19.露見やり過ぎた。 明日から、ご近所さんの目が痛いかもしれない。 ま、いいか。どうせ『ニコル』は避けられた方が正体もバレにくいだろうし。 ―――そんなことより、これらをどうしようか。 店内に転がした三つの蓑虫を見下ろしながら、思案する。 予想外に目立ってしまった上に、『マリー』も危険に晒してしまったのは大誤算だった。 とりあえず、招かれざる客三人は麻酔の陣で昏倒させたものの、この先を一切考えていなかった。 身体強化の陣を発動させていたとは言え、無茶なことをした足と腕が微妙にだるい。明日は筋肉痛かなぁ。 『マリー』は奥の部屋で寝かせているから、自分の身体に集中する。後始末の方向性次第では、『マリー』は明日も『寝込む』ことにしよう。 はぁ、とため息をついた。 どうにも自分は、考えが甘いようだと気付かされる。 あのお邸から逃げた時だってそうだ。 もう少し、落ち着いて、計画をきちんと立てるべきとは分かっているけれど、どうにもうまくいかない。 コンコン あれ、誰か来たみたいだ。さっきの騒ぎ見てなかったのかな。今日はもう薬の引き取り予定はなかったと思うんだけど。 私はそっと扉を開ける。 「申し訳ないが、今日はもう」 そこに居たのは、騎士服こそ着ていないものの、見覚えのある栗色の髪をした青年だった。 「カルル様?」 カルル・バルトーヴ。 どうして、あの人の友人がこんな所にいるんだろう。 「あれ、どこかで会ったことがあったかな? 悪いけど、男の人の顔はうまく憶えられなくて―――」 しまった。 驚いたせいで、つい地声が出た。慌てて『ニコル』の低い声を装う。 「悪いが今日はもう閉店だ。薬が必要なら、また明日にでも」 「いや、違うんだ。オレもその三人と似たような用事があって、ここまで来てるんだ。話を聞いていたけど、あの皿のことを知っているんだろ?」 皿? この人もあの釉薬目当てなのか。 「悪いがあれは作れない。在庫もない。帰ってくれるか」 「いや、あと、そこで転がってるおっさんの素性も知りたい。入れてくれないか」 ちらり、と昏倒している蓑虫を見下ろす。 王都の人間だし、こういう輩を持ち帰ってもらうことはできないだろうか。 でも、素性がバレる可能性もある。 だけど、この蓑虫の良い始末の仕方が思いつかない。 ぐらぐらと心の中で天秤が揺れる。けど、腹はすぐに決まった。 「分かった。馬はそこの脇道に繋ぐか? 大人しそうな馬だから裏庭に繋いでも構わない」 「ありがとう」 一度店から出たカルルさんを見送った私は、お湯を沸かし、茶の準備をする。 「失礼するよ」 「どうぞ、そちらへ」 ダイニングへ案内し、席を示す。日頃座っているイスとは雲泥の差だろうに、粗末な木のイスに文句も言わずに座ったカルルさんを、少しだけ意外な目で見つめた。 「改めて、オレはここで薬屋を営むニコルと言う」 「あぁ、オレはカルル・バルトーヴ。ってか、オレのこと知ってるんだっけ?」 「……噂と、姿を一方的に。王都に滞在していたときに」 少しだけ苦しい言い訳に、「ふぅん」と曖昧な相槌を打つカルルさん。 ば、バレてないよね? ドキドキしながら、私はお茶の入ったコップを置き、向かいに座る。伸ばした前髪の隙間から、様子を伺うけれど、何を考えているのかサッパリ分からない。 「あのおっさんは何者なんだい?」 「王都にある陶磁器の組合の人間、と聞いた。藍色を出す釉薬が欲しいと」 『マリー』が聞いたままを答えると、何故か「あちゃー」という顔をするカルルさん。 「そう来たかー。君も聞いたかもしれないけど、王都では、あの藍がじわじわと人気が出て来ていてね。かく言うオレも、人に頼まれて買い付けに来てみたんだけど、君の話では、あの色は偶然に出来たもので、もう作り出せないし、在庫もないってことなのかな」 私は、できるだけ渋い顔をして頷いた。 「じゃ、もう一度、作り出してみる気はあるかい?」 「その気はない。あれは気分転換に作ってみたものだ。今は忙しい」 低い声を絞り出し、言葉を少なめに答える。 うー、この声出し続けるのしんどいんだよなー。 げほん、と小さく咳払いをして、喉の調子を整える。 すると、カルルさんは「あぁ」と何か気が付いたように口を開いた。 「無理に声を変えなくてもいいよ? 女の人でしょ?」 バレたーっ! 「な、な」 「え? だってオレ、男と二人っきりでお茶なんか飲むと、気持ち悪くて鳥肌立つんだよ。あ、一部の例外はあるよ? オレの友人みたいにハンパない美貌とかだと別だし」 なんだ、それ! どれだけ女の子大好きなんだこの人! 「それに、指とか首元とか見たら、まぁ、女の人だよねーってすぐに分かるよ。