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小話

 アニキへ。


「やっほー、アニキ。その後どう?」

 ウェルフォントの城下町にある、とある商家の持ち家では、そのデカい図体を小さい机に押し込めて、何かをガリガリと書き散らしている男がいた。
 彼の名前はマクシミリアン。フルネームを呼ぶ者は少なく、もっぱら「マックス」「社長」と呼ばれている身である。
 そんな彼を「アニキ」と親しげに呼ぶのは、もちろん―――

「よぉ、ディー。一人か?」
「うん、一人よ?」

 いつものホヤヤンとした喋り方ではなく、テキパキと話すこちらが、ディアナの素だ。快盗エレーラとして名を上げる前に少しでもイメージをかけ離れたものにするべきと進言したのは、マックスではなく、彼と同様に兄と慕われているウォリスだったが、それは正解だったと今なら思う。

「それなら、ちょっとチェック頼むわ。あ、2枚ともな」
「えー、早速こき使うわけ? ……ま、いいけど」

 ディアナは渡された紙を斜めに目を通す。
 商家の空き家を借りたここは、「正義新聞・ウェルフォント支部」とでも言い表せばいいだろうか。正義新聞自体、マックス一人による新聞社であるし、彼が無駄に広いツテと顔を使ってヒマと金を持て余す老人を丸め込んでいるだけの会社とも言えない会社だが、そもそもの目的は、彼の大事な『妹』の復讐の手伝いだった。
 もちろん、そんな新聞社設立の真相を知る者はほとんどいない。マックスの協力者も、おもしろい・胡散臭い・老後の暇つぶし・いいぞもっとやれ、などとよく分からない理由で名を連ねているに過ぎない。

 ディアナの目は、手元の原稿を読み進むにつれて、どんどん瞼が半分ほど落ちていった。

「ねぇ、アニキ」
「あんだ?」
「この『夜な夜なバゲットを礼賛して歩く怪人』の正体って何なの?」
「そんなん知るか」
「あと、礼賛に共感しないとバゲットで殴打されるって、結構、痛々しいんだけど」
「骨も折れねぇよ。その前にバゲットが折れるだろ。パンだし」
「……そうじゃなくて、バゲットで殴打するってことが痛々しいって」
「そうか?」

 ディアナは、大げさにため息をついて見せた。

「どっかのパン屋の先代さんから、バゲットのテコ入れ依頼でも受けたの?」
「バカ言え。シイドのじいさんだったら、食べ物を粗末に扱うなって血管切れさせるぞ。道ばたで痴話喧嘩してるカップルのネエちゃんがオトコをバゲットでぶん殴るのを見てたら思いついただけだ」
「……バゲット、折れた?」
「そーいや、折れてなかったな」
「それじゃ、〆の一文を『顎を鍛えるためにバゲットを~』じゃなくて、『頑丈なバゲットの制作元からこの怪人の正体が判明するかもしれない』とかにすれば?」
「あぁ、そっち方面か」
「どっち方面か分からないけど、あたしはそっちの方がより胡散臭くていいと思う」
「そうだな。より胡散臭くしないとな」

 正義新聞は発行主も認める(むしろ発行主がそう目指している)三流新聞である。快盗エレーラに関わらない記事はすべて眉唾もの、という徹底ぶりだ。そんな眉唾ものの記事を心待ちにしている購読者もいるというから、世の中には色々な人がいるものだとディアナは思う。

「で、2枚目は?」
「ちょっと待ってよ。まだ読んでないんだから」

 ウェルフォントの建国三十周年式典で現れたエレーラによって、伝染病AAAの特効薬を不当に買い占め、利益を得ていたことを暴露されえた国主ティタニエ。だが、その利益はすべて国の自然災害復興に充てられていたことで、悪事の暴露というものとはほど遠い。
 それでも、国主に対する不満というのは、元々彼が共和制に以降した時点からくすぶっていたもので、あちこちでここぞとばかりに爆発するのは目に見えていた。それをディアナの代わりに「快盗エレーラ」としてマックスの弟子であるダファーが消火活動に当たっている。式典から三ヶ月経った今でも。

