16.里帰り(山を一つ越えるだけだと思っていたけど、思った以上に足に来るものなのね……) 木々の中、そこかしこに緑の彩りを添える新芽をあちこちに見つけながら、私はせっせと歩いていた。 きっかけはミルティルさんの一言だった。 「前に住んでたって町で、心配してる人はいないんかい?」 その言葉に思い浮かんだのは、週に一度、食堂に顔見せに来てくれていた薬売りのクラインさん――という名前のお師さまだった。 本当は、食堂のおかみさんや常連さんに会いたかった。けど、四年前の誘拐事件の被害者だった、とクレスト様に説明されたらしいのに、のこのこ会いに行くわけにもいかない。何より、きっと私を探すクレスト様がウィルドストウに何も手を打っていないはずはない。 唯一、クレスト様の執着ぶりを知っているお師さまは、きっと心配しているはずだ。独立した弟子だから、と放任していることも考えられるけど、挨拶に行くぐらいはしたっていいと思う。薬屋なんて商売敵になるわけだし。 そんなわけで、私は三日ほど店を閉めて、里帰りすることにした。名目上は薬草採取のため、隣近所には『マリー』を知り合いの医師に診せに行くのだと伝えている。 (『マリー』と一緒に来て良かった) ニコルの恰好をした自分と、『マリー』を一緒に歩かせる訓練にもなると考えたけど、予想外に『マリー』は役に立った。足腰を魔術陣で強化していても、そこは生身。どうしても疲労は溜まる。逆に『マリー』は疲れ知らずだ。途中、足が上がらなくなってしまうと、『マリー』にニコルを姫だっこさせて歩かせた。『マリー』の動作に集中できるし、触れることでより『マリー』の身体を操作しやすいし、楽チンこの上ない。……まぁ、訓練にはならないけど。 早朝から休みなく道なき道を歩き、太陽が一番高く昇ろうとする頃には、見覚えのある山道に辿りつくことができた。ついでに途中で目に入った山菜と、兎を二匹ほど狩り仕留めている。本当はミルティルさんの作ってくれたお皿を数枚持って来ているけれど、食事時の訪問になるかもしれないから、こういった手土産も必要だと思った。 一年ぐらい前までは何度も行き来した道に、つい足も弾む。再び『マリー』と並んで歩く私は、お師さまに何から話そうかと考えていた。 うっかりクレスト様に見つかってしまったこと。自力で脱出したこと。今は山一つ挟んだデヴェンティオに居を構えていること。 (あぁ、『マリー』のことも、ちゃんと話さないと) そして、ようやく見えて来た工房に、ついつい頬が緩むのを感じた。 コン、コン 少しだけ緊張してノックをする。そしてガチャリと顔を出したのは――― 「こんにちは」 私の胸ぐらいしか背丈のない少年。後ろで一つに括られたアッシュブロンドの髪が木漏れ日にきらりと天使の環を作る。彼の空色の瞳は、私と『マリー』を見てきょとんとした。 「えっと、マリーツィアさんて、どっち……?」 困ったような表情を浮かべる少年に、何となく彼の素性の予測がついた私は、「私がマリーツィアです」と告げた。 「お師さまの、新しいお弟子さんかしら?」 「あ、うん。そうなんだ、いや、そうです。アイクって言います。えっと、中に入ってください。師匠が待ってるんで」 中に招き入れた少年、アイクは『マリー』に目をやると「そちらは……?」と尋ねて来る。おそらく、工房の周囲にある監視網で私が来ることを知ったお師さまから、姉弟子が来るとしか聞いていなかったんだろう。 「簡単に言ってしまえば、私の相棒です」 「初めまして、マリーです」 『マリー』が右手を差し出すと、アイクもその手を握る。 「マリーツィアさんに、マリーさんか。名前が似てるから、少し紛らわしいな」 そんな風に洩らしたアイクは、『マリー』を人と認識しているようだったので、私はこっそり笑みを浮かべた。 「やぁ、久しぶりだね、マリーツィア。丁度そろそろお昼にしようと思ってたんだ。早速その手土産を調理してもらえると助かるんだけど」 「お師さまも元気そうで何よりです。手土産もお見通しでしたか。―――突然ウォルドストウから姿を消すようなことになってしまって、申し訳ありませんでした」 「うん、まぁ犯人の目星はついているからいいよ。……で、ちょっと悪いんだけど、お昼ご飯作ってもらえないかな」 「? 