29.告白「観覧席に集まっていた令嬢が、言っていたんです。クレスト様のことを」 「……なんて?」 「天は二物も三物も与えている、と」 私の告白に、エデルさんが困ったように首を傾げた。 「そういう、評価をするのか、と思ってしまったんです」 私は給仕のメイドさんから受け取った濡れた布を目元にそっと当てた。何でこんなことで涙をこぼしてしまったのか分からないから、余計に恥ずかしい。 「確かに、クレスト様は伯爵家に生まれて、あんな綺麗な顔立ちを持っていらっしゃいます。そういう意味では、二物を与えられているんでしょう」 私は、手にした布をぎゅっと握り締めた。 「知っていますか? お兄様方から酷い仕打ちを受けていたこと。二物を与えられていても、これじゃマイナスですよね」 こっそりアマリエさんから聞いた話だ。それまではずっと、我がままな三男としか思っていなかったから、不憫に思ったのだろう。ハールさんには内緒だという前置きで教えてくれた。 「剣の腕も、戦略も、クレスト様の努力の賜物なんです」 十二の頃、わけも分からずにクレスト様と一緒のお邸で住むことになった。クレスト様は私に一日あったことを報告するように強いたけれど、その代わり、クレスト様は一日何をやっていたのかを教えてくれた。 剣の鍛錬、国の成り立ちや経済、各種戦術の勉強をしていたのを知っている。訓練で無理をしたクレスト様が疲労で倒れたのを看病したことだってあった。同情したわけじゃなくて、少しでもお邸で働く使用人の役に立ちたかったという理由の上での行動だったけれど、腕や背中にたくさんの打ち身を作ったクレスト様の傍にずっと控えていたんだ。苦労も努力もそこにはあったことを知っている。 「それなのに、皆さん、……まるでそんなことなんてなかったみたいに、才能とか、そういう言葉で片付けて、本当に無責任というか、酷いことをするものだと―――」 話しているうちに、また感情が昂ぶるのを感じ、深い呼吸を繰り返した。 「……驚いた」 何故か、目をまん丸にしてエデルさんがこちらを見つめていた。 「ねぇ、クレストのあの美貌には何とも思わないの?」 「……む、無駄に整っているなぁ、と思いますけど」 はぁ、無駄ねぇ、とため息をついたエデルさんは、ソファから立ち上がると、私の隣にすとん、と腰を下ろした。 そのまま、何故か私の頭を優しく撫でる。 「あの、な、んでしょう?」 「いいえ? あなたを甘やかしたくなっただけよ」 よしよし、と頭を撫でるエデルさんの手は本当に優しい。 「人が正当に評価されないことはよくあることよ。わたくしの知る限りでも、どこかのバカなギルドの偉いさんとか、ね」 頭を撫で続けながら、エデルさんは、綺麗な藍色を作り出す釉薬にまつわる話をし始めた。 ……それ、私の話なんですけど。 そのまま詳細を話す様子から、どうやら『ニコル』のことは知っていないようだと、小さく安堵する。 「そこまで純粋な心を持っていると、この先、生きにくいかもしれないわね。でも、その心を、わたくしはとても貴重なものだと、愛しく思うわ……」 優しく、本当に優しいその声は、私の心にするりと染み入った。まるで、エデルさんが私のお姉さんみたいだと錯覚するぐらいに。 (……お姉ちゃん) 耳の奥で、幼い子どもの声がこだました。 かつて、自分をそう呼んだ子どもがいた。三つ年下の弟。 (お姉ちゃん) 自分は何度もその言葉を口にした。自分と同じ黒髪の、少し厳しい姉。 (マリーツィア、一緒に市場へ行こう) 自分に手を差し出す背の高い男の人は、顔こそ思い出せないけれど自分の父親だ。うっすらと市場で売られるものに気付いていた私は、あのときどんな表情を浮かべていたんだろう。 「マリー?」 エデルさんの声に、私は幻視を振り払った。 「どうしたの?」 握り締めていた布をそっと引き抜かれ、自分の頬に当てられたところで、ようやく涙が流れていたことに気付いた。 「す、すみま、申し訳ありませんっ。えぇと、優しくされてびっくりしてしまったと言いますか、その―――」 「目を擦ってはだめよ。……なんだか、とても哀しそうな顔をしているわ」 「え? そうですか? むしろ優しくしていただいても何もお返しするものがないので、申し訳ない顔だと思うのですけれど……」 慌てて言い繕った私の胸がちくり、と痛んだ。 ![]() 「随分と、遅かったな」 馬車でお邸まで送ってもらうと、玄関には仁王立ちしたクレスト様が待っていた。 「す、すみません」 慌てて頭を下げる私の隣を、すっと若草色のドレスが通る。 「申し訳ありませんわね、クレスト。お茶を飲みながら、つい話に花を咲かせてしまいましたの」 「話…?」 