「王制から共和制に変わって三十年も経つのに、まだまだ昔に戻そうって人たちはいるわけね」
「そりゃ、随分と甘い汁吸ってたみたいだしな」
「で、王の血を引く誰かさんを旗頭にして、金をつぎ込んでは散っていく、と。随分とお金に余裕があるのね」
「ま、いろんな汚ぇことすりゃ、金なんてすぐに集まるからな」
「毎回違う『誰かさん』を旗頭にしてるけど、根っこは同じ、ってこと?」
「みたいだな。どこぞの国主と宰相が快く情報提供してくれたおかげで、こっちも仕事が捗って仕方がねぇぜ」

 ニヤニヤとディアナを眺めるマックスは、「どこぞのメイド見習いがうまいこと二人をたらしこんでくれたおかげだな」と嘯いた。

「この記事で、これまで元締めだった商会の息の根は止まるかもしれないけど、まだ似たような人はいるのかしらね」
「まぁ、最後の王の先代がすげぇ絶倫だったみたいでな。そいつの血を引く人間なら、石投げりゃ当たるぐらいにはいるぞ?」

 手あたり次第に手をつけてたらしい、とマックスが告げれば、ディアナは「……最低」と吐き捨てた。その矛先が先代なのか、それを喜々として語るマックスなのかは分からない。

「記事はこれでいいと思う。たぶん、国主様を慕う人々は不買運動に走るわね。……従業員には気の毒な話だけど」
「そっちは安心しろ。あの商会の吸収合併を虎視眈々と狙ってるじーさんがいるから」
「……そ」

 ディアナは、隠居してなお商魂たくましい老人を、マックスを通してたくさん知っている。他でもないマックスが言うのだから、そこは安心していいのだろう。

「これで、終わるのかな」
「何がだ?」
「うん……。ハンターになった理由は違ったけど、でも、ずっとそのために頑張ってきたから、なんか、こう、これからどうしようかなって……」
「なんだ、そこらへんはすっかり、あの野郎に丸め込まれてるかと思ったが」
「フェリオのこと?」
「まぁ、いい。―――確かに、長かったかもな」

 マックスは、変わり者の師匠によって『妹』として扱わされたディアナの頭をそっと撫でた。

 最初から両親の仇討ちをしたいのだと言っていた『妹』だった。それも、他のハンターによって狩られてしまい、それなら、と他の賊によって自分のような存在を生み出さないために、とハンター稼業を踏ん張って来た『妹』。
 あの時、泣きながら駆け込んで来たディアナに対して、マックスが最初に感じたのは怒りだった。

「ごめん、お姉ちゃん、アニキ、兄さん。どうか、あたしと縁を切って」

 相手があまりにも強大だから、何かあったら迷惑を掛けるから、と泣きそうな顔をして自分たち兄弟子を見つめるディアナの目は、また復讐への狂気に彩られていた。何年もかけて、両親の仇討ちに固執する彼女を宥めたのに、それがほんの数日にして覆されてしまったのだ。
 『妹』を何とか宥めようとするサミーを横目に、マックスとウォリスは決心したのだ。『妹』の敵ならば、自分たちの敵に他ならないと。
 ウォリスは悩んでいた進路をあっさりヤードに決め、マックスはハンターとしての経歴をすべて捨てて、ヤード以外の情報源を求めて新聞社を立ち上げた。サミーだけは、師父の後を継ぐことをやめなかったが、それまで構えていた道場を畳み、移転することにした。
 つまり、兄弟子全員が『妹』のために動いたのだ。そこにあったのは紛れもなく、師父が求めた家族の情だったのだと思う。

