TOPページへ    小説トップへ    重たい執着男から逃げる方法

 4.子爵家令嬢として


「お披露目、ですか?」
「そう。バルトーヴ子爵家の一員になりました、どうぞよろしくって」
 クレスト様と一緒に帰宅して来て、私に話がある、と聞いた時から、イヤな予感はしていた。
 普段なら、私に何か話があるときは『クリス』に言ってくれるのに、わざわざクレスト様を交えて三人で、なんて。
 私の隣に座るクレスト様は、表情を変えずに紅茶を飲んでいる。なぜかその右手が私の腰に回っているのだけど、毎度のことでもう慣れてしまった。カルルさんも何も指摘して来ないのは、同じく見慣れた光景になってしまっているからだろう。
「具体的には、どうやって挨拶するんでしょう」
 どうぞよろしく、なんて、誰にどんな場所で言うのかさっぱり分からなかった。
 新しく娘になりました、なんて、お墓の前でご先祖様に報告したり、とか?
 そんな私の呟きを拾い上げたカルルさんが爆笑した。
「いやー、それはさすがに考えなかったわー。マリーはたまにそういうところ天然で言ってくれるから面白いよね」
 一応、真剣に考えた上でその結論になったのに。笑われるとなんだか釈然としない。
「今度、うちで簡単な夜会を催すんだよ。社交シーズンじゃないけど、懇意にしてる貴族とか招待する予定なんだ。で、そこでマリーを紹介するってこと」
「夜会? そ、そんなの聞いてませんて。第一、私、そんなところのマナーなんて……」
「マナーとダンスは、ハールとアマリアが教育していると聞いている」
 隣のクレスト様の言葉に、私は頭を抱えたくなった。
 やっぱり、あれ、外堀埋めてたんだ! 気のせいじゃなかったんだ……!
「で、でも、えぇと、付け焼刃みたいなものですし、ボロが出ると子爵家にご迷惑がかかります」
「うん、きちんとお披露目しない方が問題だから」
 義理の兄が、にっこりと笑って私の言葉を切り捨てた。
 えっと、他に理由になるようなことは―――
「や、夜会には、ドレスを着ていかないといけないんですよね。あんな高価なもの、これ以上、子爵家の負担には」
「別に、うちの新商品の広告塔になってくれれば差し引きゼロでいいんだけど。……あぁ、大丈夫、ドレスはうちじゃなくて、婚約者サマが仕立ててくれるよ」
 思わず隣の「婚約者サマ」を振り返ると、「心配はいらない」と即答された。
「既に仕立ては終わっている。試着して微調整をするだけだ」
 さすがに抜かりないね、と口笛を吹いてカルルさんが茶化した。
 あれ、これ、決定事項の通達でしたか?
「そんな不安そうな顔しないでよ、マリー」
 真正面の義理兄は、私を元気付けようとしているのか、満面の笑みを浮かべている。
「婚約のお披露目も兼ねるから、ずっとクレストの隣にいるといいよ」
 その言葉の破壊力に、最初は自分の耳を疑って。
 次に隣の「婚約者サマ」を確認してみれば、何故か私を妙に熱い目で見つめていて。
 爆弾発言をした義理兄に再び視線を戻せば、その満面の笑みはいたずらっ子の笑みなんだと気付いた。
「本当にこの一回で終わるんだろうな」
「あぁ、そこは大丈夫。一部には内々に情報洩らしてあるから。当日初耳のお客さんの対処は任せるよ」
「分かった」
 呆然とする私を抜きに、そのお披露目とやらの話は淡々と続いていたのである。


