TOPページへ    小説トップへ    重たい執着男から逃げる方法

 10.レーザービームでじりじり焦げる


 痛い。
 あぁ、なんて痛いんだろう。

「マリーツィア?」
「なんでもありませんわ、クレスト様」

 隣の男の不審そうな声を、にっこりとお義母さまから鍛え上げられた微笑みで返せば、黙ってくれた。

 ……それにしても、痛い。
 視線で焦げそうになるのは、そう、あの雷王祭以来かもしれない。あのときも背中は鋭い視線で炎上中だった。

 バルトーヴ子爵夫妻、そしてエデルねえさまとカルルさんと並び、私は『娘』として紹介された。
 断絶した某男爵家の出奔した娘の忘れ形見という触れ込みだが、そんなのは建前で本気で信じている人など、この夜会の出席者にはいないだろう。……というのはクレスト様の言葉だ。
 次いで発表されたクレスト様との婚約という事実と合わせてみれば『アルージェ伯との繋がりを得るために急遽用意した娘』と考えるのが自然だ。もしくは『優秀な伯爵家三男坊を引き込むために用意した娘』あたりだろう。そのどちらでもないことなんて、知っている人は一握りもいない。
 カルルさんに言わせれば『金の卵を産むガチョウを繋ぎ止めるために伯爵家三男坊を用意した』のが正しい、らしい。騎士団で優秀と言われるクレスト様だけど、バルトーヴ子爵家にとっては商売への貢献度の方が重要なのだとか。

「どこの馬の骨か知らないけれど」
「氷の貴公子様と並ぶととても見劣りが」
「どうせ政略なのだから」

 あぁ、ヒソヒソと、それでいて聞こえるように言っているのですね、ご令嬢方。でも、私に聞こえるということは、隣の『氷の貴公子』(笑)にも聞こえてるんデスヨー。
 手に持った扇を口元に当てていようが、そのドレスが明かりを受けてキラキラ輝いていようが、妬み嫉みに溢れるその姿は正直であり醜悪だ。クレスト様を少なからずよく思っていた、もしくは狙っていたであろうご令嬢方から向けられるのは視線ではなく既に「刺線」。ザクザクと刺さってくるものに他ならない。
 それでも、それら全てを聞き流して微笑みを維持しているのは、これさえ乗り切れれば大丈夫、という一種の安心と、こんなことも乗りきれられないなら、という義理の家族からの無言のプレッシャーのおかげだ。

「これは、クレスト殿。お久しぶりですなぁ」

 にこやかに挨拶の言葉を口にしたのは、恰幅の良いおじさんだ。もちろん、私に見覚えはない。
 だけど、隣に立っているご令嬢からは厳しい視線が向けられている。もうなんだか、妙齢の女性全員が敵みたいに見えてきた。決して自意識過剰ではないと思う。

「グレンベック伯爵。奥様が体調を崩して領地に戻られたと伺いましたが、お加減はいかがでしょうか」
「あぁ、そんなに大したものではないですよ。元々、妻は―――」
「お母様は王都の空気が合わないようですの。領地の綺麗な空気の中であれば、とても元気でいらっしゃいますのよ」

 ちょ、自分の父親の言葉を遮るとか、やっちゃいけない事項のはずなんだけど……っ!
 黒髪を綺麗に結い上げ、目元をくっきりと見せる化粧を施した令嬢が、こちらをギロリと睨んで来る。
 真っ向から睨んで来るのは、このご令嬢で何人目だろうか。もう数えるのも飽きた。

「クレスト様。先日は城内で道案内と警護をしていただき、本当にありがとうございました。慣れない場所で心細かったあたくしに、こんなにご親切にしていただいて、本当に嬉しく思いましたのよ」
「騎士団に所属している者として当然のことをしたまでです。どうぞお気になされませんよう」

 冷ややかに丁寧な対応をするクレスト様を見るのも、これで何回目になることやら。さっきから、こういう遣り取りをする度に、私の腰に回した手に力がこもっている。うっかりするとクレスト様の方に倒れこみそうになるので、やめて欲しいんだけど……と思いつつ、周囲の耳目を気にして何も言えないのが歯痒い。

