TOPページへ    小説トップへ    重たい執着男から逃げる方法

 28.見学


「わたくしも、久しぶりに訪れるの」
 そう言って私の隣に並ぶのは、カルルさんのお姉さんだ。栗色の髪を綺麗に結い上げ、クリーム色の手袋に包まれた繊手が持つのはドレスとお揃いの若草色の日傘。私の想像する貴婦人の形がそこにあった。
 私が騎士団の訓練所の見学に行くにあたり、いくつかの条件を提示された。
 一つは、付き添いを用意するから、その人と決してはぐれずにいること。
 もう一つは、……クレスト様にとあるお礼をすること。
 このお礼が、また、何というか、その、……いや、今は思い出さないでおこう。久々のお邸の外だ。
 カルルさんのお姉さん、エデルさんに従って私は入り口で見学者名簿にサインし、訓練所の外周に設けられた観覧席に足を踏み入れた。
 埃っぽい中、風に運ばれて汗臭い匂いが鼻をくすぐる。
 訓練所と観覧席を隔てる低い柵の傍には、数名の令嬢が黄色い声を上げていた。
「お目当ての騎士がいる子なんかはね、ああして少しでも顔を覚えてもらおうと必死なのよ」
 柵から随分と離れた場所に座ったエデルさんが、「若いわねぇ」ときゃいきゃい騒ぐ令嬢に目を細める。
 えぇと、エデルさん、おいくつなんでしょうか。
 カルルさんよりは年上なんでしょうが、正直、見当も付きません。
「そろそろ、指定された時間だわ。マリーもお座りなさい」
「あ、はい」
 エデルさんの示す通り、隣に腰を下ろす。正直、騎士団の訓練よりもエデルさんの方に興味があるんだけど、とは言えない。
「あの、エデルさんも通ったことがあるんですか?」
「わたくし? 残念ながら騎士団に所属するような人間には興味ないものだから」
 それは、戦うことに興味のある人間が? それとも次男・三男が?
 ちょっと聞いてみたいんだけど、怖くて聞けなかった。
 カルルさんの話だと、とても怖いお姉さまとのことだから。でも、その表情が艶めいていて純粋に綺麗だと思ったので、少しだけ憧れる。
「ほら、出て来たわ」
 きゃぁっ!っと集まった令嬢達から悲鳴にも似た声が上がる。
 出て来たのは、私のよく知るクレスト様……ではないような?
 訓練時の服装なのか、他の人と同じグレーの上下を着ているんだけど、なんだか違う。
 服装が同じなのも良し悪しだなぁと思ってしまった。周囲と素材の差がくっきり出てしまう。他の人がよれっと見える中、クレスト様だけパリッと見えてしまうような錯覚に陥った。
 もちろん、私の知るクレスト様ではないと思ったのは、服装のせいじゃない。
 ……なんだか、表情が、いつにも増して、無いような?
