2.宴と別れ「今宵は祝賀の席にお招きいただきありがとうございます。どうぞ、ひと時の夢をご堪能くださいませ」 口上を述べるお師さまと一緒に、私も頭を下げた。 広間に作られたスペースには、私とお師さまと、小さなテーブル。それを取り囲むのはきれいに着飾った紳士淑女の皆様方。いつもと違うのは、特等席にちょこんと座った一人の男の子がいるということだけだ。 たぶん、この子が今日の主役であるお坊ちゃまなんだろう。さらさらの金髪やきれいなエメラルドの瞳はとてもきれいで、「美少年」という言葉に負けない顔立ちというのは、きっとこういうものなんだと思えた。主役のはずなのに、全然楽しそうでもないが、今日はお師さまがお坊ちゃまの美貌を超える光景を作り上げてくれるはずだ。きっとこのお坊ちゃまも大喜びするに違いない。 私は細かい装飾の施された、いかにも高価そうな銀の燭台を高く掲げ、出入り口近くに控える執事さんに小さく頷く。 執事さんは使用人たちに合図を送ると、広間の灯りが次々と落とされた。 そうして作られた闇の中、私の持つ燭台だけが煌々と光を放つ。それ以外は、壁際に控える何人かの使用人が持つ、覆いの被せられた灯りがぼんやりと浮かぶのみ。 目の前の男の子が、緊張を孕んだ瞳で私を見つめた。 私を見つめても何も起こらないのにな。お師さまを見てよ、と思うけど、それを口にするのは憚られる。 「どうぞご覧ください。闇夜にこそ輝く星々のきらめきを!」 大げさな口上のお師様の手が小石を掴み、空中に放り投げると魔術で固定した。そうして十個の小石が天井近くに留まると、お師さまは次に摘んだ小石を、左手に掲げ、右手で私の方を差し招く。 「うわぁ」 「まぁ……」 居合わせた人々の感嘆の声とともに、私の持つ燭台から炎だけがお師さまの持つ小石へと寄って行った。小石に炎が吸い込まれるように消えると、次の瞬間、パチパチと小さな音を立てて、小石から絶え間なく火花が放たれる。 お師さまが火花を放出し続ける小石を軽い仕草で放り投げると、小石は火花と光を放ちながら、水平な弧を描くように天井へと舞い上がった。その火花は、空中に固定された小石にも火をつけ、天井がきれいな火花につつまれる。留まる十個の光と、円を描いて動き続ける一つの光。そこに次々とお師さまが小石を放り投げ、いくつもの楕円軌道を描く光がさらなる美しい光のダンスを作り上げる。 「これは……」 「なんて美しい」 「まるで夢のような光景ですわ」 広間のあちこちから上がる感嘆の声に、私は胸を張りたくなった。これがお師さまの術なのです! これなら貴族のお坊ちゃまだって満足されているに違いない、と私は目線をこっそりと主賓に送り―――絶句した。 残念ながら、お坊ちゃまの視線は天井に向けられていなかったのである! いや、きっと視界には入っているんだろうけれど、何故かその視線はまっすぐに私の方へ向けられている。 いや、私じゃなくて、お師さまを見ているに違いない。だって、こんなに素敵な光景を作り出せるお師さまなのだ。貴族のお坊ちゃまが熱い視線を向けるのも仕方ない! しばらくすると、空を飛び交う光が明滅を繰り返すようになり(魔力切れだ)、お師さまは小石を自分の手に呼び戻した。 「どうやら光も今宵の月の輝きに恥じ入ってしまった様子、どうぞ休むことをお許しください」 お師さまの言葉で使用人さんたちの持っていた灯りから覆いが外され、広間に元の明るさが戻った。 「今宵、夜闇を照らし上げた光のごとく、お集まりの皆様方に明るい未来が訪れますよう」 お師さまと一緒に頭を下げ、大勢の拍手に見送られながら、私たちは広間を後にした。 ![]() 「お師さま、今日の花火もきれいだったのですけど、あの子には目新しくなかったのでしょうか」 控えの間で片付けをしながら、私はつい疑問を口にした。今まで貴族の邸でいろいろなものを披露してきたが、あんな反応を見せる人はいなかったのだ。