「えぇ、女同士のたわいもない話でしてよ」 何故か私を隠すように立つエデルさんの影になって、残念ながらクレスト様の表情は見えなかった。 うぅ、あまり他人と話すのを許してくれないクレスト様のことだから、きっとエデルさんともこれきりになってしまうんだろうな。寂しい。 「鳥籠の中で生まれた小鳥ならともかく、自由に羽ばたくことを知っている鳥を籠に押し込めても、綺麗な声で歌ってはもらえませんわ」 堂々と言い放ったエデルさんの後ろで、私は「本当に言っちゃったよ」という顔を隠しきれないでいた。 今の状況が辛いとエデルさんにこぼしたけれど、まさかここまで言ってくれるなんて、あのクレスト様相手に。 「……エデル嬢には関係のないことだ」 「いいえ、関係ありますわ。わたくしとマリーはお友達ですもの」 「マリー?」 クレスト様に名前を呼ばれ、私はゆっくりと一歩を踏み出した。 「エデルさんのおっしゃる通りです。わ、私だって同じ年頃の同性のお友達と、おしゃべりを楽しみたいんです」 冷たい無表情が巻き起こすブリザードに負けまいと、私は必死にクレスト様を見つめた。 しばらくの睨み合いの後、ふっと無表情が緩んだ、ような気がしたと思ったら、ぐいっと腕を引かれた。 「分かった。検討しよう」 本当に検討する気があるのか分からない声音で譲歩の言葉を告げると、クレスト様はエデルさんに帰るよう告げた。 まだ言い足りない様子のエデルさんだったけど、腕を取られたままの私が目だけでお礼を告げると、小さく肩を竦めて馬車へと戻って行く。 「君はこっちだ」 エデルさんの姿が消えるや否や、私はぐいぐいと腕を引っ張られて階段を上がり、クレスト様の部屋へと連れ込まれた。 「座れ」 二人がけのソファを示されて、私はちょこん、と端っこに座る。隣に座って来るかと思ったけど、なぜかクレスト様は私にぐいっと顔を近づけて来た。 「……目の端が赤いな」 「気のせいでしょう」 私が即答したのが気に食わなかったのか、その新緑の瞳が細められた。錯覚とは分かっているけれど、部屋がぐん、と冷えた気がする。 「エデルに何か言われたか?」 「いいえ? エデルさんは優しい方じゃないですか」 あ、眉間にシワが寄った。 「マリーの認識はおかしい。俺はエデルほど怖い女を見たことがない」 怖い? 私は首を傾げた。カルルさんもエデルさんが怖いと言っていたけれど、私にとっては優しいお姉様だ。どうしてそんなことを言うんだろう。 「……まぁ、いい。それより、観覧席からすぐに出ていったようだが、何があった?」 「すみません。久々の外出でちょっと興奮してしまったのか、気持ち悪くなってしまって。やっぱり定期的に庭の散策とかして日光に当たらないとだめですね」 「……」 あ、どうやらこの回答はお気に召さなかった模様。 「エデルさんの好意に甘えて、お茶をご一緒していたんです」 「……」 えぇと、と考えて、エデルさんに言われたことを思い出した。 ―――訓練のこと、率直な感想を言ってあげなさいな。 「あの、訓練の様子を初めて見たんですけど、本当にすごかったです! 二人、いえ、三人相手に木剣一本で立ち回れるなんて思ってもみませんでした。三人ともまだ見習いだっていうのは分かっているんですけど、でも、あんなふうに捌けるんですね、ついつい見とれちゃって!」 そうだ、あれは本当にすごかった。今思い出してもちょっと興奮する。 「それに三人は交代で立ち会ってましたけど、クレスト様はずっと木剣を振るってましたよね。でも、肩で息をすることもなくて、持久力、って言うんですか? やっぱり日頃鍛錬をされている方は違うなぁ、って思いました。その、すぐに観覧席を立ってしまったのが勿体なかったんですけど、でも、いつもと違うクレスト様が見られたので、満足です! ―――って、クレスト様?」 目の前に居たはずのクレスト様の顔は、随分と離れていた。ついでに何故か口元を覆って明後日の方向を向いている。 あれ? 訓練所のことを思い出しながら素直な感想を述べてみたつもりなんだけど、何か不都合なことでも言ってしまったんだろうか。思い返してみたけど、三人相手の立ち回りがすごかったことと、持久力がすごかったことぐらいしか喋ってないような気がする。ああいった姿を見ることで、今後の対策を検討する材料になると思ったことがバレてしまったんだろうか。 あ、もしかして、一対三というのは、見習い騎士さんたちの能力が低いと貶してしまったことになるのかな。 大きく息をついてこっちを向いたクレスト様が何かを言うより早く、弁明してしまうことにする。 「あ、あの、すみません。別に見習いの方々の技量が低いって言っているわけではなくてですね、小隊長も勤めていらっしゃるクレスト様だからこそ、ああいった訓練ができるんですよね」 あれ、また失敗したかな。