TOPページへ    小説トップへ    重たい執着男から逃げる方法

 23.合縁奇縁


ゴリゴリ ゴリゴリ
 私はすり鉢に向かっていた。
 薬の調合に使っているこの部屋は、常時、何らかの臭いに汚染されているものだが、今日はいつもと違って甘ったるい香りがハバを利かせている。
 隣家に住むリリィさんから、庭のラベンダーを匂い袋以外に使い道がないかと尋ねられたのは、花も満開の初夏の頃だった。
「暇を見て、兄さんに頼んでみます。兄さんだって、たまには気分転換が必要だと思いますし」
 そう答えて『マリー』がラベンダーの束を受け取ってから随分と経つ。
 状態保存の魔術陣を彫り込んだ花瓶に突っ込んだままだったおかげで、まだ花は瑞々しさを保っていた。
 魔術陣の改良に行き詰まった私には、格好の逃避先だった。
 ここしばらくは、忙しくゲインさんやミルティルさんと遣り取りしていたせいで、すっかり誰かと交流することに慣れきってしまった私にとって、兄妹ともに引き篭もっている生活は、何かと飽きる。
 これも全て、あの人が町に来ているせいなのだけど、それに憤っても仕方がない。
ゴリゴリ ゴリゴリ
 額から流れる汗を、首にかけた手拭で押さえる。
 太陽が頂点を越した頃合だろうか。この部屋は薬草の保管庫も兼ねているため、窓を閉め切っており、もわっと暑い空気が淀んでいる。
 不快なことこの上ない。
 花をすり潰し、薬液に浸した上で石鹸に混ぜ込もうと思いついたのは良いが、こう暑くては一工程ごとに休まなくては、やってられなかった。
「ふぅ……」
 細かくすり潰され、団子状になった花を薬液に漬け込んだところで、すり鉢を洗おうと裏庭に出た。
「っ」
 陽射しは暴力的だった。
 長く伸びた後ろ髪だけを三つ編みにして、さらに邪魔にならないように首に軽く巻きつけている自分のヘアスタイルを見直したくなる。
 いや、見直すのはローブが先か。
 体格を隠すために仕方ないとはいえ、何らかの魔術陣を刺し込んで涼を取れないか、と頭の中で構成を考えながら、甘い匂いのするすり鉢を水桶に浸した。
 裏庭の畑は順調だ。
 この暑さの中で、多種多様なハーブ・薬草の類がしおれることなくピンと背筋を伸ばしている。
 あまりに暑すぎて見習う気すら起きない。
 それでもツラいんじゃないのか、と水を撒いてみれば、じゅわっという幻聴が耳を打つ。蒸発した水が景色を揺らがせるような幻覚まで見え始めた。
 ……床下にある『マリー』のスペアに添い寝でもしようか。
 本来、貯蔵庫として使われるスペースには、もう一体の『マリー』が横たわっている。一日置きに交代して外に出しているが、交換する度にヒンヤリとした空気に触れ、気持ち良い。
 まぁ、人形と添い寝する趣味はないんだけど。
 腰を伸ばすようにぐぐっと両手を天に掲げ、諦めて部屋に戻った。
 今日は気分転換も兼ねて、『マリー』に粉屋へ行ってもらおう。日の入り直前なら、客人も護衛も宿所に篭もるだろうしね。
 それまでは、この蒸し風呂状態の部屋で耐えることにした。


 赤い夕日を受けながら、それでも帽子を深くかぶった『マリー』は大通りを歩いていた。
 刻一刻と夜へと近づくこの時間帯は、昼間の町とはまた違う顔を見せている。夜も営業するいくつかの食堂からは、陽気な笑い声が漏れ聞こえていた。
 懐かしい。
 ウォルドストウの食堂で、働いていた頃を思い出す。夜の営業では酒瓶と小料理を持って店内をあちこち動きまわったもんだった。
 夜の部常連だったハンクさんやベルカさんは元気かな。
 あれからもう一年も経つのかと思うと、なんだか変な気分だ。
 お師さまから独立するよう言われて、食堂で働いて、あの人に捕まって、逃げた先でこうやって居付いて、そして、まだあの人に脅えて引き篭もっている。
 進歩してるんだか、進歩してないんだか分からない自分の状況に、『マリー』を操る自分の口が苦笑いを浮かべる。
「そっちに行ったぞ!」
「追え! 逃がすな!」
 通りの向こうから、何やら物騒な声が聞こえた。物盗りでも出たんだろうか。
 暗くなると余計に物騒だから、急いで粉屋に向かおう。そう考えた矢先、
ドンッ
 何かが強い衝撃で『マリー』にぶつかった。
 耐えられず、『マリー』の体が地面に叩きつけられる。

