21.予想外の邂逅この夏は暑い上に忙しかった。 ただでさえ体格を隠すためにローブを着込んで暑いというのに、昼間の太陽は容赦なく照り付けていた。 夏バテや熱中症で倒れる人も多く、食欲増進などの薬は常に在庫切れの状態だった。 ミルティルさんの山小屋が、夏の間は快適だと言うので、店番を『マリー』に任せて入り浸ろうかとも思っていたのだが、そうもいかない事情があった。 全ては、バルトーヴ子爵による「町おこし」のためである。 晩春の頃、偶然に出会ったカルルさんに藍色の釉薬のレシピを渡し、それでひと段落ついたと安堵したのは間違いだった。 どうも、材料が特殊過ぎたらしい。 私が使ったのは、山で見つけたある金属だ。地元では「妖精コボルドのいたずら」なんて呼ばれていて、何の役にも立たないものとして扱われている。 それならば、と手近なクズ水晶と一緒に粉にしてみただけだったのだけれど……。 残念ながら、自分に一般常識が足りないことを改めて思い知らされた。 一般人は、石を見分けることなどそうそうできないし、必要な鉱石の選り分けも、純度を求めるのであれば魔術師に任せるしかないのだ。 絵付けに使う染料の調合についても同じことが言えた。まぁ、こっちはミルティルさんにしか提供してないから、まだいいんだけど。 釉薬による町おこしのおかげで、私は慌てて「鉱石を見分ける魔術陣の彫り込まれた石版」と「薬の調合に必要な素材を選り分ける魔術陣(以下略)」を作成し、恩師にもらったという設定をつけることになった。少ないながらも魔力を持っているので、定期的に血を垂らすことで陣の効果を守っている云々と説明するのは、我ながら、随分と白々しかったようにも思う。 私の持つ道具は、薬師としての必要なものなので、「町おこし」に取られるわけにはいかない。 結果として、鉱脈を見つけるために派遣された魔術師の案内役に抜擢されたり、使用したクズ鉱石についてアレコレ質問されたり、色々と忙しいことになってしまった。 本来の仕事に差し障りがあるからと、断れるものについては拒否したが、どうしても私しかできないこともある。仕方なく王都から派遣された人達と接することになってしまった。 「ミルティルさん、こんにちはー」 ようやく少しだけヒマのできた私は、素材集めを大義名分に山小屋に涼を求めてやって来た。 「おや、アンタかい」 顔を覗かせたミルティルさんは、いつもより上等な服を身につけていた。綺麗な若草色がよく似合う。 「あれ、今日はどこかに出掛ける予定だったんですか?」 「いや、ちょっと客が来ることになっててね」 ミルティルさんは、私を招き入れると、小川で冷やしていたというお茶を出してくれる。そこらに生えているハーブを煮出したそれは、酸味が効いていて美味しい。まぁ、少しクセがあるから、万人向けではないんだけど。 「また、王都から絵付け見学の人ですか?」 私と同じく、王都からの客人相手に奮闘していたことを思い出して口にするが、どうやら違うようだ。 「見学じゃないんだよ。本格的にこの町に住み込んで陶器を作っていくって志望者がいるらしくってね」 ここで待っている、ということは、町に住むというより、この山小屋に住むということなのかな? ん? 住み込み? 「もしかして、弟子入り志願、ですか?」 「まぁ、そう言えるのかねぇ」 町の中に窯を作るわけにもいかないしね、と付け加えるものの、どこかソワソワしたその様子に、私は自然と笑みをこぼした。 「ふふーん、いいじゃないですか。お弟子さん」 「はぁ、他人事だと思って、軽く言うんじゃないよ。わたしは自由気ままに作っていられれば良かったんさ」 まさか、こんなことになるなんてね、とどこか自嘲気味に呟いたミルティルさんは、それでも恥ずかしいような嬉しいような気持ちがするみたいで、口元が緩んでいた。 「どっちにしろ、ミルティルさんだけじゃ、お客さんの要望に応えられないでしょう? 一日に作れる数も限られてしまうわけですし。それなら、もう一人ぐらい居たっていいじゃないですか」 「……簡単に言ってくれるもんさね」 何故か、苦い顔をしたミルティルさんを、私は不思議に思った。 