その声を出すのがツラいんなら、地声でいいよ? オレ気にしないし」 うん、カルルさん、まともな人だと思ってたけど違うんだね。 あの人の隣に居たから、まともに見えてただけなんだね。 そりゃ、軽そうな人だとは思ってたけど、ここまでとは! そんなことをぐるぐる考えていたせいか、カルルさんの行動がすっかりノーマークになってしまっていた。 「顔だって、そんな髪で隠してないで……」 身を乗り出したカルルさんの手が、私の長く伸ばした前髪を横に払う。 「~~~~~~っ!」 乱暴に振り払われた手をさすったカルルさんは、きょとん、と私を見つめた。 「フツーにカワイイのに、どうして隠してるのさ。そんな深いアメジストの瞳なんて滅多にお目にかかれな……い? あれ、その瞳に黒髪って、もしかして女神様、ってかマリー?」 よしバレた! 私は目の前のカップを掴むと、それを目の前の男目掛けて――― 「ちょ、ちょまっ!」 悔しいが、腐っても相手は騎士だった。 慌てていたにも関わらず、彼の両手が素早く動き、私の両手首を掴む。お茶は不発のままテーブルに転がり、クロスに染みを作った。 身体強化の陣を解いていたことが悔やまれる。 それならそれで、もう一度発動させれば、と考えたところで、狼狽したカルルさんの声が響いた。 「落ち着いてマリー。オレは君の居場所をクレストに話すつもりはないから!」 思わず抵抗をやめた私の目に、何故か申し訳なさそうなカルルさんの顔が映った。 ![]() 信じても良いのだろうか。 汚れたテーブルクロスを外し、入れ直したお茶を挟んで、私の目の前にはカルルさんが座っている。 まず彼が口にしたのは謝罪だった。 ウォルドストウで似た娘を見かけたと、クレストに話してしまってすまない、と。 あの人の執着具合には、カルルさんも色々と思う所があるらしく、私のお邸での扱いについても問題があるという認識だった。 うん、粛清リストの第二位からは名前を消しておこう。女好きだけど常識のある人だ。 だけど、全面的な信用はしない。魔術師であることは一切気取られないようにしよう。 私は、お師さまから薬の調合や薬草の知識について教わり、それを生かす形で、ここで店を構えていることを話した。一緒に暮らしている『マリー』は難病を患っている子で、それを助けたいとも説明している。 もちろん、あの人の目を欺くために、男装していることも説明した。まぁ、これは言うまでもなく理解していたようだけど。 「まぁ、とりあえず、お互いに友好的になったところで聞きたいんだけど、君はあのおっさんをどうする気なんだい?」 「正直、考えあぐねてました。あそこまで強引な手を使うとは思っていなかったので」 在庫もない、偶然に出来たものだと知れば、帰るだろうと思っていたのだけど、考えが浅かったようだ。 「うーん、あそこまで派手にやっちゃったとなると、今は帰っても、この後、イヤがらせとかやりそうだなぁ」 うわ、怖っ! 王都の人たちって、そこまで根に持つのか! うーん、イヤがらせかぁ。せっかくこの店も軌道に乗ってきた所だったんだけど、営業妨害とかされるのはマズいな。 などと考えていると、カルルさんが真剣な眼差しでこちらを見ていた。 もう正体がバレてしまったと観念した私は、鬱陶しい前髪は横に流し、髪留めで止めているから、まっすぐにその視線を受けることになる。 「変にプライドだけはある連中だからね。店に火をつけたり、君やマリー、あぁ、名前が同じだとややこしいな。君たち二人に乱暴なことを仕掛けて来ないとも限らない」 そんなことになれば、オレはクレストに殺される、と何故か頭を抱えるカルルさん。 ケガ程度で、あの人は友人を殺したりするもんだろうか。 私が首を傾げているのを見て、何故か困った微笑を浮かべるカルルさんが、丁寧に説明してくれた。 「あのね。乱暴っていうのは、殴ったり蹴ったりっていうことじゃないよ。無理やり、その、慰み者にするってことだから」 ……。 なんだかすみません。 私はその言葉の意味をきちんと理解し、火照った頬を押さえながら、それ以上の説明を手振りで止めた。 『マリー』は無事だろうけど、私は残念ながら無事じゃないわ、それ。 「まぁ、オレ個人も、この強引なやり口に思う所はあるから、逆恨みする余力もないぐらいに対処するのは、吝かではないんだけどさ」 カルルさんは、気を取り直して私を正面から見つめた。 何だか、含む言い方だ。 「結構、そこまでやるのは面倒なんだ。女神様なマリーには、クレストが迷惑をかけてるとは思うけど、逆に姿を消したことで、オレがクレストから受けている被害もあることだし、そこは、まぁ、貸し借りなしだよね」 回りくどい言い方をしているが、取引を持ちかけられているのだと理解はできた。 