別に構いませんが」 「いやー、助かるよ。僕もアイクも料理は下手でさ。あ、ついでにアイクを手伝わせて」 「……なるほど」 私は少し罰が悪そうにそっぽを向いていたアイク少年を手招きすると、慣れ親しんだ台所へ向かった。兎と山菜を使うにしても、メニューは材料を見てから考えよう。 ![]() 「さすがマリー、美味しかったよ。アイクも手伝ってみてどうだった? 少しは料理の腕、上がりそう?」 「上がるっつーか、魔術陣使って時間短縮するなんて、考えたことなかった」 「本当は、きちんと時間を置いた方が味も浸みるんですけど、主婦の裏技みたいなものですよ」 「いや、主婦の裏技であんな魔術使うとか、ないから」 失礼な、必要は発明の母だ。防腐の魔術陣だって、冷凍保存の魔術陣だって、食料保存に欠かせない。 今回使ったのは微細な振動を起こし続ける陣だ。細かく揺り動かし続けることで、食材の隙間に味を浸み渡らせる。ちなみに、洗濯用に考案した魔術陣の応用だったりもする。 「一応、残りの兎肉も下味つけてローズマリーと一緒に包んで置きましたので、あとは焼くだけですし、山菜も灰汁抜きしておきました」 「本当に助かるよ。アイク、山菜の灰汁抜きの仕方は教えてもらったかい?」 「うん、それは大丈夫、だと思う」 アイクは少し歯切れが悪そうにちらちらと群青の瞳を『マリー』に向けた。 「マリーさんは、食べなくて大丈夫なの?」 「お気になさらず。元々、食べられませんから」 『マリー』の返事に、また微妙な顔をするアイク。ちらり、とお師さまを見ると、黒い瞳が面白がるように細められている。 「マリー。マリーツィア。そろそろ意地悪しないでくれるかな」 「はい、すみません、お師さま。でも、おかげで自信が持てました。―――マリー、お茶を淹れてくれる?」 頷いて立ち上がった『マリー』の後を、手伝うとアイクが台所に追いかける。 「今度は男装しているんだね」 「はい、ニコルという名前を使っています。王都を脱出するまでは全方向の幻影でごまかしましたけど、魔力消費が激しかったので」 「そりゃそうだろう。僕だって、そんなことやりたくないよ。発想を変えるべきだね。認識の阻害や、存在感の希薄化といったアプローチの方が、すっと魔力効率がいい」 お師さまは正解を教えるのではなく、視点の変え方を導いてくれる。思えば、基本以外は、十まで教えてくれるんじゃなく、こうしてヒントを与えてくれていたっけ。 「お茶入れたよ」 アイクが三つのカップにお茶を注いで持って来る。台所で、何度も『マリー』にお茶すら飲まないのかと確認して来たのもまた、私の自信を裏付けてくれた。 「ありがとう、アイク。―――それじゃ、『マリー』の種明かしをしましょうか。マリー、手袋を」 頷いた『マリー』は綿で出来た薄手の手袋を、するりと外す。露わになった手首と指を見て、アイクがぎょっとするように目を大きく見開いた。 「アイク、これで納得したね。マリーが食事をしない理由」 「……人間、じゃない、とか?」 「正解です。アイク。この『マリー』は陶器で出来た人形なんです」 マリーに自身の赤茶色の髪を引っ張らせると、するりと取れてつるんとした頭部が露わになった。うわっ、と悲鳴を上げるアイク。しまった、ホラーだったか。 「随分と髪を使ったようだね、マリー。それにこれは、付与魔術だけでなく行使魔術もミックスされてる。なるほど、こういう方法は考えつかなかったなぁ」 今度は私が驚く番だった。 「今、行使魔術って、言いました?」 「そうだよ。自分で気付いてなかったのかい? 魔術陣だけじゃ、ここまで自然に操作することもできないし、表情だって作りきれない」 「で、でも、私には行使魔術は……」 「うん、一般的な行使魔術には向いてなかったね。でも、魔力を大量消費する行使魔術は、ちゃんと制御できてるみたいだ。―――それに、君の『マリー』はもう、行使魔術を使う者にとっての『杖』のような存在になっているね」 隣を見れば、アイクも首を傾げている。 「じゃぁ、ちょっと行使魔術についての講義でもしようか」 私は慌てて携帯用のペンと帳面を取り出した。 『協会魔術師に弟子入りすると、まず杖を作る。 行使魔術はイメージが重要! 