26.近い!近い!さて、馬車の中からお送りしております。 なんでしょうね、この状況。 お昼休憩を終えて、再び馬車に乗り込んだ私と彼です。 正直、困っていました。 二人きりで馬車の中で何を話せと? もうこの男に脅えるのはやめて、正々堂々と反抗してやろうと思ったんです。 でも密室で二人きりの状態で、そんなことになったら、また、私の危機じゃないですか? 自分に声を聞かせないなら喉はいらない、なんて理由で首を絞めた男ですよ? 正直、怖かったんです。 で、何を話そうかとおろおろしてたら、ですね。 こてん、ぐー。です。 私じゃないです。相手がです。 私の膝の上に頭をのっけて、すやすや夢の世界に旅立ってしまいました。 はぁ。 以上、馬車の中からリポートでした、まる。 ……。 ま、考えようによっては、今後のことをきっちりと計画立てられる余裕ができたってことで、結果オーライ、と。 視線を落とすと、そこにはサラサラの金の髪と、寝ていても絵になるクレスト様の顔がある。 結局、この人は私をどうしたいんだろう。 先だってカルルさんから届いた手紙には、「守る」って答えられたと書いてあったけど。 嫁でも妾でも使用人でもないとなると、本当にどうしたいのかサッパリ分からない。 馬車の外を流れる風景を眺めるのにも飽き、私はそっと彼の髪に触れてみた。 さらり。 予想以上に良い手触りに思わず手を引いたが、彼は起きる気配もなかった。 そうなると、人間は大胆になってくるもので。 私は遠慮なく彼の頭を撫で、その感触を楽しむことにした。 カルルさんの手紙に書いてあったことを信じるなら――― 「寝不足だったって、本当ですか?」 呟いてみても、返事はない。 もちろん、返事なんて期待してない。ていうか、あったら困る。 「デヴェンティオに到着した時、『マリー』に目を奪われたように見えたんですけど、気のせいですか?」 思い出してみれば、あの時から彼の行動はおかしかった。 でも、普通に考えれば『マリー』と私の共通点なんてないから、人でない気配に反応したのかもしれない。要人警護中だったわけだし。 「いつから、『ニコル』が私だと気づいたんでしょう?」 私は、絹糸の感触を楽しむように彼の髪の毛を梳く。 寝言を口にするでもなく、穏やかな呼吸をする彼が目を覚ます気配はない。 私は、ずっと気になっていたことを口にした。 「守る、って、何から守るんですか?」 私は誰かから狙われるような身分でもない。恨みは、まぁ、最近、某ギルドの人から買ったかもしれないけれど、それだってほんの一月ぐらい前のことだ。 「あなたは、私を……どう、思っているんですか」 この人が私を愛しているとでも言うなら、行き過ぎた愛として納得、処理できただろう。 でも、残念ながら「守る」「逃がさない」「傍に」という言葉を口にしても、私に対する好意を示すわけではない。 そういうこともあって、この人の行動は本当に読めないのだ。 「なんて、聞いたところでどうしようもないんだけど」 一人、呟いて窓の外を流れる景色に目を向ける。昼の休憩に時間を取り過ぎたのか、それとも馬車の速度はこんなものなのか、思った以上に速く流れる景色は――― 「質問はそれで終わりか?」 ぎくり、と私の身体が強張った。 いや、何も聞かなかった。うん、そうだ。気のせいということにしよう。 私は窓の外に見える畑の畝を数え始める。 「マリーツィア」 うわぁ、聞いてないんだってば! 空耳だって! 寝起きのせいか少し掠れ気味の声が妙に色っぽいとかそんなこと、これっぽっちも思ってないから! 心の耳を塞いでいたら、膝の上で何かがもそもそと動いた。 うぅ、気づかないフリをして放っておきたいけど、油断してもしなくても何やらかすか分からない人だしなぁ。 覚悟を決めて、私は視線を落とした。 すると体勢を変えて仰向けになった彼とバッチリ目が合った。私の顔に伸ばそうとしていた手を素早く掴んで元の所に戻す。 「……そのまま寝てていいんですよ」 えぇ、そりゃもう。なんだったら、永遠に。 「優しいな、マリーツィア。だが、寂しそうな声が聞こえた」 あぁ、耳が腐ってるんですか? 誰もそんな声は出してませんよ。 「まず一つ目から答えよう。確かに俺は寝不足だった」 ちょ、本当に最初の呟きから拾ってるよこの人! やーめーてー! 「えぇ、だから寝てていいんですってば」 まっすぐに下から向けられる視線に耐えられず、強制的に寝かしつけようと、私は彼の目を覆うように掌を乗せた。 「君が危険な目に遭ってやしないかと不安だった。傍にいるだけで、これほど安らげるとは」 答えることを止めない彼は、目を覆った私の手を掴むと、そのまま口元に引き寄せ、掌に口付けを落とした。思わず「ひゃっ」と手を引っ込めると、どこか楽しそうに見上げる彼と目が合う。 