17.合流した兄夏が始まる頃、自分自身の身体を動かすことと人形の操作を並行させることに慣れてきた私は、兄と妹として、共に店に住むことにした。 ミルティルさんは寂しがってくれたが、これ以上の迷惑をかけるわけにもいかない。もちろん、薬草採集の名目で、兄は何日かに一度は山小屋を訪れることにしているけれど。 「この度は、ご尽力いただきありがとうございます」 私は精一杯低い声を絞り出し、頭を下げた。 向かいに座っているのは、どこにでも居そうな好々爺である。ちなみにこの人が、町に住まないかとお誘いをかけてくれたゲインさん。隣で私と『マリー』にお茶を勧めてくれるのがその奥さんだ。 「いやぁ、ようやくマリーちゃんやミルティルさんから聞いていたニコルくんに会えたが、思っていたより全然良い人そうで良かったよ」 謎の評価に、私は隣の『マリー』を見る。『マリー』はふいっと目を逸らした。 自作自演と言うなかれ。これはこれでタイミングが難しいんだ。 「厄介者のオレ達兄妹を町で受け入れるために、色々と働きかけていただいたこと、本当に感謝しています」 「あぁ、固い挨拶はいいよ。それに厄介者なんてとんでもない。君の作る薬のおかげで、妻もこの冬は随分と足腰の痛みを和らげてもらったからね」 恐縮です、と頭を下げる私に従うように、『マリー』も頭を下げる。これはこれでタイミングが(以下略) 「一度、君の口からも確認を取りたかったんだが―――」 ゲインさんは、ちらり、と隣の奥さんを見た。すると、何故か奥さんの方が咎めるように目を細める。 「マリーちゃんの病気は、誰かに感染するようなものではないんだね」 その言葉に、奥さんが凄まじい勢いでゲインさんを睨みつけた。おかしいな。ミルティルさんから仲の良い夫婦と聞いていたんだけど。 「えぇ、その点は心配ありません。遺伝的なものです。マリーはこの病を持って生まれてしまっただけです。肌の露出を控えれば問題ない状況ですし、あとは、まぁ、味覚が――」 ベシン、と『マリー』が私の肩を叩いた。 「もう、兄さん! それは話さないでって言ったじゃない!」 「親身になってくれている人だ。話しておいた方がいいだろう。――実は、味覚を感じることができないのです。」 「まぁ、味覚が?」 奥さんが身を乗り出して来た。ていうかゲインさんがあなたの視線にやられて、ちょっとブルブルしているんだけどいいの? 「はい。おかげで、こいつの作るメシはすこぶる不味いんです」 「兄さん! 違います、奥様。私、きちんと計量して料理作っています。その、たまにアレンジに挑戦したくなるだけで……」 味見のないアレンジほど恐ろしいものはない。 それを知っているのかどうか、奥さんは「二人分の分量でよければ、わたしがレシピを渡すわ」と自ら提案してくれた。 兄妹二人で暮らすようになってからも、設定の都合上『マリー』に家事全般を頼むつもりだったから、それは有難かった。 「お気遣いありがとうございます」 「ふふ、いいのよ。これぐらい。冬はあなたの薬にお世話になったのだもの。それと、夫の無神経な発言を許してね。これでも町のことを考えているの」 「いえ、町政に深く関わる方ですから、憂慮されるのは当然です。―――すみません、簡単な挨拶のつもりでしたが、長くなってしまいました」 「あら、いいのよ。どうぞお茶も飲んで行って」 「いえ、お構いなく。失礼いたします」 私は深く頭を下げ、出されたお茶を気にする『マリー』の手を取ってゲイン宅を後にした。 「お茶も飲まないか。人間不信、というのは間違いなさそうだね」 「えぇ、あの若さで哀しいこと」 仲の良い夫婦の言葉は、残念ながら私の耳には入って来なかった。でも、耳にしたところで、無言の肯定をするしかない。 だって、そういう設定だもの! あと、『マリー』に飲食させたら大変なことになるもの! マリーの手を引いて歩きながら、私は不思議な気分になっていた。 私の意識下では、自分の目で見ている往来の様子と、マリーの目が映す往来の様子が同時に処理されている。 まったく別の場所にいることが多かったが、微妙に自分の足の動きとマリーの足の動きを操り違えてしまいそうで怖い。先日、里帰りした時にも思ったけれど、人目のある場所での失敗は避けなければ。 とりあえず、視界に黒い髪の頭が見えているのがマリーの視界だ、と言い聞かせる。 マリーの兄『ニコル』は長い黒髪ながら、サイドだけ短く後ろだけ伸ばしたまま三つ編みにしている。