「そちらが、マリーツィア嬢ですの?」
「はい、初めまして。マリーツィア・バルトーヴと申します」

 私の顔をまじまじと見たご令嬢は、「ふ」と笑う。
 私の方はと言えば、睫毛を増量してバサバサと風と送れそうなぐらいになっている瞼が重くないのかなぁ、とついつい思ってしまった。……決して現実逃避ではない。

「もしかして、以前、雷王祭でお連れしていた方かしら?」
「……お会いしておりましたでしょうか? 申し訳ありません。私、あの場だけでも何人もの女性から声を掛けられたのですけれど、皆様、一様にお名前も教えてくださらなかったものですから、どうにも覚えておりませんで、申し訳ございません」

 実際、声を掛けられたのはクレスト様だけど、格式ばった場でなくとも、同伴している初見の女性に対して名乗らない、名前を尋ねない、というのは決して誉められたもんじゃない行為なのだと、私に対する花嫁教育の一環で知ることができた。何度か講師をしてくださったエデルねえさまからは、「絡んで来る令嬢が来たら、逆にやりこめておやりなさい」なんてお墨付きまでもらっている。

「ま、まぁ、あたくしの名前はエリザベス・グレンベックですわ。今後も夜会などでお会いする機会もあるでしょうし―――」
「そうですね。今後は『妻』ともどもよろしくお願いします』

 ポカン、とエリザベス嬢が私の隣に立つ男を見た。
 私もそうしたかったけれど、腰に回った手にやたらと力を込められては、動揺を押し隠すしかない。

「妻、……ですの?」
「あぁ、失礼。少し気がはやってしまいました。なにぶん、ようやく手に入れた愛しい人ですので」
「はっはっは、これはクレスト殿、すっかり婚約者殿に惚れ込まれている様子ですな。では、これで」

 隣に立った父親に引っ張られるように、エリザベス嬢は私たちの前から離れていった。遠くから「あれでは無理だ。早々に諦めなさい」なんて声が聞こえる。いや、聞きたくなかった。もう少し音量を抑えてください、お父さん。

「あの、クレスト様?」
「なんだ?」

 さっきから、私の方を見る時だけ、うっすらと笑みを浮かべるのをやめてもらいたい。

「その、わざと、ですよね?」
「あぁ言った方が、相手側もすぐ引き下がるだろう。それに、そう遠くないうちに妻になるのだから、別に問題ない」

 も、問題有りでしょう!
 そりゃ、お師さまへの挨拶も、バルトーヴ子爵への挨拶だって済ませて、私もアルージェ伯爵への挨拶もしたけど、まだ婚約発表したばかりだし!

「マリー。あまり他の男に笑みを向けるな」
「あの、友好的な雰囲気を出すには、一番大事だと思います」

 私たち二人がこそこそと周囲に聞かれないように密やかな遣り取りを交わしていると、背中に刺さるものが一層険しくなった気がする。
 大したことは話していないのだけど、やっぱり腹立たしいものらしい。みんな、クレスト様の本性知らないから、そんな風に好意を向けられるんだろう。
 実際、隣で挨拶を聞いていると、「誰この人?」とか思っちゃうしね。騎士団以外の外向きなクレスト様を初めて見た感想は「隣にいるのは別人!」だった。

「しょ、中隊長! このたびは女神様とのご婚約成立おめでとうございます」

 ご令嬢方の悪意の視線に刺されて穴だらけの私の耳に、その純粋な祝福の声は清涼剤のように響いた。
 どこか愛玩犬を思い起こさせる雰囲気を持った青年が目の前でニコニコと笑っていた。
 見覚えのある焦げ茶の髪と、私とほぼ同じくらいの身長。そして何より「女神様」という呼称。あちらも夜会服に身を包んでいるが、クレスト様の部下だ。

