TOPページへ    小説トップへ    重たい執着男から逃げる方法

 22.予想外の遭遇


「……というわけで、功労者としてぜひ、ニコルくんにも立ち会ってもらいたいんだけどね」
「お断りします」
 店先に来ていたのは、町の有力者であり、町おこしを影から支えるゲインさんだ。
 もちろん、「デヴェンティオを陶器の町に」という町おこしはバルトーヴ子爵の指導の下、町長主導で行っている。
 まぁ、その町長に任命された「町おこしの実行委員長」とも言うべき人がゲインさんの傀儡のような、いや、明言は避けた方が良い。
 どっちにしても、ゲインさんは、私がこの店を構えるのに尽力してくれた人だから、無碍に断るのはよくないんだけど。
 王都からの客の出迎えなんてもの、できるわけがないでしょうっ!
 というのが本音です。はい。
 一応、王都でそれなりに有名な貴族から逃げている私は、決して人の口の端に上るようなことは避けなければならないのだ。
「確かに、きっかけは私かもしれませんが、その賓客が見たいのは陶器とその作り手ではありませんか?」
「うーん、そうでもないと思うんだけどなぁ」
「どちらにしても、オレのような無作法者は引き篭もってますよ。アレでしたらマリーを出します」
「ちょ、ちょっと兄さん?」
 慌てたマリーが慌てて口を挟む。
「冗談だ」
 私はマリーの頭を軽くぽんぽんと叩くと、ゲインさんに向き直った。
「すみませんが、オレ達はもう十分に協力したと思います。どうか薬の研究に専念させてください」
 私はゲインさんを黙らせる伝家の宝刀「薬の研究」を抜き放った。
「これをきっかけに、王都にツテを作ろうとは思わないのかい? ニコルくん一人で研究するよりも、王都で研究した方が捗ると思うんだが」
「……功を焦るあまり、マリーを研究素材としか見ない人間とは仲良くできません」
 私は『ニコル』と『マリー』兄妹の設定を思い出しながら、口元を歪めて見せた。
 ようやく『ニコル』の人間嫌いの理由に思い当たったのだろう。ようやくゲインさんは引き下がってくれた。
 温い風の吹く夕闇の中、帰って行くゲインさんの姿が見えなくなるまで見送ったところで、私は大きなため息をつく。
 王都から偉い人が視察にやってくるなら、その間はどこに隠れていよう。
 まぁ、視察内容を考えれば、きっとミルティルさんの山小屋、もとい工房にも行くだろうし、あっちに逃げることはできない。
 大人しく家に篭もっておくのが一番だ。
 様子を見たければ、『マリー』に行ってもらえば良い。何なら体調不良を装って、『マリー』の操作に神経を傾けたっていい。
 あぁ、それは良い案だ。
 お偉いさんが滞在している間、夏バテで寝付いたことにすれば、挨拶からも逃げられるじゃないか。
 そうと決まれば、準備をしなくては。
 私はここ最近の薬の売り上げや注文を洗い出し、必要な薬をまとめて調合しておくことに決めた。
 状態保存の魔術陣を使えば、薬の効能が薄れることはない。
 『ニコル』を寝付かせた時間、『マリー』に集中するか、魔術陣の改良に励むかは、その時に考えよう。


