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第11話.王子様のススメ

 5.蜃気楼を目に焼き付けて


「ちょっと、やりすぎたかな」
「いや、別にそんぐらいでいーんじゃねぇの?」
「そうよね。正体バレる前も、結構やってたしね」
「それで? お前、『詰め』忘れてねぇか?」
「え? なんかあった?」
「……おいおい、アンダースンかピエモフに説明しねーと、だろ?」
「―――忘れてた」
「とっとと行って来い」
「はーい。行ってきまーす」



「失礼します」
 ピエモフ巡査ことスワンが入ったのは、ハーティアのヤード詰め所。その一室でアンダースン警部がハッタード氏を尋問しているところだった。
「なんじゃい」
「それが、警部に面会の方が」
 スワンは黙って一枚のカードを渡した。銀色のそれは、かぼちゃの馬車が彫りこまれている。
「……どこにおるんじゃい」
「それが、ドアの向こうに」
 スワンは黙ってドアを開けた。そこには黒いベールを被った喪服の貴婦人が立っていた。
「入らんかい」
「……入ってもよろしいのでしょうか」
「あたりまえじゃろが」
 一人、事情を知らないハッタード氏は困惑した顔で貴婦人を見つめる。
「何の用かは、言わなくてもよろしいの?」
「どうせ、こいつのことじゃろうが」
 ハッタード氏を指差し、アンダースン警部は貴婦人の手を引っ張り、部屋の中に引きずり込んだ。
「あら、乱暴な方」
「やかましい。とっとと情報落とすなら落として行かんかい」
「……まぁ、いいでしょう。一人ばかり観客が多いみたいですけど」
 貴婦人はそう前置きをして、座るハッタード氏の目の前に置かれた紙の束を一瞥した。それは、エレーラが彼を人質にした際に声に出して読ませようとしていたものだった。
「私、テオ・ドゥブリスは、金五万イギンでトゥグの絵を模写することをここに誓約します」
 淡々と文面を読み上げる貴婦人。
「ところで、この方々の事情聴取は始まってるのかしら?」
「ほとんどがアカデミーの生徒ですから、寮の方へ何名か派遣してあります」
 答えたのはスワンだ。警棒に手をかけるほど野暮なことはしないが、いつでも抜けるようには緊張している。
「じゃぁ、すぐに呼び戻してくださいな。彼らは全員無実ですから」
 貴婦人の言葉にハッタード氏が真っ青な顔をした。
「彼らはあくまで『授業』の一環でトゥグの絵を模写したに過ぎませんわ。ほら、警部、見てくださいな」
 貴婦人の黒い手袋が書面をすべる。
「署名と金額以外は全て活版印刷です。模写の授業の前に全員に書かせたものでしょう。もちろん、金額の欄を隠して」
 アンダースン警部がむぅ、と唸った。
「模写の提出物の中からできの良いものを売りつけ、その誓約書は、もし大物に育った生徒がいれば、その人間への脅迫材料になる。まさに一石二鳥じゃありません?」
 ハッタード氏が消え入りそうな声で「な、何を証拠にそんなことを……」と反論する。
「こんなことになって、あなたの共犯者の方々がどのような行動をすると思います? 見限って逃亡するか、あるいは―――」
「―――全てを白状して減刑を請う。それしかないでしょう、叔父上」
 ドアを開けて現れたのは、誰であろう、アレクであった。ただ、エレーラの追っかけをやっているときとはまったく違う、鋭い目つきで。
 いち早くスワンが動き、自分が手にした銀のカードを隠した。
「……アレクサンドル」
 ハッタード氏の口から乾いた声が漏れた。
(詰め所の警備はどうなっとる!)
 アンダースン警部が怒鳴りそうになるのを、スワンが慌てて押さえた。
「叔父上。まさか私が一族の意向を持って来たとも思わなかったでしょう」
「……まさか、兄上が」
「えぇ、父上から、あなたの身の振り方を預かっています」
「……」
「まさか、端くれとはいえデュワーズ家の一員たるあなたが、ここまで無粋な方とは思いませんでした。私が父上から預かったのはたった一言、……『追放』ですよ」
「……切り捨てる、というのか」
「何を言っているんですか。あなたが自分の伯父をおとしめたのが始まりですよ。初代校長をね。……アンダースン警部」
「なんじゃい」
 この上なく不機嫌な警部に、アレクはきっぱりと言った。
「この人がまだ容疑者である内に、名前から『デュワーズ』を削除してください」
「……スワン、調書から削除しておけ。あー……アレクサンドルさん」
「なんでしょう」
 厳しい顔つきのままで、アレクが返事をする。
「―――関係者以外立ち入り禁止じゃ、出て行かんかいっ!」
 ぽいっとアレクをつまみ出し、ついでとばかりに貴婦人の首根っこも掴む。
「おんどれも、捕まる気がないんじゃったら、とっとと出てけっ! このアホンダラがっ!」
 同様にぽいっと廊下にほうり投げられた貴婦人はそのまま猫をかぶってしりもちをついた。
「警部、後でアカデミーの教師を一人お渡しします。それと、レディは優しく取り扱ってください。……大丈夫ですか?」
 差し伸べられた手をとり、貴婦人はゆっくりと立ち上がった。
「ご丁寧に、ありがとうございます。……もしかして、サンドルパースブルグの若様でいらっしゃいますか?」
「おや、私を知っていらっしゃるのですか? これは不公平ですね。私は残念ながらあなたを知らない。どちらの奥様でしょうか」
「あら、覚えていらっしゃらないのですか?」
 ベールの奥で貴婦人が眉を寄せた。
 アレクにエスコートされ楚々と歩く貴婦人は、とてもヤードの詰め所には似つかわしくない雰囲気をかもし出す。
「迎えはどちらに?」
 詰め所を出たところでアレクが尋ねると、貴婦人は堪えられずに、くすくすと笑い出した。
「……どうかなさいましたか?」
 まさか、ハッタード氏に縁のある婦人だったかと慌てるアレク。
「いいえ、ただ、笑いがこみ上げてくるだけですわ」
 ベール越しにかすかに見えた微笑に、アレクがどきり、とした。
「どうぞ、こちらをお持ちくださいな」
 右手に何かカードのようなものを渡されるが、貴婦人の手が重なって、中身が見えない。
「また、機会があれば」
 一礼して手を離す貴婦人。送るより先にとアレクは手の中のものを確認し―――
「!」
 顔を上げたとき、貴婦人の姿は夜闇の中に消えていた。
 残されたのはかぼちゃの馬車のカード。その裏には簡単なメッセージが彫りこまれていた。
『残念ながらトゥグの「秋思」はニセモノを持ち帰ってしまいましたので、ホンモノは男前の次期校長候補につつしんでお返しいたします。
 初代の校長が作った隠し通路のどこかにありますので、探してくださいね♥
 怪盗エレーラ・ド・シン』
 アレクはため息をついた。
「困りました……」
 両手でそのカードを捧げ持つ。
「本気で惚れてしまいそうです」
 周りに誰もいないのを確認して、彼はそっとカードにキスをした。