カシャン

「っ!」
 頭の中に響いたその音に、私は慌てて店を飛び出した。
 間違いない。壊れた。おそらく手首。
 『マリー』は腕を人目から隠すように抱える。おそらく左手首の関節の要となる球体が割れた。もう片方の手で支えなければ、手首から先が、ぶらん、と……うぅ、想像するだけでグロテスクな状況だ。肘まで隠す手袋を採用して良かった。でなければ陶器の破片が散らばって、言い訳のしようがない状況になっていたかもしれない。
「オレ達はあいつを追う! お前はその町民を安全な所まで送り届けろ!」
 ダミ声に頷いた男が、『マリー』に向かって手を差し伸べた。
「大丈夫か」
 一瞬、大通りに向かって走る私の足が絡まりそうになった。
 ど う し て お 前 が 残 る !
「大丈夫です。私のことは気にしないでください。一人で帰れますから」
「手首をケガしたのか?」
 人の話を聞けっ!
 今、気にするなって言ったよね? 私。
「本当に大丈夫です。騎士様にお気遣いいただくようなケガではありませんから。今、私にぶつかった人を追いかけていたのでしょう? どうぞ、追いかけてください」
 そして、あまり至近距離で『マリー』を見るな。
 夕闇迫る時間帯とは言え、滑らか過ぎる肌に違和感を持たれても困る。
「……」
 何を言っても無駄と思ったのか、鉄壁の無表情を浮かべたまま、その美貌の騎士様は『マリー』を抱き上げようと身体の下に腕を差し入れ―――
ドンッ
 良かった、間に合ったー。
 私は騎士様を突き飛ばすように押しのけて胸を撫で下ろした。
「兄さん?」
 驚いた表情を浮かべた『マリー』を、私が抱き上げる。さすがに軽量化しまくったこの体重は誤魔化せない。
「大丈夫か」
 低い、小さな声だけを口からこぼす私。
「はい。すみません。兄さん」
 『マリー』は私に抱き上げられたまま、困惑した雰囲気を纏う騎士様=クレスト様を見た。
「兄が来たのでもう大丈夫です。どうぞ、ご自分のお役目を全うなさってください」
 私は何も言わずにクレスト様に頭を下げると、そのまま『マリー』を抱えて家路を急いだ。
 なんだか背中に視線を感じるけど、見ないフリをしよう。
 追いかけて来る気配はないので、こちらも急ぐことはない。ただ、妹を気遣う兄を演じながら店へと戻る。
「ごめんなさい、兄さん」
 演技の最後に『マリー』に謝らせて、店の扉を閉めた。ついでに鍵もかけた。
 『マリー』を立たせ、寝室へ向かわせると、大きく息を吐いた。
 こ、怖かった……。
 どうして避けていた人に、あんな風に接触する羽目になったんだ。
 私、とんでもなく運が悪かったりするんだろうか。
 運気を上げる魔術陣とか、作れないかなー。
 もう一度だけため息をついた私は、寝室に横たわる『マリー』に近づいた。
 そっと手袋を外し、状態を確かめると、思った通り左手首の関節が割れていた。操作に使う陣も壊れて左手首から先はまったく動かせない。
 これは、しばらくもう一体だけで運用するしかないか、と考えながら、固く絞った布で『マリー』の身体を拭き清めて行く。
「んげっ」
 割れたのは手首だけだと思っていたが、左の頬が大きくひび割れていた。
 手首だけ作り直そうかと思ったけど、顔も作り直さなきゃいけないみたいだ。
 さて、どうしたもんか。
 陶器の人形に治癒の術が効くはずもないし、ミルティルさんの所には息子さんが同居しているから、手首の関節球はともかく、顔を再作成するのは難しい。
 ……っていうか、どんだけ勢いよくぶつかって来たんだよ。陶器と言っても、強化の魔術陣を刻んでるんだよ?
 生半可な衝撃じゃ、壊れるようなヤワな作りはしてないのに。相手方も無傷じゃ済まないはず―――
「ああぁ……」
 気づいた。
 気づいてしまった。
 いや、このタイミングで気づけたのは良かった。
 それだけの衝撃でぶつかって、病気の娘さんがピンピンしてたら不信感持たれるじゃないか!
 とりあえず、スペアには代えず、しばらくこのままで動かそう。手首は添え木をして包帯を巻いて、うん、しばらくは吊っているのがいい。
(顔は……)
 ひび割れた頬を撫でると、ざらつくような手触りが残る。
 そうだ。ミルティルさんに教わった「つくろい」の技術を使って、傷跡を偽装しよう。パッと見で分からなければいい。普段はガーゼを当てておけば、誰も無理に暴こうとはしない。傷跡を偽装するのはタダの保険だ。
 いつ、何が起こるか分からない。
 思い立ったが吉日とばかりに、私は添え木や包帯、赤の染料や陶器の欠片といった材料を揃え始めた。


