1.はじまり両手に重い枷をはめられた私は、目の前に立つ青年を見上げた。 天使かと見紛うような金色の髪は、小さな明かり取りの窓から差し込む僅かな光に照らされ、まるで宗教画のような神々しさを与えている。新緑の瞳はどんなエメラルドも敵わない輝きを湛え、その美しく整った顔立ちに一層の華やぎを添えていた。 つまりは、とんでもない美青年である。 彼は墨色のローブをまとった男を控えさせ、私に対峙していた。 「ご心配されるような術の反応はありません。魔術師の元に居たとは言え、証たる杖もないようですので、単なる小間使いの体であったのだと推測されます」 「―――そうか」 ローブの男の報告に、青年は無表情の中に僅かな安堵を滲ませた。男にねぎらいの声をかけ、部屋から退去させると、寝台に座り込んだままの私にゆっくりと近づいた。 「つらい思いをさせてすまない、マリーツィア」 彼の手に握られた小さな鍵が、私の手枷のものだと気付いたのは、両手が軽くなってからだった。 「あれから、ずっと君を探していた。あの外法魔術師の下で無理やり働かされていたのだろう? もう安心していい。君は俺が守る」 私は、青年がかつての少年だと気付いていた。 だからこそ、抱きしめようと伸ばされた腕から逃れようと自分の身体を小さくする。 「マリーツィア。俺の『祈り』」 私の名前の由来が、古い言葉で『祈り』を表すものだと教えてくれたのは、やわらかな金の髪を持った、人の目を引く容貌の少年だった。。そう、間違いなく目の前の美青年は、かつての、あの、少年なのだと確信し、私の肌が粟立った。 「もう、逃がさない。俺のマリー」 私は、自由になった手を使って、恐怖を振り払うように思い切り彼の頬を引っぱたいた。 ![]() 「お師さま。今度はどんな魔術を見せるんですかー?」 私の名前はマリーツィア。この春で十二になる。 子沢山の農家に生まれた私は、隣にいるお師さまに見出され、魔術師の弟子となった。生まれつき魔力が高い私を引き取ったお師さまは、その対価として十分なお金を支払ったらしいが、そんなことはどうでもいい。私はお師さまが大好きだ、という事実があるんだから。 「気になるかい、マリー。そうだね、今度行くお邸には、君よりも少し年上のお坊ちゃんがいるようだから、見た目が派手なものにしようか」 私に微笑みをくれるお師さまは、かっこいい。 黒い髪に黒い目のお師さまは、その筋では有名な魔術師様なのだそうだ。王宮からも仕官の誘いが何度も来ているのに、すべて断ってると、この間のお客さんが教えてくれた。見た目だって二十代くらいで、私とは少し年の離れた兄妹に見られてしまうこともあるけれど、この間、工房に顔を見せた身なりのよいおじさんがペコペコと頭を下げていたから、もっと年上なんだと思う。 残念なのは、お師さまが、私にあまり魔術を教えてくれないことだ。私のお仕事は掃除や洗濯、あとはお師さまの研究のために自分の血を提供することだけ。文字や簡単な計算なんかは教えてくれたけれど、肝心の魔術については、教えてくれる気配がない。これでは弟子じゃなくて、単なる小間使いだ。 「マリー、ここが今日の舞台だよ」 私は思わず「ふわぁ」と間の抜けた声を上げてしまった。とても大きな門と、中にお庭が見えるだけで、お邸は屋根しか見えなかったからだ。すごく広いんだろう。お邸だって、とっても素敵に違いない。 お師さまは門番に名前を告げて、魔導師の身分証明である杖を見せると、今日のパーティに招かれたのだと伝えた。すると、怖い顔をしていた門番が、どこか緊張した様子で私たちを中へ案内してくれた。 きれいに整えられたお庭の奥に、白い壁の、とても大きなお邸が見えてくる。玄関口に立っていた黒尽くめの服を着たおじさんが、私たちにピシリとお辞儀をした。まるで枝を折ったようにきっちりと腰だけを曲げて背中を丸めないお辞儀なんて初めて見た私はびっくりした。 「魔術師イスカーチェリ様。お待ちしておりました」 「こちらこそ、余興に呼んでもらって、感謝している」 お師さまの言葉に、黒尽くめのおじさんはまた、ピシリと頭を下げた。 「そちらは?」 「あぁ、この子は僕の助手だ」 私は精一杯お淑やかに見えるように、軽く服の端をつまんで腰をかがめた。 「マリーと申します。本日はよろしくお願いいたします」 渾身の挨拶だったのに、おじさんは「そうですか」と淡々と頷いた。ちょっとがっかりだ。 「では魔術師イスカーチェリ殿、半刻後に余興をお願いいたします」 「もちろん。控えの間はあるかな。準備をしたい」 「ご用意してございます。どうぞこちらへ」 おじさんに連れられ、お師さまと私は邸内に足を踏み入れた。貴族のお邸に入るのは初めてではないけど、シンプルながらも高価な装飾なんじゃないかなと感じる。