「何の用だ」
「もちろん、お祝いの言葉を」
「不要だ。戻れ」

 相変わらずクレスト様の対応は真冬の湖なみに冷たい。
 隣で微笑みを崩さない私は、必死で彼の名前を頭の中から引っ張り出した。

「フィン様。おいでいただきありがとうございます。直接祝っていただけるなんて、とても嬉しいですわ」

 その言葉に私の腰に回るクレスト様の腕に力が篭もり、フィンさんの口元がなぜか引き攣った。

「名前を覚えられている上に、微笑まれるとか、自分はもう死ぬんですね……」

 えぇ、言いたいことは分かるけど、そこまで悲観するほどのことなのか。いや、隣の男の性格を考えると、あながち間違っていないかもしれない。

「じ、実はですね、クレスト中隊長。その、少しお耳を拝借させていただきたく……」

 顔を引き攣らせたままのフィンさんが、クレストの耳元でごにょごにょと囁く。残念ながらその内容は聞き取れない。こんなことなら集音の陣でもどこかに組み込んでおけば良かったかと考えたけど、そんなことをすれば、『刺線』の根源の口から洩れる悪意まで拾ってしまう。それはさすがに精神的に持たないと小さく首を振った。

「……こんなときに、厄介な」
「いえ、こんなときだからこそ、だと思います」

 話の内容を聞いたクレスト様の冷気がハンパない。
 よほど面倒な事が起こったのかと、そっと視線をクレスト様に向ければ、何故か困ったように眉が僅かに下がった。

「マリーツィア。この場から動くな。フィンとアルジェントを付けておく。だが、必要以上に話しかけるな」

 フィンさんの後ろから銀髪の青年が近寄って来るのが見えた。きっとそれがアルジェントさんなんだろう。

「フィン、アルジェント。マリーに余計なものを近寄らせるな。あと、マリーに近寄るな」
「ど、どうしろと?」
「分かったな」
「は、はいっ」

 押し切られた形の青年二人の返事を確認し、クレスト様はくるり、とマリーに背を向けて人の波の向こうへと消えて行った。

「えぇと、フィン様は一度お会いしたことがございましたけれど、アルジェント様も、騎士団所属の方ですの?」
「あ―――、はい。わたくしはこのフィンと同じく騎士見習いの身でありまして、しょうた、中隊長には並々ならぬ恩義がございます」

 ビシッと返事をする銀髪の青年は、何故か私の方を直視しない。ちらりと隣のフィンさんを伺えば、同じようにどこか目線を外している。
 ……あれか、直視するなとでも言われているんだろうか。
 本音を言えば、中隊長に昇進したクレスト様の仕事ぶりなんかを尋ねてみたいところなんだけれど、……無理かなぁ。でも、黙ったままでいるわけにもいかないし、話題がクレスト様のことだけなら、まぁ、大丈夫かな。

「あの、お二人に是非聞いてみたいことがあるのですけれど」
「……はい」

 返事まで間があったのは、先ほどの『必要以上に話しかけるな』という命令のせいか。この際、目の前の二人への配慮は置いといて、自分の興味を優先させることにする。だって、そうでもしないと間が持たない。

「クレスト様は、中隊長になられてからどうかしら? 以前に比べて、お忙しそうにも見えるのですけれど」
「今は自分たちの小隊の小隊長と兼務という形ですので、確かに忙しいと思います」

 フィンさん。答えてくれるのは良いのだけど、今「良かった、クレスト様の話題で……!」って最初に呟いてなかったかな。いや、気持ちは分かるんだけど、せめて私に聞こえないようにして欲しい。

「引継ぎの期間が終われば、中隊長としての責務に専念できますので、負担も軽くなるのではないかと」
「まぁ、そうなんですの」

 小隊長だと聞いた時も思ったんだけど、あのクレスト様が管理職を務められるんだろうかと心配だったが、意外と大丈夫みたいだ。あんなに無表情・無感動・無愛想・無口な人なのに、部下の人達は大丈夫なんだろうか。主に胃が。

「フィン様、……アルジェント様もそうなのですけれど、クレスト様は、隊長として慕われておいでですの?」

 素朴な疑問だったのに、何故かフィンさんもアルジェントさんも顔を見合わせた。

「隊長は確かにあまり表情に出ない人ですけど、面倒見は良いんですよ?」
「それに、あの剣技! あの人の動きは無駄が少なくて見ていて惚れ惚れとしてしまいます!」
「最初こそ怖い印象はありましたけど、自分は中隊長のところに配属になって幸運だったと思っています」
「わたくしもフィンと同意見です。その見た目に誤解されやすい方ではございますが、とても真面目な方です」

 交互に褒め称えられ、私は思わず半歩引いた。
 信じられない思いでいっぱいだ。あのクレスト様が「面倒見が良い」なんて誉められるのを聞くなんて、とんでもなく予想外で―――