「うー……」
 その朝、久しぶりに深酒をしたフェリオは、宿の食堂で唸っていた。
「ちくしょ、飲みすぎたぜ」
 渋めに淹れてもらった茶をすすり、フェリオは再びテーブルに伏した。
「……へりおサン?」
「ん~……」
「アノ、シンブン、クバる、キたデス」
「あぁ、ちょい待ち」
 フェリオは伏したままでポケットに手を入れると、掴んだコインをそのままテーブルに置いた。
「……へりおサン。コレ、チガいマス」
 別のコインを出したか、とフェリオは再びポケットに手をやった。
「ほれ、これでどうだ?」
 ちゃりちゃりん、と四、五枚のコインをテーブルに出す。
「ア、アルまシタ。……グアイ、ワルいのでスカ?」
「んぁ。ちょっと酔いが抜けてねぇだけだから、気にすんな」
 酔い、と聞いて、シーアがごそごそと肩掛けかばんから何かの粉薬を取り出した。それをそのままフェリオの飲んでいたお茶に混ぜる。
「なんだ、それ」
「でぃあなサンかラ、『フツカヨイ』にキくクスリ、キきまシタ」
 へぇ、と感心して、そのカップを持ち上げるフェリオ。
「べらどんな、ト、イうクスリでス」
ぶぼっ
 フェリオが盛大に含んだ茶を吹き出した。量を間違えなければ心臓の薬となるが、れっきとした毒薬である。
「……キタナいデス」
 間一髪で避けたシーアが呟いた。
「何考えてやがんだ、ディアナはっ!」
 お茶とは明らかに異なる苦みにおののきながら、フェリオが怒声を響かせる。
 もちろん、答える声がある筈もなかった。

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