33.窮地クレスト・アルージェ様 突然、お手紙だけの挨拶でお邸を去ってしまうことをお許しください。 短い間ではございましたが、私を引き取ってくださり、様々なことを教え導いてくださったこと、感謝の言葉もございません。 クレスト様のご厚情に甘え切ってしまった自分を情けなく思っております。 幸いにも、私を引き取ってくださる方がいらっしゃいまして、そちらにお世話になることにしました。その方の都合で、慌しい出発となってしまい、こうしてペンを取った次第です。 おそらく、二度と会うことはないと思いますが、万が一、私を見かけたとしても、決して声をお掛けにならないでください。私は、クレスト様にこれ以上甘えたくはないのです。私の自立のためにも、どうか、これだけはお願いいたします。 簡素なご挨拶で大変申し訳ありません。 どうぞ、クレスト様も素敵なご令嬢と巡り合い、幸せになられますように祈らせてください。 さようなら。 ![]() 我ながら、なんと拙い文章だろうかと頭を抱えたくなってくる。それでも、「素敵なご令嬢と」云々のくだりと書いている時は、私の横から覗き込んでいたお嬢様がご満悦の笑みを浮かべていたようなので、良しとしよう。 私は「マリーツィア・クリスチャーニン」とサインを付け加え、その後に小さな記号を書き加えた。 「あの、ナイフを貸していただけないでしょうか?」 お嬢様と反対側に立っていたドゥバに尋ねると、「あぁん?」と非常にガラの悪い答えが返って来た。 ですよねー。この状況で刃物を持たせるわけがありませんよねー。 「で、でしたら、私の親指をちょっと切っていただけませんか? 血判まで押せば、間違いなく本人が書いたって『鑑定』の魔術を使えば証明されます。より高位の『解析』まで使えば、私が決して強要されてこの手紙を書いたわけではないことまで証明できますし」 前者はともかく、後者は嘘っぱちです。『解析』なんて魔術、私は知りません。 まぁ、『鑑定』も私本人か、私の体の一部がないと使えない魔術なんだけど、この場には魔術師はいないみたいだし、バレることもないでしょ。 「ドゥバ、切ってあげなさい」 「はい」 お嬢様に命令され、ようやくドゥバが私の左手を取り、親指に短剣の刃を滑らせてくれた。 思ったより深く切られたけど、痛いけど、まぁ我慢しよう。 私は傷口の周りをぐにぐにと圧迫し、より多くの血が出るように調整する。そして、名前の後ろ、目印に小さな記号=簡単な『硬化』の魔術陣を書いた場所へとぎゅむーと親指を押し付けた。 ちらりと室内に視線を走らせて、もう一度確認する。 左隣にドゥバ。右隣にお嬢様。そしてドアの前にアジン。 部屋の中にはその三人だけだった。 大丈夫、大丈夫、と自分を宥める。どうしようもなく怖くてたまらなかった。でも、この別れの手紙だけで済ませてくれる保証はない。というか、さっきからアジンとドゥバがどこか楽しそうに私を見ている。 この視線は知っている。給仕中の私のお尻を撫でようとするハンクさんによく似ているから……! (絶対、これだけじゃ終わらない!) ふっ、と鋭く息を吐くと、私は便箋の端をつまんで血を乾かすように上下させながら、自分の肘に触れさせて魔術を発動させる。何食わない顔でさらに紙を振って硬度を確認すると、左手首を紙の端に滑らせた。 リンゴーン リンゴーン どこからともなく鐘の音が鳴り響く。 しかもかなりの大きさだ。近くに教会でもあるんだろうか。それとも、この建物自体に鐘があるとか? 「な、何なの?」 「うるせぇな!」 リンゴーン リンゴーン 鳴り止まない鐘の音に私以外の三人が困惑する様子で、ようやくこれが尋常でない事態なんだと分かった。 (……まさか) ちらり、と左手首に目を走らせれば、単純な『硬化』の陣で硬くした紙を使って切れ目を入れた魔術封じの銀環がある。物理的な破壊防止のために素材が『硬化』されているとは思ったけど、まさか破壊された時にこんな警告音まで鳴らすなんて。 (人の行動をどこまで先読みしてるのよ、あの人!) とりあえず、このタイミングを逃したくはない。 私はまだ『硬化』の切れていない便箋を持つと、扉の前に立つアジンに切りつけた! だが、寸前でへにゃり、と便箋がただの紙に戻ってしまう。ごく単純、かつ小さな『硬化』の魔術陣に血を使っただけだから、その効力が切れてしまったのだ。 「逃げられると思うなよっ」 アジンの太い腕が私の腕を難なく掴む。 ギリギリと腕を捻り上げられ、私はたまらず呻き声を洩らした。視線の端に床に落ちた便箋が映った。 (そうよね。強度も効果時間も指定しない、単純なものだもの、血に含まれたありったけの魔力使って、とんでもない強化をした挙句、あっさり時間切れになるわけよね) 突然の反抗に驚いたのもあるのか、アジンが、やたらギリギリと私の腕を締める力を強くして来る。生理的な涙がこぼれるほどに痛い。 リンゴーン リンゴーン 鳴り止まない鐘の音は、室内だけでなく外まで響いているようで、人があちこち移動して何事かと慌てる声がしていた。 「あ、あの、この音は、何なので、しょう?」 「しらばっくれるな、てめぇがやったんだろうが!」 いいえ、違います。 間接的には私かもしれませんが、どこまでも人の行動を見透かす『氷の貴公子様(笑)』がやったのです。 「わ、私は、知りませんっ。