曖昧なイメージは魔術の暴走につながる 疲労・心身喪失時の魔術は危険 暴走対策の杖 自分の身体の一部を使い、魔術の起点とする。 暴走時に物理的に起点を遠ざけることで自分の身を守る。 髪や爪を使うことが多い。(指や眼球を使った例もあり) 杖の形ではなく、ピアス・ブレスレット・ネックレスのような着脱可能な装飾品でも可』 以上が、私の講義メモだ。 「その人形は、マリーに合った魔術の使い方みたいだね。自分の魔力を使いこなせてるようで安心したよ。―――ところで」 行使魔術と杖についての講義を終えたお師さまは、私の持つペンに視線を止めた。 「それも、付与魔術だよね。アイク、どういう方向性のものか、推測してみて」 「う、え、えーと……」 講義の途中、何度もインクをペン先に付けていたアイクが、じっと私の携帯用のペンを見つめた。 「インクを補充してる様子はなかったし、でも黒い線がちゃんと引かれてて、ペン先も少し黒くなってる」 ぶつぶつと観察結果を口にする。 あぁ、懐かしい。私もよくやらされたっけ。魔術には発想と工夫が必要なんだというお師さまは、この訓練を何度も課した。 「ペン全体が煤を固めたもので構成されてて、外側だけカモフラージュしてる、とか」 アイクの考えは、残念ながら正解ではない。でも、アイクの言う方法で同じような物が作れるかもしれない。及第点、だろうか。 ちらり、とお師さまを見れば、同じ判断を下したのだろう。うんうん、と頷いている。 「着想は悪くないね。ペンの中にインクを入れた容器があって、それを少しずつ外に流しているんだよ。ちなみにそれ、修行中にマリーが作ったやつだから、この工房にも転がってるはず」 「転がってる、て、お師さま。絶賛してくださったのに行方不明なんですか?」 「うん。マリーはこういう身近な物を作るのが本当に上手だよね。でも、僕、書き物することも滅多にないし、どっかいっちゃった。ごめん」 可愛らしくウィンクをするお師さまは、どこか憎めない表情で謝罪を口にすると、私の隣に立って控えていた『マリー』の顔を撫でた。 「うーん、よくできてるね。これ、よく作ったね」 「あ、今、お世話になっている人が、陶器の食器を作っている人なんで、細かい造形もアドバイスしてくれて……」 「違う違う。まぁ、顔のかたちもそうだけど、表情の出し方がさ。どうなってるのかな、って」 珍しい。 私が頭を絞って構成した魔術を、いつも一目で看破していたお師さまから、そんな質問をされるとは思わなかった。 冬にあれこれと試行錯誤した甲斐があったってものだ。鏡で自分の顔を見つめて、表情を出すにはどういう動きが必要なのかと百面相したことも、無駄な努力じゃなかった。 何十回という失敗の果てに、今の方式にたどり着いたわけだけど…… (あれ?) そこまで考えて、気付いた。それと同時に、口にする答えは決まっていた。 「それは、内緒です♪」 人差し指を口元に当てれば、満足そうに「それでいいんだよ」と誉められた。その遣り取りを隣でアイクが不思議そうに眺めている。 魔術の基本は「考える」こと。本当に必要かつ信頼できる相手以外には、魔術は基礎しか教えない。それがお師さまの理想とする魔術師像だ。だから、「内緒」と言う私の答えは正解なんだろう。 私は、それから兄弟弟子となったアイクの修行に付き合った。『マリー』が無意識とは言え、行使魔術によっても制御されていると言われ、知識を深めたかったということもある。 アイクの放つ炎に、防火の魔術陣で耐え抜いたり(魔力を注ぎ続けていないと、耐えられない)、合間に家事のイロハを教えてみたり、結局、翌日の昼までお邪魔してしまった。 ……あれ、もしかしてお師さま。私に預けて楽しました? まぁ、アイクはぶっきらぼうな言葉遣いながら、素直な子だったので、別にいいんだけど。 ちなみに、山一つしか挟んでないいデヴェンティオで薬屋を開業していることを打ち明けたら、怒られるどころか歓迎された。お師さまも、医者も薬師も不在の町をちょっと気にしていたらしい。頑張りなさい、と激励の言葉までもらってしまった。 | |
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