「あら、婚約を発表されたばかりだというのに、もう若い男性をくわえこんでいらっしゃるの?」

 突然、令嬢の悪意に刺された。それまでの穏やかな空気が一瞬にしてぶち壊され、私から律儀に一歩分の距離を取っていたフィンさんとアルジェントさんの顔が引き攣ったのが見えた。
 私はと言えば、動揺を見せないようにゆっくりとした仕草でその声の主に視線を向けた。
 気の強そうな吊り目はサファイアの青。身に纏った淡い緑のドレスはどこか異国情緒を思わせる見慣れないデザイン。そして、複雑に結い上げられた金茶の髪に飾られた大きな蝶のデザインの髪留めを見て、間違いない、と確信する。

(マルグリット・ピア嬢、ね……)

 エデルねえさまからもカルルさんからも、注意するように言われていた令嬢だった。
 隣国から亡命してきた貴族のお嬢さんで、亡命の理由に関わる特殊な事情により一代限りの貴族位を持っている。彼女の異母弟とその母親はマルグリット嬢を男爵・子爵の跡継ぎの妻とするか、伯爵以上の血を引く次男・三男の嫁にしようとあれこれ画策しているとか。それは全て異母弟の叙爵への布石として。
 なんでも、クレスト様が騎士見習いだった頃から、何かとアプローチをしてきていたらしい。残念ながらクレスト様本人からは話を聞けなかったけど、邸内を管理するハールさんからは何度も使者を寄越して来ていたという話は聞けた。
 とまぁ、複雑な事情はあるみたいだけど、クレスト様が婚約を発表するという情報を流した時点で、カルルさんに的を絞ろうとしている気配……と聞いたんだけどなぁ。両親はそう切り替えられても、本人は切り替えきれないのか、それとも腹いせに何かをしようというのか。

 こういう時に限って、守ってくれると豪語していたクレスト様が隣にいないのは、……逆か。クレスト様がいないからこそ、突撃して来たんだろう。
 まぁ、エデルねえさまからも、「もし何か来たらコテンパンにのしておやりなさい。あなたがクレストを選ぶより前に、クレストの方がマリーを選んだんだから、躊躇も容赦もいらないわ」とお墨付きをもらっている。これは、きちんとお相手するべきだろう。

「まぁ、どうか誤解なさらないでくださいませ。このお二方はクレスト様の有能な部下の方々ですの。私の隣を離れなければならなくなったクレスト様が、つけて下さったのですわ」

 とりあえず、先制のジャブをお見舞いしてみる。こちらのやる気は満々だ。何しろ、ずっと令嬢方の悪意に晒され、隣の婚約者からは拘束されていたわけだし、苛々は高まっていたわけだし。

「あら、それは失礼。何しろ、どこの生まれとも知れない方ですもの。きっと殿方に取り入るのもお得意なのでは、と邪推してしまいましたわ」

 マルグリット嬢は、鼻でふふんと笑うと、私の天辺から足元までじろじろと眺めてから、にっこりと黒い微笑みを浮かべた。

「髪も瞳も、ずいぶんと地味な方ね。それでよくあの美しい氷の貴公子様の隣に立てたものですこと」

 なるほど、そこから攻めてきますか。生まれもっての色彩なんて、どうにもならないところから攻撃するなんて、見事に卑劣じゃないか。
 ……お師さまとお揃いの黒髪を貶されて、さすがに私もカチンと来る。

「あの方の金の輝きの隣には、わたくしのような明るい色彩、見劣りしない姿が相応しいと思わなくて?」

 うん、大丈夫。このぐらいでは平静さを失うわけがない。
 クレスト様から逃げ回っていた頃に比べれば、なんてことのない単なる嫌味。こちらの胃をちくりとも痛めない。怒気を纏ったクレスト様の前に一度でも立ってみろっての。あの極寒の吹雪に比べたら、こんなの単なる涼風に過ぎない。
 大丈夫。子爵令嬢として、きちんと微笑みを浮かべるのに、何の障害にもならない。
 そんなことを自分に言い聞かせながら、私はにっこりと微笑んだ。

「ふふふ、とんでもない誤解をしていらっしゃいますわ」
「……何を、笑っているの?」

 言い返されるとは思っていなかったのか、マルグリット嬢が怪訝な表情を浮かべた。
 あぁ、ずっとクレスト様が隣に居て、その隣で挨拶に来る人来る人に、お義母さまに叩き込まれた『品の良い笑み』を浮かべて言葉少なに答えていただけだったから、誤解をさせてしまっていたらしい。
 むしろ、クレスト様が隣にいない方が伸び伸びと動けたりもするんだよ、この「どこの生まれとも知れない方」は!