てっきり、近くに教会があって、朝課の鐘かと……」 「―――アジン、わたくしは王都に戻るわ。この音は外の者達に任せて、ドゥバと二人、予定通りにこの娘を傷物にしてから、あの方に引き渡しなさい」 足元から別れの手紙を拾い上げたお嬢様は、とんでもない命令を口にして部屋を出て行った。 (今、キズモノ、とか、言った……?) もしかしたらと予想はしていたけれど、アジンとドゥバの好色な視線は自意識過剰の産物じゃなかった。 私の顔から血の気が引く。青くなるとはまさにこのことだ。 リンゴーン リンゴーン 「ちょ、やっ……!」 お嬢様が部屋を出るや否や、私の目の前にドゥバが立った。 「アジン、とりあえずどうする?」 「裸にひん剥けばいいんじゃね?」 私に向かって伸びてくる手から逃れたくて身を捩ろうとするも、アジンの拘束の手が緩むことはない。しかもこっちは夜着のまま。ピンチにも程がある……! 「胸とか発展途上だよなーこれ」 「初物は間違いないだろ」 遠慮のない会話が私を挟んで交わされているけど、両手を拘束されて、手元に魔術陣もない私は抗うこともできない。 アジンは片手で私の両手を難なく拘束し、もう片方の手は遠慮なく人の尻を揉んでいる。ドゥバは「手にすっぽり収まっちまう」とか言いながら私の胸をやわやわと撫でるように愉しんでいた。恐怖と気色悪さが相まって、声も出ない。それでも懸命に抵抗を試みれば嘲笑で返された。 「無駄な抵抗とか、むしろ煽ってる?」 「いいから早く剥けよ」 アジンの言葉にドゥバの手が、私の夜着の襟元にかかり、そのまま一気に引き下ろされてしまった! ピィーっという甲高い音を立てて、夜着が引き裂かれ、首元から臍のあたりまでひんやりとした外気に晒された。 「…ゃっ!」 なんでこんなことに。 来ないで。 触らないで……っ! 「やべ、やっぱ無理強いってそそるわー」 下劣な発言をしたドゥバの手が、私の胸元に――― 「がっ!」 ムチャクチャに暴れた私の頭が、後ろで拘束するアジンの顎に当たり、腕が緩む。 アジンの勢い良く振り払った反動で、私の手首が目の前のドゥバのこめかみを打った。 「ってぇな、このアマっ!」 この隙にどうにか逃げようと暴れる私だったが、男二人に女一人、逃げ延びることもできず、ドゥバに頬を叩かれ、机に上半身をうつ伏せに押し付けられるようにして、再び拘束されてしまった。 リンゴーン リンゴーン 相変わらず、鐘の音が響き続けている。腹いせとばかりに殴られた衝撃で頭が揺れている所に、このうるさい音は拷問に近かった。 「ちっ。血まで垂れてきやがった」 「おい、その邪魔な腕輪、外しちまえよ。また当たったら痛ぇだろ」 「それもそうだな、首のヤツと一緒に売り払えばいい値になんだろ」 抵抗する気力もなく、私の首からダイヤのネックレスが外され、左手の銀環も力任せに歪められ、外された。 「おい、こっち取れねぇぞ」 「そこのペンチで切っちまえよ。銀みたいだし、壊れててもカネになんだろ」 アジンが部屋の片隅にあった木箱から、何に使うのかと聞きたくなるような大きなペンチを取り出した。ノコギリや木槌なんかと一緒に入っていた所を見ると、絶対に腕輪をねじ切るような用途じゃない。 「…ぃやっ」 「おい、暴れると手までぶった切るぞ」 私の上にのしかかるドゥバが低い声で脅しつける。後ろから体重をかけ、私の右手を拘束しているのに、さっきから空いた手が私のお尻のあたりをまさぐるのをやめようとしない。ただひたすら気持ち悪い感触に嫌悪感しか抱かなかった。 「ち、固いな」 そりゃ、私が切った左の環はともかく、右はまだ『硬化』の陣も効いているでしょうし。 とりあえず、今後のことを考えたくもなくて、そんなことを思う。左の環が切られてしまったら、男達は次の行動に移る。そのことを考えると、あれだけ鬱陶しかった銀環が切られないように、と願ってしまった。 ぎぎ、とゴツいペンチが軋む音がする。鳴り止まない鐘の音の中でも聞こえるんだから、相当な音のはずだ。アジンの両腕に血管が浮かび、相当な力が入っていることが分かった。 (お願い、切れないで……) 私の願いも虚しく、ベギィッと銀とは思えない音がして、右の銀環も切られてしまった。それと同時に、しつこく鳴っていた鐘の音も途絶えた。 「なんだ、こいつが鳴ってやがったのか」 「は、音が鳴るだけなんざ、護符としちゃ低級だな」 アジンがペンチを放り出し、銀環をねじって私の腕から外す。それをポケットに仕舞うのを、どこか絶望的に眺めていた。 (護符としちゃ、低級、ね。そりゃ、もともと護符なんかじゃないもの) あれは私の魔術を封じるためのものだ。護符なんかじゃない。私を守るものなんて、もう、何もない。 「さて、うるせぇ音もなくなったことだし」 「そのかわりに、たっぷり啼いてもらおうか」 後ろから襟を掴まれると、抵抗した私の代わりに服だけが引っ張られた。前を大きく切り裂かれた夜着はまるで脱皮するかのようにするりと剥け、背中を男達に晒す。 アジンかドゥバか分からないが、男の手が私の肩にかけられた。そのまま上半身を引き上げられてしまえば、今は机に押し付けて隠している胸も彼らの目に入ることは間違いない。 (いや、誰か―――) 脳裏に浮かんだのは、私を守ると言っていた彼の顔だった。 | |
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