 いや、元から無表情の人なんだけど、それでもよく見れば口の端とか目元に感情の発露があるわけで。今のクレスト様にはそれすらも見つけられない。
「お願いしますっ!」
 緊張しきった様子のフィンさんの声がここまで届いた。隣に立つ銀髪の人は同僚の、えぇと、アルなんとかさんだろうか。
「あ、あれ、二対一、ですか?」
「まぁ、クレストなら三対一でもいいんじゃないかしら? ……ほら、もう一人、バカ弟の部下よ」
 くすんだ赤毛の人がそこに加わり、クレスト様は三方を囲まれてしまう。持っているのは木剣とは言え、あれ、当たると痛いんじゃ……
「ちゃんと見てなさい。憎らしいほどに強いから」
「え……?」
 ほんの数合で、エデルさんの言葉をイヤというほど理解することになった。
 数による不利を一切感じさせず、クレスト様は立ち回っていた。振り下ろされる木剣を流し、身体をひねって避け、時には蹴りで一撃を加える。それを涼しい無表情で行っているのだ。
「……くぁっ!」
 フィンさんが蹴り飛ばされ「しばらく外れろ」というクレスト様の指示に項垂れる。
 二対一になったクレスト様は、一本の木剣だけで二人の斬撃をいなし、ほとんど場所を動くことはない。
「剣筋が単調だ」「腰を入れろ」「相手の動きを見ろ」
 合間に注意を促しているみたいだけど、離れた観覧席からは途切れ途切れにしか聞こえない。これだけ激しい動きをしているのに息が乱れる様子がないのは流石と言うべきなのか。
「アルジェント、下がれ。―――フィン、戻れ」
 銀髪の人が木剣を吹っ飛ばされるのと同時に、しばらく休んでいたフィンさんが打ち合いに戻った。
 再び打ち合いが続き、今度は赤毛の人がすっ転んだと思ったら、銀髪の人と交代した。
「とんでもない体力ね」
「……えぇ」
 汗こそ流れているものの、打ち合っている見習い三人が肩で息をしているのに、クレスト様は疲れた様子を見せない。
 あぁ、これは、勝てない。
 デヴェンティオであっさり捕らわれたことを思い出す。
 こんな訓練を息も乱さずにやってのける人の手から、逃げ出すことなどできるわけもなかったんだ。
「マリー、見惚れちゃった?」
「ひゃっ」
 突然、耳元で囁かれた私は大きく身体を震わせてしまった。
「カルル、はしたなくってよ」
「すみません、姉上」
 いつの間にか、私の隣にカルルさんが座っていた。
「だいたい、自分の部下も鍛えないで、あなた、何をやっているの?」
「いやぁ、スクアロもクレストに稽古付けてもらいたいって言うからさ」
 なんか、憧れてるみたいだしー?と口笛を吹きながら明後日の方向を向くカルルさん。部下に頼られないことに拗ねていると思ったら、そうでもないようだ。純粋に訓練が面倒らしい。
「あの、騎士の方が観覧席に居てもよろしいんですか?」
「え? オレ? あー、大丈夫。観覧席の人が訓練所に入ることはできないけど、逆はアリだから」
 とはいえ、カルルさんがここに来たことで、何だか注目を受けているようなんだけど。
 あぁ、エデルさんの顔は知られているみたいだけど、私の顔が知られてないから、「誰あの子」ってことになってる。うぅ、ヒソヒソされるのは居心地悪いなぁ。
「あ、マリー。この間のアレ、どうもありがとうね」
「あれ、ってハンカチーフ、ですか?」
「うん、すっごい助かっちゃった。あ、クレストには勿論内緒にしてくれてるよね?」
「えぇ、知られれば、私もただじゃ済みませんから」
 そうなのだ。
 クレスト様が私の付き添いをエデルさんに頼んだ際に、カルルさんは何故か私にイニシャルの刺繍されたハンカチが欲しい、と言って来たのだ。
 どうやらクレスト様から私の刺繍の腕を聞いたらしく、こっそりと頼んで来た。苦手というお姉様に頼みごとをしてくれるんだから、と軽い気持ちで請け負ったのだけど、嫉妬が怖くてクレスト様には内緒という暗黙の了解があった。