うぅ、勘弁してください。 「だから寝てください、と」 「寝ていた」 「いや、人の呟き拾ってるじゃないですか」 「優秀な騎士は、寝ていても周囲の音を拾える。まして君の声が聞こえないはずがない」 自分で自分のことを「優秀な騎士」って! あぁ、もう! やだこの人! 「護衛任務でデヴェンティオに赴いた時、あの人形を見て、どこか懐かしい気がした」 ……いや、普通に考えておかしい。 共通項は「女性の形をしている」「瞳の色が同系統」ぐらいだよ? 「君と共に住んでいる女性だからかと思っていたが、アレを通して俺たちが見つめ合っていたからだろう」 そのセリフに、私の両腕にぞわぞわっと鳥肌が立った。 「人形を迎えに来た姿を見て、すぐに君だと分かった」 「えぇと、参考までに、どこが私だと思ったんですか?」 「どこが? 例え変装していても、一緒に暮らしていた人間を見間違えるわけがないだろう」 「そ、そうですか」 えー、たぶん累計で一年も一緒に暮らしていないと思うんですけどね。ハールさんとかアマリエさんとかでも同じことができるのかよ、とツッコミたくなったけど、まぁスルーしておきましょう。 「マリー?」 こっちの思考を読んででもいるのか、私の名前を呼ぶ声がワントーン低くなったような気がした。 「いいえ、なんでもありません。さぁ、もういいですから、とっとと寝てください。寝不足だったんでしょう?」 「だめだ、マリー。逃がさない。せっかくマリーが俺に興味を持ってくれたんだから」 興味というか、情報収集したいのは否定しない。でないと予測がつかないし。 でも、この後に続く質問を今返されても困る! 「マリーツィア?」 あー! 私の名前を呼ぶ声も、無駄に整った美貌も、本当に心臓に悪い! 私は目を閉じて両手で耳を塞いだ。 「もう何も聞きませんから! 本当に寝てて構いません! えぇ、膝は進呈しますとも!」 相手の反応を知りたくもなくて、頭の中で転移の魔術陣の効率化を考える。より少ない魔力でより遠くに飛ぶには――― ふっと、膝にかかっていた重みが消えた。 あれ、そういえばこの人、目を離すのは不味いんじゃ…… 恐る恐る目を開けると、すぐ近くに不機嫌な美貌が見えた! 「マリー」 真正面から両腕を掴まれた私は、抵抗する間もなく彼に腕ごと抱きしめられた。お互いの肩の上に顎を乗せる形、つまりぴったりと密着している。 「や、離して、ください!」 渾身の力を込めて身を捩ってもピクリともしない。やはり鍛えている男性にはとても敵わない。せめて身体強化の魔術陣が使えれば…… 「こうすれば俺の話を聞くだろう?」 えぇ、聞かないという選択肢がなくなりますね。 唯一利点があるとすれば、互いの表情が分からないことぐらいでしょうし! 「マリー。俺は傷つく君を見たくない。だから、―――守る」 耳元で囁かれているはずの声は、お互いの身体を通してよく響く。 「私は別に高貴な身分でもなく、どこにでも居るただの娘です。守るも何も、私を害する人間などいません」 「少なくとも一人はいるだろう」 あなたのことですか?と反射的に問い返したくなるのを、ぐっと堪える。 「魔術師のあの目を見たか? 宝石に籠められた魔力を我が物にしようというあの目だ」 「えぇ、本当に王都の人間は他人の物を横取りする性根の人が多いですね」 「そうだ。本当に醜い。だからこそ始末が面倒だ」 耳元でため息をつかれた。生暖かい空気が首筋にかかるからやめて欲しい。 「俺の知る魔術師の中には、魔力を得るためなら他人を蹴落とすのも飼い殺すのも厭わない連中がいる」 何だか、怖いことを言われてる気がする。私も一応魔術師の端くれなんだけど。 「君の強い魔力を放置するとは思えん」 「それ、は……」 「あれらに捕まれば、死なない程度に延々と血を採られる日々を送ることになる」 まさか、という思いと、確かに、という思いが半々だった。 お師さまだって、そこまでひどくないものの、私の魔力を見抜いたからこそ買い取ったわけだし。 魔力が、とりわけ行使魔術を扱う魔術師にとって重要なことも理解している。 「大した力量もなくせに、他人に勝ちたいという変なプライドがあるあいつのことだ。師匠にバレないよう、何度も渡せと言って来るに違いない。―――それに」 「?」 「王都にあるギルドにケンカを売るのは、これが初めてではないんだろう?」 げ、何でそれを知ってるんだ。『ニコル』のことを徹底的に調べたとか? いや、それでも、あの時のことは私とカルルさんしか知らないはずだから…… ぐるぐると考えて、ようやっと言葉を絞り出す。 「そちらは、信頼できる人にお願いしたので大丈夫です」 失脚か左遷か投獄のルートしか待っていないという怖い話だし。大丈夫だろう。そのために渡した対価も決して安くはないけど。 