じゃ、左手のソレは使えないでしょ?」
 フェリオは舌打ちで答えた。
「それに、借りは返さないと……ほら、来たわよ♥」
 鞭のつかで示されたフェリオの背後からバタバタと複数の足音が響いてきた。怒鳴り声がないところを見るとアンダースン警部ではなさそうだが―――
「エレーラ様、がんばれーっ!」
 間の抜けた声援に、フェリオは危うくバランスを崩すところだった。
「いやん。声援ありがと♥」
 対峙するエレーラは、余裕にも彼の後ろの集団に向かって投げキスをする。
「あぁ、エレーラ様の投げキス……」
 恍惚として呟く数名。
「素敵だ! エレーラ様!」
 さらなる声援を送る数名。
 フェリオはずきずきと痛む頭をさすった。
「……この上なくやりにくいけどなっ!」
 気合いの声を吐き出し、フェリオがエレーラとの間合いを詰める。
「あん、もう来るの?」
 エレーラがムチで牽制しつつ、後ろに逃げる。
「肉弾戦なんて野蛮なものはするもんじゃないわ。ねぇ、みんな?」
 エレーラの声に、「はい、その通りです!」と声を揃えて答える『王子様のつどい』。その中にあのアレクの声も混ざっているのが聞こえ、さらにフェリオがげんなりした。
「でもね、考えたのよ。やっぱりやられっぱなしは良くないわよね♥」
 フェリオの弾いたコインをムチで叩き落としながら、エレーラが色気たっぷりな笑みを浮かべる。
「たまには、真っ向から戦ってみるのも、悪くないかしら?」
 エレーラが、ポーチからカードを取り出す。銀色に光るそれは、ちょうど十枚あった。
「これで、十万イギンなんて、ボロい商売よね♥」
 ムチでふさがった右手の代わりに、左手がそれを放つ!
「ちっ!」
 さすがに依頼人にケガはさせられないと感じたのか、フェリオはそれをよけずに打ち落とした。正確無比な狙いとそれを叩き落とすだけの俊敏さ。フェリオのようなパワーファイターには一見してできなそうな芸当だった。
「あら。それじゃ、これでど~お?」
 エレーラが絨毯の敷き詰められた床を蹴り、まっすぐにフェリオに向かう。
「っ!」
 予想外の動きに、フェリオが慌てて右手のカタールを構える。
(傷、つけちまうか?)
 相手がディアナだと知ってしまっている以上、できれば無用なケガは避けたい。だが、そこまで手加減して、果たして勝てる相手かというと、そうでもない。
(……)
 顔はできるだけ、傷つけないようにしよう、後が怖い。そう思う。もし、別の場所に大怪我を負わせてしまったら―――
(そんときゃ、有無を言わさず、持ち帰りだろっ!)
 わずかな思考の末にファイティングポーズをとった彼に、エレーラは微笑みを見せた。
「受けてくれて、うれしいわ♥」
 右手のムチは中距離用。だが、あえて、相手の間合いに入る。
 フェリオがボディブローを放つ。
 エレーラの右手のムチが、それを脇に受け流す。
 だが、それを予想していたのか、フェリオの素のままの左拳がエレーラに―――
「エレーラ様っ!」
 観客の何人かが目をつぶった。
「あん♥」
 エレーラの艶めいた声を最後に、彼女の姿がフェリオの視界から消え去った。
「っ?」
 やや離れた位置で傍観していたアレクの目には、まるでスローモーションのようにすべてが見えた。
 エレーラがフェリオというハンターの間合いから飛び出し、そのまま壁を足場に方向転換し、彼の背後をとる。そして勢いのままに体重をかけて彼を押し倒した!
ドタンッ!
 床に叩き伏せられたフェリオの耳に、エレーラが何かをささやいた。そして、エレーラの唇がゆっくりと彼の耳たぶに近づき……
「っってぇ!」
 がぶり、と彼女がフェリオの耳を噛んだ。
「こないだのお返しよ♥」
 飛びのいたエレーラと立ち上がるフェリオ。彼の右耳からは赤いものが流れている。
「これで、雪辱は果たしたってわけか?」
「こんなもんじゃ済まさないかもね♥」
 エレーラが再びムチを構える。
「……なるほどな」
 いつになく闘争心をむき出しにするエレーラに、フェリオは耳を押さえていた手を離した。
「今夜は逃げずに付き合ってくれるってわけか」
 フェリオが走る。エレーラは微笑みすら浮かべてそれを待ち構えていた。
「あんまり熱くなっちゃダ・メ♥」
 コインをはじこうとしたフェリオの左手に、いつの間にかエレーラの手が添えられていた。
「っ!」
 あまりに自然すぎた動きにフェリオの対応が遅れた。というより、いつの間に、そこにいたのか―――
「悪いけど」
 エレーラがムチの柄で、フェリオの腹を殴りつけた! もんどりうって倒れこむフェリオ。
「今日のあたしは、あの夜よりも強いわ♥」
 なーんちゃって、と照れるエレーラに「そんなことありません!」と『王子様のつどい』のメンバーが拍手を送る。
「声援ありがと、ボーヤたち♥ それじゃ、失礼するわ♥」
 最後にもう一度キスを投げると、エレーラはそのまま姿を消した。
(……っくしょー)
 フェリオが天井を仰いだまま唇を噛んだ。
 と、そこにアレクが覗き込んで視界に入る。
「悪ぃな。ゴーグルはとれなかった」
「いいえ、カードがこれだけあれば十分ですよ」
 今回はカードは一枚もないかと思ってました、と続けるアレク。そのまま自分の懐から、札束を取り出した。
「どうぞ、約束の十万イギンです」
 あ、会長ずるいー。そんな声を聞きながら、フェリオはそれを受け取った。

<<11-3.彼女は軽口に耳をすませる >>11-5.蜃気楼を目に焼き付けて


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