「マリーちゃん! 聞いた? 王都からのお客さんがもうすぐ到着するんだって!」
 いきなり店に駆け込んで来たお隣のリリィさんは、『マリー』を見るなりそう言った。
 何がそんなに楽しいのか、目がいつになくキラキラと輝いている。
「はい、今日の午後には着くって聞いてましたけど」
 今朝、ゲインさんが本当に会わなくていいのかと最後の確認をしに来たのだ。そりゃ知ってる。
 よりにもよって『マリー』に対して、美味しいものも出るからどうだい?などと誘って来たんだ。『マリー』は食事ができないってのに。
 おそらくゲインさんは『マリー』を懐柔して、本命のニコルが妹を心配して一緒に出て来ることを期待してたんだろうけどね。
 『マリー』に髪の毛をいじらせながら「何か粗相があっては困りますから」と断りの文句を告げると、ゲインさんは少しだけ哀れむような表情を浮かべて納得してくれた。
 例の一件があって、『マリー』がカツラだということは近所中に知れ渡ってしまっている。同情の念を一身に受けていると、むしろ申し訳ない気持ちになるんだけど。
 だけど、このリリィさんは、珍しくそんな感情を見せない人だった。『マリー』をかわいそうな子、と見るのではなく、普通に話せるお隣さん扱いしてくれるので、非常に嬉しい。
「それなら聞いた? なんだかすっごくイケメンの護衛を連れてるんだって!」
「イケ、メンですか?」
「そうなの! 昨日は二つ隣の町で宿を取ったらしいんだけど、ちょうどそっちに用事のあったサブリナさんが見たんだって! すっごく!すっごく!カッコイイ人みたい!」
 なるほど、リリィさんが目をキラキラさせているのは、こういう理由からか。
 そういえば、うちの店から出て行くところを見て、カルルさんもカッコイイとか言っていたっけ。
 面食いなのか。リリィさん。
 リリィさんにアプローチをかけている人達の顔を思い浮かべ、素朴なフケ顔のアルーゾさんは勝ち目がないんだろうな、と全く別のことを考えた。
「だから、ね! 一緒に見に行こう!」
「え?」
 カウンター越しに手を取られて、ぎょっとした。
「お兄さん! マリーちゃんを借りますね」
 ど、どうしよう。店番がいなくなる。
 でも、せっかくリリィさんが誘ってくれてるんだし、『マリー』で見に行くなら、大丈夫、だよね?
 私は無駄に甘い香りのする鍋の中の薬から目を離し、「帽子はちゃんと被っていけ」と許可を出した。
 王都から高貴な人がやって来るなんて、滅多にない町だ。お祭だと思って参加しよう。
 煮詰めた薬を瓶に移すと、私は薬の研究ノートを眺めるフリをして『マリー』に集中した。
―――大通りには、王都からやって来る貴人を一目でも見ようと物見高い住民たちが集っていた。
 この暑い日中によく集まったもんだと感心する。
 そんな中、長袖に丈の長いスカートを履き、手袋をはめて鍔の広い帽子を被る『マリー』の姿は少し浮いている。それでも、この近所の人には知られているのか、好奇の視線を向けて来る人間はいなかった。
 町唯一の薬屋さんだし、それなりに情報は流れているんだろう。きっと。
 先触れで馬に乗った従者に注意され、みんながみんな道の端に寄って、近づいてくる馬車を待つ。
 二頭立ての馬車が三台、町の入り口からやって来るのが見えた。
 あれ、来るのは二人だけだと聞いてたのに、なんで三台も馬車があるんだろう。
「来るのはお二人だけらしいけど、しばらく滞在するから荷物も多いみたいね」
「さすが貴族様ねぇ」
 近くで話していたおばさん達の声が聞こえ、納得する。
「マリーちゃん、見て! すっごくカッコイイ!」
 頬を紅潮させたリリィさんの示す先には、馬車の両側で馬を並走させる騎士が二人いた。見たことのある制服に、少しだけ足が竦む。
「ちょ、こっち側の人、やだ、スゴ……」
 隣のリリィさんの声は、どこか遠くから聞こえるようだった。決して『マリー』を構成する魔術陣が不調になったわけじゃない。
 なんで。
 なんで。
 陽光を受けてキラキラと輝く金色の髪に目が潰れそうだった。馬に乗りっぱなしのせいで少し汗の浮かぶ肌は、むしろ一層の輝きを添える結果となっている。整った顔立ちの中、一際輝く二つのエメラルドは、私を恐怖のどん底に陥れた。
 護衛らしく周囲を警戒するように視線を野次馬達に配っていた彼の目が、何故か止まる。
「きゃ、こっち見たわ!」
 無邪気に黄色い声を上げるリリィさんが、何故かうらめしかった。
 恐怖のあまり、乱れる集中を根性だけで食い止める。『マリー』の動きに支障をきたしてはだめだ。
 冷静に考えれば、私のことがバレる可能性はない。
 帽子を深く被った『マリー』の髪は、黒ではなく赤茶。その瞳だって、私のものより随分と明るい菫色だ。共通点などないに等しい。
 それなのに、どうしてその人の瞳は真っ直ぐこちらを射抜いているんだろう。
「どうした、クレスト」
「いえ、なんでも」
 もう片側にいる騎士に呼びかけられ、ようやく彼は本来の護衛の任に戻った。
「やだ、もう、眼福ってこういうのを言うのね」
 決して暑さのせいだけでなく紅潮した頬を押さえ、うっとりとした声音を出すリリィさんが、何故か妙に色っぽい。
「どうしたの? マリーちゃん。魂抜けちゃった?」
「い、いえ、その」
 表情を作ることすら忘れていた。
 慌てて『マリー』の表情を動かそうとするも、動揺が激しくて上手くいかない。
「もしかして、この炎天下に外出したのがいけなかった? やだ、マリーちゃん、早く帰りましょ」
 『マリー』の病気のことを思い出したリリィさんが、優しく『マリー』を庇うように歩き出す。
 ほどなく『マリー』を店の中に迎え入れた私は、頭を下げて謝るリリィに「大丈夫だから」と声をかけて帰らせ、『マリー』を横たえた寝台に、ぺたり、と座り込んだ。
 見間違いだと思えたら、どんなに楽か。
 それでも、あんな美貌を見間違えるわけがないと、他でもない私自身がよく知っている。
 そう、無駄に顔だけはいいのだ。あの人、クレスト・アルージェは。
 問題は、どうして『マリー』に目を留めたのか。
 騎士として優秀だと聞いたことがあるから、もしかしたら人ではない『マリー』に何か違和感を覚えただけかもしれない。
 どちらにしても、これ以上、私自身はもちろんのこと、『マリー』も、あの人に見つからないようにした方がいい。
 町に来た客人の素性は聞いていないが、五、六人の護衛が付いていることと、六日ほど逗留するという話は聞いている。
 それなら、できるだけ外出を避けるようにしよう。
 うん、そうしよう。
 必要最低限の買い物だけ、『マリー』にやらせればいい。
 ついでに『ニコル』が新薬の研究に没頭していることを『マリー』に口からそれとなく流せば、外に出ないことも不思議には思われないはずだ。元々、『ニコル』は素材集め以外では、外出しないし。
 それでも消せない不安を振り払うように、私は横たわる『マリー』の上衣をくつろげて、胸の部分を開いた。
 身体の内側に作られた台座にあるダイヤモンドのイヤリングに、ためらいなく腕を傷つけて流した血を吸わせる。
 いざという時のために、魔力だけはしっかり蓄積しておこう。
 あの人の行動なんて、予測がついたことはないんだから。

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