TOPページへ    小説トップへ    重たい執着男から逃げる方法

 24.用意周到


ドンドンドン
 朝日もようやく顔を出そうかという暁闇の中、乱暴なノックの音に目を覚ます。
 こんな時間に来るということは、何か急患だろうか。常在する医師のいないこの町で、薬師の私が呼ばれることは、偶にだけどないわけじゃない。
 王都からの客人一行が帰ってしまった今、呼び声を無視する理由もない。
 まだ頬にガーゼを貼り、左腕を三角巾で吊ったままの『マリー』に店の方へと向かわせ、自分の身支度を調えることにする。
「どなたか具合が悪いんですか? 今、開けますので、ちょっと待ってください」
 けが人の『マリー』をこんな風に使ってしまったら、兄の威厳が落ちるかなーと後悔するけど、急患なら、『マリー』に状況を詳しく聞かせ、こちらは薬の準備をした方が早いと割り切るしかない。
 山が近いだけあって、夏も盛りを過ぎたこの時期、昼夜の寒暖の差が激しくなりつつある。それで体調を崩したりしたのかな、とまだハッキリと目覚めない頭で考えて――――
バタンッ
 カギを開けるや否や飛び込んで来た人影に、一気に頭が覚醒した。
 明らかにケガをしている『マリー』を一切気遣うことなく、押し入って来た人は、頼りないランプの灯りでも分かる美貌を持っていた。
 私は躊躇わなかった。
 調合に使っている奥の部屋から、裏の畑へと通じる扉へ向かう。
 逃げないと。
 そのことだけを考えていた。どこに逃げようとか、逃走資金は、とか、考えている余裕はない。
 とりあえず、この場から離れる!
「ひょえっ」
 裏口を開けると、そこに立っていた見知らぬ少年が変な悲鳴を上げた。
「こ、こっちに来ないでくださいっ!」
 それはこっちのセリフだ。通せんぼするな。
 ローブの裏地に描いた身体強化の魔術陣を起動させようと、左の裾を握る。
ドンッ
 突然の背中からの衝撃に耐えられず、そのまま裏庭に倒れ込んだ。
「い、たっ」
 寝起きのせいか、苦痛を告げる声も掠れる。
 いや、私の声なんてどうでもいい。
 今度こそ身体強化の陣を発動させた私は、上に覆いかぶさっていた人影を力ずくで押しやった。
「……」
 その人影の顔を見なければ良かった。
 分かりやすく怒気のオーラをビシビシと放つクレスト様が立っていた。ここまで感情が表に出るのも珍しい。
 裏庭には私、クレスト様、見知らぬ少年がそれぞれ機を伺って立つ。多勢に無勢なら、店の中から『マリー』を呼ぼうと考えた私は、ぎょっとした。
 暗がりに紛れるような墨色のローブを羽織った何者かが、『マリー』の目の前に立っていたのだ。
 『マリー』に気を取られたその隙を、優秀な騎士が逃すはずもなかった。
 恐怖のあまり腕を振り回す私に、憎たらしくも冷静に対処した結果、私の両腕は背中にねじあげられてしまった。関節を決められてしまえば、身体強化の陣など意味を持たない。
「これ以上、暴れるな。君を傷つけたくない」
 懇願の囁きが耳元に落とされる。
「マリーツィア」
 名前を呼ばれた瞬間。この上ない絶望を感じた。
 見透かされていたのだ。私の正体を。この男に。
 いったいいつ?
 私はどんなミスを犯した?
 小刻みに震える私の両手首に、何やら冷たいものがカシャリ、と嵌められた。
 また手錠か、この変態め。
 そう思った時、身体に違和感を覚えた。身体強化の魔術陣が効果を失っている。
「うわぁっ」
 家の中から男の悲鳴が聞こえ、びくっと私の身体が過剰反応した。今度は何が起きたのかと『マリー』に意識を移し……
「え……」
 愕然とした呟きが、私の口から漏れた。
 『マリー』に繋がらない。手ごたえがない。『マリー』が粉々に壊されたとでも言うんだろうか。
 それならば床下のスペアを思い出したが、そちらにも繋がらない。
 焦った私は、いつの間にか捻られていた腕が解放されているのにも気づかなかった。
「マリーツィア。やはり君は魔術師になっていたんだね」
 真正面から私を覗き込む彼が、悲しそうに呟いた。
 彼の手によって乱れた前髪が横に除けられ、まっすぐ彼のエメラルドを直視する羽目になった。
「その腕輪は魔力を封じるものだ。君の華奢な腕に似合うよう作るのに時間がかかってしまった。すまない」
 はぁ?
 何が「すまない」なんだ、この人は!
 私は自由になっていた右手を振り上げる。だが、それは難なく止められた。さらに喚こうとした口元も先んじて塞がれる。
 騎士として訓練を積んでいるこの男に、部屋で引き篭もりきりの私が敵うわけもなかった。
「ここで話すのも近所に迷惑がかかる。馬車の中でゆっくり話そう」
 薬師の私がいなくなるのも近所迷惑だっての!
 呻く私を軽々と担いだ彼は、少年に後始末を命じると、大通り沿いに止めていたらしい馬車へ向かった。
 その後ろを墨色のローブを着込んだ男が付いて来る。協会魔術師だろうその男は、何故か『マリー』を抱えていた。
「その娘は関係ないだろう?」
「いえ、これは人形です。そちらの魔術師が動かしていたのではないでしょうか。どちらにしても珍しい魔術ですから、構成を確認しなくては」
 ちょ、人の作品を!
 陶器の件と言い、王都の人間は他人のものを横取りするヤツが多いの?
