TOPページへ    小説トップへ    重たい執着男から逃げる方法

 47.結婚式


 珍しくも春の雪が王都に降り積もった翌日、真っ白に染まった王都の空は、一転、真っ青の快晴が広がっていた。
「昨日はどうなることかと思いましたけど、きれいに晴れて良かったですね、クレスト様」
「……あぁ」
 由緒ある大聖堂に向かって馬車に揺られているが、私の向かいに座る青年の新緑の瞳は、どこか不機嫌そうに窓の外の風景を眺めていた。
 窓から差し込む光は、彼の柔らかな金色の髪をより一層輝かせ、ただでさえ人を魅了してやまない美貌を際立たせていた。見慣れた光景なのに、私の鼓動が速くなる。
「どうして、結婚式なのにそんなに拗ねているんですか」
「別に拗ねていない」
 そう言いながら、私の方をちらりと見ると、また窓の外に視線を移した。
 なんだろうか。そんなにこのドレス、似合っていないんだろうか。それとも化粧が濃過ぎたとか?
 いやいや、せっかくイザベッタさんとアマリアさんが苦心して施してくれたものだ。それにドレスは目の前の人物がデザインから何から口に出しまくったものじゃないか。
 こうやって、たまに私の予想もしないところで不機嫌になるのは止めて欲しいと思う。
 私は身につけたドレス、手袋、靴を一通り確認した。
「あの、クレスト様」
「なんだ」
 まだまだ不機嫌な声。
「その、どこか、私の恰好が変だったりしますか?」
「そんなことはない」
 視線を窓の外に向けたままで言われても、説得力は皆無だ。
「それじゃ、やっぱり似合ってないんですね……」
 まさか、視界に入れたくなくなるぐらいに似合っていないとは。やっぱり、根っからの平民な私には、こんな精緻なレースや光沢のあるシルクの生地なんてちぐはぐなんだ。
 こんなことなら、男性のクレスト様に口出ししてもらうんじゃなくて、ちゃんと自分で主張するんだった……。
「似合っている」
「え?」
「このまま邸に戻りたいぐらいに」
「はい?」
 どうしてドレスが似合っている=お邸に戻りたいになるんだろう?
 私が疑問を抱えて首を傾げていると、がこん、と馬車が止まった。
「着いてしまったか……」
 重いため息をついたクレスト様は、先に馬車を降りると、私に手を差し出した。
 彼が纏っているのは騎士団の正装。そんなものを身につけた彼は、正に恋愛物語に出てくるような理想の騎士様そのものだ。おかげで彼に手を取られて馬車を降りた途端、あちこちから痛い視線が刺さる。
 数ヶ月前の、婚約発表の夜会の時なんて、死ぬかと思った。
 閉会の頃には「針のむしろって、突き出た針の長さが一定なら痛くないって本で読んだけど、本当なのね」とか変なテンションになってたし。
「大丈夫か?」
 私をエスコートするクレスト様が、そっと耳元で囁く。
 しっかりと頷いて「大丈夫です」と答えるものの、正直、耳元に口を寄せた時点で、視線の痛さが二倍増しになった。分かっていてやっているんだろうかと疑いたくなる。
 ちらりと彼の表情を伺えば、冷気を発する勢いで周囲を睨むように警戒していた。また雪が降りそうなんでやめてください、と言いたい。ついでに威嚇する方向が違います。そっち男の人しかいないじゃないですか。ちゃんと令嬢たちに威嚇してください。
「クレスト、マリー」
 大聖堂の入り口で、大きく手を振る影があった。
 彼もクレスト様と同様、騎士団の正装に身を包んでいる。
「昨日はどうなることかと思ったけど、晴れて良かったよ。当日まで降り続くようなら、よっぽど本人の行いが悪いのかと……」
「そんなこと言わないでくださいよ、カルルさん。せっかくの祝いの席なのに」
 カルルさんは私を上から下まで見ると「うんうん」と頷いた。
「見るな。減る」
「はいはい。で、マリー。他人行儀な呼び方をやめるようにと何度も言ってるよね?」
 藍色の瞳がいたずらっぽく細められた。
「……はい、にいさま」
 何度も注意されているのに、やっぱり慣れない。
「うん。気をつけてね。……クレストも、あまり周囲を威嚇するなよ。いくらマリーがかわいいからってさ」
「カルルさん、いえ、にいさま。正直に言ってくれて構いません。やっぱり私なんかにこんな素敵な服は―――」
「とっても似合ってるよ。ドレスは誰の見立てなんだい?」
「え、と、クレスト様が……」
「あー、やっぱりね。大丈夫。クレストはちゃんとマリーに似合うものは分かってるよ」
 クレスト様はやたらと周囲を警戒してあちこちに視線を動かし、私の姿を見てくれることはない。
「まだ誤解作ってるのか、クレスト。心配なら、もう少し手を抜いた装いを―――」
「マリーツィアを美しく装って何が悪い」
「それならちゃんと言ってあげなよ? 君が不機嫌なのは、周囲の男の視線が」
「花嫁の親族に青あざも似合うと思わないか」
 軽く振り上げたクレスト様の拳に、カルルさんはピタリと口を閉ざした。
「えと、クレスト様。似合っていないわけじゃないんですね?」
「もちろん」
「それなら、いいです」
 とりあえず、一度ドレスのことは忘れて、目の前の式に集中しよう。ついでに刺さる視線も忘れたいけど、こっちは無理だろうし。
「話が落ち着いたなら、中に入ろうか。君ら二人とも色んな意味で視線を集めるみたいだしね」
 カルルさんに先導され、私たちは聖堂に足を踏み入れた。