「……ね、アニキ」
「あんだ?」

 頭に手を置かれたままの状態で、『妹』がじっとマックスを見上げていた。

「なんか、さ、色々と巻き込んじゃって、ごめん」
「気にすんな。好きでやってんだ」
「……ん」

 わしわしと金色の柔らかな髪を乱すように撫でれば、邪険にするでもなく、くすぐったそうに目を細めるだけの妹は、なぜか、いつも以上に素直だった。

「なんか、あったか?」
「ん、その、フェリオが変なこと言うから、ちょっと気になって」
「あの野郎。何言いやがった」

 ディアナは、ふ、とマックスから目を逸らすと、ぽつり、と呟いた。

「アニキが婚期を逃してるのは、あたしのせいだなって」
「……っ! あの野郎っっっ!!」

 やはり、あの時コテンパンにのすだけではなく、二度とかわいい妹に近づけなくなるようにまでするべきだった、とマックスは久々に「後悔」というものを味わった。

「ディー、いいか?」
「うん」
「別にお前にかまけて婚期がどうのってことはねぇからな?」
「……じゃ、やっぱ、初恋のせい?」

 ピシリ、と音を立てるほどの勢いでマックスの表情が凍り付く。

「ダファーがね、アニキも兄さんも初恋の衝撃が強過ぎて、次の人を見つけられないんだって」
「……ほぉぅ、ダファーがね」

 まさか弟子がそんなことを言い触らしていたとは、あとで仕事を三倍に増やしてやる、とマックスは心に決めた。

「ね、アニキと兄さんの初恋相手って」
「ディー。その話は禁句にしてくれ。ウォリスにも言ってやるな」
「……うん、分かった」

 その顔が、いつになく悲愴感で埋め尽くされているのを見てとって、ディアナはこくりと頷いた。

「ね、アニキ」
「なんだ?」
「あたしのわがままにつきあってくれて、ありがとう」
「……妹のワガママに付き合うのは、兄の特権だろ?」
「特権、なの?」
「そうだ。兄ってのはな、妹から『ある言葉』が欲しくて頑張っちまう因果な生き物なんだよ……って、邪魔が来やがった」

 マックスは事務所に向かう2つの足音を聞きつけ、舌打ちをする。向かって来るのはディアナの最愛の弟と、ディアナをかっさらう憎むべき男だろう。

「あれぇ? 行き先は言ってなかったんだけどぉ、おかしいわねぇ?」

 ディアナはいつものディアナの口調に戻り、首を傾げた。いつまで経っても可愛らしい服と可愛らしい仕草が似合う『妹』は、やっぱりマックスにとって可愛らしいままだ。もちろん、あの憎い男は違う判定を下すのだろうが。

「あ、姉さん。やっぱりここに居た」
「ディー、行き先はちゃんと言ってけよ」
「えへ、ごめんなさい~」

 今は快盗エレーラの仕事をダファーに渡したディアナは、彼らと三人で旅をしている。ハンターのチームとしては、なかなか名も売れていて、マックスもここに居ながらにして噂を聞くことができるのは良いことだった。
 だが、こうしてちょうどいいタイミングを狙ったかのように邪魔に入られても、とひっそり歯噛みする。

 すると、まるでこちらの苛立ちを察したかのように、ディアナがくるり、と迎えに来た二人をドアの向こうに押し出しながら振り向いた。

「ね、アニキ」
「なんだ?」
「あのねぇ、本当にありがとう~」
「あぁ、また旅にでるんだろ?」
「うん、今度は北の方に行こうかな、ってぇ」
「そっか、あっちは寒いから気をつけろよ」
「それで、ねぇ?」

 ディアナは満面の笑みを浮かべた。

「アニキ、ありがとう。大好きぃ」

 その声と笑顔は本当に凶器で、兄であるマックスの心臓を打ち抜くには十分だった。憎いあの男が「あ、オレも言われたことねぇのに!」と悪態をつく様子がまた、兄としての矜持を際立たせる。

「知ってたよ」

 こともなげに返せば、ディアナは「うん」とうなずき、彼に背を向けた。

 そんなことはとっくに知っていたよ。俺たちの妹。

<<七夕まつり 星に願いを >>兄さんへ。


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