6.拉致「アム! 山菜フライ定食あがったよ!」 「はい、おかみさん!」 接客の仕事も随分と慣れてきた。 「アマリアちゃん、昨日ぶり」 「ベイカーさん、こんにちは。丁度いつものテーブルが開いたところですよ」 常連にも顔を覚えられ、笑顔で応対することも呼吸をするぐらいに簡単にできるようになった。 「アム嬢ちゃん、注文お願い」 「はい、少々お待ちください」 すっかり慣れ親しんだ「アマリア」という偽名のことを思い出し、忙しいお昼時にも関わらず私は笑みを深くした。 「じゃ、とりあえず開店前の掃除、接客、閉店後の片付けをやってもらうよ。―――あぁ、名前を聞いてなかったね」 最初の注文をおかみさんに伝えた後、そんなやり取りがあった。私は何も考えずに「マリーツィアです」と名乗ろうとして 「遠い異国の言葉で『祈り』を表す名前だ。君に相応しい名前だね、マリーツィア」 もう四年も前に聞いたはずの言葉が、まるで毒のように背筋を凍らせた。 「アマリアと言います。よろしくお願いします。」 とっさに口にした名前は、あのお邸で自分の世話をしてくれたメイドの名だった。 「アマリアだって? 随分と古臭い名前だね」 「? そうなんですか?」 「アタシぐらいの世代に流行してた名前だよ」 「……あ、なるほど。お母さんが自分の憧れの名前をつけたって言ってましたっけ」 とっさにそれらしい名前の由来を口にすると、なるほどね、と同意を得られた。 「こんにちは、席空いてるかな」 回想にふけっていたのはそう長い時間ではなかったが、私は新たに来店したお客様に笑みを浮かべた。 「こんにちは、一週間ぶりですね、クラインさん」 黒髪に黒目の週一常連客は、私に微笑みを返してくれた。薬売りのクラインさんは、週に一度、薬草を売りに山から下りてくる人だ。まぁ、偽名を使ったお師さまなんだけど。 「ベイカーさんと相席でもよろしければ、すぐに案内できますが」 「うん、構わないよ」 私はベイカーさんに手を振って「相席よろしいですか?」と声を掛けながらお師さまを席に案内する。 「よ、薬屋の兄ちゃん。久しぶり」 「ベイカーさんも元気そうで何よりですね」 お昼時は大盛況なので、顔見知りの二人の会話に混ざることもできず、私は店内を右へ左へ動き回った。 「お、混んでるな」 入り口から男の人の声がしたのを聞きつけ、私はハンクさん注文の焼き鳥丼をテーブルに運ぶと、すぐに駆けつける。 どうやら定期巡回という名の雑用を任された新米騎士のようだった。青い腕章がその目印というのは、ここで働くようになってから常連さんに教えられたことだ。 「お二人ですか? カウンター席ならすぐご案内できますが」 「え?」 何故か慌てた様子の騎士さんその一が、私をまじまじと見つめた。 「あぁ、カウンターで構わない。オススメは何かあるかい?」 幸い、騎士さんその二がすぐに答えてくれたので、私はカウンターへ二人を先導する。 「今日は山菜フライ定食がオススメです。あ、でも、騎士様にはちょっと量が足りないかもしれないので、鶏の照り焼き定食の方が良いかもしれません」 「じゃ、それ二つ」 「かしこまりましたー」 私はおかみさんに注文を伝えると、テーブル席のお師さまに呼ばれてカウンターを離れた。 「山菜フライ定食を。―――ところで、酔ったハンクさんにお尻を触られたというのは本当?」 「ベイカーさんに聞いたんですか? 本当ですよ。でも、おかみさんに『行き過ぎたボディランゲージはどう対処すれば良いですか?』って相談したら『行き過ぎたボディランゲージで対処しな』って教わって、それからは触ってこなくなりましたよ」 「あっはっは、それでアマリアちゃんは、ハンクの手をつねったり足を踏みつけたりしてたのか、アンナ直伝なら容赦ないわけだ」 豪快に笑うベイカーさんに苦笑いを返し、私はまた別の客に呼ばれて別テーブルに向かう。 「アマリアちゃんは、ここへ来た頃は随分と警戒心低いし、天然だし、で心配してたけどよ、アンナに随分と仕込まれちまったなぁ」 店中に聞こえるんじゃないかってぐらい大声で話すベイカーさんに、お師さまが何かをぼそぼそと言い返していたのが聞こえたが、残念ながら内容までは聞き取れなかった。