今回の花火も、これまでのどんな余興に劣らない素晴らしいものだったと思うのだけど。 「そんなことはないと思うよ、マリー」 ローブを畳みながらお師さまは小さくため息をついた。 「ただ、彼の興味が花火以外のものに向いてしまっただけだよ」 お師さまの表情は、工房の整理整頓を面倒臭がっている時や、王宮からの使者様が来たと知らせた時と同じものだった。外でこんな顔を見せるお師さまは非常に珍しい。 「もう少し王都で稼ごうかと思ったけど、今年は早々に帰った方がいいかもしれないね」 「え、でも、実験器具を新調するために、あと五件ぐらいは仕事をするって……」 「器具よりも大事なものを奪われそうだ」 お師さまが何を心配しているのかは分からないけれど、何か大変なことが起きるようだ、というのは理解できた。私はお師さまに倣ってテキパキと荷物を片付けていく。 コンコン 「恐れ入ります。主人がどうしても直接会ってお話をしたいと……」 扉の外から聞こえて来た声に「あーあ」とお師さまが天井を仰いだ。 「マリー、少し話をつけてくるから、ここで―――」 「いいえ、お嬢様も一緒に、とのことです」 扉の外からの声に、お師さまはいつになく苦い表情を浮かべた。 「あ、あの、お師さま。私、何か粗相をしてしまったのでしょうか?」 「いーや、マリーは悪くない。悪いとしたら、……きっと、僕の方だ」 お師さまは、くしゃりと私の頭を撫でると、私の手を引いて控えの間を出た。 私は、予想もしない展開に、心臓が跳ねたように騒ぎ出している胸を、ただひたすらに押さえていた。 ![]() 「そちらに座りなさい。魔術師イスカーチェリ殿」 私たちを待っていたのは、きれいな身なりのおじさんだった。確か、今夜の主役である坊ちゃんの近くに座っていた人だったと思う。先ほどはにこやかに余興を眺めていたのに、今、その目は鋭くお師さまを見つめている。 「今宵の報酬の件でしたら、使用人経由で一向に構いませんのに、どういったご用向きでしょうか」 お師さまの固い声にも驚いたが、その内容にも驚いた。 つまり、目の前のこの人が、私たちを呼んだ、このお邸の主人様なのだ。広いこのお邸の持ち主! 「単刀直入に言おう。そのお嬢さんを息子の遊び相手に譲って欲しい」 一瞬、何を言われたのか分からなかった。 お嬢さん、て、何? 譲って欲しい? 「お断りします」 お師さまの声もどこか遠くで聞こえる。 「日頃、何にも執着を持たない息子がねだるのだ。私としても、願いを叶えてやりたいのだよ。他ならぬ息子自身の誕生日でもあるし」 「マリーは物ではありません。右から左へ受け渡すなどできるはずもない」 マリー、という固有名詞に、私はようやく現実を受け入れることにした。 この人は、自分の息子である、あのお坊ちゃんの遊び相手に、私を手元に置きたいと言っているのだと。 私は俯き、ぐっと拳を握り締めた。 お師さまと一緒に生活するようになった時、私はまだ六歳だった。あの時の気持ちは今も忘れていない。 イヤだ。ここに居たい。捨てないで。 あの頃と違うのは、多少は物事を考えられるようになったということ。それでも、私はお師さまと一緒にいたい、と今すぐにでも縋り付きたい気持ちを堪えるのに精一杯だった。 このお邸の主人という目つきの鋭い人と、お師さまの話し合いは平行線のまま続いている。これだけの立派なお邸を持つ人だ、本気になればお師さまをどうすることもできるのかもしれない。お師さまの平穏のためには、きっと、私は――― バタンッ 大きな音を立てて扉が開く音に、私は思わず身体を震わせた。 「父上!」 飛び込んで来たのは、今宵の主役の少年だ。 「クレスト。なぜここに来た。主賓が会場を離れてどうする」 「父上が交渉していると聞いて。彼女に失礼な発言をするのではないかと心配になりました」 そのやり取りに、小さくため息を洩らしたのはお師さまだった。 「ちょうど良いところに。残念ながら僕は、マリーを手放す気はありません。