「何か、気に病むようなことでもあるんですか?」 すると、ミルティルさんの視線がふっと空を泳いだ。 「息子にも愛想を尽かされたわたしが、弟子なんて取れるはずもないんだよ」 その言葉にようやく納得した。 そういえば、随分と前に音信不通になった息子がいるという話を聞いたことがあった。 たぶん、その時と同じ失敗をするんじゃないかと気にしてるんだろう。 「ミルティルさん」 私はそっと、私の親ぐらいの年齢の友人の手を握った。 「私はね、ミルティルさんに感謝してるんです。行く当てのない私を、厄介事を抱えた私を受け入れてくれたミルティルさんに」 「何を言ってるんだい。助けられたのはわたしの方だろ? それこそアンタが来なけりゃ、倒木にやられて死んでたんだろうから」 違う、そうじゃない。 私はふるふると首を横に振った。 「王都から逃げて来て、私、本当に自分がどうすれば良いか分からなかったんです。治癒みたいな魔力を大量に消費する術を使って、もし、自分が魔力の使い過ぎで干からびて死んだとしても、代わりにこの人が生きてくれるなら、って」 あの時の心境は初めて口にした。 お邸に閉じ込められたままでも良かったかもしれない、とずっと迷ってた。 結局、私は、誰からも必要とされることはないだろうから。 「傷の治ったミルティルさんに、ここに居て良いって言われた時、本当に嬉しかった。誰かの役に立つことが、すごく嬉しいことなんだって、ミルティルさんが教えてくれたんです」 お邸で、腫れ物に扱うように大切にされていた。 お師さまと二人きりで過ごしていた。 ずっと、色んな人と話してみたかった。でも、「あの人」という厄介事を抱えているし、拒絶されたらと思うと、一歩を踏み出すのが怖かった。 「私が、もう一度、町で暮らそうと思えたのだって、最初にミルティルさんが受け入れてくれたからなんです」 泣くつもりはなかったのに、目尻から一筋、涙が流れ落ちるのを感じた。 「ミルティルさんは、他人を受け入れることができる人です。そりゃ、息子さんは出ていっちゃったかもしれませんけど、でも、お弟子さんを取ったっていいじゃないですか」 取りとめのない話し方だったと我ながら思う。 でも、私の言いたいことを分かってくれたのか、ミルティルさんは握られていない方の手で、私の頭を撫でてくれた。 「まったく、アンタは、わたしの前だとよく泣く子だよ」 「……きっと、ミルティルさんが甘えさせてくれる人だからですよ」 恥ずかしくなって、私は涙を拭った。 「そうだね。まぁ、頑張ってみるさね」 コンコン 突然、響いたノックの音に、私は慌てて前髪をいつものように下ろし、着古したローブを羽織った。 その様子に、笑いを誘われたのか、ミルティルさんは少し弾んだ声で「誰だい?」と来訪者に問いかける。 「以前、手紙を送った者です。遅くなってすみません」 聞こえて来たのは、低い男の人の声だった。 「ドアは開いてるよ。どうぞお入りよ」 失礼します、と扉を開けたのは、年は二十後半ぐらいの若い男の人だった。赤茶の髪の毛を短く刈り上げ、どこか愛嬌のある黒い瞳が印象的だった。 私は、若い男の人と二人で、亡くなった旦那さんが妬いたりしないのかな、と的外れなことを考えていた。 だが、ミルティルさんは違ったみたいだ。 私は黙って来訪者を見つめるミルティルさんの代わりに、荷物を置いて、空いた席に座るよう勧めた。 だが、来訪者も何故か玄関から一歩も踏み入れることなく、ミルティルさんを見つめていた。 「母さん」 え? 「久しぶり。ちょっと縮んだ?」 えぇ? 「バカを言ってるんじゃないよ。アンタがニョキニョキ伸びただけだろ」 「父さんのことは、さっき町の人から聞いたよ。―――独りにしてごめん」 「……本当に、ホルト、なんだね」 えぇと、出て行った息子さん、ですか? 置いてけぼりな私は、そっと気配を消して小川で冷やしているお茶を取りに行った。 感動の再会に、お邪魔物は退散するのです。 ―――後日、ホルトさんへの手解きの合間に聞いたところ、ギルドから離れた旦那さん――クラウスさんと違い、王都で別の工房で陶芸家として修行を続けていた息子さんは、一応親のことを気にしていたらしい。 ただ、修行も半ばで放り出すことはできず、今回の話を聞いて、地元だからと強く希望してこのデヴェンティオに戻ってきたとか。 愛想を尽かしたというのはミルティルさんの勘違いだったそうなんだけど、夫婦二人で王都を離れる時に、父と息子はえらい剣幕で口論していたということなので、誤解するのも仕方がなかったんだろう。 どちらにしても、父親はもう亡いながら、再び親子で暮らせるようになったのは、きっと、とても良いことなんだと思う。 少しだけ、家族の絆を取り戻したミルティルさんやホルトさんが羨ましかった。 そう、少しだけ。 ![]() 私は熱気のこもる部屋で、薬を煎じていた。 残念ながら、ミルティルさんの山小屋から、ほとんどの荷物を店の方に運び込むこととなった。 まぁ、親子水入らずの所に部外者が割り込むのもどうかと思ったし、全くの他人が住む以上、心の安息を求めて山小屋に行くことができなくなったわけだし。 正直、つらい。 暑さもそうだけど、自分の喉でお喋りしたり、周囲を気にせず魔術を行使することができない。 「兄さん、そろそろ休んだら? ミント水を作ったから」 なんて『マリー』に言わせるのも、なんだか空しい。 私は妹の勧めに従った形で食卓に腰を落ち着けると、温いミント水で喉を潤した。 「カルル様から、手紙が届いていたわ」 店先に置きっぱなしだった手紙のことを思い出し、『マリー』から受け取る。 何度かお父さんであるバルトーヴ子爵の代わりにこの町へ足を運んだカルルさんだけど、やはり騎士業も疎かにできないのか、最近は姿を見せない。 (まぁ、むしろ私のことなんて、忘れてくれて構わないんだけど) そんなことを考えながら手紙に目を走らせる。 手紙は「町おこし」に尽力してくれた『ニコル』へのものだった。身近な友人の愚痴という形で「あの人」の近況が書かれていても、その文面に「マリーツィア」を思い起こさせるキーワードは一つとしてない。 ここまで貫いてくれると、本当に見事なもんだと思う。 まぁ、何故か『マリー』への口説き文句がそこかしこに入っているんだけど、そこはスルーで。 きっとカルルさんは不治の病に違いない。「女好き」と言う名の。 そんなことを考えながら、内容に意識を戻した。 町で騒ぎを起こしたおじさんたちのその後が書いてある。残念なおじさんたちは、バルトーヴ子爵の考える「商人道」からは随分と外れていると認定されてしまったため、子爵によって報復を受けることとなったらしい。 子爵は根っからの商人らしく、自分の利益の追求ももちろんだが、取引相手の利益のこともきちんと考え、信頼の上で互いが得をすることを重要と思っているらしい。 商人とさっぱり縁のない私には、よくわからないけど。 自分の利益だけを考え、そのために他人に不利益を押し付けるやり方を、何より嫌うということだ。つまりは、あのおじさんたちのことだ。 現在、あのおじさんたちの周囲には毒入り団子が数多く仕掛けられていて、食べた団子によって『失脚』『左遷』『投獄』のルートが用意されているという。 ……何それ怖い。 私は改めて王都に住む人の怖さというか、商人の怖さというか、人間の怖さを思い知った。 うん、辺境でこっそり薬師を営む今の生活に満足してます。 まぁ、もう少し魔術の腕を上げたい気持ちもあるけど、ある意味『マリー』という形で結実しちゃってるからなぁ。 でも、考えることをやめたら、魔術師として終わってしまう。それがお師さまの教えだ。 私は熱湯で消毒した小刀を手に取り、自分の腕に滑らせた。 血の滴る先には、ダイヤモンドの首飾りがある。最近、すり鉢の並行稼働もしてないし、植物の成長促進もしていないおかげで、随分と魔力の余裕ができた。 『マリー』を動かす時に使ってる魔術陣の効率化でも考えようかな。省エネで動くに越したことはないし。 | |
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