「もしよければ、家紋入りもお願いしたいんだけど、いいかな?」
「? そのぐらい、でしたら」
「ありがと。今度埋め合わせするよ」
 そんな私とカルルさんの遣り取りを、隣で冷ややかな目つきでエデルさんが見つめていた。
「まったく、マリーの人の良さに付け込んで、この愚弟が。面倒になったご令嬢と別れるのにでも使っているのでしょう?」
 エデルさんは少しだけ腰を上げて、カルルさんの頬を抓り上げた。
「いたたた、姉上、それは痛いです」
「いいから、座るのならこちら側に座りなさい。わたくしは、クレストからマリーを守るように頼まれているのよ」
 渋々とカルルさんがエデルさんの隣に座る。
 視線を訓練所に戻せば、そんなことがあるはずもないのに、クレスト様と視線が合ったような気がした。
「気がついた? さっきからこちらを見ていたわよ」
 エデルさんに言われて、まさか、と思う。
 でも、クレスト様ならそれもあり得ると妙に納得してしまった。
「カルル、後で覚悟しておきなさいね」
「いや、まさかまさかそんな……って言い切れないのがクレストなんだよなぁ」
 がっくりと肩を落とすカルルさんもクレスト様に対して同じような印象を持っているようだった。
「やっぱりクレスト様ってばステキよねー」
「伯爵家の三男ですけど、やっぱりどこかに婿に入られるのかしら?」
「あー、いいなぁ。あたしも一人娘に生まれてれば」
「でも、クレスト様ほどの騎士なら、別にどこかに婿入りしなくっても」
 きゃいきゃいと令嬢達のはしゃぐ声が耳に入った。
 まぁ、あれだけ優秀で顔も良ければ、そりゃ騒がれるわね。良い結婚相手を見つけてくれれば、私も自由になれるんだけど……。
「それにしても綺麗な顔立ちよねー」
「剣の腕も素晴らしいし、戦略にも長けているのでしょう?」
「天は二物を与えないと言うけれど、クレスト様を見ていると二物も三物も与えてしまっていますわねー」
「本当に、その通りですわ」
 令嬢のささめく声を聞き流していた私だったけれど、つい、ぐっと拳を握り締めてしまった。
「どうかしまして?」
「……いいえ、何でも、ありません」
 私はまだ続いている訓練から目を離し、俯いた。
「マリー?」
 心配そうに声を掛けてくるカルルさんの声も、耳障りだ。ちょっと冷静になるまで放っておいて欲しい、と切実に願う。
 心に灯ってしまったこの炎を、どうにか鎮めなければ。
「日頃、外に出ていないと言うし、少し太陽の光にあてられてしまったのかしら?」
 すっと音もなく立ち上がったエデルさんを見上げると、にっこりと微笑まれた。
「よろしければ、お茶でもいかが?」
「ちょ、姉上?」
「わたくしが依頼されたのは、ここへ連れてくることと、夕刻までにお邸に送り届けることだけよ。さ、カルル、退いてちょうだい」
 のろのろと立ち上がった私の手を引き、エデルさんはすたすたと歩き始める。
「あ、あの……」
「心配しないで。わたくし、マリーとゆっくりお話をしてみたいだけだから」
 曖昧に頷いた私は、そのまま訓練所を背にした。


「あの、なんだか、申し訳ありません」
「あら、謝ることはなくてよ」
 どうしてこうなった。
 私はエデルさんの住むお邸で、お茶を飲んでいた。
 白い家具でまとめられたセンスの良い部屋には、私とエデルさん、それに給仕のメイドが一人いるだけ。
「カルルから、あなたのことは聞いていてよ」
「は、はぁ……」
 どこまで話したんだろう、カルルさん。
 お茶請けの焼き菓子が乗せられているお皿が、あの幻の藍を使ったお皿なのも試されているんだろうか。
「正直に言ってしまえば、クレストが誰かに執着しているというだけでも、十分に驚くべきことなのだけれどね」
 そっちか!