アルージェ伯様も、ご子息様も、そこをご理解いただきたい」 「君はマリーと言うのか。素敵な名前だ」 残念ながらお師さまの言葉を聞いていないクレスト少年は、私の手を取ると、両手で握り締めてきた。 「魔術師殿。俺は貴方みたいな非道な仕打ちをこの子にするつもりはない」 非道な仕打ち? 目の前のきらっきらの美少年は、理解できないことを口にした。 私がちらり、とお師さまを見上げると、何故か小さく首を横に振られた。いったいどういう意味なんだろう。この少年の言いたいことも、お師さまの首振りの意味もよく分からない私は、きょとん、と目を丸くするしかなかった。 「ハール、あれを」 父上さんが控えていた黒ずくめさん(私たちを邸へ迎え入れてくれた人だ)に声をかけると、何やら重そうな布袋を銀のトレイに恭しく持って来た。 「今宵の余興と、そのお嬢さんの対価だ」 ジャリン、と硬い金属が触れ合う音に、私はびっくりした。口が少しだけ開いた袋は、その中が金ピカの硬貨で埋められていることを教えてくれる。 「何度も言いますが、マリーは物ではありませんよ、アルージェ伯様」 「それは理解している。だが―――」 「他ならぬ魔術師殿が、この子を物扱いしているんじゃないか。こんな風に!」 いきなり私の手をぐっと引き寄せたクレスト少年は、私の袖を捲り上げた。そこには、パーティの前に手当てしたばかりのガーゼと、同じようにして作った傷跡がいくつも残っている。 両腕にいくつもある傷跡を見たクレスト少年が、まるでとんでもないものを見るような目つきで、私の腕を凝視した。 「幼い少女を切り刻むような男に、この子は連れて行かせない」 何を言っているんだろう。 これは私を養ってくれるお師さまへの、正当な対価だよ? 「もし、この子を置いていかないのなら、子どもへの虐待として告発する。ギルドに属さない魔術師の立場がいかに弱いものか、はぐれ魔術師なら知っているだろう」 「クレスト! 発言を控えなさい!」 「――いいでしょう」 それは、信じられない言葉だった。 お師さま。 お師さま。 お師さま。 「マリーツィア。この邸に残りなさい」 私はゆっくりとお師さまを見上げた。 「この邸で、このお坊ちゃんの遊び相手として色々なことを吸収するといい。僕の教えることだけでは、どうにも常識が欠けてしまいそうだからね」 「……お師さま」 またなのか。 両親だけでなく、お師さまにも捨てられるのか。安穏とした生活と秤にかけて、私はやはり軽いのか。 「そのブレスレットは、ささやかながら僕からの贈り物にしよう。大事にしなさい」 お師さまの指差す先には、細かい模様の施された銀色の輪があった。私を伴って出稼ぎに出るようになってから渡された護身用のブレスレット。 「お師さま……?」 意図するところを理解しきれず、呆然と呟く私を、後ろからクレスト少年が抱きしめた。 「アルージェ伯様。この袋で手を打ちましょう。僕としても非常に残念ですが、坊ちゃんがそこまでマリーを所望するのであれば仕方がありません」 「そうか、受けてくれるか」 鋭い目をした父上さんが、初めて顔を和ませた。そんなにこのお坊ちゃんが大事なのか。私からお師さまを奪うほどに。そんな憤りがふつふつと沸きあがる。 「えぇ。ですが、ふたつだけ条件を」 お師さまは、ちらりとこちらに目を向けると、その黒い瞳を細めた。心配ない、と私に告げるように。 「一つ目、もし、マリーがこの邸での生活に嫌気が差して逃げ出すようなことがあっても、僕は関知しません」 その言葉をどう理解すれば良いのか分からなかった。 逃げ出して、お師さまの所に帰れば良いのか。 それとも、逃げ出してもお師さまのところに行ってはいけないのか。 視線を落とした私は、餞別だと言うブレスレットを見つめた。 | |
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