5.独り立ち「実を言うとね、マリー。もう教えられることはないんだよ」 いきなりそう言われたのは、お師さまから本格的に魔術を学び始めて、四年目の秋のことだった。 「はい?」 「だからね、付与魔術については、後は色々と自分で考えてみなさい」 「は、はぁ……」 「あ、これ、免許皆伝って意味だから。頑張って独立してみるように。はいこれ餞別」 「あ、ありがとうございます。……ってこんなに良いんですか?」 「うん、修行中もちょいちょい血を貰ってたしね。その対価だよ」 私は渡された布袋の中身をもう一度確認した。詰まった硬貨の量に、随分と大盤振る舞いされた気がするのは気のせいだろうか。 「マリー、多過ぎるとか思ってる?」 「はい。だって、私は確かにお師さまの研究のために血を提供しましたけど、お師さまだって、人前に出たくない私の代わりに何度も町へ買い出しに行ったり出稼ぎに行ったりしてたじゃないですか」 そうなのだ。 某伯爵家の三男坊から逃げて来た私は、万が一を考えて町には下りないようにしていたのだ。 一方、お師さまは社交界のシーズンになるたびに王都へ行っては貴族相手の魔術興行を行って外貨を稼いだり、山では手に入らない食材や魔術の材料なんかを買いに行ったりしてた。さらに私の付与魔術で作った護符なんかを代理で売ってくれてたりもした。 はっきり言って、弟子としてはそんな雑用を師匠に押し付けちゃってどうなのよ?な状態だったのである。 「マリー、それだけ君の魔力を帯びた血は高価なものなんだよ」 「そうなんですか?」 「付与魔術にも自分の血を使うことはあるだろうけど、行使魔術においては、君の血の役割は随分と違う」 お師さまは手元にあった深い色合いのサファイアを手に取った。 「ここには君の血から得られた魔力を貯め込んである。自分の魔力が足りない時や、温存しておきたい時にここから魔力を引き出して使うんだ」 そう言われれば、何度もそのサファイアに血を垂らしていた気がして、まじまじと石を見つめる。 「魔術師にとって、君の血は非常に便利なものだよ。同業者、特に行使魔術を使う者には気を付けるように。延々と血を抜かれ続けて飼い殺しにされるからね」 いつになく厳しい口調で諭すお師さまの黒い瞳は、本当に私のことを心配しているのだと教えてくれた。 「お師さまは、そう考えなかったんですか?」 「僕? そこまで一生懸命に魔術を揮うことはないし、純粋に今まで積み上げて来たものを誰かに渡してみたかったんだよ。だから、今後は行使魔術の資質がある子を探すことにする」 新しい弟子をとる、なんて宣言されると、なんだかモヤモヤとする。 「大丈夫。君が僕の弟子であることは変わらないよ。あと、魔術で生計立てる上で協会に属したいと思ったら、訪ねて来るように。紹介状を書いてあげるから」 「お師さまは、どうして協会に属さないんですか? その方が色々と素材の融通とか利かせてもらえるんですよね?」 「僕みたいな自分勝手な人間はね、組織の規則に縛られるのがイヤでイヤで仕方ないんだよ。こればかりは性格だね」 「……なるほど」 何度言っても整理整頓をしない上に、素材の使用記録や金銭の帳簿を付けないお師さまの言葉は、非常に納得のいくものだった。そのくせ、実験記録はこれ以上ないくらいに細かく取るものだからよく分からない。 「分かりました。不肖の弟子、マリーツィア・クリスチャーニン。魔術師イスカーチェリ様に師事させていただいたこと、感謝の言葉もございません。……えぇと、生活が落ち着いたら、お手紙出しますね」 「まさか君と師弟になるとは思っていなかったから、何だか感慨深いね。まだ六つの君は本当にかわいい子どもだったのに」 お師さまの言葉が呼び水になったようで、私もあの時のことをしみじみと思い出してしまった。 うちは、どこにでも居るような、本当に平凡な農家だった。裕福ではないけれど、子沢山で、私なんて双子だよ、双子。 どうにも子どもを養いきれなくなって、口減らしのために労働力のない女の子を売ると決めたものの、どうしてお父さんが双子の妹ではなく私を売ると決めたのかは、未だに分からない。 いや、どっちでも良かったのかもしれない。 もしかしたら、売ろうと決めた時に、妹が機嫌よく笑っていたからかもしれない。双子の私が言うのもなんだけど、妹はよく笑う子だった。 少しだけ強張った顔をしたお父さんが、私を知らないおじさんに預けて行ったのを覚えている。お父さんはおじさんに渡された硬貨を手にして、何だか歪んだ、としか言いようのない笑顔を浮かべていたのが、子ども心に怖くてたまらなかった。 「君は、幼い頃から妙に頑固なところがあったよね」 「え?」 「さすがに覚えていないかな。初めて君と会った時のことなんだけど」 「いえ、お師さま。私、お師さまと会った時のことはちゃんと覚えてますよ。知らないおじさんと一緒にいた時に―――」 「そうそう、奴隷市場への道中、名前を聞こうとする仲買人に『どうせ名前なんて意味がない』なんて大人びたセリフを口にしてたよね。懐かしいなぁ」 「え? そんなこと言ってました?」 「言ってたよ? どうせ買った人が好きに呼ぶだろうから、って。僕は丁度、魔力の強い子どもがいたらいいな、とぶらついてたとこだったけど、随分こまっしゃくれた子どももいるもんだ、って思ってね」 全く覚えのない自分の発言に、私は顔が火照るのを感じた。 「よく見てみたら、随分と魔力が高い子だったから、その場で即金で買い付けたんだけどね。