TOPページへ    小説トップへ    重たい執着男から逃げる方法

 15.町での生活


ガタンッ
 私は鎧戸を開けて、店内に朝日を取り入れた。
 春の暖かい陽射しがあるとはいえ、まだ肌寒い時間だからか、人通りはあまりない。
「おはようございます、トロンタンさん。これからお仕事ですか?」
「おはよう、マリー嬢ちゃん。今日も早いねぃ」
「トロンタンさんこそ、これから畑ですか?」
「あぁ、毎日見てやんねぇと、あいつら機嫌曲げっちまうからねぃ」
「うちの裏の畑も同じですよ。お互い頑張りましょう」
「あぁ、ほんじゃねぃ」
 トロンタンさんは広い畑を持つおじいさんだ。
 本当は息子に後を継がせてのんびりと過ごしても良いんだそうだが、やっぱり長年の習性というのは変えられないようで、こうやって毎日朝から畑に出掛けているのだ。
 という話を、つい先日、トロンタンさんちの嫁さんから聞いたばかりだ。
 私は一通り窓を開け、大きく伸びをした。
 夢見てやまなかった、普通の生活を手に入れたのだと思うと喜びも大きい。
 乾燥したハーブやら、薬の瓶やらが並ぶ店内を丁寧に掃除していると、瓶に映った自分の顔を見つけて苦笑した。
 赤茶色の髪の毛と菫色の瞳。肌は白くて、どこか作りものめいて見えた。だが、肌はきれいでも、別に美人というわけではない。目は小さすぎるし鼻も低い。
 まぁ、ニセモノの身体にしては、十分過ぎるんだけど。
 一通りの掃除を終えると、かまどで簡単なムギ粥を煮る。寒いから温かいお茶でも入れようかと、お湯を沸かしたところで、コンコン、というノックの音を拾った。
「はい、どうぞ」
「邪魔するよ。おはようさん」
 店にやってきたのは、ミルティルさんだった。
 私がここにハーブと薬の店を出すことになってから、ほとんど毎日顔を出してくれる。
「おはようございます。ミルティルさん。ちょうど良かった。一緒に朝食はいかがですか?」
「そうだね。今日もいただこうか。―――上達はしたのかい?」
「教えてもらった分量の通りですから、変な味はしないと思います」
「やっぱり味覚はダメかい?」
「うーん。ちょっと無理みたいですね」
 店の奥にあるダイニングへ案内すると、ミルティルさんの前にムギ粥とスプーン、お茶を並べた。
「それじゃ、いただくよ」
 私はミルティルさんの向かいに座る。
「うん、まぁ、いいんじゃないかい?」
「よかった!」
 私はぱふん、と手を合わせた。
「これなら、兄さんが来た時も大丈夫かしら」
「そうだね。あとは、まぁ、アンタの問題だろうけど」
「うーん、まぁ、夏までには何とかなるかな、と」
 首を傾げる私に「随分と慣れてきたみたいだしね」とミルティルさんも頷いてくれる。
「さて、ごちそうさん。わたしは売りに出るけど、何か欲しいもんはあるかい?」
「今のところは大丈夫です。帰ったら兄さんによろしく言っておいてください。私は今日も元気がいいです、って」
「はいよ」
 ミルティルさんは「よっこいせ」と自分の商品を担ぎ、店を出て行く。
 店の戸口まで彼女を見送り、防水の手袋をはめて食器を片付けたところで、ぴたり、と動きを止めた。
 だが、それも一瞬のことで、防水の手袋をはめたまま、サンダルを長靴に履き替えると、つばの広い帽子を深く被って、店の裏手にある小さな畑に出た。
「うん、順調ね」
 誰が聞いているわけでもないが、とりあえず声を出す。
 ハーブや薬草が植えられた畑を眺めながら、時折、雑草の芽をぶちぶちと抜いていると、お隣さんから元気な声が聞こえてきた。
「マリーちゃん、おはよう!」
「リリィさん、おはようございます。おかげさまで順調に育ってますよ」
 お隣に住むリリィさんは、朝は体操をするのが日課になっている。年齢は私と同じぐらいか。体操も魅惑のボディを保つためのものなのだとか。
「今日も綺麗に晴れているわね。こんな気持ちの良い朝は……っと、ごめんなさい」
「いえ、気にしないでください。青空の見える日は私も好きですからー」
 慌てて口を押さえたリリィさんは、パタパタと手を振る私に「そーお?」と言いながら深呼吸する。
「マリーちゃんも大変ね。日の光で肌が荒れちゃう病気なんて。お兄さんの研究は進んでるの?」
「さぁ、どうでしょう? でも、お外に出る時に完全防備すれば良いだけですし、慣れれば気になりませんよ?」
「あら、だめよ! マリーちゃんてば綺麗な肌だし、物腰も柔らかいし、絶対元気になってね! そしたら町の男の子たちが放っておかないんだから!」
 いや、放っておいてもいいんだけど。
 思わず冷めた目線で反論してしまいそうになるのを堪える。
「そんな、リリィさんだって、ハンスやアルーゾ、あと酒屋の三男さんからアプローチ受けてるって、お客さんから聞きましたよ?」
「当たり前じゃない。あたしはそれを生きがいにしてるんだから!」
 年頃の娘さんが、若い男にアタック受けるのを好みこそすれ、生きがいにするのはいかがなものかと。
「うん、リリィさんならできますよ。良かったら今度、肌に良いっていうレムローズのお茶をご一緒しましょうね」
「あ、ほんとに? ありがとう、マリーちゃん」
 私はにこやかに手を振ってくるリリィさんに小さく手を振り返して家の中に戻る。