またあっち向いちゃった。 うーん、やっぱりこの人は難しい。これなら食堂で絡んでくるお客さんの対応とか、毎回違う症状で駆け込んで来た金貸しの奥さんを相手にする方が楽だなぁ。 「もう、いい。部屋に戻れ」 「はい」 結局、こっちを向くことなく下された命令に従って、私はクレスト様の部屋を後にした。 ほてほてと自分の部屋に戻ると、窓の外に夕闇が広がっていた。エデルさんのお邸を出てからこっち、時間を気にする余裕もなく、何だかばたばたとしていた気がする。 イスに腰を落ち着けると、ふぅぅぅぅぅと深いため息が落ちた。 「……疲れた」 綺麗に結い上げられた髪から、せっかくやってくれたアマリアさんに悪いと思いつつピンを丁寧に抜いて崩していく。 さらり、と落ちたのはサイドだけ短い奇妙な髪型になった自分の黒い髪。 少し波打つ髪を何度もブラシで梳いた結果、いつも通りの形になってホッとする。 あちこち締めつけた外出着からゆったりした部屋着に着替えたところで、今日はまだ『供給』していないことに気がついた。 部屋の四隅に掛けたタペストリーの魔術陣の中心にある、小さな水晶に顔を寄せると、ぺろり、とその表面を舐めた。 血液による補充を許されていない私ができる、数少ない魔力の補充方法だった。両手首の腕輪がなければ、もっとスマートな方法で補充できるんだけど。 (あれ?) そこまで考えて首を傾げた。 そもそもこの腕輪はどういうものなんだろう。 クレスト様は「魔力を封じる腕輪」と言っていた。確かに魔力の循環を断ち切る魔術陣が彫り込まれているし、試しにやってみた身体強化は発動しなかった。 でも、私の身体の中には、間違いなく魔力がある。そうでなければ、この覗き見防止の陣も発動していないはずだ。 そういえば『マリー』を土に還した時も、きちんと魔術陣は効果を為した。いや、でもあれは魔力供給源が別にあって、単に事前に設定したキーワードを発しただけだからか。 (……あれ、ということは? 条件は?) 私は自室の覗き見防止の陣への供給を終えると、書斎へと足を向けた。 「マリーツィア様、そろそろ夕食の支度が整いますので」 「分かりました。書斎に一度寄ってから、直接食堂に行きます」 アマリアさんに返事をしながらも、頭の中ではぐるぐると思考が渦巻く。 (考えろ。今、あたしができるのはそのぐらいなんだから) 魔力を封じる? いや、封じられていない。 どうして身体強化の魔術陣は発動しなかった? 分からない。 覗き見防止の陣は発動しているのに? これは魔術陣を描き上げると同時に発動するタイプのものだからかもしれない。 魔力を蓄積した石を経由すれば? いや、一度、胸元のダイヤで試したけれど、それでも身体強化は発動しなかった。 何が違う? 書斎の扉を開け、四隅にある魔術陣を確認する。 中央の水晶に魔力はまだ残っている。そうだ、魔力を見ることができている。 水晶に舌を押し付けた。唾液を通して魔力が蓄積されていくのが分かる。そう、ちゃんと流れは分かっている。 私の身体の中に、きちんと魔力は流れている。 それなら、どうして得意の身体強化が発動しなかったのか。 一つずつ、要素を分解していく。 魔術陣を描く。 ―――これは誰にだってできる。 魔術陣に魔力を込める。 ―――魔力を蓄積した石で代用できる。 発動させれば、その魔力が身体を覆い、身体能力を強化させる。 「発動……」 そうだ、魔術陣を発動させるときは手から「発動させる」意思を陣に伝える。一定の手順を踏めばキーワードで陣を発動させることもできるけど、キーワード登録の際にはどうしたって手を使う。 「手だ……」 私は薄暗い書斎の中で、じっと自分の両手に目を凝らした。 魔力の循環を断ち切る腕輪。魔力だけでなく、発動の意思すら断ち切るものだったとしたら? 身体強化が上手くいかなかったのも説明がつく。身体全体を覆う術なのに、両手首で流れが断ち切られてしまえば、そこからほどけてしまうんだ。 どうして、こんなに簡単なことに気が付かなかったんだろう。基本に立ち返って、一つ一つ紐解いていけば、すぐに分かったはずだ。 通常、付与魔術師は、魔術陣を描き、手を触れて発動させる。そんなイメージが全てを邪魔していたんだ。 身体の一部を触れさせ、発動の意思と魔力さえ流せば、魔術陣はきちんと発動する。みんな、便利だから、使いやすいから手を使う。 ―――手が使えないなら、他の場所を使えばいい。足の裏でも膝でも額でも! それはつまり、もうこのお邸に縛られる必要はなくなった、ということに他ならなかった。 | |
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