「誰と、何を起こして、誰が始末をつけた?」 どうやら、細かく話さないとならないらしい。 「陶器を作るギルドと、釉薬の件で少しこじれて、バルトーヴ子爵に助けてもらいました」 うん、間違ってない。カルルさんが、というよりはそのお父さんが尽力してくれた感じだしね。 「子爵が見返りも要求せずに始末をするとは考えられないが」 「えぇと、釉薬のレシピをお譲りしました」 町おこしに使うとは思わなかったけど、利益独占タイプの商人さんじゃなくて良かったと思う。本当に。 「……カルルは知っているのか?」 あぁ、これ、頷いたらカルルさんが痛い目に遭っちゃいそうな。 「カルルさんに仲立ちになってもらいましたが、あくまで『ニコル』としてです。あの人は気づいていない……はずです」 きっと自己保身のために、口裏を合わせてくれるに違いない。そう信じていますよ、カルルさん! 「……そうか」 う、何だか冷えた声音なのは気のせいだろうか。い、いや、怖いから考えないことにしよう。 「それで、何の話だったかな。あぁ、君を害する輩はそんなところだ」 「そうですか、じゃぁ、これで質問は全部ですね。いい加減に離してください」 とっとと話を切り上げるべく身じろぎした私を、彼の腕がぎゅっと捉えて離さない。 「一番大事な質問が残っている」 「聞きたくないのでスルーしてください」 「だめだ」 「どうして!」 「君が一番寂しそうな声で呟いたからだ」 「気のせいです!」 あんたの変なフィルターがかかってるんだ! 勘違いするな! 「だが非常に難しい質問だ。君のことは唯一無二の『マリーツィア』という存在としか思っていないが」 「はい、それで結構です。ありがとうございました!」 なんだこのいじめ! 天然か? 故意か? どっちにしてもたちが悪い! 「そうじゃないだろう。どういうことが聞きたいんだ?」 「いやだから、本当にさっきのお答えでいいんですって!」 じたじた、ばたばた、と体の色んな所に力を入れるが、ピクリとも揺らがない。くそ、この細マッチョめ。リリィさんに言い寄る酒屋の三男さんなみに毎日力仕事に明け暮れてるに違いない! 「マリー」 「……」 「マリーツィア」 「……うぅ」 「逃がすつもりはないぞ」 「あー! もう、分かりましたよ! 聞けばいいんでしょう? 私のことを好きとか嫌いとかどうでもいいとか、妹のようだとか姉のようだとか下僕とか人形とか愛人として囲いたいとかどっか遠くで幸せになればいいとか逆に不幸になればいいとかそういうことですよ!」 無駄に並べ立てたせいで息が荒くなった。ついでに鼓動も早くなっているだろうし、顔も火照っている自覚がある。 うぅ、恥ずかしい。逃げたい。 ウォルドストウの金物屋のマーゴットさんみたく、男の人を手玉に取れたらいいのに。いや、この人は一般的な男の人に当てはまらないか。 「……随分と難しいことを聞くな」 「えぇ、だから答えなくても一向に構いませんから、とりあえず離してください」 「そういうわけにもいかない。お前の方から積極的になってくれたんだから」 いやいや、積極的になんてなってませんて。貴方が勝手に私の独り言を拾い上げただけでしょうに。 「俺の理想を言えば―――」 いや、言わなくてもいいです。 「朝は君の声で目を覚まし、食事を共に囲み、君の笑顔と柔らかな声を存分に鑑賞し、可能なら夜も君を抱きしめて眠りたい」 ……。 記憶を消去できないかなぁ。 普通に求婚されているのかと勘違いできたらいいんだろうけど、何故か言い方が重い。うん、これは求婚じゃない。 「あぁ、君の太ももを枕にするととても安らぐということが分かったから、それも追加しよう」 追加しないでください。あと膝枕という名称があるので、そちらを使ってください。太ももって何だかイヤらしいです。 「身分差などどうとでもなるし、妻として娶れば早いのだろうが、それでは君に余計な敵を作ることになり兼ねん」 そういえばそうですね。いつぞやの祭の時にすっごく睨まれてましたから、私。 「愛人などという不名誉な立場に置くことなど考えられないし、使用人として雇うなど以ての他だ」 私そっくりの『マリー』みたいな人形作ってやるから、それで満足してくれないかな。 「あと、俺の言うこと全てに頷いてくれるのが理想と思っていたが、こうしてマリーと話すと、やはり偶に反抗してくるのも悪くないと思うな。―――どう思う?」 どう思う? と言われても! これ、答え方次第によっては、すごく危険な質問じゃないのか? 「マリー?」 えぇい、無駄にその良い声で呼ぶな! 私は懸命に頭を働かせて――― 「分かりません」 ひどく玉虫色の回答をしたのだった。 | |
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