「あの、クレスト様は、エデルさんがそんな風に思われるような人だったんですか?」
「えぇ、最初にクレストを見た時は『つまらない子』って思ったわ。それでもカルルが選んだのだから、どこか面白い所があるのかもしれない、とは思ってはいたのだけれど、ねぇ」
 一旦、言葉を切ったエデルさんは、私をまじまじと見つめた。
「たった一人の子に、人間がここまで変わるのかしらって驚かせてくれたわ。こんな面白いことを間近に見られるなら、愚弟の人を見る目を高評価に引き上げてもよろしいかしら」
 くすくすと笑われた。
 そんなに面白いのかな、私。単なる農家の娘なんだけど。
「ねぇ、訓練所でクレストを見てどう思いまして?」
 口の端を持ち上げたまま、エデルさんが私に尋ねてくる。
「その……」
「正直に言って構わないわ? 他言はしなくてよ」
 商人の娘ですもの、口は堅いわよ、と答えを促してくる。
「正直に、言ってしまいますと、その、私の知っているクレスト様と何か違うような印象、でした」
 エデルさんは微笑みを崩さないまま「どんな風に?」と詳しく話せとせっつく。
「いつにも増して、その、冷たいというか、無表情?みたいな」
 私の答えの何がツボに入ったのか、エデルさんはいきなり声高に笑い出した。
「ふふっ、ごめんなさい。はしたないところを見せてしまったわ」
 いえ、声を上げて笑っている様子も艶やかなので眼福でした。大人の魅力というやつでしょうか。
「それがわたくしの知っている『氷の貴公子・クレスト』よ。でも、今日はそれが幾分か崩れていたわね」
「崩れて?」
「えぇ、訓練中にちらちらとこちらを見て来たし、カルルがあなたの隣に座った時には『何をやっているんだ』とばかりに睨まれてしまったわ」
 くすくすと笑いながらエデルさんは詳しく教えてくれる。
「全く、人形みたいだったのに、人ってこうまで変わるものね」
 遠慮せずにどうぞ、とエデルさんの勧めに応じて、私はおそるおそる焼き菓子に手を伸ばす。サクサクしたクッキーはとても美味だった。
「カルルが言うにはね、あなたが邸にいる時といない時では、随分と機嫌が違うらしいわ」
「あ、はい。それ、聞きました」
「愛されてるわね」
「あ、いっ?」
 げほんげほん、と咽ると、滲んだ涙の向こうでエデルさんがにこにこと微笑んでいる。さすがに、求婚めいたことを言われたことがあるなんて、口にする気はない。
「それはないと思います。きっと平民の私が珍しいだけなんですよ。珍獣に対して変に独占欲を抱いているだけで。もしくは、一度庇護下に置いたものを、最後まで責任を持とうとしてるとか、じゃないでしょうか。」
 すらすらと自分の口から出た言葉に、少しだけ哀しい気持ちになった。自分の傍に居ろと言う割には、どうして私に執着するかはサッパリ分からないままだ。唯一だの祈りだのと言うくせに、私のどこを気に入っているかは口にしない。
 私の返に、なぜかエデルさんが目を丸くした。
「あらあら、まぁまぁ」
 どこから取り出したのか扇を口元に当て、目をにんまりと三日月形にした。
「ねぇ、もし良ければ、手紙の遣り取りだけでも構わないから、お友達にならない?」
「え、いいんですか? そんな、私で良ければ」
 お姉様と呼ばせてもらいたいぐらいです。
「えぇ、クレストの方にも言い含めておくわ」
 あれ、今、「こんな面白い見物、逃せないわ」とか言いませんでした?
「あの、エデルさん?」
「愚弟に何かされたら、遠慮なく言ってちょうだい? わたくしからお仕置きするから」
 た、頼もしい!
「あの、でしたら、私のことを『女神様』とか言い回るのを止めてもらうようにできませんか? なんだか騎士団の方に広まってるみたいで、正直、イヤなんです」
「あらあら、愚弟ったら」
 ふふふ、と扇の向こうで笑うエデルさん。なんだか黒いオーラが立ち昇っていて頼もしい。
「もちろんよ。―――それでね、マリー」
「はい」
「聞かせてもらって良いかしら。……訓練所で、何を聞いたの?」
 私は持ち上げていたティーカップをがしゃん、と落とすようにソーサーに置いた。
「何か、耐えていたのではなくて?」
「そ、れは―――」
「きっと、クレストや愚弟には相談できないでしょう? よければ、話してみない?」
 あぁ、だから訓練所から連れ出してくれたのか、この方は。
 いい人なんだな、ポツリと思う。
「些細なことです。そんな、大げさなことじゃ」
「でも、つらかったのではなくて?」
 私は視線をあちこちにさまよわせて、観念した。
 こっくりと頷いた途端、涙がぽろり、とこぼれた。

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