「クレスト様は、人の外見に惑わされるような愚かな方ではございませんわ」

 なんてったって、外見に惑わされずに『クリス』を見つけるぐらいだから!

「貴女様がどちらのご令嬢か、不勉強で存じ上げないのですけれど、そのようにクレスト様を『過小』評価なさらないでくださいませ」

 やんわりと「クレスト様を貶した」と断定すれば、傍観していた他の令嬢から、ひそひそと悪意の囁きがマルグリット嬢にも降りかかった。
 自分でやっておきながら、だけど、―――何この流れ、怖い。
 夜会での戦い方を教えてくださったお義母さまやエデルねえさまに感謝する場面なんだけど、こうも悪意の矛先が変わるのが見えては、何というか、怖いとしか言えない。

「マリーツィア」

 こ の タ イ ミ ン グ で 戻 る か!

 ギギギ、とゆっくりなんだか軋んでいるのか分からない動作で振り向けば、そこには火種となった氷の貴公子様がいらっしゃいました。

「一人にさせてすまない。―――何かあったか?」
「いいえ、クレスト様。ご用はもうよろしいのですか?」

 何かあったか?と尋ねながら、マルグリット嬢に視線を走らせている時点で、何かを悟っているには違いないのだけれど、ここはスルーした方が良いと私はすっとぼけた。

「フィン、アルジェント、何もなかったか?」
「は、その―――」
「まぁ、クレスト様。わたしの言うことを信用してくれませんの? ひどいですわ」

 わざわざ報告されてはたまらないと、私はクレスト様の手を取って引き寄せるように力を込めた。普段はまずない行動に、クレスト様の瞳の奥に動揺が浮かんだ。

「フィン様、アルジェント様。クレスト様がいらっしゃらない間、傍に立っていてくださってありがとうございました」

 しゃべるなよ、と念を込めて微笑めば、どうやら察してくれたようで、何もなかったと肯定の言葉を口にしてくれた。ありがとう。
 少し考えてみれば分かることじゃないか。
 クレスト様不在の間に令嬢に絡まれたことを知る→私が夜会の途中なのに連れ帰られる&フィンさんとアルジェントさんは私を守れなかったと叱責をくらう。
 黙っていれば、誰も損はしない。

「あの、クレスト様。わたし、少し喉が渇いてしまいました。飲み物を取りに行ってもよろしいでしょうか?」
「―――あぁ、一緒に行こう」

 がっちりと腰をホールドされた私は、そのまま『力強く』エスコートされ、その場を後にした。
 令嬢方の悪意の視線は、再び私を標的にしたけれど、マルグリット嬢が追ってくる気配はなかったので、とりあえず良しとしておこう。

 ……それにしても、少し離れただけでもコレなら、多少窮屈でもクレスト様の隣からは離れない方がいいんだろうなぁ。

「マリー?」
「はい」

 何の気なしに応えれば、隣のクレスト様の顔が……ち、近っ!

「あの二人と何か話したか?」
「えぇ」

 うっかり正直に答えてしまったせいで、クレスト様が極寒のオーラを纏う。しまった、と思いながら、慌てて言葉を続けた。

「せっかくでしたので、中隊長に昇進されてからのクレスト様のお仕事の様子を伺っておりました。その、引継ぎが終わるまでは大変とは思いますが、あまりご無理をなさらないでください」

 過労で倒れても膝枕はしませんからね?
 そんな気持ちを込めて見上げれば、一拍だけ黙ったクレスト様が小さく口の端を上げて笑い、そのまま―――

(――――っっっ!!)

 私の顔が一気に熱くなる。
 ちょ、額に、えぇっ! 唇が……!!

「マリーツィア。心配してくれてありがとう」

 ダメだ。
 この人のこういう突発的な行為には、まだまだ慣れない。

 せっかく上手くマルグリット嬢を退けたというのに、なんだろうこの敗北感は。

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