TOPページへ    小説トップへ    重たい執着男から逃げる方法

 7.軟禁


「だから、お師さまに無理やりそんなことされた記憶はありません!」
「あいつの良いように暗示をかけられているだけだ。目を覚ませ」
 馬車の中で私は目の前の美青年――認めたくはないがクレスト坊ちゃんだ――に噛み付いていた。
「だいたい、私にだって仕事があるんです。帰してください」
「あの食堂のことか? 主人には事情を説明してある。誘拐された君を探していたと」
 どんな事情だ!
「主人にも聞いた。雇われた当初、一般常識にも疎く、腕には鋭利な刃物で切られたような傷がいくつも残っていたとな。おおかた、軟禁され、あの頃のように血を提供させられていたんだろう」
 あなたの追っ手が怖くて閉じこもってたんだもん!とはさすがに本人を目の前に言えなくて、血を使う時は、自分で切ってたし!と反論してみる。
「まだ、暗示が解けていないのか。大方、あの魔術師から逃げて来たんだと思っていたが、違うのか?」
 何度、同じ説明をさせるんだ、この坊ちゃん。
 お師さまの研究を自主的に手伝っていたと言っても、聞く耳も持たない。
「邸に戻って、前の生活に戻れば、きっと洗脳も解ける。今度こそ、お前を守り抜く。マリーツィア」
 馬車で揺られること半日。坊ちゃんと平行線の議論を繰り広げ、見覚えのあるお邸に着いた頃には日はとっぷりと暮れていた。
「お帰りなさいませ、クレスト様」
 抵抗する私が馬車から力ずくで引きずり出されるなり、ぴしり、と挨拶してきた黒ずくめのおじさんに、見覚えがあった。
「ハール。部屋の支度はできているな。アマリアに世話をさせる」
「かしこまりました」
 抵抗する私を軽々と抱き上げ、クレスト坊ちゃんはお邸の中を悠々と歩く。
「下ろして!」
「あの魔術師の所へ戻るとでも言うのか? お前に必要なのは養生だ」
 本当に、この坊ちゃんは人の言うことを聞かないっ!
 無駄に筋肉付けやがって! せめて行使魔術の一つでも使えたらいいのに!
「ここだ。覚えているか?」
 坊ちゃんは、二階のとある部屋に入ると、ようやく私を下ろしてくれた。
 促されて部屋を見回すと、思わず口元が引きつりそうになった。
 覚えているも何も、四ヶ月もの間、耐え忍んだあの部屋じゃないか。ご丁寧に刺繍道具までそのままだ。
「足りないものがあれば、アマリアに言え。今日は疲れただろう。ゆっくり休むといい」
「ちょっ……!」
 目の前で扉を閉められた。
 すぐに廊下から、誰かと話している声が聞こえる。女性の声だ。
「失礼いたします。マリーツィア様」
 見覚えのあるそのメイドさんは、何故か巻尺を手にしていた。
「お疲れのところ申し訳ありませんが、簡単な寸法だけ測らせてくださいませ」
 かつて私の世話をしていたメイドのアマリアさんだ。名前を勝手に拝借していたことを謝罪しておくべきだろうか?
 アマリアさんは私を立たせ、テキパキと私の腕やら腰やら胸やらの寸法を測ると、「お手数をおかけしました」と頭を下げた。
「あの、聞きたいんですけど…―」
「申し訳ありませんが、主より、マリーツィア様の洗脳が完全に解けるまでお話を伺ってはならないと、申し付けられております。―――どうぞ、寝る前にお着替えを」
 ふ、坊ちゃんめ。どうしても私を「洗脳された可哀想な子」にしたいらしい。
 慣れない馬車の旅で疲れていたこともあり、私は食い下がるのを諦めてアマリアさんの差し出した着替えに袖を通した。
 そして、ふかふかの布団に潜り込んで考える。
 いったいどうやってあの坊ちゃんの誤解を解いたら良いものか、と。