「……私、本当にカルルさんの妹になるんですね」
 ぽつり、とそんな言葉が洩れたのは、玄関で義理兄を見送った後のことだった。
「不満なら―――」
「あ、違います。そういうのじゃないんです!」
 まずいまずい。何を言ってるんだ私。この人の前でそんなことを言ったら、養女の話が木っ端微塵になって、カルルさんに大迷惑がかかるじゃないか。
「気になることがあるなら、俺に話せ」
 おかしいな、隣の人の声が、えらく質量がある気がする。声って質量はないはずなのに。
 ちらり、と見上げれば、そのエメラルドの瞳が真っ直ぐに私を射貫いていた。僅かな眉の歪みに、不機嫌なんだと理解する。
「何かあるんだろう?」
 重ねられたその声は、私を逃がすつもりなど毛頭ないことを、この上なく表している。ついでに、手もぎゅっと握りこまれた。
「えぇと、この話をすると、たぶん、クレスト様の気分を害してしまうと思うのですよ」
「……マリー?」
 冷ややかになった視線に負けました。
 私は上目遣いでクレスト様を見上げて、
「バルトーヴ子爵様の養女となることを、直接お師さまに報告―――」
「駄目だ」
 スッパリと切って捨てられた。
「でも、育ての親みたいなものですし」
「許可できない」
 返す刀で更に切られた。
「マリー。君をあの魔術師のところに送るわけにはいかない」
「送る、ですか?」
 あれ、この人のことだから、てっきり付き添いで来るものだと思っていたんだけど、違うのかな。
「中隊長は、近親者の葬儀など一部の例外を除いて二日以上連続した休暇を認められていない。あの魔術師がどこに居を構えているか知らないが、日帰りできる距離ではないだろう?」
 どうやら、私の考えていることはお見通しだった模様。
 やっぱり、クリスに行ってもらうしかないのかな。
 そこまで考えたところで、はた、と気付いた。
(そういえば、婚約のお披露目も兼ねる……って)
 見上げれば、こちらを注視していたエメラルドの瞳と視線がぶつかった。
「マリー?」
 あの人は、どんな人だったっけ。この人と似ていたっけ。
 じぃっとクレスト様の顔を見つめていると、何故か不機嫌そうに目を細められた。
「誰のことを考えている?」
 私の肩が小さく跳ねた。
 おかしくない? 確かに別の人のこと考えてたよ? でも、どうしてバレるの?
「あの……」
 私はおそるおそる口を開いた。
「クレスト様のご家族への挨拶はいつ頃―――」
「必要ない」
「で、でも、私……」
「事後報告で構わない」
 この話は終わりだとばかりに、クレスト様は着替えるために自室へ戻って行ってしまった。いつもなら私を無理やりにでも連れて行こうとするのに、今日はそれもない。
 私は、呆然と彼の後姿を見送っていた。
「マリーツィア様」
 振り替えると、そこには難しい顔をしたハールさんが立っていた。
「ほどなく夕食の準備が整います。先に食堂でクレスト様を待たれますか?」
「はい。……いえ! あの、ハールさん、クレスト様のお父さんって王都に住んでいらっしゃるんですよね?」
「ご領地と王都のお邸とを行ったり来たりしていらっしゃいます。ですが、クレスト様がお会いに行かれることも、旦那様がこちらにいらっしゃることもございません」
「え、でも、父親、ですよね」
 クレスト様の誕生日プレゼントに、私を買った人ですよね?
「マリーツィア様。残念ながら、旦那様はクレスト様のことにそこまで関与なさいません。クレスト様のおっしゃるように、婚約の件を事後報告としても問題はございませんでしょう」
「そうなんですか……」
 お兄様方からひどい仕打ちを受けていたことは聞いていたけど、まさか父親との関係も冷え切っていたなんて。
 でも、庶民の感覚と言われても仕方ないんだけど、やっぱり相手のご家族に話を通すのが筋だと思うんだよね。
(一応、義理兄さんに相談しておいた方がいいよね)
 あとでこっそり『クリス』から尋ねてみることにしよう。根回しは大事だって、カルルさんもよく言ってるし。