昼食時は本当に忙しいのだ! 「アム、山菜フライとパスタ上がったよ。ついでにベルカの野郎に酒もほどほどにしないとリンダに言いつけるよって言っといで」 「了解です、おかみさん!」 仕事終わりに一杯どころか二杯三杯と引っ掛けていくベルカさんは、今日は珍しく仕事仲間とお昼を食べに来ていた。 「……ですって、ベルカさん」 「うわ、アンナも容赦ねぇなぁ。―――ところでアムちゃん」 「はい?」 「カウンターの騎士サマが、やたらと見てるんだが、気付いてるか?」 「え、そうなんですか? でもカウンターなら私は別に注文も配膳も必要ないですよね?」 「惚れられたな?」 「まっさかー!」 ベルカさんの肩を軽くぺしん、と叩いて笑い飛ばすと、私はおかみさんに呼ばれ、次なる料理を受け取りに行った。 途中、ちらりとカウンターの騎士さん二人を見てみると、その片方と目が合った。栗色の髪を持っていて愛嬌ある顔立ちをしている人だけど、見覚えがあるわけじゃない。そもそも巡回してる騎士さんなんて毎回顔ぶれが変わっているものだ。新米騎士がチームを組んで国内の町や村を巡回するんだと誰かが言っていた。大半が貴族出身の騎士だから、下々の暮らしを見るのに必要なんだとか。 「アム! 次の料理もすぐに出るよ」 「はい、おかみさん!」 私は慌てて仕事に頭を切り替えた。 ![]() 「アム、ぼおっとしてると手ぇ切るよ」 「あ、はい」 明日の下拵えのために、大量の芋の皮を剥いていた私は、おかみさんの言葉に、びくっと身体を震わせた。 このまま給仕を続けるのも悪くはないけれど、せっかくだからお師さまから受け継いだ魔術を使って生計を立てたいもんだけど、と考え込んでいたのだ。 お師さまから叩き込まれた知識のうち、生業として役に立ちそうなのは、付与魔術と薬草調合の技。付与魔術に必須の鉱物についての知識は役立ちそうにないし、この町で薬草に関係する商いを始めると、薬売りのクラインさんであるお師さまと競合してしまうから、別の町へ拠点を移す必要がある。 「あ」 「どうしたい?」 「今日、クラインさんが来た時に、おかみさんの腰のこと相談すれば良かった」 「そんな大したことじゃないよ。ちょっと痛いだけさ」 ひらひらと手を振るおかみさんを見ながら、せめてマジョラムで湿布薬でも作ろうかと考える。うぅ、付与魔術に特化した魔術師だと打ち明けて、あの重い鉄鍋を軽量化するだけでも、随分と改善されるんだけどな。言ってみようかな。でも怖いな。協会に属さない魔術師って、一般的にあんまり良いイメージ持たれてないみたいだし。 でも、おかみさんには本当にお世話になってるし。何しろ、身元の証明のない私を住み込みで雇ってくれたんだ。 でも、はぐれ魔術師と知って、追い出されたりしたらどうしよう。 「また何か考え事でもしてるのかい? そんなヒマあるんだったら、手ぇ動かしな!」 「は、はい!」 私は視線を手元に芋に合わせる。合わせたままで何とか口を動かした。 「あ、あの、おかみさんは、はぐれ魔術師ってどう思います?」 「なんだい、藪から棒に。客から変な噂でも吹き込まれたんだろ」 ハンクのあたりだね、と呟くおかみさんの目は鋭く、見慣れた私も少しだけ怖かった。 「はぐれ魔術師なんて言葉、四年ぶりに聞いたね。一時期は誰も彼もが口にしてたけど」 「四年ぶり、ですか?」 「あぁ、王都の方でとんでもない誘拐事件があったらしくってね、犯人ははぐれ魔術師だってんで、随分と厳しく取り締まってたって話だよ」 元々、はぐれ魔術師ってのは小悪党が多いって話は聞いてたけどね、と雑談と平行しているとは思えないナイフ捌きで、おかみさんの手の中で根菜が薄く皮を剥かれていく。 「誘拐、事件……ですか」 まさか、いや、そんな。 でも、『四』年前という奇妙な合致に、私の背筋が凍る。 「け、結局、誘拐事件の犯人は見つかったんでしょうか……?」 「さぁね。どの道、アタシらには関係のない話さ」 私は「そうですね」と曖昧に頷き、芋の皮剥きに集中した。そうでもなければ、次から次へと不安が湧き上がって平静を保てそうにもなかった。 ![]() 最初、変な夢を見ているのかと思った。 ぬくぬくとした毛布から顔を出すと、そこは見たことのない部屋だった。 最初に目に入ったのは白塗りの土壁。そして、部屋の隅にいくつかの木箱。部屋は薄暗く、高い場所に小さな窓があるだけだった。 一瞬、牢屋かと思った。 ただ、くるまっていた毛布を見れば、見覚えないながらも、普段使っているものよりも手触りの良いもので、粗雑な扱いを受けているわけではないようだった。 まだ少し、ぼんやりとした頭を小さく振ったところで、室内にもう一人、誰かがいることに気付いた。 十代半ばぐらいのその少年は、私と目が合った途端、「お、起きました!」と扉をドンドンと叩く。―――私は猛獣か? さすがに抗議しようとした時、ようやくその違和感に気付いた。両手首にじゃらりと枷がはめられている。柱や家具とかに縛られているわけではないが、両手首を繋がれて嬉しいと思う人間がいたらお目にかかってみたいもんだ。 「すみません、状況が飲み込めないのですが」 少年に声を掛けると、「ひぃっ」と気の毒なぐらい身体を縮ませて脅える。 あれ、おかみさんの下で働いてたおかげで、あの眼力を受け継いだってわけじゃないよね? 「ごめんなさいごめんなさい。僕はあなたと口を聞いてはいけないんです。だから話しかけないでください。僕が殺されます、というか殺された方がマシなメに遭うのでホントに勘弁してください……!」 何が何やら分からない。 とりあえずきちんと頭を動かすために、と簡素な寝台から下りようとして、足にも枷がはめられていることに気付き、げんなりする。 事情を知るらしい少年を問い詰めたいところだが、本気で脅えている彼は、もはや私と目を合わせないように顔ごと逸らしている。 寝台に腰掛けた私は、足首と手首に違和感がないことを確かめるように、軽いマッサージをした。 どんな経緯があったか知らないが、私を拘束した人間におかみさん直伝のボディランゲージを仕掛けてやろうではないか! そんな私の決意を知ってか、足音が耳に飛び込んだ。一人ではないが、そんなに多くもない。それらは、扉の前で止まる。 「開けるぞ」 「うぉお待ちしておりました!」 少年は声の主に先んじて扉を開けた。 入って来たのは二人。金髪の美青年と、黒いローブの年齢不詳な男。 見張りの少年を扉の向こうに追いやった美青年は、ローブの人に仕草だけで何かを促す。 ローブの人は手にした杖をこちらに向けた。ちゃんとした杖を持ってるってことは、協会魔術師かな。 もごもごと呪文を呟かれて思わず身構えたが、私の身体が全体的に淡く光った程度で何も起きなかった。動揺を見せてしまったのが何だか恥ずかしい。 ローブの人は美青年に振り返ると、私が何の術道具も持っていないこと、私自身が魔術師でないだろうことを報告する。 すると、美青年はその報告に満足そうに頷き、私をまっすぐに見つめた。 いや、もう、何となく分かってはいるんだ。分かっては。 ただ認めたくはなかった。 美青年は私の名前を呼んだ。 寝台に腰掛けたままの私に膝をつき、手足の枷を外す。 カシャリ、と床に無機質な鎖が落ちて、ようやく苛立つような重みから解放された。 青年はその冷たい美貌に、僅かに喜びを浮かべて私に手を伸ばす。 「マリーツィア、僕の『祈り』」 やめて。こっちに来ないで。 寝巻きのままの私は、小さく身を引いた。 「もう、逃がさないよ、マリー」 その言葉が引き金になった。 嫌悪感を抑えきれなかった私は、自由になった右手で、思い切り彼の頬を引っぱたいた。 だが、彼は少しも怯む様子を見せない。 ありえない。確かに手は当たった。私の手のひらだってジンジンしている。頬も赤くなっている。 「怒るのも無理はない。俺はお前を守りきれなかった。あの外法魔術師の手から」 「何を、言ってるの?」 「つらい思いをさせた。この四年、あの魔術師に身体を切り刻まれ続けていたんだろう?」 青年は私の背中に手を伸ばし、抱きしめた。 「帰ろう。俺の邸に。……マリーツィア」 | |
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