コンコン
「はい、いらっしゃいませー」
 妙に丁寧なノックの音に、『マリー』は愛想よく返事をする。
 しかし、入って来た二人の男に、一瞬だけ動きを止めた。
「え、っと、ご用件は?」
 一人はヒゲを生やした壮年の男。その後ろに続いて店内に足を踏み入れたのは、昨日、とんでもない遭遇をしたばかりのあの男だった。
 二人とも、騎士服を身につけているが、壮年の男の方が装飾が少しばかり多い。
「わたしはリーゲル・グランツ。こちらはクレスト・アルージェ。昨夜、不審者の追跡中にケガをさせてしまい、申し訳ない」
 どこか痛々しそうに『マリー』の吊った腕や、頬に当てられたガーゼを見る壮年のリーゲルさんは、小さく頭を下げた。
 ……真摯な態度なんだけど、正直、ありがた迷惑なんだよなー。クレスト様連れてくんな。
「あ、あの、別に騎士様が謝られるようなことは何も……。その、こちらこそ追跡のお邪魔になったのでは、と心配していました」
 わたわたと無事な右手を振りながら、何故か『マリー』も頭を下げる。
 ちなみに直接クレスト様と顔を合わせたくない私は、奥の部屋で息を潜めて、『マリー』の操作に集中してます。はい。
「その不審者は、無事、捕まえることができました。貴方とぶつかったことで、足をひねったおかげで、ね」
 あー、やっぱり向こうも無傷じゃなかったかー。
「そ、そうなんですか。わざわざご連絡いただいてありがとうございます」
 うん、謝罪も状況説明も終わったよね。早く帰れ。
 『マリー』の目を通して、念を送る。
「ついては、貴方のご家族にも謝罪を申し上げたい。兄と二人暮らしと聞いています。聞けば、件の釉薬や染料を調合したのも、そのニコルさんとか。是非お会いしたいのですが、彼はどちらに?」
 うあ。なんだそりゃ。
 謝罪に来ただけじゃないのかよ。
(ん?)
 そうだよ。おかしくないか? なんで謝罪だけなのに、そこまで情報集めてるんだ、この人?
 むむ、と考える。
 もしかして、王都からのお客さんが町おこしの功労者に直接会いたいがために、この二人を派遣したとか?
 考え過ぎかもしれんけど、あり得るかもしれない。
 謝罪はあくまでも口実。主(かどうか分からないけど)が直々に謝罪をしたいと言われれば、私はその人の滞在する宿所に出向かなければならないんじゃないかな。
 こ、これ、マズいよね。せっかくゲイルさんを説得した意味がなくなるよ。
 出掛けてると言ったら、帰るまで待つとか言われたりしちゃうのかな。それは困るな。
「すみません。兄は人嫌いなものですから」
「確かに、そういった話は世話役から聞いている。だが、現にこうして町で暮らしているじゃないか」
「特に王都からいらっしゃる方とは話したくもないと、常々申しておりまして……。つい最近も、陶器を扱うギルドの方から、不快な言動があったばかりですから、頑なになっているんです」
 申し訳ありません、と頭を下げる『マリー』に、ようやくリーゲルさんも諦める表情を浮かべてくれた。
 ちなみに、ここまでずっとクレスト様は微動だにせず無表情のままで『マリー』を見つめてます。
 怖い。
「貴方のケガは大丈夫なのか? 見ているだけで痛々しいのだが」
「はい、ご心配いただきありがとうございます。打ち身とすり傷で済んでいます」
 破損とひび割れで済んでいます。いや、済んでない。
「しばらくは不自由することになりそうですけれど、痕も残らず治ると言われてます。幸い、兄が薬師ですので、薬には事欠きませんから」
 もういいだろう。早く帰れ。
 お帰りはあちらですよー。
「分かった。もし何か困ったことがあれば、町長を経由して連絡を。我々は予定を早めて明日の早朝に出立してしまうので」
 おや、不審者の件で予定が繰り上がったのかな。
 まぁ、関係ないですけどね。早く帰ってくれるならそれに越したことはないんだ。
「まぁ、そうなんですか。道中、お気をつけてください」
 営業スマイルを浮かべ、ぺこりと頭を下げる。
 パタン、と扉が閉まったところで、奥の部屋にいた私はふぅ、と息をついた。
 どうやら、窮屈な引き篭もり生活も今日いっぱいで終わるようだ。めでたしめでたし。

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