 口の中でほどけるほどに煮込まれた牛肉のシチューを頬張りながら、私はじっと向かいに座るクレスト様の顔を見つめていた。
 別に他意はない。
 他意はないんだけど……
「マリーツィア?」
 やっぱり不審に思われた。
「はい、クレスト様。このシチューはとても美味しいですね」
 にっこりと微笑む。
 珍しく食が進んでいないクレスト様に、美味しいから食べましょうよ、というアピールだ。
「こちらのエビのサラダも絶品ですよ?」
 さらに続ければ、クレスト様の給仕に立っていたハールさんに感謝の眼差しを向けられた。日頃お世話になってるから、これぐらいはしないとね。
 だけど、残念ながら、クレスト様の反応はまだ鈍い。
「あの、もしかして身体の調子でも……?」
「いや、大丈夫だ」
 それにしては、やっぱりナイフとフォークの動きは鈍い。
 でも、体調に問題ないなら、精神的なものなんだろうか?
 帰宅してからのクレスト様の行動を一つ一つ思い出そうとして……まさかの事実に気が付いた。
 もしかして、お師さまと連絡を取ろうとしたことに、怒っているのでは?
 それはまずい。確かにこっそりとクリスを使って報告に行こうと思っていたけれど、それも不快の原因なのかな。
 このまま放置すると、また不機嫌・不快が頂点に達して私は命の危機に晒されるかもしれない。それはよくない。
 何をどう取り繕おうかと慌てて考えて―――
「も、もしかして、私と、一緒に食事するのが、不快とかでしょうか?」
 喉がつっかえて変な声が出た。
 クレスト様は目を丸くし、珍しくハールさんもポカンと口を開けてこちらを見ている。
「だ、だったら、私、別室で、……あ、いえ、いいです。先に自分の部屋に戻りますね」
「待て」
 立ち上がりかけた私を、クレスト様の制止の声が繋ぎとめた。
「マリー。どうしてそういう結論になったのか、落ち着いて話せ」
「……クレスト様の食が進まないのは、私の顔を見ながらだと、美味しく食べられないからなのかな、と思いまして。その、お師さまへの報告の件で、不快にさせてしまったのだと」
「それはない」
 きっぱりと否定された。
「少し、考え事をしていただけだ。マリーのおかげで食事が美味しく感じられることはあっても、マリーのせいで食事が不味くなることはない。決して」
 さらに重ねて断言された。
 いつも思うんだけど、どうしてこの人の言葉は直球過ぎて重たく感じるんだろう。不思議だ。
 とにかく、私の心配は杞憂だったようで、クレスト様は私の誉めたシチューやサラダをちゃんと平らげてくれた。
「マリーの言うように、美味しかった」
「良かった」
 食後の紅茶を飲みながら、私はホッと息をついた。紅茶の温かさと一緒に広がる安堵に、自然と顔も緩む。
「よかった? 今日のメニューはマリーがリクエストしたのか?」
「いえ、違います。でも、私が美味しいと思うものを、クレスト様が美味しいって思ってくださるのは、食の好みが似ているということでしょう? 美味しいと思うものを共有できるのって、すっごく大事だと思うんです」
 この話をしてくれたのはミルティルさんだ。旦那さんと味付けの好みが合わなくて、新婚当初はケンカばかりだったらしい。
「だから、良かったなぁ、って」
 再びほぅっと息を吐くと、クレスト様が立ち上がった。
 あぁ、部屋に戻るんだな、と思って私も残った紅茶を飲み干したところで、目の前に立って私を見下ろすクレスト様に驚く。
「えぇと?」
 何かしたっけ?と首を傾げる。ちらりとアマリアさんを見れば生暖かい笑みが返って来た。
 手を差し出されたので、立てということかと理解して自分の手を乗せると、ぐいっと急に引っ張られた。
(はい?)
 何故に抱きしめられているのでしょうか?
 そして、胸板の硬さに慣れてしまった自分が悲しい。
「食事中は、すまない。君を不快にさせてしまったな」
 耳元で囁くように落とされた声と吐息に鳥肌が立つ。
「君がいてくれて、良かった」
 何がどうしてそういう結論になるのか、さっぱり分からなかったが、クレスト様の思考回路が分からないのはいつものことだ。とりあえず不機嫌が直ってくれたから良しとしよう。

―――クレスト様のお父さん、アルージェ伯については、後日、『クリス』を通してカルルさんに相談したところ、お披露目の時に客として呼ぶ予定だから、事前に話は通すべきだと言われた。
 カルルさんから一筆書いて出すというので、私もそれに便乗して手紙を書いた。もちろん、内容は事前にカルルさんに見てもらっている。というか、実際に書いたのは『クリス』だし、目の前で書き上げたという方が近い。
 クレスト様には内緒だっていうのが不安だけど、でも、お舅さんになるんだから、ちゃんとしないとダメだよね。

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