 石造りのこの大聖堂は、随分と古く由緒正しいものなのだそうだ。王族や公爵、一部の力ある侯爵なんかは、この大聖堂を使うらしい。一種の箔付けというやつだ。
 私は、その荘厳な雰囲気に呑まれ、心臓がばくばくと高鳴るのを感じていた。すると、隣に立つクレスト様がぎゅっと手を握って来た。驚いて顔を見上げると、吸い込まれそうなエメラルドの瞳が私を安心させるように細められた。
 変な緊張をしている場合じゃない、と私も微笑んで小さく頷く。
 そして、居並ぶ列席者の密やかな呼吸が満ちる中、大聖堂の扉が開かれた。
 とうとう、主役の入場だ。
 祭壇へまっすぐ伸びる赤い絨毯を踏みしめて歩くのは、白で統一された衣装に身を包んだ青年。歩くたびに柔らかな金の髪がふわりふわりと揺れる。
 そして、続いて登場した花嫁の姿に、大聖堂の中がため息で埋もれた。
 花婿と同じく白で統一されたドレスを身に纏った花嫁だったが、その美しさは、まばゆいばかりだ。すっきりとしたホルダーネックの上半身のシルエットとは対照的に、ふわりと軽い絹のオーガンジーを重ねたスカート部分はバラの大輪が花開くよう。端に細やかなバラの刺繍が施されたマリアヴェールは何粒もの小さな真珠が縫い付けられていた。
 列席した人達は気付いただろうか。花嫁が歩くごとに、ドレスがきらり、きらりと輝くことに。無数の小さなダイヤモンドがちりばめられたドレスだと思った人もいただろう。
 でも違う。あれの正体はガラスだ。
 バルトーヴ子爵の支援する工房が作り上げた透明度の高いガラスをドレスに縫いとめている。パッと見では見分けがつかず、ダイヤの七割程度の軽さで、値段は……まぁ、半分ぐらいにはなるんじゃないだろうか。価格は今日の反応を見てから決めるって言っていたし。
 なんでこんなに詳しいかと言うと、私もこの特製ガラスの製作に一枚噛んでいるのだ。しがない平民の私なんかを養女にしてくれたバルトーヴ子爵には、どれだけ感謝しても足りない。それなら、と色々頑張った結果である。
 元々、ミルティルさんのために新しい釉薬を開発している時に、散々鉱物を研究していた。その下地があったからこそこの短期間で開発できた。むしろ、試行錯誤する時間を捻出するためにクレスト様を説得する方が大変だった。
 そんなことを思い出している間も、結婚式は着々と進行していく。
 エデルさんは、宰相補佐を務めるサヴェート侯爵の次男さんに嫁ぐ。貴族の爵位は、上から順に公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵なんだと教わったけど、子爵家が侯爵家に嫁入りするというのは、本来有り得ないことなんだとか。次男さんは親から別の伯爵位を受け継ぐということで一応セーフという話らしい。
 貴族の決まりごとはよく理解できていなくて、まだまだ勉強が必要みたい。ただ、「長男に万が一のことがあれば、姉上殿は侯爵の奥方様になるんだよ」などと冗談めかして呟いたカルルさんが、計算高い人だということは良く理解している。その点についてはこれ以上勉強したくない。
 互いを慈しむことを宣誓し、式を取り仕切る司祭様から祝福の聖水を振りかけられた二人に、列席者たちから拍手が湧き起こる。
 たとえ政略とはいえ、結婚は結婚だ。私もエデルさん、いや、ねえさまには幸せになって欲しいし、祝福の拍手を送るのに躊躇いはない。
 だが、隣に立つ人物は違ったようだ。
 相変わらずの無表情で、手を持ち上げているものの叩く様子はない。
 私はちょこっと首を傾げた。
―――荘厳な式が終わった後、宵の口から開かれる祝賀パーティののために着替えに戻る馬車の中で、私はようやく疑問を口にした。