 とりあえず、『設定』についておさらいしておこうか。
 私、『マリー』は、雪がすっかり溶けた頃、町の有力者ゲインさんの勧めに従って、町の中心部からほどよく離れた空き家に店を開くことにした。
 『マリー』は兄のニコルと二人で旅をしていた。生まれながらに肌が弱く、太陽の下で肌を晒すことのできない『マリー』に、薬師の兄は何とか治療する術がないかと、旅をしながら薬草の研究をしていた。
 昨冬、ミルティルさんの山小屋にお世話になった私たち兄妹は、もちろん春には別の場所へ向かうつもりだった。
 そこへゲインさんのお誘いである。
 『マリー』は、人見知りの激しい兄ニコルの代わりに、町に店を構えて兄の調合した薬を売ることになった。兄は相変わらずミルティルさんのお世話になり、薬草の研究や、注文のあった薬の調合などをして過ごしている。
 肌の弱い『マリー』は、常に手袋や長袖・長ズボンで身体を覆い、外に出る時は帽子を深くかぶっている。病で体毛もすっかり抜け落ちてしまった『マリー』の髪がカツラであることも、ゲインさんやお隣さんなどに話してある。
 研究に区切りが付いたら、兄も合流し、この店に腰を落ち着ける予定……となっていた。
 以上が、この町での『設定』である。
 本当のところがどうかと言うと、まぁ、言ってしまえば、店にいる『マリー』は遠隔操作で操られた人形である。
 私がもう一人居ればいい、というミルティルさんの何気ない発言によって、思いついた策がこれだ。
 ミルティルさんの厳しい指導のもと、百を超えるパーツで構成された『マリー』の身体は、私の髪を埋め込んだ陶器である。うっかり割れたりしないよう強化の陣は刻んであるが、万が一のために、もう一体スペアも用意してある。今はここの床下に横たわってて、毎日、二体の『マリー』を交互に使っている。
 五日に一度、山小屋から下りて来る私の本体は、ぼさぼさの前髪で目を隠し、男物の服装に身を包んでいる。さらに厚底ブーツを履くという念の入れようだ。
 できるだけ自分の姿を人目に晒したくないが、定期的に遠隔操作の動力源となっているダイヤモンドのイヤリングに魔力を込めないとならないので仕方がない。術者が近くにいるならともかく、目視も叶わない遠くにいるのなら魔力供給もそうそうできないのだ。魔力を蓄積させた宝石を使うしかないだろう。
 両目のアメジストに遠見の魔術を付与し、音を拾うための陣や、簡易声帯の陣、その他操作に必要な様々な陣を陶器で出来た各パーツの裏側にびっしりと彫り込んであるんだ。魔力消費だってかなりある。
 ちなみに人嫌いの兄ニコル、という設定の私には、外見の異様さも手伝ってか話しかけて来る猛者はいない。まぁ、話しかけられても無視するけど。声出したらバレるでしょうが。
 そんな変わり者(設定)の兄妹を、町の人がどう見るのか不安ではあったけれど、ハンデを思わせない溌剌な妹の接客によってか、よく効く安価な薬によってか知らないが、概ね近所付き合いは良好だった。