 大通りに止めてあったのは二台の馬車だった。朝日がようやく顔を覗かせようかという時間では、人の気配もない。
 『マリー』を抱えた魔術師と、私を抱えた彼がそれぞれ馬車に乗り込むと、全てを心得ていたのか御者が馬車を走らせ始めた。
「ちょ、ちょっと、降ろしてください! 家に帰して!」
「そうだ、マリー。これから家へ帰るんだ」
「私の家はこの町にあるんです! 王都になんかありません!」
 すると、隣に座った彼が、私の一番嫌いな表情を浮かべた。
 うん、何度か見たことある。私の言っていることが心底分からないという顔だ。
 クソ、無表情ながら、そこから感情を読み取る術を磨いてしまった自分が悲しい。
「何を言っているんだ、マリー」
 ほらね。
「君の居場所は俺の隣だ」
 もうやだ、この人! どうしてこんなに俺様なの!
「違います。私はデヴェンティオで薬師を続けていくんです」
「性別を偽って?」
「あなたが私を無理やり連れ戻そうとしないなら、その必要もありませんでした」
「マリー。性別を偽ったぐらいで俺は君を見落とさない」
「えぇ、そのようですね!」
 あぁ、本当にもう、なんなんだこの人!
「とにかく、私は町で唯一の薬師なんです。町の人に迷惑だとは思わないんですか!」
「君が来る前まで、何とかやって来れたんだろう?」
 あぁ、そうだ。こういう人だった。
 興味のない事は、本当に冷淡に切り捨てる。
 だからと言って、私に興味を持たれても超!絶!迷!惑!なんだけど!
「この腕輪、外してください」
 両手に嵌められた燻し銀の細い腕輪には、何やらびっしりと紋が刻まれている。ざっと確認した限り、魔力の循環を断ち切る陣のようだ。これでは魔術が使えない。
「それはできない。君が魔術師であると分かってしまったから」
 言外に、逃げるだろう? と尋ねられている気がして、とうとう私の頭に血が上った。
「私を! いったいどうしたいんですか!」
 感情の赴くままに叫んでいた。
 昂ぶった気持ちに、自然と目が潤む。
 居場所を奪われ、魔術を奪われ、私の未来に黒雲を呼び寄せて。
 私だって、普通に生きたかった。
 農家であのまま育っていたら、今頃、普通に恋をして、誰かと結婚を考えていたかもしれない。
 お師さまのところから独立して、魔術師として協会に属し、学んだ魔術をさらに研鑽していったら、きっと毎日が楽しかっただろう。
 ウォルドストウの食堂で客の誰かと恋に落ちたり、常連さんにイイ人を紹介されてもおかしくなかった。
 町でただ一人の薬師として、デヴェンティオに骨を埋める選択肢だってあったはずだ。
 それをぶち壊したのは、全部、この男だ。
 色んな思いをひっくるめて睨みつけていると、何故か珍しく無表情を崩して困惑された。
「マリーツィア……?」
 頬に手を伸ばされ、初めて自分が涙を流していたことを知った。だが、自力で止められるなら止めている。目の前の男に泣き顔なんて見られたくない。
「どうして、放っておいてくれないの……」
 私の口から、ずっと抱えていた本音が漏れる。
 戸惑いを隠せずにエメラルドの瞳が揺らぎ、薄い唇が何かを言いかけ、すぐに閉じる。
 すると、何故か視界が真っ暗になった。
 顔には柔らかい上質の絹の感触。さらりとした感触は、私の涙でペタリと張り付いた。
 両腕から背中にかけて温かいぬくもり。柑橘系の涼やかな香りに包まれる。
 抱きしめられているという認識は、したくなかった。
「放してください」
「断る」
「どうしてですか」
「君のそんな顔は見たくない」
「じゃぁ、馬車から降りてデヴェンティオに帰ります」
「帰る先は王都だ」
「……」
「マリーツィア。君は俺のものだ。五年前からずっと、な」
 その言葉に、カッと頭に血が上った。
 私はぐっと身体に力を込めると、腰を浮かすようにして相手の顎に頭突きをくらわせる。声の響き方から、私の頭の上に彼の頭があることは予想がついていた。ざまぁ!
 緩んだ腕の感触に手ごたえを感じ、渾身の力を込めて突き飛ばすと、ローブの襟元にちらりと目を走らせる。転移の魔術陣だ。
 たとえ、この腕輪で魔力の循環を断ち切られても、陣を発動できるかもしれない。
 迷っている暇はなかった。
 私は自分の手に思い切り噛み付いた!
 痛い!痛すぎる!
 でも、ちゃんと血は出た。
 あとはこれを陣に―――
「っ!」
 私の意図に気づいたのか知らないが、彼が頭突きの衝撃から立ち直り、両手を伸ばして来た。
 こっち来るな、とばかりに足を繰り出す。
 狭い馬車の中で何やってるんだ、という状況だけど、私は必死だ。
 ついでに『ニコル』の格好のままだからズボンだし、足を上げても問題ない。まぁ、スカートを履いていても、死に物狂いでやったかもしれないけどさ。
「マリー!」
 だが、相手は訓練された騎士だった。
 私の血が陣に擦りつけられる直前、私の口元に何かが覆いかぶさった。
 くらり、と視界がブレる。
 鼻腔にどこか悪臭めいたものが残っていた。昏睡作用のある曼荼羅華? でも、香りだけでここまで―――
「お前は疲れているんだ。ゆっくり休め」
 ふざけんなっ!
 私は彼への罵倒を最後に、意識の手綱を取り落とした。

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