セリで値が上がるかもしれないから、って渋る仲買人に相場の倍額を示しても頷いてくれなくて、市場出品の手数料なしで懐に入るのに何が不満なんだい?って嫌味を言って、ようやく交渉が成立したんだよ。いやぁ、あれから十年になるんだねぇ」 「お、お師さま。色々とツッコミたいところがあるんですけど、どうして相場を知ってたのか、とか、相場の倍額なんて、とか」 「言ったろ? 君の血は貴重なんだよ」 お師さまは、今まで何度もそうしてくれたように、私の頭を優しく撫でてくれた。 「生きることも諦めてた様子の君が、よくここまで育ったなって思うよ。子どもを育てたことがない僕に、よく付いて来てくれたよね」 「あまり、子ども扱いされなかったからこそ、今の私があるような気がします」 よく思い出してみれば、随分と幼い頃から掃除洗濯料理を任されていたのかもしれない。まぁ、元々子どもの多い家で育ったから、家のことをできる限り手伝っていたという下地はあったんだけど。 「マリー。君は僕の弟子だけど、同時に僕の娘みたいなもんだよ。何かあれば頼ってくれていいからね」 「はい、お師さま」 私は頷いて、ふと、悪戯心で言葉を繋いだ。 「それとも、お父様、と呼んだ方がいいですか?」 すると、お師さまは私の頭をいつもより強く、くしゃくしゃっと撫でた。 「お父様とか呼んじゃうと、君、結婚できなくなるよ? 僕より強い相手でないと承知しないから」 「それは困ります。まだ十六なのに、結婚にだって夢を持つ年頃ですよ、お師さま」 そうだろうそうだろう、と頷くお師さまに、私は思わず笑った。 「もし、結婚することになったら、ちゃんとお師さまに連絡します」 「そうだね、結婚前に報告してもらえれば、いつだってぶち壊しに行ける」 「訂正します。結婚したら、連絡しますね」 視線を合わせ、お互いに笑い合う。 私は、ふぅ、と息をついた。和やかな会話に区切りをつけるためだ。 「お師さま。どうかお元気で」 「君もね。マリー」 そうして私は十年も慣れ親しんだ師匠の元から独り立ちすることになった。 ![]() さて、とりあえずはどうしようか。 十年も人の目から逃れていた私は、もちろん世間知らずの自覚がある。 餞別に頂いたお金の四分の三を工房に程近い木のうろに隠すと(もちろん隠蔽の付与魔術で人の目に映らないように細工して)、工房に一番近い町へと繰り出した。 お昼のピークを過ぎた食堂に足を踏み入れると、お茶を楽しむ数組の客しかいない店の奥から、どう好意的に見ても愛想のよくないおばさんが、睨んでいるとしか思えないキツい目つきで寄って来た。 お師さま以外の人と話すのは久しぶりで、思わず身構えてしまうけど、どうにか愛想笑いを浮かべることはできた。 「あの、表の給仕募集の張り紙を見たんですけど、住み込みも可能って本当ですか?」 「アンタがかい?」 「はい」 「親は?」 うぅ、なんだか尋問されている気分だ。 「お金に困って私を売ろうと相談してたんで、山を越えて逃げて来ました。あ、木こりと猟師兼業の親の手伝いはしてたんで、体力には自信あります。愛想は、まぁ、それなりなんですけど……」 「娘を売ろうと?」 「そう聞こえました。聞き違いだったとしても、独立考えてもおかしくない年齢だと思ったんで、丁度良いかと」 一応、それらしい設定は考えて来たんだけど、やっぱ無謀だったかな。 「独立、ねぇ。嫁入りじゃなくて、かい? アンタいくつだい?」 「十六です。嫁入りは、ちょっとアテがないので考えたこともありませんでした」 すると、この店の常連なのか、隅に集まっていたおじいさん四人組から、どっと野次が飛んで来た。 「不憫な子じゃないか、雇ってやんなよ」 「そうそう、愛想はそれなり、なんて、アンナに比べたらどうってことないさ。お前の顔を見るたびに客が逃げっちまうからな」 「そうそう、娘っ子がいた方が、わいらも注文のし甲斐があるっちゅうもんだ」 すると目の前のおばさん、アンナさん?が「外野は黙ってな!」と一喝した。 「とりあえず、あいつらから注文ぶんどって来な。なぁに、若い娘の笑顔一つで飲み物のお代わりぐらい、ちょろいもんだろ?」 「分かりました!」 私はいくつかの着替えを詰めたバッグを店の奥に放り投げるように置くと、手渡されたエプロンを素早く身につけた。 「お口添えありがとうございます。この調子で追加注文していただけるとありがたいです!」 とてもフランクに接してくれるおじさん達に何だか嬉しくなって、私は満面の笑みを浮かべて弾むような足取りでテーブルに近づいた。 「なぁに、可愛い娘っ子にいいとこ見せるぐらいわけないさ」 「お、ベイカー。今の言葉ちゃんと聞いたかんな? お前のおごりで一品頼むぜ」 「そうそう、調子良いこと言うお前にゃ、ちょうどいい薬だろ」 ガハハハと大口を開けて笑うおじさん達にちょっと怯みながら、それでも私はなんだか楽しくて仕方がなかった。 そうか、ずっとこんな風に他人と会話したかったんだ。 お師さまに引き取られる前の日常は、きっとこんな風だったんだろう。 お師さまと一緒に暮らすようになってからしばらくは、行きずりの人と言葉を交わすこともあった、けれど。 あの坊ちゃんに出会ってからは、怖くて人前に出ることも避けていた。お師さまと話すのはとても楽しかったけれど、私は、ずっと、こんな何気ない会話を楽しみたかったんだ――― | |
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