両サイドは切り落としてマリーの体×二に埋め込んでしまったからだ。 あとは伸ばした前髪で自前の瞳を隠している。マリーの目にはアメジストを使っているが、予算の関係上、あまり深い色のものは準備できなかった。私の本来の紫暗色の瞳とは随分色味が違ってしまうこともあって、隠しているのだ。兄弟で、瞳の色が違い過ぎるのもよくないんじゃないかな、と。 元々のマリーツィアとは性別も違うし、身長も(厚底靴で)違っているから、そうそうあの人の網には引っかからないと思うけれど、できるだけ外出は控えたい。 あの人が私を探していない、とはとても思えなかった。 何しろ前回は四年も探し続けていたのだ。それこそ一生ごまかすぐらいの意気込みが必要だろう。 店に戻り、念のため店の住居部分に施していた、覗き見防止の魔術陣に魔力を込める。部屋の四隅に配置したタペストリーが淡く光り、魔力供給が上手くいっていることを示した。 一日の終わりに『マリー』の身体を拭っていたりとか、あまつさえ、一日ごとに『マリー』の身体を床下に収納しているスペアと交代させていたりとか、見られたらここでの生活は終わりだ。 ご近所さんを騙していることに、僅かながら罪悪感を覚えるが、これは必要なのだ、と自分に言い聞かせる。 ゴリゴリ ゴリゴリ 私は薬の調合を行い、『マリー』は接客のために店のカウンターに座った。 今日からは、一人暮らしのような二人暮らしである。なんだか良いのか悪いのか微妙な気持ちだ。 コンコン ノックに思わず身構え、調合の手を止めて『マリー』に集中する。 「いらっしゃいませー」 「こんにちは、マリー」 入って来たのは、貸し馬屋を営む、リヒターだ。 「今日はどうしました? また馬の食欲減退かしら?」 「いや、今日は、その」 このリヒター。別の町で金貸しを営む大商人の末っ子で、貸し馬屋も親から与えられた仕事でしかない。本人は至ってちゃらんぽらんで、よく使用人に仕事を任せてはあちこちふらついている。 その彼が、ここ最近は三日と置かずに店を訪れているのだ。 最近眠れなくって。 返された馬が、エサ食べなくなって。 捻挫しちゃって。 帳簿つけてたら、紙で手を切って。 「ほら、大通り沿いに美味しい食堂があるって話したろ? いつも一人の夕食じゃ味気ないだろうし、一緒に食いに―――」 私はのっそりと立ち上がった。 そうか、二人暮らしはこういう利点があるんだな。うん、二人暮らしも悪くない。 私は音を立てないよう、脱ぎ捨てていた厚底靴を履くと、できるだけ不機嫌オーラを撒き散らして店先に顔を出した。 「客か?」 「兄さん! どうしたの?」 「え、……お兄さん?」 呆然と私を見るリヒター。 そりゃそうだ。頭ぼっさぼさだし、前髪長くて表情分からないし、さっきまで調合してたから口元も白い布で塞いでる。 「あ、あの……」 うん、異様な出で立ちに相手の気勢を削ぐことには成功したようだ。ついでに裏の薬草畑に使う除虫剤を作っていたところだったので、臭いもすごいしな。主成分はニンニクと唐辛子だよ! あとはもう一押し。 「客でないなら、帰れ」 「う、は、はいっ」 迫力負けか臭いに負けてか、涙目になっていたリヒター青年は飛ぶように店を出て行った。 私は一通り除虫剤を作り終えると、黙って消臭の魔術陣を発動させた。 うん、作ってた私が言うのもアレだが、すごい臭かった。目に沁みる臭いだよ、これ。 トロンタンおじいちゃんに勧められて作ってみたけど、そりゃ虫も寄り付かなくなるね。今回はちょっと違う『悪い虫』だけど☆ ![]() 「というわけで、製法を買い取らせていただきたいのです」 店番をしていたマリーの前に、ドン、と袋が置かれた。 「えぇと、突然言われても困ります。その、ミルティルさんにも確認しなければいけませんし……」 店にやって来たのは、なんだか随分と恰幅の良いおじさん二人と護衛一人の計三人の男たちだった。店に来るなり、やたらと膨れ上がった布袋を見せびらかして、このセリフだ。 この揉め事は、まったく予想外の所からやってきた。 「えぇと、王都にある陶磁器の組合の方々、でしたよね。その、私は製法を知りませんし、そもそもあれは懇意にしていたミルティルさんに―――」 「御託はどうでも良いのです!」 「そうです。要はその藍色の釉薬が新しい革命をもたらす可能性を持ち得ているということなのです。