「特に他意はない」
「他意は、って、それなら祝福するために手を叩くぐらい、いいじゃないですか」
「……祝福するつもりはない」
 私は思わずクレスト様をまじまじと見つめた。
 よもや他人の結婚を祝福しない人がいるなんて思わなかった。いや、待てよ。確かこの間読んだ恋愛小説では―――
「もしかして、クレスト様。エデルさんのことが好きだったんですか」
「それはない」
 珍しく不快さを表情に出したクレスト様が、冷え冷えとした空気を出す。
 おかしいな。他に何か理由があるんだろうか。
「結婚したことでエデル嬢の生活は大きく変わる。奥方として使用人などの差配することはもちろん、あちらの親族との様々な付き合いもあるだろう。これまでのように自由に様々な商品を見ることもできない。おそらく、子爵家から推薦された商品を広める広告塔になるだけだ」
 クレスト様は、私の頬に手を置いた。
「それに、サヴェート侯爵家とパイプができたことで、バルトーヴ子爵令嬢のお前にも要らぬ目が集まるだろう」
 それを考えると祝福などできない、とクレスト様は告げた。
 自惚れているわけではないけれど、何となく後者に比重を置かれている気がする。だって、前者と後者で声の熱の入り方が全然違ったもの!
「マリー」
「はい?」
「この後のパーティは欠席しろ」
 一瞬、話題が飛び過ぎて、何を言われたのか理解できなかった。
 それでも、どうやらクレスト様の中では話の繋がりがあるんだろうと考えて、ようやく理由に思い至る。
「絶対出席します」
 私の返答に、不機嫌さを隠さないクレスト様の眉間にしわが寄った。
「マリーツィア」
 そんな風に名前を呼んだってだめだ。どうせ貴族のしがらみとか、敵意を含む視線に私を晒したくないとか言うんだろう。
 今後、エデルさんとなかなか会えなくなるのは目に見えているのに、どうして欠席なんてできるの?
 それに、花嫁の妹が欠席とかありえないから!
 ここは、不本意ながらカルルさんの教えてくれた奥の手の出番かもしれない。これを使うと、しばらく私への執着というか、束縛がきつくなるから多用したくないんだけど。
「クレスト様」
 じっと、もはや見慣れてしまった美貌を、特にそのエメラルドグリーンの瞳に視線を定める。
「私、どうしてもエデルさんの門出を祝いたいんです」
 残念ながら彼の表情は「承服できない」と告げている。
 あぁ、本当に。
 本当に使いたくないんだけど、この手段は!
 でも、エデルさんにパーティできちんとお祝いを言うためには、仕方ない!
 腹を決めて腹をくくって腹を据えてかからねば!
「だから、クレスト様」
 私の頬に置かれたままの手に自分の手を重ねる。
「パーティでは、私を守ってください」
 そのセリフを言った瞬間、私の身体はクレスト様の胸にぎゅうぎゅうと抱きしめられてしまった。クレスト様の服に私の化粧が付いてしまうので、やめて欲しい。特に口紅は落ちにくいんだとイザベッタさんが言ってたし。
 最終的に、不本意だとは言いながら、クレスト様は出席の許可をしてくれた。
 ただし、パーティでは、ずっと私の腰に手を回したまま、離してはくれなかった。カルルさんにからかわれても、ずっと。おかげで、いつもより令嬢方の視線が痛かった。

 まぁ、仕方ない。
 この人の腕に閉じ込められることを選んでしまったんだから。
 それでも、私を唯一だと言ってくれるクレスト様だから、きっと後悔なんて、しない。

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