 甘かった。
 そもそも、あの坊ちゃんが人の話を聞くわけがなかったのである。
 この四年間で進歩したかと思えば、まったくそんなことはなかったのだ。
 お邸に連れて来られてからの生活は、『軟禁』と呼ぶに相応しいものだった。
 まだお師さまに心酔しきっている私が、自ら彼の元へ戻ろうとするのではないか、という心配のもとに、私には常時護衛が二人もつけられた。サアラさんとエルミナさんという二人の女剣士は、とてもビジネスライクな性格をしていて、雇用主である坊ちゃんの命令に忠実だった。私がいくら話しかけても、眉一つ動かさない態度を徹底して貫いたのだ。
 お邸で働く使用人達も、若い主人の不興を買ってはいけないと、徹底的に私のことを避けた。世話する役目を負ったアマリアさんだけが、唯一私と接してくれるが、会話は徹底的に無視!である。
(お師さま。今度は四ヶ月も保ちそうにありません)
 あの時と違い、お師さまの庇護下にない私は、緊急避難の手段を持っていなかった。
 夕食の席でしか会話することは叶わず、しかもその相手もこの軟禁生活を指示した相手一択。お師さまについての弁明は聞く耳を持つわけもなく、結局、一方的にお師さまの悪口や、私の境遇がいかに不幸なものなのかを説かれるだけで終わる。
 それでも、三日は頑張った。
 だが、三日目の夜に寝台に潜り込んだ私は、もう疲れ果ててしまった。食事など必要な時以外は部屋を出ることもできず、常に監視の目が光り、お邸の主人から許された数冊の本で一日を潰す。針が危ないからという名目で刺繍道具も取り上げられた私のストレスは限界を振り切っていた。
 そんなわけで、四日目はハンストを決行しようと考えたものの、元々、食事ぐらいしか楽しみのない生活で、それすらも我慢することはできなかった。
 その代わり、夕食で顔を合わせる坊ちゃんと一切口をきかないようにしてみた次第である。
 いつも通り、席についているのは私と彼だけ。私の傍らにはアマリアさんが給仕として控え、彼の隣にはハールさんが佇んでいる。
 先ほどから、何回も彼が話しかけてくるのだが、私は一切無視。聞こえないふりをして食事に集中している。
 表情には出ていないが、随分とご立腹の様子だ。私はこれを毎日お邸の使用人や護衛にされてるんだぞ、思い知れ。
 彼から立ち昇るヤバいオーラに恐怖を感じているのか、アマリアさんは先ほどから手が震えている。より彼に近い立ち居地のハールさんが動じた様子がないのは、さすがと言うべきなのだろう。
 私は食後の紅茶を身振りで拒み、立ち上がった。
 すると彼も立ち上がる。慌てていたのか、ガチャン、と音を立てて茶器が倒れかけた。視界の端でハールさんがカップを押さえたのを確認してホッとする。
 食堂を出る私の後ろから、彼の足音が聞こえた。
 苛立っているのが分かる。足音がいつもの二倍ぐらいはうるさい。
 私は自分に与えられた部屋のノブを掴み、とっとと退散―――
「マリー、来い」
 手首を強い力で掴まれ、まるで引きずられるように彼の部屋へと連れ込まれた。
 乱暴な動作で部屋の中央に押しやられると、私は非難の目つきで彼を見上げる。
 日頃から表情の薄い彼にしては珍しく、怒っていることがハッキリと見てとれる。
 美青年というのは怒っても綺麗なものなんだな、としみじみ思う。うっかりすると悪くないのに謝ってしまいそうだ。
「何が不満だ」
 お前がそれを言うか!とすかさずツッコみたくなった。人の自由を奪っておいて、よくもそんなことが言えるもんだ。
 まだ口を開くのは早い。もう少し焦らして付け入る隙を探したい。
「俺を嫌うか」
 これだけやって、嫌わないと思う方が不思議だ。
 口にしない代わりに、心の中で罵声を浴びせる。
「マリー」
 近づいて来た彼の手が、私の頬を撫でる。逃げたくなるのを我慢して、彼の新緑の瞳に挑むように焦点を合わせ続けた。
「君が俺を拒んでも、俺は君を手放さない」
 頬に添えられていた手が、下に滑り―――
「っ!」
 視界が真っ赤に染まった。
 苦しい。
 首をぎりぎりと掴み上げられ、私の呼吸が遮られる。
「マリー、君の声を」
 すい、と顔を寄せられ、囁かれる。
 首絞めながら、声を出せとはどういうことだ! 無理だろ!
 心の絶叫が聞こえたのか、首を絞める手が緩み、私はその場にくたりと崩れ落ちそうになったところを、無理に支えられた。
「けほっ、……何を、考え、て―――」
「俺に声を聞かせてくれないなら、喉はいらないだろう?」
 その声音に嘘はなかった。
 それが、こんなにも怖いなんて。
 私は目の前の加害者に支えられながら、けほん、と咳をした。
 酸素が足りないと求める頭を叱咤し、何とか現状打破のセリフを搾り出す。
「そこまで、言うのなら……、分かってくれたでしょう? 会話が、けほっ、できないことが、どんなにつらいことか」
 咳を繰り返し、生理的に湧き上がった涙が頬を伝う。
「マリー、そんなことのためにこんなことをしたのか。何かあれば俺に言うように言っただろう」
 咎めるような口ぶりだが、ふざけるな!と怒鳴りたい。
 すっかり不機嫌オーラをどこかにやってしまった彼を殴り倒すことができたら、どんなに胸のすくことか。
「では、護衛や使用人に私との会話を許してください」
「わかった」
「ついでに、庭の散歩の許可も」
「いいだろう」
「あと、刺繍道具も」
「それはだめだ」
 どうやら、まだ針(=刃物)は手にすることは許されないらしい。それでも、随分と自由を得られた。
「わかりました。それでは、私は部屋に戻ります」
 私はさっきの絞殺未遂については記憶の彼方へ放り投げることにして、彼に辞去の挨拶をする。
「マリー」
 だが、彼は私を腕の中から解放してはくれなかった。
「なんでしょう」
「いつになったら、君は俺の名前を呼ぶ?」
 見上げた彼の表情は、残念ながら読めなかった。
「マリー?」
 気付いていたとは知らなかったが、私は彼のことを意図的に名前で呼ぶことはしていない。アマリアさんに対してだって「あの人は?」で事足りる。
 さらに言及すれば、四年前だって、名前で呼んだことはないはずだ。心の中で「クレスト坊ちゃん」と呼んではいたけれど。
「それが、何か?」
 素直に応じる気のない私は、彼の腕の中から首を傾げて見せた。
「……なるほど」
 氷室のように冷たい声で囁かれたかと思った次の瞬間、彼の唇が私の首筋を這った。反射的に突き放すものの、抗いきれない。
「そのうちに」
 その言葉とともにようやく解放された私は、逃げるように自分の部屋へと走り出した。


 翌日から、私はアマリアさんを含む一部の使用人との会話が解禁になったことを知らされた。残念ながら護衛の二人は許可が下りなかったけれど。
 ようやく会話を楽しめると喜んだのも束の間、会話できる話題はかなり限定されていた。特に、魔術に関わることは全てアウトである。
 それならば、「まず敵を知らなくては」と意気込んで彼について尋ねまくったところ、その夜、それを使用人から報告された彼はえらく上機嫌だった。
「そんなに知りたいのなら、直接、聞けばいい」
 そのお言葉に、私がフォークを握り締めて耐えたのは言うまでもない。

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