これが我らギルド外で管理されていないということが、そもそもの問題でありまして―――」 マリーに対し、高圧的に正義を振りかざしているようにも聞こえるが、要はミルティルさんのために作った藍色の釉薬が王都のお偉いさん方の目に留まったものの、王都にハバをきかせるギルドでは再現ができず、困って製造元に殴りこみに来ただけなのだ。 しかも、製法を買い取ると言っている以上、今後、同じ釉薬をミルティルさんに使わせないと言って来るかもしれない。 「とにかく、兄さんが帰って来ましたら、お話をお伝えします。今日は色々なものを引っ込めてお帰りください」 「今日中に戻ってくるのでしょうな」 「もちろんです」 「それでは大通り沿いの大鷲亭に我らは泊まっておりますので。すぐに知らせていただきたい」 「わかりました」 ぞろぞろと無茶振り一行が帰った後で気付いた。店先に逆さ吊りで干していたハーブがいくつか毟り取られている。製法解明のためのサンプルになると思ったのか、単なる嫌がらせか。どちらにしても腹が立った。 「ちょっと、マリーちゃん。大丈夫?」 騒ぎが聞こえていたのか、隣のリリィさんが飛び込んで来た。 「大丈夫です。兄さんに用があっただけみたいですから。……疲れましたけど」 はぁ、と肩を落としてみせたマリーに、「元気出しな」とリリィさんが頭を撫でてくる。 「もし、加勢が必要なら声かけていいから。若い男何人か連れて駆けつけるわよ」 何人かの男の人をストックと称して手玉に取っているリリィさんだ。本当にそれをやりかねないから恐ろしい。 「大丈夫。兄さんが来れば、きっと何とかしてくれますから」 むしろ、あまり事を荒立てて欲しくない。注目されるのは避けたいのだから。 「マリーちゃんはほんっとにお兄ちゃん子ね。まぁ、あれだけコワモテな感じだったら、そうなるかもしれないけど」 コワモテ? いや、隠してはいるけど、顔は女顔ですよー。 「ま、本当に何かあれば言って? なんだか妙な人達だったしさ。変に金と勢いがある人って、とんでもないことやりかねないってゲインさんもよく言ってるし」 「うん、気を付けます……」 リリィを見送り、私は意識の大半を自分の身体に戻した。 「さて、どうしましょっか」 山小屋でリアルタイムで状況説明をしていたが、目の前のミルティルさんも渋い顔をしている。 「確かに最近、王都の方から買い付けに来てるって人とは商売してたんだけどね」 「組合については、何か知ってますか?」 「あぁ、王都で陶磁器を作る人間は全て加入しないといけないらしいね。クラウスはそこの管理体制がイヤで地方に出てきた人だから」 なるほど、ミルティルさん自身も、組合とやらには好感を持っていないらしい。妙なことになる前に、言い値で製法(と独占権)を売り渡すのが一番なんだろうけど。 他の人が試行錯誤して作り上げた物を、はした金で巻き上げてそれ以上の売り上げを叩き出すつもりなんだろうから、何となく納得がいかないんだよねー。 どうするのが一番かな。 「とりあえず、落とし所が決まるまでは、あの藍色の釉薬を使ったお皿は作らない方向でもいいですか?」 「あぁ、そのぐらいなら構わないよ。元々、あの色を出す時は絵付けをしても邪魔になっちゃって、作り甲斐に欠けたしね」 ミルティルさんの職人発言に、私は思わず笑みをこぼした。 「ちょっと、あの人達の目が気に入らなかったので、罠を張ってみようかな、と思います。あ、もしミルティルさんがイチャモンつけられるようなら、『アンタたちのせいで、自分も釉薬を作ってもらえなくなった』と被害者を装ってもらえますか? 私が悪者扱いでも良いんで」 するとミルティルさんが、何故か顔をしかめた。 「アンタ、自分一人で抱え込む気かい?」 「……私の作ったものですから、責任を取るだけです」 「正直に言うとね。売っちまってもいいんだよ? 王都の人間は、やたらと狡賢い手段ばっかり使うからね。アンタと『マリー』の秘密を守る方が優先なんだから」 「分かってるんですけど。何か納得できなくて……」 ぽりぽり、と頭を掻くと、少し強めに肩を叩かれてしまった。 「アンタがまだ、若いってことだよ」 そういうものなのか。 私の人生の倍以上生きているミルティルさんに言われると、納得できてしまうから不思議なものだ。 | |
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