でも、その「女神様」という呼称はどうにかして欲しい。 「……えぇと」 私は手持ちの札を考えた。 魔術師であることは、秘密にしているから取引には使えない。薬師としての腕も、王都では不要なものだろう。 そもそも、目の前の彼は、あの色皿が欲しくてこんな所までやってきたのだ。そのあたりを取引材料にするのが一番いいのかな、と考えて――― 「領地をほとんど持たない子爵様、でしたよね」 「うん、そうだね。猫の額ぐらいに狭い所領だから、地代収入なんて雀の涙だ」 「確か、元々は商家で、今もそちらの家業に近いとか言ってましたよね。欲しいものがあれば、言ってくれれば手に入るとか」 「あぁ、そんなことも言ったね。実際、貴族と言うより商家って言われた方がしっくりくるし、そのうちオレ自身も騎士をやめてそっちに専念するだろうから」 カルルさんの方からは、決して明確な何かを要求することはなかった。あぁ、きっと、これが、彼の商人としての交渉術なんだろう。 私は、緊張でカラカラになった喉を、お茶で潤した。 『マリー』を動かしていなくて良かった。さすがに『マリー』の動きに気を取られている状態では、頭をフル回転させてこの人と話すことはできなかっただろう。 「あの青、藍色は、そんなに人気なんですか?」 「うーん。今はまだ、一部の好事家が興味を持っている程度、かな。でも上品な色だから、売り出し方によっては一財産築けると思う。―――ギルドもそう判断したんだろ?」 ちらり、と店の方に視線を投げたカルルさんは、すぐに私に視線を戻した。 あの人とは別の意味で怖い。 軽い口調ながら、こちらの逃げを許してはくれそうになかった。 私は、ふぅ、と息を吐く。 「分かりました。カルルさんには、ギルドの人達の対処をお願いしたいです。あと、あの人に私のことを絶対に話さないでください」 「その対価は? 君は何をくれる?」 「製法を提供できます。あの藍色の。―――偶然に出来たというのは本当ですが、きちんと分量は記録してありますから」 そうか、と頷いたカルルさんは、何故か「あー、安心した」と天井を仰いだ。 「これで幻の藍を持って帰らなかったら、どんな目に遭うか分からなかった。マジ女神様だよ。あ、そうそう、このカップって近所に売ってる?」 何故か、お茶を入れていたカップに興味を持たれた。 「あ、それは、私が釉薬を提供してたミルティルさんが作ったものです。大通り沿いにある雑貨屋で委託販売もしてますから、すぐに手に入ると思いますよ」 ちなみにこの家にある食器は、全てミルティルさんが開店祝いにとくれたものだ。どちらかと言えば、この辺りでは木製の器が主流なのだが、ミルティルさんの作る陶器は町内でも人気があり、一つ、二つは持っている家庭が多い。 陶器は落とすと割れてしまうため、どちらかと言うとぜいたく品扱いだが、ミルティルさんのは価格も良心的なので入手しやすいのだ。 「うん、女性が好みそうな絵柄だし、なかなか緑が綺麗に発色している。土産には良さそうだ」 そういえば、ミルティルさんに絵付けを薦めた時に様々な色の染料も提供したんだけど、また何かの交渉材料になるかもしれないから、それは言わないことにした。もちろん、誉められた緑色も私が提供したものだ。 「それじゃ、私はあの三人を宿泊先まで届けます。そのついでで良ければ、雑貨屋を案内しますよ」 「届ける、って君がかい?」 「はい」 困惑するカルルさんをよそに、私は奥で眠る『マリー』に形ばかりの声を掛けると、山での素材集めに使っていた大きな背負い籠に商人二人を詰め、護衛を小脇に抱えた。 「それ、大丈夫なのかい? 君もだけど、籠も」 「えぇ、お師さまに強化の魔術陣を付与してもらってますから」 その様子に、町の人々の間で『ニコル』を怒らせてはいけないという認識ができたのを知るのは、また後日のことだった。 よくよく考えてみたら、普段は薬草やらを入れている採集用の籠からおっさん二人がにょきっと上半身だけ出している光景は怖いかもしれない。 さらに片手で体格の良い成人男性を抱えている状況だし。 気は優しくて力持ち、という変換がされないかな、と思ったけれど、そもそも店の前での遣り取りを見ていた人達にとってみれば『障らぬ神にたたり無し』とかそんな心境だったかもしれない。 とりあえず、『ニコル』は「町唯一の薬師」という認識の他に、「怒らせたら怖い人」という価値が付加されたのは、間違いなかったようだ。 | |
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