コンコン
「はい!」
 私は物思いから我に返る。
 店の入り口に姿を見せたのは、うちの常連ペルラさんだ。
「マリーちゃん。注文しておいた薬は入っているかしら?」
「はい、お待ちしてました」
 店のお客さんは、何故か私のことを「マリーちゃん」と呼ぶ。いや、そんなにイヤなわけではないけど、たまに親子で来る客の小さい娘さんとかに「ちゃん」付けで呼ばれると、ちょっとモヤモヤする。
 私は棚の奥から包みを取り出して、カウンターに並べた。
「これが毎朝一包ずつの、いつもの薬ですね。あと、こちらは痛み止めです。痛みが酷い時に、白湯で飲んでください。多くても一日二回までしか飲んじゃだめです」
 ペルラさんは三人の息子さんを持つお母さんで、息子さんたちもそれぞれ所帯を持とうとするぐらいの年齢だ。最近、更年期障害で体温の変動が激しくなっただけでなく、生理痛も重くなったらしい。
「マリーちゃん、ありがとね。はいこれ、お代金」
「はい、ありがとうございます。またのお越しをー、って、あれ、ペルラさん右足どうしました?」
 私は店を出ようとしていた彼女を、慌てて呼び止めた。歩き方が少しおかしい。
「あぁ、これ? いやね、昨日の夜ちょっと転んでしまって」
「まだ痛いんですか?」
「えぇ、朝見たら、少し腫れていたの。でも、すぐに治るわ」
「いや、ちょっと待って、今、湿布出します。サービスしますから!」
 私は遠慮するペルラさんを入り口近くの小さな椅子に座らせると、四角く切った布と小さなツボを持ち出した。
「ちょっと臭いが強いんですけど、足だからそれほど気にならないと思います」
 失礼しまーす、と防水手袋をつけた私は布にどろりとした緑の軟膏を塗りつけると、ペルラさんの足にぺたりと貼り付けた。そこを軽く包帯で固定する。
「夜、お風呂に入る時にでも外してください」
「まぁまぁ、マリーちゃん。本当にありがとね」
「いいえ、いつもお世話になってますから!」
 にこり、と笑みを浮かべると、私は今度こそ常連さんを店から送り出した。
 店を構えて一月以上、一挙一動に気を遣って日々を過ごしていたが、今では表情をその場に応じて変えることも難なくできるようになった。
 撥水の手袋を外し、その下につけていた布の薄い手袋を見つめる。身体の関節はパーツとパーツの間に球体を挟むことで意のままに動くようになっている。だが、人目に晒すわけにはいかない。そのための「肌が弱い」設定だ。
 そんな不自由さを抱えていても、私はいつになく自由だった。
 たとえ自分の操る人形越しでも、私は私のままで、誰かの目を気にすることなく、脅えることなく生きているのだから。
 町の色々な人と交流を持ち、何気ない会話を楽しむ。
―――もちろん、本当のことをミルティルさん以外に言えるわけなどないのだけれど。
 心のどこかが、僅かに軋んだ。

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