これでも、あちこちお師さまに付いて行ってるから、目は肥えているんだ。 「では、お時間になりましたら、声をおかけします」 おじさんが部屋を出て行くと、私は思わず「ぷはぁ」と息を吐いた。 「緊張したかい、マリー?」 「はい、お師さま。さっきの人が、あまりに几帳面というか、正しいというか……。その、歩くのにも無駄がない感じがして」 「そうだね。『正しい』という印象はある意味、的を射ているよ。執事は他人に隙を見せない。自分の恥は主人の恥に繋がってしまうからね。常に『正しい』行動を見せなければならないんだ」 「それは、とても大変なお仕事ですね。お師さまがよく言っている、責任とやりがいのあるお仕事でしょうか?」 「そうだね。―――マリー、準備を」 お師さまに促されて、私は慌てて自分の荷物から小さな小刀を取り出した。 「今夜は小さな花火をお見せするからね」 お師さまから渡された小石を、私はテーブルの上に並べる。一見、どこにでも転がっているような石だけど、お師さまが言うには、その中に小さな水晶が混ざっているのだそうだ。残念ながら、私には他の小石との見分けがつかない。 「全部で十五個ですね。それじゃ、始めます」 私は自分の腕に小刀を滑らせた。赤い筋が走り、そこからぷくりと血が赤い玉となって膨らむ。 (浅かったかかな?) 私は傷口を開くように手を添え、自分の血を並べた小石に一滴ずつ垂らしていった。 「お師さま、準備完了です」 小刀を拭い、傷口にガーゼを貼り付けている間に、お師さまが小石に魔術を込めていく。 お師さまの真剣な瞳が一瞬だけ細められ、小石がぼんやりと淡く光る。私はこの瞬間が大好きだった。何の変哲もない小石が、自分の血とお師さまの魔術で、とても素敵なものに変わる瞬間だからだ。 「マリー、いつものお茶を飲むんだよ」 ずっと見つめてしまっていたことに気付いたのだろう、お師さまは私にそう言い含めた。思わず「うげ」という顔をしてしまった私を見て、お師さまは柔らかく笑う。 「マリー、そんな顔をするものじゃないよ。君のかわいい顔が台無しだ」 「はぁい」 お師さまの言う「お茶」は、私がほぼ毎日飲んでいる薬のようなものだ。増血作用のある薬草を煎じたものなのだけど、これが不味い。苦くて酸っぱいそのお茶を、私はできることなら飲みたくなかった。 「マリー。今日はそこにお茶菓子があるだろう? 飲んだらすぐにそれを食べればいいじゃないか」 「でも、お師さま。本当にあれ不味いんですよ」 「無理を強いてすまないね。だけど、君が毎日提供してくれる血の量を考えると、そのお茶は欠かせないものなんだよ」 だから、我慢しておくれ。というお師さまに、私は慌てて首を横に振った。 「お師さまに謝ってもらうことじゃないです! 大丈夫です! 飲みますから!」 大好きなお師さまの役に立つためだ、私にとって血を提供することは、これっぽっちもイヤなことじゃない。まぁ、お茶を飲むのはイヤだけれど。 それでも、お師さまが私の健康を気遣ってくれているのだ、遠慮するなんてバチが当たる。 「だから、お師さま。気にせず私の血なんて、どんどん使っちゃってください。私、お師さまの役に立ちたいんです。だから―――」 だから、の後に続く言葉は、お師さまの手によって止められた。 「マリーのその性格は変わらないね。血を提供させる僕を恨んだっていいんだよ?」 少し困ったような表情を見せるお師さまの手を、私は自分の口から剥ぎ取った。 「とんでもない! 私は、お師さまの役に立ちたいんです! そのためなら、ちょっとくらい痛いのだって我慢できます!」 お師さまは、やっぱり困ったような笑顔を見せて、それでも私の頭を柔らかく撫でた。 「髪も随分と伸びたね、この仕事が終わったら切ろうか」 「はい!」 一つにまとめて三つ編みにした私の髪は、今や腰まで伸びている。お師さまとお揃いの黒髪。大きな魔力を宿しているらしい私の身体は、血だけでなく髪までもお師さまの研究に役立つのだ。すごいぞ、私(の身体)。 コンコン 「そろそろ準備はよろしいでしょうか?」 「分かりました。―――マリー」 「はい!」 私は荷物の中からお師さまのローブを取り出す。滑らかな手触りの墨色の生地に銀糸で刺繍の入ったものだ。同じく、自分のローブも取り出した。お師さまのものとは比べるべくもない黒い木綿の質素なものだけど、白い糸で拙いながら刺繍も施した。 「さぁ、行こうか」 「はい!」 向かうはこの邸のお坊ちゃんの誕生日パーティ会場だ。きれいな花火に、きっと喜んでもらえるだろう。 私はわくわくしながら、控えの間を後にした。 | |
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